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06:法華経 現代語訳 妙法蓮華経方便品第二・ラケットちゃんのホーホケキョウ(2-2後半)(2016-01-29投稿)

続いて、妙法蓮華経方便品第二後半です。



舎利弗当知 :舎利弗よ。まさに知れ。
我本誓願立 :我は、もとから誓願を立てた。

欲令一切衆 :一切の衆に、「なっていただこう。
如我等無異 :我と等しくして異ることのないように。」

如我昔所願 :我が、昔、願ったことは、
今者已満足 :今、すでに満足した。

化一切衆生 :一切衆生を化道して
皆令入仏道 :皆、仏道に入っていただく。

若我遇衆生 :もし我が、衆生に遇えば
尽教以仏道 :尽くして教えるに仏道をもって行う。
無智者錯乱 :しかし、無智の者は錯乱し
迷惑不受教 :迷い戸惑って教えを受けない。

我知此衆生 :我は、知った。この衆生は
未曾修善本 :未だかつて善本を修せず。
堅著於五欲 :堅く五欲に執着して
痴愛故生悩 :痴愛の故に悩(なやみ)を生ずる。

以諸欲因縁 :諸欲の因縁をもって
墜堕三悪道 :三悪道に墜堕し
輪廻六趣中 :六趣の中に輪廻(りんね)して
備受諸苦毒 :まさに諸の苦毒を受ける。

受胎之微形 :受胎の微形
世世常増長 :世世に常に増長し
薄徳少福人 :薄徳少福の人として
衆苦所逼迫 :衆苦に逼迫せられる。

入邪見稠林 :邪見の稠林
若有若無等 :「若しは有若しは無」等に入り
依止此諸見 :この諸見に依止して
具足六十二 :六十二を具足す。

深著虚妄法 :深く虚妄の法に著して
堅受不可捨 :堅く受けて捨つべからず
我慢自矜高 :我慢にして自ら矜高し
諂曲心不実 :諂曲にして心不実なり

於千万億劫 :千万億劫において
不聞仏名字 :仏の名字を聞かず、
亦不聞正法 :また正法を聞かず、
如是人難度 :かくの如き人は済度し難い。



是故舎利弗 :この故に、舎利弗よ。
我為設方便 :我は、方便を設けて
説諸尽苦道 :諸の尽苦の道を説き
示之以涅槃 :涅槃をもって示した。

我雖説涅槃 :我が、涅槃を説くといえども
是亦非真滅 :これは真の滅に非ず。
諸法従本来 :諸法は本より以来、
常自寂滅相 :常に自ら寂滅の相なり。

仏子道行已 :仏子は、道を行じおわって
来世得作仏 :来世に作仏することを得る。
我有方便力 :我も、方便力あって
開示三乗法 :「三乗」の法を開示した。

一切諸世尊 :一切の諸の世尊も
皆説一乗道 :皆、「一乗」の道を説きなさった。
今此諸大衆 :今、この諸の大衆の
皆応除疑惑 :皆、疑惑を除くべし

諸仏語無異 :諸仏の語(ことば)は異ることなし。
唯一無二乗 :唯、「一乗」であって、「二乗」は、なし

過去無数劫 :過去無数劫の
無量滅度仏 :無量の滅度の仏は、
百千万億種 :百千万億種にして
其数不可量 :数が多くて量れない。

如是諸世尊 :かくの如き諸の世尊も
種種縁譬喩 :種々の縁譬喩
無数方便力 :無数の方便力をもって
演説諸法相 :諸法の相を演説なさった。

是諸世尊等 :この諸の世尊等も
皆説一乗法 :皆、「一乗」の法を説き
化無量衆生 :無量の衆生を教化して
令入於仏道 :仏道に入らしめなさった。

若有衆生類 :もし、衆生類あって
値諸過去仏 :諸の過去の仏に値いなさって
若聞法布施 :もしは法を聞いて布施し
或持戒忍辱 :或は持戒忍辱し、

精進禅智等 :精進禅智等
種種修福徳 :種々に福徳を修されたところの、
如是諸人等 :かくの如き諸人等は、
皆已成仏道 :皆すでに仏道を成じた。

諸仏滅度已 :諸仏が、滅度しおわって
若人善軟心 :もし人が善軟の心あれば、
如是諸衆生 :かくの如き諸の衆生は
皆已成仏道 :皆すでに仏道を成じた。

諸仏滅度已 :諸仏が、滅度しおわって
供養舎利者 :舎利を供養する者、
起万億種塔 :万億種の塔を起てて
金銀及頗黎 :金銀及び頗黎

車コ与碼碯 :車コと碼碯
玫瑰瑠璃珠 :玫瑰瑠璃珠とをもって
清浄広厳飾 :清浄に広く厳飾し
荘校於諸塔 :諸の塔を荘校し

或有起石廟 :或は石廟を起て
栴檀及沈水 :栴檀及び沈水、
木樒竝余材 :木樒竝に余の材、
甎瓦泥土等 :甎瓦泥土等をもってするあり

若於曠野中 :若しは曠野の中において
積土成仏廟 :土を積んで仏廟(ぶつみょう)を成し
乃至童子戯 :乃し、童子が戲に
聚沙為仏塔 :沙(すな)を聚(あつ)めて仏塔をつくらば

如是諸人等 :かくの如き諸人等も
皆已成仏道 :皆すでに仏道を成じた。

若人為仏故 :もし人仏の為の故に
建立諸形像 :諸の形像を建立し
刻彫成衆相 :刻彫して衆相を成せたのも
皆已成仏道 :皆すでに仏道を成じた。

或以七宝成 :或は七宝を以て成し
鍮鉐赤白銅 :鍮鉐赤白銅
白鑞及鉛錫 :白鑞及び鉛錫
鉄木及与泥 :鉄木及与泥

或以膠漆布 :或は膠漆布を以て
厳飾作仏像 :厳飾して仏像を作ったところの、
如是諸人等 :かくの如き諸人等も
皆已成仏道 :皆すでに仏道を成じた。

綵画作仏像 :綵画して仏像の
百福荘厳相 :百福荘厳の相を作すこと
自作若使人 :自らもなし、もしくは人にもさせたのも、
皆已成仏道 :皆すでに仏道を成じた。

乃至童子戯 :乃し、童子の戲に
若艸木及筆 :若しは艸木及び筆
或以指爪甲 :或は指の爪甲を以て
而画作仏像 :画いて仏像を作ったのも、

如是諸人等 :かくの如き諸人等も
漸漸積功徳 :漸漸に功徳を積み
具足大悲心 :大悲心を具足して
皆已成仏道 :皆すでに仏道を成じて

但化諸菩薩 :ただ諸の菩薩を教化し
度脱無量衆 :無量の衆を度脱した。

若人於塔廟 :もし人がいて、塔廟
宝像及画像 :宝像及び画像において
以華香旛蓋 :華香旛蓋をもって
敬心而供養 :敬心にして供養し

若使人作楽 :若しは人をして楽をなさしめ
撃鼓吹角貝 :鼓を撃ち角貝を吹き、
簫笛琴箜篌 :簫笛琴箜篌
琵琶鐃銅抜 :琵琶鐃銅抜

如是衆妙音 :かくの如き衆(もろもろ)の妙音
尽持以供養 :ことごとく持って供養し
或以歓喜心 :或いは歓喜の心をもって
歌唄頌仏徳 :歌唄して仏徳を頌(じゅ)し

乃至一小音 :乃し一小音をもって行ったのも、
皆已成仏道 :皆すでに仏道を成じた。

若人散乱心 :もし人がいて、散乱の心に
乃至以一華 :乃し一華をもって
供養於画像 :画像に供養して
漸見無数仏 :漸く無数の仏を仰ぎ見られた

或有人礼拝 :あるいは人あって礼拝し
或復但合掌 :あるいはまた、ただ合掌し
乃至挙一手 :乃し、一手を挙げ
或復少低頭 :或はまた少し頭を低(た)れて

以此供養像 :これをもって像に供養して
漸見無量仏 :漸く無量の仏を仰ぎ見られた。

自成無上道 :自ら無上道を成じて
広度無数衆 :広く無数の衆を度し
入無余涅槃 :無余涅槃に入ることは、
如薪尽火滅 :薪が尽きて火の消えるが如くなった。

若人散乱心 :若し人の散乱の心に
入於塔廟中 :塔廟の中に入って
一称南無仏 :一たび南無仏と称せし
皆已成仏道 :皆すでに仏道を成じた。

於諸過去仏 :諸の過去の仏の
現在或滅後 :現在あるいは滅後において
若有聞是法 :もしこの法を聞いたことの有るものは、
皆已成仏道 :皆すでに仏道を成じた。

未来諸世尊 :未来の諸の世尊も、
其数無有量 :その数は無数で量れない。
是諸如来等 :その諸の如来等も
亦方便説法 :また方便して法を説きなさるであろう。

一切諸如来 :一切の諸の如来は、
以無量方便 :無量の方便をもって
度脱諸衆生 :諸の衆生を度脱して
入仏無漏智 :仏の無漏智に入れなさる。
若有聞法者 :もし法を聞いたことがある者は
無一不成仏 :ひとりとして成仏せずということはない。

諸仏本誓願 :諸仏の、本もとの誓願は
我所行仏道 :我が行ったところの仏道を
普欲令衆生 :あまねく衆生に
亦同得此道 :同じくこの道を得せさせようとなさることだ。

未来世諸仏 :未来世の諸仏
雖説百千億 :百千億
無数諸法門 :無数の諸の法門を説きなさったといえども
其実為一乗 :これは実には、「一乗」の為なり。

諸仏両足尊 :諸仏両足尊の、
知法常無性 :法は常に無性なり。
仏種縁従起 :仏種は縁に従って起ると知しめす
是故説一乗 :その故に「一乗」を説きなさる。

是法住法位 :この法は法位に住して
世間相常住 :世間の相が常住なり。
於道場知已 :道場において知しめしおわって
導師方便説 :導師方便して説きなさった。

天人所供養 :天人の供養なさったところの
現在十方仏 :現在十方の仏は、
其数如恒沙 :その数恒沙の如く
出現於世間 :世間に出現されなさって

安穏衆生故 :衆生を安穏ならしめんが故に
亦説如是法 :また、かくの如き法を説きなさった。

知衆生諸行 :衆生の諸行
深心之所念 :深心の所念
過去所習業 :過去所習の業
欲性精進力 :欲性、精進力

及諸根利鈍 :及び諸根の利鈍を知しめして
以種種因縁 :種々の因縁
譬喩亦言辞 :譬喩亦言辞を以て
随応方便説 :まさに随って方便して説きなさった。

今我亦如是 :今、我もまたかくの如し。
安穏衆生故 :衆生を安穏ならしめんが故に
以種種法門 :種々の法門をもって
宣示於仏道 :仏道を宣示する。

我以智慧力 :我は、智慧力をもって
知衆生性欲 :衆生の性欲を知って
方便説諸法 :方便して諸法を説いて
皆令得歓喜 :皆、歓喜することを得させよう。

舎利弗当知 :舎利弗よ。当に知るべし
我以仏眼観 :我は、仏眼をもって観じて
見六道衆生 :六道の衆生を見るに
貧窮無福慧 :窮にして福慧なし。

入生死険道 :生死の険道に入って
相続苦不断 :相続して苦断えず。
深五於欲著 :深く五欲に著すること
如犛牛愛尾 :犛牛(みょうご)の尾を愛するが如し

以貪愛自蔽 :貪愛をもって自ら蔽(おお)い
盲瞑無所見 :盲瞑(もうみょう)にして見る所なし
不求大勢仏 :大勢の仏や
及与断苦法 :及び断苦の法を求めず

深入諸邪見 :深く諸の邪見に入って
以苦欲捨苦 :苦をもって苦を捨ようとする
為是衆生故 :この衆生の為の故に
而起大悲心 :しかも大悲心を起した。



我始坐道場 :我は、始め道場に坐り
観樹亦経行 :樹を観じ、また経行して
於三七日中 :三七日(三週間)の中において
思惟如是事 :かくの如き事を思惟した。

我所得智慧 :我が得たところの智慧は
微妙最第一 :微妙にして最も第一なり
衆生諸根鈍 :衆生の諸根が鈍だから
著楽痴所盲 :楽に著し痴に盲いられたり

如斯之等類 :かくの如きの等類を
云何而可度 :いかにして度すべきかと。

爾時諸梵王 :その時に諸の梵王
及諸天帝釈 :及び諸の天帝釈
護世四天王 :護世四天王
及大自在天 :及び大自在天

竝余諸天衆 :竝に余の諸の天衆
眷属百千万 :眷属百千万、これらすべてが、
恭敬合掌礼 :恭敬合掌し礼して
請我転法輪 :我に転法輪を請した。

我即自思惟 :我は、即ち自ら思惟した。
若但讃仏乗 :もし、単に仏乗を讃めば
衆生没在苦 :衆生は苦に没在し
不能信是法 :この法を信ずることはできない。

破法不信故 :法を破って信ぜざるが故に
墜於三悪道 :三悪道に墜ちるだろう。
我寧不説法 :これなら、むしろ法を説かないで
疾入於涅槃 :はやく涅槃に入ろうか

尋念過去仏 :ついで過去の仏の
所行方便力 :行ったところの方便力を念(おも)うに
我今所得道 :我が今得たところの道も
亦応説三乗 :方便として「三乗」と説いていこう。

作是思惟時 :この思惟をなす時、
十方仏皆現 :十方の仏が皆、出現して、
梵音慰諭我 :梵音をもって、我を慰諭しなさった。
善哉釈迦文 :善哉(よきかな)、釈迦文よ。

第一之導師 :第一の導師は、
得是無上法 :この無上の法を得なさったが、
随諸一切仏 :諸の一切の仏に随って
而用方便力 :方便力を用いなさった。

我等亦皆得 :我等も、また皆、
最妙第一法 :最妙第一の法を得たけれども
為諸衆生類 :諸の衆生のレベルに応じて、
分別説三乗 :分別して、「三乗」と説いた。

少智楽小法 :「少」智は「小」法を楽(ねが)って
不自信作仏 :自ら作仏することを信じない。
是故以方便 :この故に方便をもって
分別説諸果 :分別して「諸果」を説いた。

雖復説三乗 :また、「三乗」を説くといえども
但為教菩薩 :ただ、菩薩を教える為なりと説いた。
舎利弗当知 :舎利弗よ。当に知るべし
我聞聖師子 :我、聖師子の

深浄微妙音 :深浄微妙の声を聞いて
喜称南無仏 :喜んで南無仏と称する。
復作如是念 :また、かくの如き念(おもい)を抱いた。
我出濁悪世 :我は、濁悪世に出現したのだ。

如諸仏所説 :だから、諸仏の所説の如く
我亦随順行 :我もまた随順して行おうと。
思惟是事已 :この事を思惟しおわって
即趣波羅奈 :すなわち、波羅奈に趣いた。

諸法寂滅相 :諸法寂滅の様相は
不可以言宣 :言葉では言い尽せない。
以方便力故 :だから、方便力を駆使して
為五比丘説 :五人の比丘の為に説いた。

是名転法輪 :これを転法輪と名づけた。
便有涅槃音 :すなわち涅槃の音。
及以阿羅漢 :及び、阿羅漢、
法僧差別名 :法僧差別の名あり

従久遠劫来 :久遠劫より以来、
讃示涅槃法 :涅槃の法を讃示して
生死苦永尽 :生死の苦を、永く尽くすと
我常如是説 :我は、常にかくの如く説いてきた。

舎利弗当知 :舎利弗よ。当に知るべし
我見仏子等 :我が、仏子等を見るに
志求仏道者 :仏道を志求する者は
無量千万億 :無量千万億もいて、

咸以恭敬心 :ことごとく恭敬の心をいだいて
皆来至仏所 :皆、仏の所に来た。
曾従諸仏聞 :かつて諸仏に従いなさって
方便所説法 :方便所説の法を聞いた。

我即作是念 :我は、すなわち、この念をなした。
如来所以出 :如来が出現した所以(ゆえん)は
為説仏慧故 :仏慧を説こうとする故なり
今正是其時 :今、まさしくこの時なり。



舎利弗当知 :舎利弗よ、当に知るべし
鈍根小智人 :鈍根小智の人や、
著相憍慢者 :著相憍慢の者は
不能信是法 :この法を信ずることはできない。

今我喜無畏 :今、我は、喜んで畏(おそれ)なし。
於諸菩薩中 :諸の菩薩の中において
正直捨方便 :正直に方便を捨てて
但説無上道 :ただ、無上道を説く

菩薩聞是法 :菩薩は、この法を聞いて
疑網皆已除 :疑網は、すべて、既に除かれ、
千二百羅漢 :千二百の羅漢は、
悉亦当作仏 :悉く、まさに作仏すべし


如三世諸仏 :三世諸仏の
説法之儀式 :説法の儀式のごとく
我今亦如是 :我も、今、またかくのごとく
説無分別法 :無分別の法を説く。
 
諸仏興出世 :諸仏がこの世に出現なさることには、
懸遠値遇難 :懸遠で、とても遭遇できない。
正使出于世 :また、世に出現なさっても
説是法復難 :この法を説きなさることは稀なのだ。

無量無数劫 :無量無数劫の間でも
聞是法亦難 :この法を聞くことは難しい。
能聴是法者 :運よく、この法を聴く者がいたとしても
斯人亦復難 :究めて微々たる数なのだ。

譬如優曇華 :譬えば優曇華の花が、
一切皆愛楽 :皆がすべて愛楽しながら
天人所希有 :天人のみが、所有して、希に、
時時乃一出 :時たま咲くようなものである。

聞法歓喜讃 :法を聞いて、歓喜し讃めて
乃至発一言 :続いて、一言をも発せば
則為已供養 :則、これは既に、
一切三世仏 :一切三世の仏を供養したことになる。

是人甚希有 :このような人がいるのも、はなはだ希なことだが、
過於優曇華 :それは優曇華の花よりも希なのだ。
汝等勿有疑 :汝等は、疑ってはならない。
我為諸法王 :我は、諸法の王なのだ。

普告諸大衆 :普くすべての大衆に告げる。
但以一乗道 :ただ、「一乗の道」をもって
教化諸菩薩 :諸の菩薩を教化した。
無声聞弟子 :声聞の弟子は、いなかった。

汝等舎利弗 :汝等よ、舎利弗よ
声聞及菩薩 :声聞及び菩薩たちよ。
当知是妙法 :まさに知るべし。この妙法は、
諸仏之秘要 :諸仏の秘要なのだ。

以五濁悪世 :五濁の悪世で、
但楽著諸欲 :ただ、諸の欲に楽(ねが)って執着している
如是等衆生 :かくの如き等の衆生は、
終不求仏道 :結局、仏道を求めず。

当来世悪人 :現世や来世の悪人は
聞仏説一乗 :仏説の一乗の法を聞いても、
迷惑不信受 :迷惑して信受せず、
破法堕悪道 :法を破って悪道に堕(お)ちる。

有慙愧清浄 :慙愧清浄にして
志求仏道者 :仏道を志求する者がいれば、
当為如是等 :このような者の為に
広讃一乗道 :広く一乗の道を讃むべし。

舎利弗当知 :舎利弗よ。当に知るべし
諸仏法如是 :諸仏の法は、かくの如く
以万億方便 :万億の方便を駆使して、
随宜而説法 :宜(よろ)しきに随(したが)って法を説きなさる。
其不習学者 :それを習学しない者は
不能暁了此 :これを暁了することはできない。

汝等既已知 :汝等は、既に
諸仏世之師 :諸仏、世の師の
随宜方便事 :随宜方便の事を知った。
無復諸疑惑 :また、諸の疑惑なく
心生大歓喜 :心に大歓喜を生じて
自知当作仏 :自ら、まさに作仏すべしと知れ。

・・・・・(妙法蓮華経方便品第二 私風現代語訳)



仏がこの世に出現した、目的・使命が説かれています。
この無上道とは、実は、南無妙法蓮華経のことです。

詳しくは、天台大師が解説し(摩訶止観)ましたが、末法にいたって始めて、日蓮大聖人が、その方法を、具体的な形に顕されました。

仏という生命も、実は、すべての生命に具わっていること・・・これを悟るのを仏といい、これに迷うのを凡夫というと、日蓮大聖人は明かされています。
私たちひとりひとりの生命に仏が具わっているということから考えると、私たちひとりひとりが、この世に生まれてきた目的や意味は、自身も含めてすべての衆生を「成仏」させるという、唯一の重大な事業(一大事因縁)のためなのではないでしょうか。
「我が如く等しくして、異なることなからしめん・・・」という、おおいなる仏の働きが、自分自身だけでなく、目の前のひと、他の人々、そして社会全体の幸福の実現へむかわしめ、
ひいては全人類の共生へつながっていくことでしょう。
究極の、生命尊厳の教えだとおもいます。

釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す
我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う、
四大声聞の領解に云く「無上宝聚・不求自得」云云、
我等が己心の声聞界なり、
「我が如く等くして異なる事無し
我が昔の所願の如き今は已に満足しぬ一切衆生を化して皆仏道に入らしむ」
・・・・・・・(如来滅後五五百歳始観心本尊抄、日蓮大聖人御書全集)


釈尊の因行と果徳の二法は、ことごとく妙法蓮華経の五字に具足している。
私たちがこの五字を受持すれば自然に釈尊の因果の功徳を譲り与えられるのである。
法華経信解品には、四大声聞が領解して「無上の宝聚(仏の生命)を、求めずして自ら得た」と述べているが、
これは、私たちの生命に具わっている声聞界が、妙法蓮華経を受持し奉り、無上の大功徳に歓喜している姿である。
法華経方便品には、仏が「法華経を説いて一切衆生に即身成仏の大直道を与え、仏と衆生と等しくして異なることがなくなった。
仏がその昔に誓願した一切衆生を成仏させようとの誓いが今はすでに満足し、一切衆生を皆仏道に入らしめることができた」と説かれている。
・・・・・・・(私風現代語訳)

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