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05:法華経 現代語訳 妙法蓮華経方便品第二・ラケットちゃんのホーホケキョウ(2-1前半)(2016-01-29投稿)

序品では、霊鷲山で、釈尊の法を聞くために、集まった人たち、っていうか、一切衆生というか、その諸々を詳しく紹介されます。
釈尊が、無量義処三昧(無上の教えの基礎に心を専念する瞑想の境地)に入って瞑想し、白毫相(巻き毛)から光を放って、東方の一万八千の世界(宇宙)をすみからすみまで照らして明らかにされ、一切衆生が、いまだかってない感動・歓喜をおぼえたあと、文殊菩薩と弥勒菩薩が、自分たちの過去世の因縁とともに、これから無上の法が説かれるであろうことを予告されました。

法を聞く人たちは、生物・無生物のすべてとともに、日天(太陽)、月天(月)などの天体や、諸天善神(大自然のよい働き)、鬼神(雷や地震などの天災を起こして自然を循環させる働き)など、この宇宙に存在するすべてのものが勢ぞろいしています。
現代物理学の知見をもってしても計り知れない壮大な壮大な物語が、これから展開される、第二章なのです。
明らかにされた世界は、このビッグバンの宇宙を遥かに越えた一万八千の世界と表され、いま私たちの住む地球や宇宙以外にも、文化的生物が存在し、過去世から未来世まで、永遠に消滅生成をくりかえしながら続いていくことを示されています。
西洋の合理主義に慣れた知識では、とうてい信じがたく受け入れられない内容だから、この法華経は、難信難解と、そのなかにもちゃんと記されています。
釈尊は、まさに、宇宙一切のものや働き=一切衆生に向かって、法を説いたのです。

方便品では、釈尊は、瞑想から出て、集まった人たちのなかの、舎利弗に語りかけます。
いよいよ、始まりです。
そこでは、それまで明らかにしなかった、「仏」の偉大さを賞讃します。
舎利弗は、3回にわたって教えを請い、釈尊がそれに応えて説こうとしたところ、5千人の増上慢(おもいあがりの者)が退席します。
残った、純粋な衆生に対し、いよいよ釈尊は、この世に出現した理由を明らかにします。
それは、すべての衆生を「仏」にする=「成仏」させることにありました。
これを唯一の重大な事業(一大事因縁)といいます。
それまで、教えてきた法と、これから説く法華経を対比させ、これから説く法華経こそ、真実で唯一の法則であることを明かします。
それまで、六道輪廻(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天界のなかでの輪廻)から脱してついてきた、声聞・縁覚・菩薩(3つあわせて三乗という)たちに対して、釈尊は、三種類の教え(三乗という)を説いてきました。
この三種類の教えは、あくまで一時的なものであり(三乗方便という)、法華経で説かれる唯一の教え(一乗)のみが真実であると明かしました(一乗真実という)。

末法に至って、仏という生命も、実は、すべての生命に具わっていること・・・これを悟るのを仏といい、これに迷うのを凡夫というと、日蓮大聖人は明かされています。
私たちひとりひとりの生命に仏が具わっているということから考えると、私たちひとりひとりが、この世に生まれてきた目的や意味は、自身も含めてすべての衆生を「成仏」させるという、唯一の重大な事業(一大事因縁)のためなのではないでしょうか。
その、仏の生命について、釈尊が、自身を通して説き始めた部分です。

某年某日、登山したときの画像を挿絵にして、アップいたします。
(「偈」(詩)の部分は、詩の形式にして、一部は、意味をとって、あえて現代風仮名遣いにしました。)
長くなっちゃったので、前半と後半に分け、後半からアップいたしました。



妙法蓮華経 方便品第二
爾時世尊 従三味 安詳而起 告舎利弗・・・


そのとき世尊は、安詳にして起き、次のように舎利弗に言った。

諸々の仏の智慧は、甚だ深くて、量ることができない。
その智慧の出発点ですら、入ることが極めて困難だ。
今まで私が導いてきた、一切の声聞・縁覚の悟りを
得たものたちにも残念ながら、考えが及ばないところである。
さあ、どうしてなのか。・・・

私は、仏に成る為に、かつて、百千万億~無数の仏の下で、量ることができない量の道法を修行し、勇猛に精進し、その名声・称賛が、遍く広がっているのだ。
甚だ深く、未だかつてない法を成就したあとは、衆生を、一人ひとりの能力や都合に合わせて指導してきたのだ。
だから、その時々の仏の教えの趣旨・真意なんぞ、わからないからだ。
舎利弗よ、私は成仏してから今まで、諸々の因縁を証し・諸々の比喩を使って、おおいに教え広めてきた。
つまり、方便を無数に使って、衆生を導いて、諸々の執着から離脱させてきた。
なぜこんなことができたかといえば、仏というものは、あらゆる真実を見抜く智慧が完成しているからである。

舎利弗よ、仏の智慧や見識は、広く大きく深く悠遠である。
私は、四無量智・四無礙智・十力・無所畏・禅定・解脱・三昧などを完成しており、際限なく極め、いまだかつてない法を成就しているのだ。

舎利弗よ、仏は、貴方達のことを隅々まで見抜いて、巧みに真理を説き、柔軟に言葉を選んで、歓喜の心を起こさせる。

舎利弗よ、要するに、仏は、無量無辺で未曾有の法を、ことごとく成就しているのである。

舎利弗よ、くどくどと言うのは、もうこの辺りでやめよう。何回も言うべきではない。
なぜなら、仏が成就した法というのは、たったひとつしかない、最も難解な法だから、たやすく分かるはずがないからだ。

いうなれば、仏と仏同士でのみ、「大自然のありのままの姿」を、隅々まで究めつくしているということだ。
いわゆる「諸法の実の相」とは、あらゆる大自然一つ一つの、ひとつの微塵から大宇宙に至るまでの、
そのままの姿かたち(如是相:かくの如くある相)
そのままの性質(心、無意識も含む)(如是性)
そのままの体格・体質(如是体)
そのままの力 (如是力)・・・内的な生命力
そのままの作用(如是作)・・・外部に現れる物理的作用
そのままの内因(如是因)・・・内的な原因
そのままの外因(如是縁)・・・外部(環境)からの原因
そのままの結果(如是果)・・・内部に積まれた結果
そのままの報い(如是報)・・・表面に現れた結果(物理化学生物的なものの他、すべての結果)
そのままの一貫性・対等平等性(如是本末究竟等)
なのである。


もう一度、この思いを詩にして語ろう。

世雄不可量 :世雄(仏の智慧や力など)は、量(はか)りえない。
諸天及世人 :諸天及び世人や
一切衆生類 :一切衆生の類には、
無能知仏者 :能(よ)く仏を知る者は、いない。

仏力無所畏 :仏の力、無所畏や、
解脱諸三昧 :解脱、諸の三昧、
及仏諸余法 :及び仏の諸余の法を、
無能測量者 :よく測量する者は、いない。

本従無数仏 :本(もと)もと、無数の仏に従って、
具足行諸道 :具足して諸道を行じなさった、
甚深微妙法 :甚深(じんじん)微妙(みみょう)の法は、
難見難可了 :見難く了すべきこともできない。

於無量億劫 :無量億劫において、
行此諸道已 :この諸道を行じおわって
道場得成果 :道場にして果を成ずることを得て、
我已悉知見 :我は、すでに悉く知見する。

如是大果報 :かくの如き大果報や、
種種性相義 :種々の性相の義を、
我及十方仏 :我及び十方の仏は、
乃能知是事 :乃(いま)し能(よ)くこの事を知りつくした。

是法不可示 :この法は、言葉で表せない。
言辞相寂滅 :言辞の相自体が、寂滅であるから。
諸余衆生類 :多くの衆生の類(たぐい)には、
無有能得解 :よくわかることは、ひとつもない。
除諸菩薩衆 :ただし、諸の菩薩衆のなかで、
信力堅固者 :信じる力が堅固なる者は例外である。

諸仏弟子衆 :諸仏の弟子衆が、
曾供養諸仏 :かつて諸仏を供養し、
一切漏已尽 :一切の漏(ろ=煩悩)がすでに尽きて、
住是最後身 :その最後身(=聖者)に住している
如是諸人等 :かくの如き諸人等でも、
其力所不堪 :それらの(智慧の)力ではわからない。

仮使満世間 :たとえ、世間に満ちている人々が、みんな、
皆如舎利弗 :舎利弗の如く(智慧第一)となって、
尽思共度量 :思(おもい)を尽くして共に度量するとも
不能測仏智 :仏智を測るにはおよばない。

正使満十方 :たとえ、十方に満ちている人々が、
皆如舎利弗 :皆が、舎利弗の如くとなって、
及余諸弟子 :及び余の諸の弟子たちが、
亦満十方刹 :また十方の刹(くに)に満ちつくして、
尽思共度量 :思を尽くして共に度量するとも、
亦復不能知 :亦復(またまた)知ることにはおよばない。

辟支仏利智 :辟支仏が、利智にして
無漏最後身 :無漏の(煩悩を断じた)最後身(=聖者)となって、
亦満十方界 :それらが、また、十方界に満ちつきて、
其数如竹林 :その数が竹林の如くなったとして、

斯等共一心 :それらが、共に、一心に、
於億無量劫 :億無量劫の間、ずっと、
欲思仏実智 :仏の実智を思おうとしたとしても、
莫能知少分 :わずかでも知ることすらない。

新発意菩薩 :新発意(しんぼっち)の菩薩が、
供養無数仏 :無数の仏を供養し、
了達諸義趣 :諸の義趣を了達し
又能善説法 :又、うまく法を説くものたちが、
如稲麻竹葦 :稲・麻・竹・葦の如くにして
十方刹充満 :十方の刹(くに)に充満して、

一心以妙智 :一心に妙智をもって、
於恒河沙劫 :恒河沙劫の間ずっと、
咸皆共思量 :ことごとく皆共に思量したとしても、
不能知仏智 :仏智を知ることにはおよばない。

不退諸菩薩 :不退の諸の菩薩たちが、
其数如恒沙 :その数恒沙の如くにして、
一心共思求 :一心に共に思求すとも
亦復不能知 :また、知るまでにはおよばない。

又告舎利弗 :又、舎利弗に告ぐ
無漏不思議 :無漏不思議の
甚深微妙法 :甚深微妙の法を
我今已具得 :我は、今すでに具え得た。

唯我知是相 :ただ、我のみ、この相を知っている。
十方仏亦然 :十方の仏も、知っている。


舎利弗当知 :舎利弗よ。当に知るべし
諸仏語無異 :諸仏は、語(みことば)が異ることはない。
於仏所説法 :仏の所説の法において
当生大信力 :まさに大信力を生(おこ)しなさい。

世尊法久後 :世尊は法久しくして後
要当説真実 :かならず、まさに真実を説くであろう。

告諸声聞衆 :諸の声聞衆
及求縁覚乗 :及び縁覚乗を求むる者に告ぐ。
我令脱苦縛 :我が、苦縛(くばく)を脱し
逮得涅槃者 :涅槃(ねはん)を逮得(たいとく)させたことでは、

仏以方便力 :仏は、方便力をもって、
示以三乗教 :示すに、「三乗」の教をもってなされる。
衆生処処著 :衆生が、処処に著(ちゃく)するのを、
引之令得出 :これを引いて、脱出させようとする。



その時、聞いていた大衆の中に、諸々の声聞、煩悩が尽きた阿羅漢、阿若憍陳如などの修行者1200人、また、声聞・縁覚の心が生じた比丘・比丘尼・優婆塞(在家の男)・優婆夷(在家の女)は、次のような疑問が浮かんだ。

いままで世尊は唯一の解脱の意義を説き、私たちもまた、その法を得て(すでにゴールである)涅槃に達している(はずである)。
なのに、世尊は、どうして、わざわざ改めて、真心を込めて方便を称賛して、・・・以上のように、・・・仏の獲得した法は、・・・私たちすべての声聞・縁覚の智慧の及ばないものと、おっしゃるのか。
その意味がわからない。(納得がいかない)

そのとき舎利弗は、これら四衆の疑問を知り、自分自身も分からなかったため、仏に申し上げた。

「世尊よ。どんな原因・理由があって、仏たちの最高の方便の法、甚だ深く微妙で難解な法を、真心を込めて褒め讃えるのでしょうか。
私は、未だかつて、このようなお話は伺ったことがございません。四衆もみんな疑問に思っております。
どうか、この意味を、敷衍して教えてください。」
舎利弗は、もう一度、この思いを詩にして、伺った。

慧日大聖尊 :慧日大聖尊よ
久乃説是法 :久しくあって、いまし、この法を説きなさる
自説得如是 :自ら、かくの如き
力無畏三昧 :力無畏三昧、

禅定解脱等 :禅定解脱等の
不可思議法 :不可思議の法を得たりと説きなさった。
道場所得法 :「道場にて得たところの法について、
無能発問者 :問を発する者はなかった

我意難可測 :我が意は、測るべきこと難く
亦無能問者 :また、よく問う者はなかった」と、
無問而自説 :問うことなけれども自ら説いて
称歎所行道 :所行の道を称歎しなさった。

智慧甚微妙 :智慧は甚だ微妙にして
諸仏之所得 :諸仏の得なさった所なり。
無漏諸羅漢 :無漏の諸の羅漢や
及求涅槃者 :及び涅槃を求める者は

今皆堕疑網 :今、皆、疑網に堕ちてしまった。
仏何故説是 :仏は、何のためにこれを説きなさったのか。
其求縁覚者 :その縁覚を求める者、
比丘比丘尼 :比丘、比丘尼、

諸天龍鬼神 :諸の天龍鬼神、
及乾闥婆等 :及び乾闥婆等が、
相視懐猶豫 :相視て猶豫を懐き、
瞻仰両足尊 :両足尊を瞻仰する。

是事為云何 :この事はいかなるべきことか
願仏為解説 :どうか、仏よ、解説してください。
於諸声聞衆 :諸の声聞衆において
仏説我第一 :仏は、私を「我の、第一の弟子である」と説きなさった。

我今於自智 :今、その私ですら、自らの智慧では
疑惑不能了 :疑惑のあまり了解することができない。
為是究竟法 :この究竟の法とは何か。
為是所行道 :この所行の道とは何か。

仏口所生子 :仏口より生じるところの子は、
合掌瞻仰待 :合掌瞻仰して待ちもうしあげる。
願出微妙音 :どうか、微妙のお音を出して
時為如実説 :時に為に実の如く説きなさってください。

諸天龍神等 :諸の天龍神等
其数如恒沙 :その数は、恒沙の如し。
求仏諸菩薩 :仏を求むる諸の菩薩は、
大数有八万 :大数八万あり。

又諸万億国 :又、諸の万億国から
転輪聖王至 :転輪聖王が来ていて、
合掌以敬心 :合掌し敬心をもって、
欲聞具足道 :具足の道を伺いたいと願っています。


その時、仏は、舎利弗に告げた。
「やめなさい。やめなさい。今は説くべきではない。
もし、今、答えを説いたら、諸天の神々や人は、みんな、驚いて疑うであろう。」

舎利弗は、重ねて仏にお願い申し上げた。
「世尊よ。どうか、これを説いてください。その原因・理由はなぜでしょうか。
この場に集った無数百千万億阿僧祇の衆生は、かつて仏たちを見奉り、感覚が鋭く、深い智慧も備えています。
仏のおっしゃることを聞けば、即座に信じ敬うことができます。」

舎利弗は、この思いを詩に託して、重ねて仏にお願い申し上げた。

法王無上尊 :法王無上尊よ
唯説願勿慮 :どうか、説きたまえ、願わくは慮したもうことなかれ

是会無量衆 :この会の無量の衆は
有能敬信者 :よく敬信できる者たちです。

仏は、また、
「やめよう。舎利弗よ。
もし、今、答えを説いたら、世界中の諸天の神々や人や阿修羅は、みんな、驚いて疑うであろう。
増上慢の比丘は、大いなる穴底に墜ちてしまうだろう。」
仏は、思いを詩に託して語った。

止止不須説 :止めよう、止めよう、説いてもなんの意味もない。
我法妙難思 :我が法は妙にして思い難い。

諸増上慢者 :諸の増上慢の者は
聞必不敬信 :聞いても必ず敬信しないだろう。

舎利弗は、更に重ねて仏にお願い申し上げた。
「世尊よ。どうか、このわけを教えてください。どうか、これを説いてください。
私たち、この場に集った無数百千万億の衆生は、かつて過去世に何回も生まれては仏に従って指導をうけ奉りました。
このような者共は、教えてくださったことを、必ず、即座に信じ敬い、長い夜でも、安穏に過ごせ、多くの幸せがあるでしょう。
舎利弗は、この思いを詩に託して、更に重ねて仏にお願い申し上げた。

無上両足尊 :無上両足尊よ
願説第一法 :どうか、第一の法を説きなさってください。
我為仏長子 :我は、仏の長子です。
唯垂分別説 :ぜひ、分別して説きなさってください。

是会無量衆 :この会の無量の衆は
能敬信此法 :よく、この法を敬信できるでしょう
仏已曾世世 :仏は、すでにかつて世世に
教化如是等 :このような人々を教化しなさってこられた。

皆一心合掌 :皆、一心に合掌して
欲聴受仏語 :仏の御語を聴き受けようとしています。
我等千二百 :我等千二百
及余求仏者 :及びその他の、仏を求める者がおります。

願為此衆故 :どうか、この衆の為の故に
唯垂分別説 :分別して説きなさってください。
是等聞此法 :これ等は、この法を聞きたてまつらば
則生大歓喜 :則、大歓喜を生むでしょう

その時、仏は、舎利弗に告げた。
「あなたは、3回も、真剣に真心をこめて、要請した。
なので、どうして教えないでいられようか。
よく耳を澄まして聞きなさい。そして、よく考えなさい。
わたしは、あなたのために、言葉を選別して、説明しましょう。」



仏が、こう言った時、この集会の中で、約5千人の、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷が、立ち上がって、仏に礼をして立ち去ってしまった。

どうしてかというと、この輩は、罪の根が深く重い上、思いあがった増上慢であって、未だ悟りを得ていないのに得ていると思い込み、そのことを未だ証明できていないのに確かめたと勘違いしている。
このような過失によって、せっかく集まっていながら、真の悟りから離れていく者たちであった。

これを見た仏は、黙って受け止め、あえて彼らを止めることはなされなかった。
その時、仏は、舎利弗に告げた。

「今、ここに集まっている人たちは、心の向きが枝葉のように分かれているのではなく、まっすぐに真実を受け止める者のみとなった。
舎利弗よ、あのような思いあがった増上慢は、退出するのも結構。
よく聞きなさい。
私は、あなたのために、説くのである。」

舎利弗は、仏に申し上げた。

「承知いたしました。
どうか、これを説いてください。
お願いいたします。」



仏は、舎利弗に告げられた。
これから説く「妙法」は、諸仏や如来が、特定の時に限って説きなさる法であって、優曇鉢の華が、長い年月の後にたったひとたび咲くような、あり難いものである。
舎利弗よ、汝等はまさに信じなさい。
仏の説くことばは、偽りではない。
舎利弗よ、諸仏が、それぞれのレベルに応じて説いた教えの「趣旨」は、理解し難い。
どうしてかといえば、私は無数の方便・種々の因縁・譬喩・言辞を駆使して諸法を演説してきたが、
この法は、ふつうの思量分別では理解できない。
ただ諸の仏のみが、これをよくご存知なのである。
なぜなら、諸仏世尊は、ただ、一大事の因縁があっての故に、この世に出現なさるからである。
舎利弗よ、どのようなことを、諸仏世尊がただ一大事の因縁があっての故にこの世に出現なさるというのか。
それは、諸仏世尊は、
衆生に、仏の智慧の知見を開いて説き、清浄にさせようと欲するが故に、この世に出現なさるのである。
衆生に、仏の智慧の知見を示そうと欲するが故に、この世に出現なさるのである。
衆生に、仏の智慧の知見を悟らせようと欲するが故に、この世に出現なさるのである。
衆生に、仏の智慧の知見の道に入らせよう欲するが故に、この世に出現なさるのである。
舎利弗よ、これを、諸仏はただ一大事の因縁があっての故にこの世に出現なさるというのである。

仏は、舎利弗に告げられた。 
諸仏如来はただ菩薩だけを教化しなさる。
諸のなすところがあるのは、常にこのことだけのためである。
ただ、仏の智慧の知見をもって衆生に示し悟らせようとするためである。
舎利弗よ、如来は、ただ、「一仏乗」(仏の、唯一の教え=唯一の乗り物)をもっての故に、衆生の為に法を説きなさる。
それ以外の、あるいは二乗(二つの教え=二つの乗り物)、あるいは三乗(三つの教え=三つの乗り物)があるわけではない。

舎利弗よ、一切の十方の諸仏の法もまた、同様である。
舎利弗よ、過去の諸仏も、無量無数の方便・種々の因縁・譬喩・言辞をもって、衆生の為に諸法を演説しなさった。
この法も皆、「一仏乗」の為の故である。
この諸の衆生は、諸仏に従いたてまつって法を聞き、ついに究極まで至って皆、一切種智(あらゆるものに関する智慧)を得た。
舎利弗よ、今後、未来の諸仏が当にこの世に出現されなさる場合も、また、無量無数の方便・種々の因縁・譬喩・言辞をもって、衆生の為に諸法を演説しなさるであろう。
この法も皆、「一仏乗」の為の故である。
この諸の衆生も、仏に従いたてまつって法を聞き、ついに究極まで至って皆一切種智を得るであろう。
舎利弗よ、現在の十方の無量百千万億の仏土の中の諸仏世尊が、衆生を饒益し安楽にさせなさることも多い。
この諸仏もまた、無量無数の方便・種々の因縁・譬喩・言辞をもって、衆生の為に諸法を演説しなさるのである。
この法も皆、「一仏乗」の為の故である。
この諸の衆生も仏に従いたてまつりて法を聞き、ついに究極まで至って皆一切種智を得るであろう。
舎利弗よ、この諸仏はただ菩薩だけを教化しなさる。
仏の智慧の知見をもって衆生に示そうと欲するが故に、
仏の智慧の知見をもって衆生に悟らそうと欲するが故に、
衆生に、仏の智慧の知見の道に入らせようと欲するが故である。
舎利弗よ、我も今、また、同様である。
諸の衆生に種々の欲・深心の所著があることを知って、その本性に応じて、種々の因縁・譬喩・言辞・方便力を使っての故に、しかもそのために法を説くのである。
舎利弗よ、この如きは皆、「一仏乗」の一切種智を得させようとする故である。
舎利弗よ、十方世界の中には、二乗はない。
なおさら、三乗がないのは当然である。
舎利弗よ、諸仏は五濁の悪世に出現されなさる。
いわゆる、劫濁・煩悩濁・衆生濁・見濁・命濁である。
是の如し、舎利弗よ。
劫の濁乱の時は、衆生の垢は重く、慳貪・嫉妬にして、諸の不善根を成就するが故に、諸仏は方便力をもって、一仏乗を前提として、分別して三乗と説きなさる。
舎利弗よ、もし、我が弟子、自ら阿羅漢・辟支仏なりといわん者が、諸仏如来がただ菩薩だけを教化しなさる事を聞かず知らなければ、仏弟子ではなく、阿羅漢でもなく、辟支仏でもない。
又、舎利弗よ、この諸の比丘・比丘尼、自らすでに阿羅漢を得たり、これが最後身である、究極の涅槃であると言って、すなわちまた阿耨多羅三藐三菩提を志求しない。
当に知るべし、この輩は皆、思いあがった増上慢の人である。
どうしてかといえば、もし、比丘が実際に阿羅漢を得たといっても、この法を仏から聞いても信じないといえば、この阿羅漢を得たことにはならない。
ただ、仏の滅度の後で、現前に仏がいない場合は例外である。
なぜなら、仏の滅度の後に、このような経を受持し読誦しその意義を理解する者は、めったにいないからである。
もしほかの仏にめぐりあえたなら、この法の中において、よく解り悟ることができるだろう。
舎利弗よ、汝らは、一心に仏語を信解し受持しなさい。
諸仏如来の言葉は虚妄なし。
余乗あることはなく、唯、「一仏乗」のみである。



その時に世尊は、重ねてこの意義を宣べようとして、偈を説いておっしゃった。

比丘比丘尼 :比丘・比丘尼が
有懐増上慢 :増上慢を懐いている
優婆塞我慢 :優婆塞の我慢なる
優婆夷不信 :優婆夷の不信なる

如是四衆等 :かくの如き四衆たちが
其数有五千 :その数、五千いた。
不自見其過 :自ら、その過失(あやまち)を見ず、
於戒有欠漏 :戒において欠陥があって、

護惜其瑕疵 :その瑕疵(かし)を、知りながら護り惜む。
是小智出已 :そのような、智の少ない者どもは、すでに退出した。
衆中之糟糠 :衆の中の、糟糠(ヌカのカス)である。
仏威徳故去 :仏の威徳の故に去った。

斯人尠福徳 :その人は福徳が、少なくして
不堪受是法 :この法を受けるに堪えず。
此衆無枝葉 :今いる衆は枝葉なく、
唯有諸貞実 :ただ、諸の貞実のみあり。

舎利弗善聴 :舎利弗よ。よく聴け。
諸仏所得法 :諸仏が得たところの法は
無量方便力 :無量の方便力をもって
而為衆生説 :衆生の為に説きなされた。

衆生心所念 :衆生の心の所念
種種所行道 :種々の所行の道
若干諸欲性 :若干の諸の欲性
先世善悪業 :先世の善悪の業

仏悉知是已 :仏は、ことごとく、これらを知りなさって、
以諸縁譬喩 :諸の縁譬喩や
言辞方便力 :言辞、方便力を以て
令一切歓喜 :一切をして歓喜させなさった。

或説修多羅 :或は修多羅
伽陀及本事 :伽陀及び本事
本生未曾有 :本生未曾有を説き
亦説於因縁 :亦因縁
譬喩竝祇夜 :譬喩竝に祇夜
優婆提舎経 :優婆提舎経を説きなさった。

鈍根楽小法 :鈍根にして小法を楽(ねが)い
貧著於生死 :生死に貧著(とんじゃく)し
於諸無量仏 :諸の無量の仏において
不行深妙道 :深妙の道を行じないで
衆苦所悩乱 :衆苦に悩乱している
為是説涅槃 :これが為に、涅槃を説きなさった。

我設是方便 :我は、この方便を設けて
令得入仏慧 :仏慧に入ることを得させた。
未曾説汝等 :未だかつて汝等には、
当得成仏道 :仏道を成ずることを得るとは説かず。

所以未曾説 :未だかつて説かざる所以は
説時未至故 :説く時が未だ至らざるが故なり
今正是其時 :今、まさしくこの時なり
決定説大乗 :決定して大乗を説こう。

我此九部法 :我がこの九部の法は
随順衆生説 :衆生に随順して説く。
入大乗為本 :大乗に入ることを根本と為す。
以故説是経 :この故に、この経を説く。

有仏子心浄 :仏子が、心浄く
柔軟亦利根 :柔軟に、また利根にして
無量諸仏所 :無量の諸仏の所にして
而行深妙道 :深妙の道を行じている

為此諸仏子 :この諸の仏子の為に
説是大乗経 :この大乗経を説く
我記如是人 :我は、かくの如き人が
来世成仏道 :来世に仏道を成ずると記す。

以深心念仏 :深心に仏を念じ
修持浄戒故 :浄戒を修持する故に
此等聞得仏 :これ等、仏を得べしと聞いて
大喜充身 :大喜身に充遍する

仏知彼心行 :仏は、彼の心行を知れり
故為説大乗 :故に為に大乗を説く
声聞若菩薩 :声聞若しは菩薩は、
聞我所説法 :我が説くところの法を聞くこと

乃至一偈於 :たった一偈であっても
皆成仏無疑 :皆、成仏すること疑なし。



十方仏土中 :十方仏土の中には
唯有一乗法 :唯、「一乗」の法のみあり。
無二亦無三 :二乗でなく、また三乗でもない。
除仏方便説 :ただし仏の方便の説をば除く。

但以仮名字 :ただ、仮の名字をもって、
引導於衆生 :衆生を引導しなさった。
説仏智慧故 :仏の智慧を説かんが故なり。

諸仏出於世 :諸仏が世に出現なさったのは、
唯此一事実 :唯、この「一乗」のみ真実である。
余二則非真 :その他の二は、すなわち真実に非ず。

終不以小乗 :結局、小乗をもっては、
衆生於済度 :衆生を済度しなさらず。
仏自住大乗 :仏は自ら大乗に住しなさった。

如其所得法 :その所得の法のすべては、
定慧力荘厳 :定慧の力で荘厳された。
以此度衆生 :これを以て衆生を度しなさった。

自証無上道 :ところで、自ら、無上道であり、
大乗平等法 :大乗平等の法を証明しながら、
若以小乗化 :もし、小乗をもって教化することを、
乃至於一人 :仮に一人に対してでも行えば
我則堕慳貪 :我は、すなわち慳貪(けんどん=餓鬼道)に堕(お)ちるだろう。
此事為不可 :だから、こんな事は不可とする。

若人信帰仏 :もし人が、仏に信帰すれば、だれであっても
如来不欺誑 :如来は、欺誑しなさらない。
亦無貧嫉意 :また、貧嫉の意もない。
断諸法中悪 :諸法の中の悪を断じなさっている。

故仏於十方 :故に仏は、十方において
而独無所畏 :ひとり畏れる所なし。

我以相厳身 :我は、相をもって身を厳(かざ)り
光明照世間 :光明をもって世間を照(てら)す
無量衆所尊 :無量の衆に尊まれて
為説実相印 :ために実相の印を説く

一つ前にアップしました後半に続きます。

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