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03:観心本尊抄 私風現代語訳 その2 無始無終のご本仏日蓮大聖人が定めた南無妙法蓮華経のご本尊とは

先の記事の続きです。


前回の訳を、下から目線、仏法を知らない一般庶民から見てみると、こんなふうになるのかなあ。


以下のことはとても一般庶民にはとても分からず信じられないことではあるが、
三千種類の一念(一瞬の心=生命の状態)が、情があろうとなかろうと、万物のすべてに存在している。
小さなものは素粒子一つ一つから、大きなものは地球や宇宙にいたるまで、万物のすべてに存在している。(=一念三千)
この中には、成仏している(=絶対的に幸福であり完成している)という仏の状態も入っている。

しかも、それは修行して得たとかしないとかではなく、元々から生命にあるもの。
たった素粒子一粒でも、成仏しているという仏の状態があるので、この状態になることができる。

どうすれば仏の状態になるか。
それを映し出す鏡(一念三千を明瞭に映し出す鏡)があって、自身の心の中に、これを見ることで、可能となる。(これを観心という)

釈尊はインドで50年余りにわたってこのことを説明した。
実は、その釈尊は、永遠の昔に膨大な期間、努力をしてこれを知り、その後も膨大な期間、生まれ変わってはこのことを説明して、多くの人々を幸福にしてきた。

これらのことはズバリ、すべての生命は永遠である、そして尊極の仏界は、すべての生命の尊厳を根本から示している。神や教祖を前提とせず、地域限定のあらゆる思想哲学や法律などを含みこむ、時空を超えた法則である。


そして釈尊の行いも果報も、私たちの考えの及ばない範囲であるが、すべて南無妙法蓮華経と称する生命の中にある。
私たちは詳細が分からないけれども、大富豪の一人息子が遺産をすべて相続するのと同じように、
南無妙法蓮華経を受け取れば、その行いも果報も(成仏の状態をすべて)丸ごと受け取ること(=観心)になる。
南無妙法蓮華経を受け取る(受持)とは、それを映し出す鏡(一念三千を明瞭に映し出す鏡)を見て、その名前を呼び出すこと。
これを受持即観心という。

拙い凡夫から見上げると、こんなふうのかなあ。





そして、続きの今回は、仏の生命を映し出す鏡(一念三千を明瞭に映し出す鏡)=ご本尊の姿かたちの例、そしてその由来、仏教と仏教以外の教えの位置づけ、更には現在こそがそのご本尊が広まっていく時代であること、とどのつまりは、元々からいてこれからも永遠にいる仏が、この世で私として(日蓮大聖人の姿として)出現して、何も解らない可愛い私たちの首にそのご本尊を常にかけているのだと、結ばれています

加えて、添え状には、この書の内容は、仏の一生涯のすべてであり、信じがたいことで、見たら皆驚き惑うであろうから、今は絶対に秘密にして、強い信心がある人にだけ読み伝えるように、読んだ人は師も弟子もともに永遠に最高の幸福の状態になろうではないかとあります。


まさに、心に固く秘し沈めて後世に伝えるべき成仏の方程式。
私は、仏の偉大さ、大いなる慈悲と壮大な構想(=智慧)に、ただただ感激感動するのみで、表す言葉がありません。

では、いつもの山麓の頂上からブルセラ姿で富士山を眺め祈りながら、以下、その続きです。




釈尊が悟りを開いた寂滅道場、最初に説法した華厳経のの華蔵世界から、最後に沙羅林で入滅するまで、五十年余りで仏が映し出した世界は、
華蔵経での華蔵世界、大日如来が住むという密厳世界、法華経迹門で三回変えられた国土、涅槃経に説く四見の四土がある。
これらはみな、無常という、(以下にも出てくる成・住・壊・空という四つの劫を廻る中の)成劫(生物が生まれるという)間に映された、方便土、実報土、寂光土、阿弥陀仏の安養、薬師如来の浄瑠璃、大日如来の密厳などと称されている、すべて変化してゆく世界である。
だからこれらを放映していた釈尊が涅槃に入ると(方便土の勝応身、実報土の他受用身、寂光土の法身、安養の弥陀、浄瑠璃の薬師、密厳土の大日如来等などの)変わりゆく仏たちも、釈尊の入滅にしたがって消滅する。その活躍した舞台の世界も当然消えてなくなる。

今、この、法華経本門の寿量品で示されている娑婆世界は、三災に犯されることはなくて、成・住・壊・空の四劫を廻ることのない、元々から厳然とある現実世界である。
仏は、すでに過去にも滅することなく未来にも生ずることのない、元々からいる常住不滅の仏であり、仏の教えを聞く衆生たちも同じで、元々永遠に実在する。
これが私たち己心に具わった一念三千なのである。
前半である迹門十四品で、これが説かれなかったのは、法華経を説いている半ばでも、時と衆生の機根がまだ熟していなかったからだろうか。



この法華経の本門の肝心=「南無妙法蓮華経の五字」は、仏は高弟の文殊師利菩薩や薬王菩薩等にも付嘱(意味を教え、布教を託すこと)されなかった。
ましてや、それ以下の者に付嘱される訳がない。
ただ、涌出品から嘱累品までの八品を説き、この間に地涌千界の大菩薩をわざわざ招きだして、付嘱されたのである。


その本尊の様子(相貌)は以下に記す。
「南無妙法蓮華経という現実世界で、大空に宝塔が占拠している。
その宝塔の中、真の法である南無妙法蓮華経、その左右に釈迦牟尼仏と多宝如来がならび、
釈尊の付き人として、上行等の地涌の四菩薩がならび、
文殊や弥勒等の迹化の菩薩が地涌の四菩薩の眷属として末座にいる。
その他、迹化の菩薩や他の世界から来た大小諸々の菩薩たちが、
大地の万民が雲閣や月卿を仰ぎ見るように、ひれふして仰ぎ見ている。
(釈迦牟尼仏と多宝如来、地涌の四菩薩を仰ぎ見て並んでいる。)

全宇宙から集まってきた諸々の仏たちも大地に座っているが、これはうつろいゆく仮の世界を演じる仏とその舞台を表わしている。」





このような尊極の本尊は、釈尊の在世五十年余りにはまったくなかった。
あるとしても、法華経の八年間で涌出品から嘱累品までの八品の間に限ってである。
正像二千年の間では、小乗教での仏は、せいぜい迦葉と阿難が付き人であるし、権大乗や涅槃経・法華経迹門等の仏には、文殊や普賢等の菩薩がついているにすぎない。
これらの仏は、正法・像法年間に造り画かれたが、いまだ寿量品の仏は画かれていない。
この寿量品文底下種の仏の姿は、末法に入って初めて画かせられるべきか。






問う。正像二千余年の間は四依の菩薩や人師たちが、他の阿弥陀仏や大日如来といった仏、あるいは小乗・権大乗・爾前・迹門の釈尊等を奉る寺塔を建立したが、本門寿量品の本尊と地涌の四大菩薩については、インド・中国・日本の三国の王・臣が崇めたことはないと、あなたはいう。
このことをほぼ聞いたけれども前代未聞なので、耳目を疑い、心が迷うばかりである。もう一度説明してほしい。もっと詳しく聞きたい。

答え。
釈尊一代の仏教とは、法華経の一部八巻二十八品、それ以前は華厳より般若までの前四味(爾前経)という教え、それ以後は涅槃経である。
これらをまとめて、ただ一経とする。
はじめの寂滅道場で説いた華厳経から般若経までは序分(序論やプロローグなど)である。
無量義経・法華経・普賢経の十巻は正宗分(本論、中心部分)である。
涅槃経等、法華経以後に説かれた経は流通分(補足部分やエピローグなど)である。


また正宗分の十巻の中でも上記の3区分がある。
無量義経と法華経の序品は序分。
方便品第二より分別功徳品第十七の半ばで、十九行の偈までの十五品半は正宗分。
分別功徳品の現在の四信より普賢経までの十一品半と一巻は流通分。


また法華経と開結二経を含めた十巻においても、迹門と本門の二つの経があり、それぞれ3区分がある。


まず迹門ついては、無量義経と序品は序分。
方便品第二より人記品第九までの八品は正宗分。
法師品第十より安楽行品第十四に至るまでの五品は流通分である。

この迹門を説いた仏を言えば、インドに生まれ成仏した始成正覚の仏である。
説かれた教えは先述した本無今有・百界千如止まりではあるが、爾前経に比べたら已今当を超過する随自意・難信難解の正法である。
それを聞いた衆生は3通り。
ひとつは、過去三千塵点劫の昔、仏が大通智勝仏の第十六王子として生まれ、法華経を説いた時に仏果の種を下した(これを下種という)人たちである。
その後、インドに一緒に生まれ、始めの華厳経等の前四味の教えの時にきっかけとして、種を思い出させて成仏させた。
しかし、これは仏の意図ではなくて、以前に飲んだ毒がたまたま効力を発して成仏したような一例である。
二つ目には、二乗や凡夫等が前四味をきっかけとして機根を熟させ、しだいに導いた法華経で、ついに種子を発芽させ実を結び成仏させた。
これが始成正覚の仏の本意だった。
三つ目は、はじめて正宗分の八品を聞いた人界・天界の衆生たちで、一句一偈等を聞いて種(下種という)とし、熟し、法華経の間に得脱した。その間でも成仏できなかった者は普賢経や涅槃経へ流れて成仏し、そこでも落ちこぼれた人は正法像法年間や末法の初めに流れて、小乗教や権教をきっかけとして法華経に入り、すべて成仏を遂げた。これは例えて言えば、在世で前四味を聞いて助縁とし法華経に入って成仏を遂げたのと同じである。


また本門の十四品を一つの教えとして3区分がある。
従地涌出品第十五の前半部分を序分、

涌出品の後半と寿量品第十六一品と分別功徳品第十七前半部分、以上の一品二半を正宗分、

それ以降は流通分である。


そして本門の仏といえば、始成正覚の仏ではなく、説いた教えも以前とは天と地の違いがある。
久遠の昔から十界がある上、国土世間も明かされ、表面上では真の一念三千が示された。
ただし次に説明する文底下種の本門と比べたら、本門迹門でいう一念三千の違いは、竹の膜の厚みと同じで、極めてわずかではある。

この高い位置から見たら、(迹門や前四味の爾前経・無量義経・涅槃経等の)已今当の三つの教えはすべて随他意の教えとなり易信易解なのに対して、本門こそは、これら已今当の三説を越えた随自意・難信難解の教えとなる。



最後に、最高の位置である文底下種の本門から見た3区分はこうなる。
過去三千塵点劫の大通智勝仏の法華経から、インドの釈尊が説いた華厳経から法華経の迹門十四品を経て涅槃経までの一代五十余年の諸経、加えて十方三世の諸仏が説いた大地微塵にも等しい多数の経々は、すべて内証の寿量品(=文底下種の本尊)の序分である。
この一品二半(=内証の寿量品)の他は、すべて小乗教、邪な教え、成仏できない教え、真実を覆いかくしている教えとなる。
そのような教えを信ずる衆生の機根は、徳が薄く垢が重く、幼稚で貧しく、みなし児で、親を知らず、結局、鳥や獣と同じである。
爾前経や迹門に説かれた「即身成仏」するという円教ですら、なお真実の成仏の因ではない。
ましてや大日経や華厳経のような諸々の小乗経で成仏できるわけがない。
さらにまた華厳宗や真言宗等のような七宗の論師や人師が我見で開いた宗派では、なおのこと成仏できるわけがない。
これらは少し譲って褒め称えても蔵・通・別の三教まで、、厳密にいえば蔵・通の範囲しか説かれていない。
たとえその教えが究めて深いとこれらの宗派がどれだけ言い張っても、まだ種熟脱(先述した、仏の種を下し、熟させて、得脱させる時の利益・功徳)を言っていない。
つまり妙楽大師が法華文句で言っているように、かえって小乗経でいう身を灰にして智慧までも消す教えと同じであり、仏の指導が初めから終わりまですべて欠けているというのが、これらである。
たとえば、王女であっても動物の子を懐妊すれば、生まれた子供は人間として最も身分が低い旃陀羅にさえ劣るのと同じである。
(七宗の論師人師は人として高貴な王女のようであるが、動物の教えのような華厳・真言を口から弘めることで、その教えを信じた人は人として成仏できず、結果として旋陀羅にさえ劣る。)
こんな、ここでの本筋でないことはしばらくおいておく。

法華経迹門十四品の正宗分の八品(方便品第二から人記品第九まで)は、表面上で見ると二乗を成仏させることが正意(本来の目的)で、菩薩と凡夫は傍意(おまけ)となっているにすぎない。
しかし深くこれを考えると凡夫が正意で、しかも在世よりも仏滅後の正法・像法・末法が正意であり、そのの中にも末法の始が正が中の正意である。
(法華経迹門は記載上は在世の二乗のためであるが、深くは仏滅後末法の凡夫のために説かれたものである。)

問う。その証拠はどこにあるのか。
答え。法師品第十には「しかもこの法華経を行じ弘めるならば釈尊の在世ですらなお怨嫉が多く(釈尊も九横の大難に遭ったが)、まして仏滅後にはなおさらである」とある。(迹門の流通分で滅後が正意。)
見宝塔品第十一には「仏は滅後の弘通を勧めて、諸大菩薩にその誓いを立てよと述べた。これはひとえに、仏が、正法を長く弘める(=令法久住の)ためであり、(中略)集まってきた分身の諸仏は、このことをちゃんと知っている」とある。(同じく流通では在世の衆生は傍らで、滅後の令法久住が正意である。)
勧持品第十三には、諸の大菩薩が三類の強敵を忍んで滅後の弘通の誓いを立て、
安楽行品第十四では、弘通の規範として四つの安楽行を説いている。
迹門でさえこうして滅後の末法のために説かれた。


つぎに法華経本門でいえば、初めからすべて末法の始めを正機(目当ての機根)としている。
表面上は、久遠五百塵点劫に仏種を植えたことをもって下種とし、中間の大通智勝仏の時の教えから前四味の爾前経・法華経迹門を熟とし、本門にいたって等覚・妙覚の位に登らせて、一切衆生をことごとく得脱(成仏)させたのである。
しかし深くこれを見れば、本門は、迹門とは違って序正流通分すべてが末法の始めを本意としている。


さて釈尊在世の本門と末法の始めの本門は、どちらも一切衆生がすべて成仏する純円の教えである。
ただし、その目的は違っていて、在世は脱益(すでに仏種のある者の成仏)であり、末法は下種益(まだ仏種がなく、これから種を下す者の成仏)である。
在世の本門は一品二半、末法の本門はただ題目の五字である。
<種脱相対をあらわす重要な部分である>



問う。その文証は、どれなのか。
答え。涌出品では「その時、他方の国土から来ている、数にして八恒河沙(=ガンジス川の砂粒の数の8倍)を越えた多数の大菩薩たちが大衆の中にいて起立し合掌し礼をなして仏に申し上げるには、『世尊よ、もし私たちに仏の滅後の娑婆世界で、大いに勤め精進して法華経を護持し読誦し書写し供養することをお許しくださるならば、まさにこの娑婆世界に広く法華経を弘通いたします』と誓った。その時、仏は目の前の諸々の菩薩たちに告げられた。『やめなさい!。善き男の子たちよ。あなたたちがこの経を護持するとの誓いは受け付けない(あなたたちは必要ない)』」等と説かれている。
法師品から安楽行品までは、仏滅後に法華経を弘通せよ誓いを立てよと説いてきているのに、ここまできて『やめなさい』というのは、それらの経文と水火のように相入れない言い方である。
宝塔品の末には「仏は大声をあげて、広く比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆に告げた。『誰か~!、この娑婆国土で広く妙法華経を説く者はいないか!』」といっている。
たとえ教主が仏ひとりであっても、このように仏滅後の弘教をすすめられたならば、薬王等の大菩薩にしても梵天・帝釈・日天・月天・四天等にしてもこれを重んじるべきであろう。その上多宝仏も十方分身の諸仏も仏を助けて勧められている。諸々の菩薩はこのような懇切丁寧な付嘱を聞いて「私は身命を惜しまない、ただ無上道を惜しむ。(わが身を捨てて法華経を弘通する)」との誓いを勧持品で立てているのは、ひとえに仏の意に応えようとしたのである。
しかし、ほんのちょっとのあいだに仏の説く言葉はまったく覆って、八恒沙を過ぎた多数の大菩薩の誓った娑婆世界での弘経を制止してしまった。


進退きわまってしまった。まったく凡夫の智慧では考えが及ばない。
天台大師は、他方の菩薩を制止した理由を三つ、地涌の菩薩を召し出した理由を三つ、計六つの解釈をあげてその理由を説明した。
結局のところ迹化の菩薩や他方の菩薩には仏の「内証の寿量品」を託するわけにはいかなかった。

なぜなら一つには、末法の初めは謗法の国で機根が悪辣で、迹化他方の菩薩ではとてもその弘通に耐えられない。だからこれを止めさせて、地涌千界の大菩薩をわざわざ呼び出し、寿量品の肝心である妙法蓮華経の五字を託して全世界の一切衆生に授与させることにしたのである。
また、もう一つには、聞いていた迹化の菩薩は釈尊の初発心の(初めから育てた)弟子たちではない(つまり久遠以来の弟子ではなかった)からである。
天台大師はこれについて、法華文句で「地涌の菩薩は釈尊の本弟子であるから、当然にわが法を末法に弘めよと付嘱した」と説明した。
妙楽は法華文句記で「子が父の法を弘める。そこにこそ世界の利益がある」と言っている。
道暹は、法華文句輔正記で「法が久成(久遠実成)の法なので、久成の人(地涌の菩薩)に付嘱した」と説明している。
(この意味は、法が久遠実成・名字の妙法(妙法蓮華経)なので、久遠実成・名字の妙法を持った人に付嘱した。つまり、上行菩薩はすでに久成の人であり、名字の妙法を所持している人であった)



涌出品で、地涌の菩薩が出現した時、皆、どういうわけかと大いに疑いをもった。その時仏は久遠の由来(久遠実成)を説いた。
弥勒菩薩は、もっとくわしく説いてほしいと質問した。
「私たちは、仏が衆生の機根にあわせて法を説いてきて、しかも仏の説法にはいまだかってウソ偽りがなく、ことごとく真実であり、仏の智慧は一切の出来事にことごとく通達していると信ずるけれど、諸々の新しく発心する菩薩たちが仏の滅後において、もし地涌の菩薩が世尊の久遠以来の弟子であるとの言い伝えを聞いたなら、あるいはこれを信じないで仏法を破るという罪業を起こすことでしょう。どうか世尊よ、私たちのために更にくわしく解説して疑いをとり除いてください。そうすれば未来世の諸々の善き男子もこのことを聞けば、疑いを生じないでしょう。」
この経文の意味は、このつぎに説かれた寿量品は、滅後の衆生のためにお願いされて説かれたということである。

寿量品には、久遠の下種を忘れ本心を失った者について次のように説かれている。

「子供たちは良医である父の留守中に毒を飲み、本心を失った者と失わない者とがあった。(中略)本心を失っていない者は、父が帰ってきて与えた薬が色香ともにすばらしいと思い、即座に飲んで、病はことごとく治癒した。」
この経文の文上の意味は、久遠に下種されて大通仏のときに法華経に縁し、華厳経・阿含経・方等経・般若経から法華経迹門までの一切の菩薩や二乗や人天等の衆生が、ついに法華経本門で成仏したことを譬えている。
寿量品には続いて、「その他の本心を失っている者は、自分たちの父が帰ってきたのを見て喜び病をなおしたいと父に求めながら、父がその良薬を与えても飲まない。なぜかというと、毒が深く効いているため、すばらしい色と香のある薬を、まずいと思ったからである。(中略)父は方便を使ってこの薬を飲ませようと思い、(中略)『この素晴らしい良薬をここに置いておく。お前たちはこれを飲みなさい。病気がなおらないと心配することはない。』このように子供たちに教えて他国に行ってしまった。そこから逆に自宅へ使いを遣わして子供たちに、君たちの父は死んだと伝えた。」等と説かれている。
(子供たちは父が死んだと聞いて大いに悲しみ、ついに本心を取り戻して薬を飲み、病は全く治癒したという。)
また分別功徳品には「悪世末法の時」等とある。
これらは、寿量品は末法のために説かれた教えである証拠である。





問う。寿量品に「遣使還告(使いを遣わして還って告ぐ)」とあるが、これはどういう意味なのか。
答え。仏の使いというのは四依の菩薩・人師達である。
彼らには四種類ある。
第一に、小乗の四依は迦葉・阿難等、多くは正法時代の前五百年に出現した。
第二に、大乗の四依は竜樹・天親等、多くは正法時代の後五百年に出現した。
第三に、迹門の四依は南岳・天台等、多くは像法時代に出現し、少ない残りは末法の初めに出現した。
第四に、本門の四依は地涌千界の大菩薩であり、必ず末法に出現する。
今言った「遣使還告」とは地涌の菩薩であり、ともにある「是好良薬(この素晴らしい良薬)」とは寿量品の肝要(=文底)である「名・体・宗・用・教」の南無妙法蓮華経(すなわち御本尊)である。(名体宗用教の内容は、次の本門流通分の段落で出てくる)
この良薬を、仏はなお自分の直弟子である迹化の菩薩には授与しなかった。まして他方の国土からきた菩薩には当然に付嘱するわけがなかった。





本門流通分では、

神力品第二十一に「そのとき、千世界を砕いて微塵にした数にあたる無量無数の地涌の大菩薩たちは皆、仏の前において一心に合掌し、仏の顔を仰いで申し上げた。『世尊よ、私たちは仏の滅後に、世尊の分身がいる世界でも、また世尊の滅度された後の世界でも、まさに広く法華経を説き弘めます』」とある。
天台はこれを法華文句で、「ただ下方から現れた地涌の大菩薩のみが、滅後の弘通の誓いをしたのを見た」と説明している。
道暹は、法華文句輔正記で「付嘱とは、この経を下方から涌出した菩薩にだけ付嘱した。なぜかというと付嘱する妙法五字は久成の法であるから、久成の人である地涌の菩薩に付嘱したのである」といっている。
そもそも、文殊師利菩薩は東方の金色世界にいる不動仏の弟子であり、観音菩薩は西方の世界にいる無量寿仏(=阿弥陀仏)の弟子であり、薬王菩薩は日月浄明徳仏の弟子であり、普賢菩薩は宝威仏の弟子である。これらの菩薩は表向きは釈尊の説法・教化を助けるために娑婆世界に来たのであって、また爾前・迹門で活躍する菩薩である。つまり、妙法を持っている人ではないので、末法で妙法を弘める能力がない。
さらに、法華経神力品には「その時、世尊は一切の大衆の前において大神力を現された。十の神力の第一として広く長い舌を出し、空高く梵天までも舌をとどかせ、(中略)数多くの宝樹の下にある師子の座に座っている十方の世界の諸仏もまた同じように広く長い舌を出して、釈尊の所説がウソでないことを証明した」と説かれている。
釈迦一代の経々の中で顕教にも密教にもまた一切の大乗経・小乗経の中にも釈迦仏と十方の諸仏が並び座って広く長い舌を出し梵天にまでとどかせたとの文は法華経以外にはない。

阿弥陀経で、諸仏がそれぞれの世界で広長舌を出し三千世界を覆ったとあるが、これは次と同じで有名無実である。
般若経で舌が三千世界を覆いその舌より光を放って般若を説いたというが、これらは仮の仏が仮の教えを説いて自らそれを証明しただけであって、全く真実の証明にはならない。
これらの教えは皆、方便を兼ねていて、それが仏の久遠の本地を覆いかくしているからである。







さてこのようにして釈尊は十通りの神力を現わして地涌の菩薩に妙法の五字を付嘱して次のように説いている。「その時、仏は上行等の菩薩・大衆に告げられた。『諸仏の神力はこのようにはかり知れない不可思議である。もし私がこの神力を使って無量無辺百千万億阿僧祇劫の間ずっと、付嘱するために法華経の功徳を説き続けても、なお言いつくすことはできない。だから、その要点だけをいう。如来の一切の所有している法・如来の一切の自在の神力・如来の一切の秘要の蔵・如来の一切の甚深の事、以上四つの要点を、この経で説き顕した」等々。<あげられた要点は順番に、先述の「名体宗用教の南無妙法蓮華経」のうちの、名・用・体・宗にあたる。用=本門の戒壇、体=本門の本尊、宗=本門の題目のこと、名体宗用教を五重玄ともいう。>
天台は法華文句でここを「『その時、仏は上行等に告られた』より続きは第三段の結要付嘱である」と説明している。
また伝教は法華秀句でここを「『要するに、如来の一切の所有の法を(中略)、すべて法華経で説いた』とある。これで明らかなことは、如来の、仏果である一切の所有の法・仏果である一切の自在の神力・仏果である一切の秘要の蔵・仏果である一切の甚深の事を、すべて法華経において説き顕された」と説明している。
このように十の神力は、妙法蓮華経の五字を上行・安立行・浄行・無辺行の四大菩薩に付嘱するために現わされた。
前の五神力は釈尊在世のため、後の五神力は滅後のため、しかしもう一歩踏み込んで言うと、すべて滅後のためである。
だからこそ、直後の文に「仏滅度の後にこの経をよく持つであろうことを、諸仏はみな歓喜して無量の神力を現わされた」と説かれている。



神力品の次の嘱累品には「その時、釈迦牟尼仏は法座に立って大神力を現わされた。右の手で無数の菩薩・摩訶薩の頭をなでられ(中略)今、あなたたちに付嘱する」と説かれている。つまり地涌の大菩薩を先頭にして、順に迹化他方の諸菩薩、および梵天・帝釈・四天王ら、残ったすべてに、この法華経を付嘱しなさった。
この総付嘱が終わると、十方世界より集まって来ていた分身の諸仏を各本土へ帰らせて(中略)「多宝仏の塔を閉じてもとのようにしてくださいと言った。」と説かれている。
つぎの薬王品以後の各品から涅槃経までで、地涌の菩薩が帰った後で、迹化や他方の菩薩等のために重ねてこの経を付嘱された。
「捃拾遺嘱」というのがこれである。



疑問がある。では続の正像二千年の間に、地涌千界の大菩薩が全世界に出現してこの経を弘めるのか。
答え。違う。
これは驚いた。法華経は全体に、また法華経本門においても仏の「滅後」を根本として、まず地涌の菩薩に授与している。どうして地涌の菩薩は正像に出現してこの経を弘通しないのか。

答え。いわない。
重ねて問う、どうなのか。
答え。これをいうわけにはいかない。
また重ねて問う。どういうわけなのか。
答え。これを説明すれば一切世間の人々が、威音王仏の末法で起きた出来事のように、皆、正法誹謗の罪を犯し地獄に堕ちる。
私の弟子でも皆、誹謗をするだろう。
だから、だまっているしかない。

どうか説いてください。こんな重大なことを惜しむなら、あなたは慳貪の罪(で、餓鬼道)に堕ちます。





答え。ついに進退きわまってしまった。
試しに、ほぼ、これを説いてみよう。
法師品には「まして滅度の後ではなおさら怨嫉が多い」と説かれ、
寿量品には「このすばらしい良薬を今ここにおいておく」とあり、
分別功徳品には「悪世末法の時」とあり、
薬王品には「後の五百歳に全世界において広宣流布するであろう」とあり、
(明らかに「末法」での広宣流布を予言している。)
また涅槃経には「譬えば七人の子供がいるとする。父母は、子供たちに対して平等でないということはないが、病気の子供に対しては心をひとえに重くかけるのと同様である」とある。
以上の経文を鏡として、仏の真意を推しはかると、釈尊の出世は霊鷲山で八年にわたり法華経を聞いた人々のためではなく、釈尊滅後正像末の人のためである。
さらにいえば、正像二千年の人のためではなくて、
末法の初めに出現する、この「私のような者」のためである。
<私(日蓮大聖人)こそ、その地涌の菩薩であり、今まさにここに出現して南無妙法蓮華経を説いているではないか。実は釈尊はこれを証明するために出現されたのである>

涅槃経にある「病者」とは、釈尊滅後に法華経を誹謗する者をいう。
寿量品にある、良医が「いまここにおいておく」と言った病の子供たちとは、「このすばらしい色・香の薬を、まずいと思」って飲まない者、つまりは法華経を誹謗する人を指すのである。

地涌千界の大菩薩が正像二千年に出現しないのはつぎのような理由による。
正法一千年のあいだは小乗教・権大乗教が流布される時代で、南無妙法蓮華経の御本尊を信ずる機根の衆生も存在せず流布される時代でもなかった。
だから、この時代の四依の大菩薩たちは、小乗教や権大乗教を縁として、釈尊在世に下種した衆生を得脱(成仏)させたのである。
なぜならこの時代に南無妙法蓮華経を説いても人々は謗るばかりで過去に植えられた仏種が熟しつつあるのを壊してしまうから、これを説かなかった。
たとえば先述した、釈尊在世に爾前経で教化された衆生のようなものである。


像法時代の中頃から末へかけて、観音菩薩は南岳大師、薬王菩薩は天台大師となって出現し、法華経迹門を表とし本門を裏として、百界千如・一念三千の法門の意義を説きつくした。しかしこれはただ理論の上から説明しただけで、「事」という具体的実践としての南無妙法蓮華経の五字・文底独一本門の本尊については、まだ宣伝することはなかった。それは結局、円教(完全な教え)を受け入れる機根は少しあっても、まだ円教を弘通する時ではなかったからである。







今、末法の初めに入って、人々は小乗経を手にして大乗経を打ち、権教をたてに実教を破っている。

西も東もわからなくなり、天地がひっくり返った大混乱の時代となっている。
像法時代に正法を弘めた四依の菩薩はすでにいなくなってしまった。
諸天善神はこのような謗法の国を捨てて去り守護していない。

この時、地涌の菩薩が始めて世に出現し、ただ妙法蓮華経の五字という良薬を、物分かりのない衆生に飲ませるのである。

妙楽大師が法華文句で「法華経を誹謗した罪因によって悪道に堕ちても、かならずその因縁によって大利益を得る」と説明しているのは、このことである。
<末法の衆生は初めて妙法蓮華経の大良薬を与えられたとき、たとえ信じないで誹謗して悪道に堕ちても、それが必ず因となり、つまりは下種となって大良薬を服することができる。>

私の弟子たちは、このことをよく考えよ。
地涌千界の菩薩たちは、五百塵点劫の教主釈尊の初発心の弟子である。にもかかわらず在世で成道した寂滅道場にも来ていないし、また沙羅双樹の林で入滅したときも駆けつけていない。
これは実に不幸の失だろう。
法華経でも迹門の十四品には来ていないし、また本門に入ってやって来ても薬王品第二十三以後の六品になったら帰ってしまった。
要するに釈尊五十年もの説法中、法華経涌出品から嘱累品までの八品の間にのみ、来ている。
このような高貴の大菩薩が釈迦・多宝・分身の三仏に約束して妙法蓮華経を受持しているのであるから、どうして末法の初に出現しないわけがあろうか。
かならず出現するのである。
まさに知るべきである。
この四菩薩は折伏を行う時には賢王となって愚王を誡しめ、摂受を行ずる時は聖僧となって正法を弘持する。



問う。仏は未来についてどのように述べられているのか。
答え。薬王品には「後の五百歳・末法の初めに全世界に広宣流布すだろう」とある。
天台大師は法華文句にて「後の五百歳である末法の初めから未来永劫にわたって妙法の大利益に潤うだろう」と予言し、
妙楽大師は法華文句記にて「末法の初めにこそ、下ろした種の利益が必ずある」と記し、
伝教大師は守護国界章にて「正像二千年はほとんど過ぎて、末法がすぐそこまで近づいている」といっている。
ちなみに、末法がすぐそこまで近づいていると伝教が言ったのは、彼の生きている時は、残念ながら法華経流布の時代ではないという意味である。
伝教大師はまた日本に出現し、法華秀句にて末法の初めを記して「時代を語れば像法時代の終わり末法の初めで、その地方は中国の東・カムチャッカの西で、その時代の人間は五濁が盛ん(貪欲・自己虫・メンタル最悪・ウソツキ・健康寿命が短いなど)で互いに争いが絶えない民衆である。法華経法師品に『如来の現在すらなお怨嫉が多い、まして滅度の後はなおさら怨嫉が強盛になる』と説かれているが、このことは実に深い道理である」とある。


伝教大師の説明に「互いに争いが絶えない時代」というのは、今の自界叛逆・西海侵逼という二つの難(執権北条家の二月騒動と元寇)を指すのである。
つまりは、この予言が的中した今こそ、地涌千界の大菩薩が世に出現して、本門の釈尊を付き人とする全世界第一の本尊をこの国に立てるのである。
インドにも中国にもいまだこの本尊は出現しなかった。
日本の国では聖徳太子が四天王寺を建立したけれど、まだこの本尊を建立する時ではなかったから、他方の仏である阿弥陀仏を本尊とした。
聖武天皇は東大寺を建てたが、その本尊は華厳経の教主(毘廬遮那仏)であって、いまだ法華経の実義をあらわしていない。
伝教大師はほぼ法華経の実義をあらわしたが、まだ未法の時が来ないので東方の薬師如来を建立して本尊とし、法華経本門の四菩薩(地涌千界の菩薩)をあらわさなかった。
所詮は、だれにでもなく、地涌千界の菩薩に託されていたからである。
この地涌の大菩薩は仏の命令で、すぐそこの大地の下に待機している。
正像二千年には未だ出現しなかったが、この末法に出現しなければ大ウソツキの菩薩であり、三仏の未来記もまたバブルになってしまう。



そういえば考えてみると、正像にはなかった大地震・大彗星等が最近になって次々と起こっている。
これらは金翅鳥・修羅・竜神等の起こす現象ではない。
つまりは四大菩薩が出現する前兆だろう。

天台は法華文句で「雨の激しさを見て、雨雲の象徴である竜が凄いことが分かる。蓮の花が大きく盛んな様子を見れば、その池が深いことが分かる」等と説明している。
妙楽は法華文句記にて「智人でなければ物事の起こりが分からず、蛇にしか蛇の通り道は分からない」等と言っている。
青空になれば地上はすべてあらわになる。
法華経がきちんと分かる者は、同様に、世間の法則も自然に分かる。




一念三千が分からない衆生へ、仏は大いなる慈悲で、妙法蓮華経の五字に一念三千の珠をつつんで、末法の幼稚な衆生の頚に懸けさせられるのである。
地涌の四大菩薩が、このモノ分かりの悪い衆生を守護することは、太公望・周公旦が周の文王に仕えてよく守護し、商山の四皓が恵帝に仕え奉ったのと変わらないのである。


文永十年太歳癸酉卯月二十五日(1273年4月25日)     日蓮がこれを記した。








観心本尊抄送状
帷一つ・墨三長・筆五官給び候い了んぬ、
観心の法門少少之を注して大田殿・教信御房等に奉る、
此の事日蓮身に当るの大事なり之を秘す、
無二の志を見ば之を開せらる可きか、
此の書は難多く答少し
未聞の事なれば人耳目を驚動す可きか、
設い他見に及ぶとも三人四人坐を並べて之を読むこと勿れ、
仏滅後二千二百二十余年未だ此の書の心有らず、
国難を顧みず五五百歳を期して之を演説す
乞い願くば一見を歴来るの輩は師弟共に霊山浄土に詣でて三仏の顔貌を拝見したてまつらん
恐恐謹言。
文永十年太歳癸酉卯廿六日 日 蓮 花 押
富木殿御返事



観心本尊抄送状
帷一つ、墨を三挺、筆五管を頂戴いたしました。
観心の法門を、少しばかり注釈して、あなたと大田殿・曾谷教信殿その他、強信の人々に送ります。
この事は日蓮自身の一生の大事であり、解らない人には絶対秘密です。
純粋・無二の志がある人のみ、これを開いて読んでください。
この書は論難が多く、答えは少しで簡潔です。
前代未聞の内容ですから、見た人々は耳目を驚動するでしょう。
たとえ他人と見る時でも、三人四人と集まって軽々しく読まないでください。
仏滅後二千二百二十余年の今日に至るまで、いまだこの書の肝心が世に説かれたことはありません。
いま日蓮は国家の迫害をも顧みず、第五の五百歳を期して、この法門を演べ弘めているのです。
是非お願いしたい。
一度でもこれを見た人は、師弟ともに霊山浄土に詣でて三仏のお顔を拝見し奉ろうではありませんか。
恐恐謹言。
文永十年太歳癸酉卯廿六日(1273年4月26日) 日 蓮 花 押
富木殿御返事



投稿原文:観心本尊抄 私風現代語訳 その2 無始無終のご本仏日蓮大聖人が定めた南無妙法蓮華経のご本尊とは
2018-09-15 23:35:03
テーマ:日蓮大聖人御書

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