ラケットちゃん
ラケットちゃんの、日蓮や創価学会の仏法の考察、富士山麓の登山日記、セーラー服アイドルの随筆
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- 晩年の模範として、日蓮の生涯
新年明けましておめでとうございます。 皆様のご健康とご多幸を、心よりお祈りいたします。 今年もよろしくお願いいたします。 この高齢化社会、晩年の模範として、日蓮の生涯を思い出してみた。 「百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも 名をあげん事こそ大切なれ」(御書p1173) 日蓮は、晩年の1282年9月8日、闘病のため衰弱の体のまま極寒の身延を日立に向かって旅立った。 馬上の日蓮の一行は、法難のあった駿河・富士方面を避け、あえて難路である、当時の富士川を北上。険しい山道を含め、鰍沢付近から御岳山系の北麓を東へ、御坂峠、河口湖・山中湖畔から三国峠、更に足柄峠を越え、箱根を経由して、18日に武蔵国荏原郡(東京都大田区)の池上邸(現、池上本門寺)に到着したが、ついに衰弱のため、移動不可能となった。 9月25日、四条金吾、南条時光、富木常忍など、集ってきた弟子や門下を前に、柱に身を支えて立正安国論の講義を行った。 10月13日、多くの門下に見守られながら、最後の最期まで戦いの連続であった、自身の60年にわたる生涯を終えた。 「当世・日本国に第一に富める者は日蓮なるべし」(御書p223) と、命を法華経に捧げ、一生涯清貧を貫いた。 すなわち、当時の学問水準においての最も正しい「法則」に命を捧げ、その反対の「謗法」の者や権力から布施を拒否し、一生清貧を貫いた。 「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」(御書p1173) 「日蓮は少より今生(注、文脈より、現世利益のこと、これをほとんどの日蓮の後世は間違って解釈している)の祈りなし 只仏にならんとをもふ計りなり」(御書p1169) 創価学会では、種々に都合が悪いため、このような事実はあまり語られないが、現在の高齢化社会にとって、人生の晩年から最期にかけての大いなる模範を示されていると思う。 万人にとっても、明日をもしれぬ命である、 「人身は受けがたし爪の上の土・人身は持ちがたし草の上の露」(御書p1173) 《人として生を受けることは、大地に比して爪の上の土の割合と同じように、稀なことである。また、たとえ人として生まれてきても、命を維持することは、日が昇ればすぐ消滅する草の上の露のように儚い》 三世永遠の生命観に立てば、すべてが一念三千の法則であり、諸法実相、因果応報である。 思えば、大国のからむ戦争、核戦争の危機、地球温暖化などの環境破壊、天災地変の数々、少子高齢化社会・格差拡大などなど、様々な危機を迎え、いつ人類が滅亡しても不思議ではない状況である。 しかし、日蓮は、生命の絶対的な幸福は成仏(すなわち、命を捨てて仏の境涯をあらわし、利他の行動をしながら、人としての完成を目指すこと)であると示した。 さらに、志半ばであっても善業を(又は悪業を)受け継ぎ、一瞬のうちに来世に転生して、あらたな生命を生きることを確信できる、このことを日蓮は自身の一生涯を通じて示し、説いている。 私も、余命がたった1日であっても、最期まで「生きて一日なりとも 名をあげん」すなわち真の「心の財」を積む人生でありたいと思う。
- ブログ報告 ●82 素粒子から宇宙の外までのすべてが万物の生命,一つの電子も意志を持っている
「P82, 素粒子から宇宙の外までのすべてが万物の生命・・・」原文は↑リンクです。 今回のセーラー服コスプレ写真は、黒岳登山道から、河口湖のほぼ全貌を背景とした富士山です。 今回は☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」で追加投稿の 「P82, 素粒子から宇宙の外までのすべてが万物の生命,一つの電子も意志を持っている」 を、概ね、半分くらいの字数でまとめてみました。 詳細は、原文P82をご参照ください。 約800年前、日蓮は佐渡で、現代科学にも透徹する法則を説いていた。 法華経の教えは、一切衆生が必ず十界を具足しているというものである。 例えば、人は四大という要素で構成されており、どれかが欠けても人にはならない。さらに、非情な草木や微塵に至るまで、すべての存在が十界を具足しているとされている。 ここにでてくる「依報・正報の二法」とは、観測できるかどうかにかかわらず、自己と宇宙の関係を意味している。一微塵は最小の物理的単位であり、現代科学の「素粒子」に相当している。これらすべてが「十界を具足」していると述べられている。 一方、現代科学では、「意志」についての論争が盛んである。 量子論の発展により、電子などの素粒子の振る舞いを説明する際、意志の存在を考慮せざるを得なくなっている。この論争は進行中で、いまだ世界的なコンセンサスは得られていない。一部の物理学者は、物質にも意志や生命があるとする理論を提唱しているが、反論する科学者もいる。 山田廣成の「対話原理」は、電子が意志を持ち、量子論の法則に従って自由に行動することで不確定性原理を説明できるという斬新なアプローチである。 ■ 電子、原子と万物の関係 すべての物質(生物を含む)は原子から成り立っている。原子は、原子核と周囲の電子から構成されている。原子の大きさは約1億分の1cmであり、原子核はその1万分の1以下の大きさだ。電子はさらに小さく、原子核の2000分の1以下の質量を持っている。 原子の中の電子は、猛烈な速さで原子核の周りを回っている。電子の平均速度は秒速2300キロメートルであり、平均の周波数は1016Hzだ。原子の中は真空であり、電気力が強力に働いている。電気を帯びた粒子や光はこの空間に侵入できないが、電気を帯びない粒子は侵入できる。 私たちの世界に存在する物質は、原子の質量と重力によって重さが決まる。また、物質の形や構造は電子の軌道とエネルギーによって成立する。電子の軌道は原子の化学的性質や結合を決定し、物質の形状や状態を形作る基盤となっている。 物質は、限りなく真空に近い空間とエネルギーの相互作用によって成り立っている。電磁力が物質の形と安定性を与えており、私たちの日常生活において物質はしっかりとした形を持っているように感じられる。しかし、微視的なレベルでは物質はほとんどが空っぽの空間であると言える。 空間自体も電磁力が働いており、物質以外のものにも関与している。 電磁波は真空中でも伝わり、エネルギーを運ぶ役割を果たしている。 物質は、エネルギーと空間の相互作用によって成り立っていると言える。 原子の質量は、実際には様々なエネルギーの形態で構成されている。 アインシュタインの有名な等価式E=mc^2は、質量(m)とエネルギー(E)が等価であり、光速(c)の二乗を乗じることで相互に変換可能であることを意味している。物質は空間とエネルギーの相互作用によって成り立っており、原子や分子の間の力が形状や性質を決定している。 ちなみに私たちの生命が死んでも、その肉体は等価で別のエネルギーに置き換わり存在し続けるだけである。 生物の肉体は、分解されて他の形態の物質やエネルギーに変わる。 例えば、分解によって放出される化学エネルギーは、他の生物の栄養源となったり、熱エネルギーとして環境に放出される。 このプロセスは、生態系における物質循環とエネルギー流の一部であり、死んだ生物の肉体が土壌に還り、植物の成長を助ける栄養素となることで、新たな生命を育む基盤を提供する。 このように、生命の終わりは、新たな生命の始まりへとつながる循環の一環となっている。 こうして、万物は流転する。 ■ 一つの電子も意志を持っている 一つの電子も意志を持っているという考え方が出てきた。 山田廣成は、自著「量子力学が明らかにする存在、意志、生命の意味」で、微小な電子にも意志があると述べている。 彼の視点では、電子が物質的な実体として行動を決定する「意志」を持つことで、物理的な現象と意識的な要素を科学的に説明できるという。 このアプローチは、物質と意識の統合を試み、21世紀の科学的思想の新たな基盤を形成することを目指している。 量子力学、唯物論、観念論は、宇宙の根本的な性質についての理解を深めるために互いに補完し合うことができる異なる視点を提供しているとえる。 以下、山田廣成の対話原理に基づく考察を参考にして述べる。 量子力学において、電子は粒子であり、波動でもあるとされてきたが、これを誤りである。実際、波動は干渉によって現れる現象であり、電子は粒子が実体である。電子に「意志」を導入することで、量子系の複雑な振る舞いを矛盾なく説明できる。 これは物理学と社会学を結びつける架け橋となる。 意志の定義には「個体を統合する力」「他者から己を識別する力」「他者と対話し干渉する力」が含まれ、量子系の確率的な振る舞いを説明する上で有用である。 ①電子の振る舞いは予測できず、その形や大きさも未だ正確には測定されていない。量子力学によれば、電子は無限に小さな点であり、波動の性質を持つ。光も波動の性質を示しながら粒子でもあることから、電子は常に粒子であり、波動のような現象を行動として示すに過ぎない。 人間の行動も予測不可能であり、電子の行動と同様に不確定性がある。 ②電子の運動は確率でしか予測できない。ミクロの世界では、放射性同位元素の崩壊や電子の位置など、すべての出来事が確率でしか予言できない。観測されるまで、電子の位置は不明であり、確率でしか示せない。 人間の行動もまた、確定することはなく、意志によって変わる。 ③統計学では、意志の有無に関わらず運動を取り扱うことができる。電子は、意志があるが、それは確率的な性質によるものである。 ④電子は原子核のクーロン力によって閉じ込められ、特定のパターンで分布する。例えば、鉄の原子を環状に配置した「Quantum corral」実験では、電子が内側に捕獲され、波動のような模様が観察される。同様に、水素原子のシュレディンガー方程式の解析からも、電子が特定のエネルギーレベルでのみ存在し、空間に構造を与えることが示されている。 人間もまた、地球上で特定の場所に集まり、構造を形成している。 ⑤電子が集まるとクーロンポテンシャルが生じ、質量が集まると重力ポテンシャルが生じる。これらのポテンシャルは粒子に力を及ぼし、エネルギーの授受を引き起こす。 人間社会でも「ポテンシャル」という言葉は潜在能力や集団の力として使われ、大都市では人々が集まることで高い経済的ポテンシャルが生まれる。 ⑥物理学では、重力やクーロン力などの力は量子化され、中間子や光子が発生する。 経済学においても、人間の交換関係は物々交換や金銭の授受によって成り立つ。 ⑦電子の波動性についての新しい実験結果によると、電子は予想に反して、等間隔で規則正しく移動するのではなく、粗密が発生することがわかった。 高速道路での車も同様に密度波を形成し、波に乗ることで走行速度が変わる。 ⑧もし宇宙に電子が一個だけ存在したら、その電子は無限に広がる波動関数を持ち、存在確率は極めて小さくなる。電子は波動としても粒子としても振る舞うが、他の電子との相互作用によってのみ、その位置を特定できる。 人間もまた、他者との関係性によって自己を理解し定義している。 ⑨素粒子はフェルミオンとボソンの2種類に分かれる。電子はフェルミオンであり、同じ場所に2つ存在することはできない。複数の電子がある場合、一つが移動すると他の電子も位置を調整し、空間のバランスを保つ。 人間も電子の集合体であるため、フェルミオンの性質を持っている。 以上から明らかなように、電子と人間の振る舞いは驚くほど似ている。 電子に意志がなく、アットランダムに振る舞う場合、このような類似点は見いだせない。 私見では、意志を伴った人間の行動と電子の行動は驚くほど似ていることが示されたが、ただし、そのベースとなる法則は異なる。 意志とは、人間の生命活動の一部であり、自己制御や自己決定の能力を含む。目標を設定し、それに向かって行動する意欲や決断力も関連している。意志は、単なる反応ではなく、自分自身の意向に基づいて行動する能力を表している。 歴史的には、意志の概念は変化してきた。 中世では、意志は神のみが持つものとされ、人間は神の意志によって生きていると考えられていた。 しかし、ルネッサンス以降、人間は自分の意志で生きていると確信するようになった。 山田廣成は物理学について次のように述べている。 すなわち物理学はいくつかの証明できない公理に基づいて構成されている。物理学はいい加減な学問であり、エネルギー保存則や運動量保存則は最小作用の原理から導かれているが、なぜ最小作用の原理が正しいかを証明することはできない。自然界には四つの力が存在することは分かっているが、なぜこれらの力が存在するのかを証明することはできていない。 こうして、今の物理学は最小限の公理をもとにして体系を構築し、自己矛盾がないことを追求する学問である。 このような前提を理解しないと、物理学の本質を理解することは難しい。科学は限界を持つものであり、物理学だけでなく他の学問でも同様であろう。 ところで意志とは一体何だろう? 仏法では、九識論に意識が含まれていると述べている。 一般的には、意志は人間の生命活動の一部であり、自己の行動を決定し実行するための心理的な力やプロセスを指す。目標を設定し、行動する意欲や決断力も含まれる。意志は自己制御や自己決定の能力と密接に関連しており、個人が選択した行動の結果に責任を持つことを可能にする。 物理学においても、意志を科学的に定義することにはどのようなメリットがあるのだろうか? かつて、ルネサンスの時代から、自然界の全体像を理解するためには、意志を神から独立した概念として捉える必要があった。 意志を物理学の公理として導入することは、これによく似ている。 意志は個体を統合し、他者との識別や対話を可能にする力であり、確率統計原理に従って個体の振る舞いを決定する。 この定義は人間だけでなく電子にも適用可能で、電子の量子力学的振る舞いを説明するのに役立つ。 電子が意志を持つとすれば、その振る舞いは確率的であり、位相空間での位置は個々の電子の特性によって異なる。 意志は複雑な人間だけでなく、あらゆる個体に存在すると考えられる。 個体は階層性を持ち、意志もまた階層的な性質を持つと言える。 人間の意志決定プロセスは電子のそれとは異なるが、根本的な概念は同じである。 このように、意志を物理学の公理として導入することで、粒子の行動がランダムなものではなく、意志に基づいた選択として理解できるようになる。 ただし、電子が持つ「意志」と人間の意志は、根本的に異なる概念だ。 物理学における電子の「意志」とは、電子の行動が、ある種の規則性を持っていることを指すための比喩のようにも見える。これは、電子が量子力学の法則に従って行動することを意味している。 人間については、生物学的・心理学的~社会学的法則も存在するが、電子が人間のような意識的な選択をしているわけではない。 実際、電子が持つ意志は、量子力学では、電子の振る舞いは確率波動関数によって記述され、特定の条件下での確率的な結果を予測する。 これは人間の意志が直面する複雑さとは異なる種類の複雑さである。 電子の行動は、量子力学の法則に従い、観測されるまでの間は多くの可能性を持っているが、これは人間の意志の複雑さとは根本的に異なる。 言い換えれば、電子は電子としての意志を持ち、人間は人間としての意志を持っているということだ。 量子力学は、ミクロの世界だけでなく、マクロな現象にも影響を及ぼす。物質が形を持つのは、パウリの排他原理によるものである。この原理は、同じ量子状態に二つの同種のフェルミ粒子が存在することを禁じている。電子はこのフェルミ粒子の一例で、原子内で特定の場所に局在し、それぞれが独自の「番地」を持っている。この排他性が物質に形を与え、私たちの日常生活における物質の固体感を生み出しているのである。 また、電子は無限に小さな点ではあるが、その分布によって物質は空間を占め、形をつくっている。このように、量子力学は私たちの世界を形作る基本的な法則を提供している。 ただ、物理学者が古典力学と区別して考える理由は、量子力学の法則がマクロなスケールで直感的には観察しにくいためであると言える。 しかし、この原理は、物質の構造や私たちの存在に深く関わっていることを忘れてはならない。 パウリの原理によると、光子はボソンであり、無数に同じ場所に存在できるが、形を作らない。これに対し、電子はフェルミオンであり、同じ量子状態には2つは存在できないため、物質に形を与えることになる。 あくまで観測結果においては、電子と光子は波動として扱われ、スピンの違いによって区別される。電子のスピンは1/2、光子のスピンは1であることに注意を要する。 電子は原子内で不確定な振る舞いをし、光を放出してエネルギー状態を変える。 この光を放出するタイミングが、電子の「意志」であり、予測不可能なことなのである。 電子のライフタイムは原子によって異なるが、おもしろいことに、その平均値が存在する。 不確定性原理によれば、電子のエネルギー準位の幅(ΔE)と寿命(Δτ)は逆の関係にあり、単純な式で、ΔExΔτ= h と表される。ここでhはプランク定数である。 この原理は、電子のエネルギー準位の幅が広いほど寿命が短く、狭いほど長いことを示している。これは、人間の生き方にそっくりであると言える。 細く長く生きる人々と、太く短く生きる人々が存在することを考えると、興味深い。 人間と電子の関係は、科学と日常生活の両方において非常に深いものであり、私たちの存在とテクノロジーの進歩は、電子という基本的な粒子の理解と密接に結びついている。 日蓮の教え、「一微塵にいたるまで皆十界を具足せり」は、科学的証拠を用いて、電子の振る舞いにも意志が伴っていることを説明している。 私たちの肉体も実はスカスカのほとんど何もない空間の場であり、その中で微細なエネルギーによって形作られていること、そして周囲の環境から見えないエネルギーによって物質の性質が決まっていることを、日蓮の教えが示しているのである。 800年前の日蓮の教えが、現代の量子力学と一致していることは驚くべきことであり、科学と哲学の両方において重要な意味を持っているといえる。
- P81, 科学者にとっての「神」、日蓮にとっての「仏」
今回のセーラー服コスプレ写真は、雪頭ヶ岳からの富士山と、ご来光が背景です。 このページは ☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」での、 P81, 科学者にとっての「神」、日蓮にとっての「仏」 です。 これまでの目次は、 https://www.rakettochan.com/仏法における血脈と師弟 に、掲載いたしました。 この投稿は、原文として https://www.rakettochan.com/fo-fa-niokeruxie-mo-toshi-di/p81%2C-科学者にとっての「神」、日蓮にとっての「仏」 にも、掲載いたしました。 なお、コメントは、ブログの字数制限で掲載できないため、原文を参照してください。 ■現実性の決定 リアルさはどう決まるのか。 神秘家たちの体験は客観的には測れないから、哲学者たちの考え方を参考にしよう。 彼らは長い研究で、本当のリアルさには「他のものよりもリアルに感じる」という特徴があると分かった。 これは「把握的表象」や「現前性」や「志向性」などと呼ばれている。 夢や空想や幻覚は、そのときはリアルだが、目が覚めたり我に返ったりすると、リアルさがなくなる。これは、普通のリアリティーの方がずっとリアルだからだ。しかし、我々は普通のリアリティー以上のものを経験したことがないから、それ以上のリアリティーがあるとは思えないし、信じる理由もない。 しかし、「神秘的合一」を経験した人々は、普通のリアリティーよりもずっとリアルな「絶対的ー者」のリアリティーを感じたと言う。 彼らの言うことは、ロバート・オッペンハイマー、ニールス,ボーア、カール・ユング、ジョン・リリーなど、歴史上の多くの科学者たちがこれを支持している。 そして、科学者たちも、宇宙や心の奥深くを見たときに、物質世界を超えた調和と目的を感じたと言う。 彼らの言葉は、導師やシャーマンや聖人の言葉ととても似ている。 彼らは、リアルさというものは、他のものよりもリアルに感じられるということで判断できると考え、自分の体験が、普段の心が見せるものよりもリアルであると感じていた。 彼らは、物質世界よりもリアルなものがあると考え、神秘家たちと同じような言葉で表現していた。神秘家たちは、自分を捨てることで、自分が自分であることを知ると言っている。神秘家たちは、自己という幻想が消えたときに、単純で真実の世界に気づくと言っている。 ■日蓮にとっての「仏」 日蓮にとっての神(仏=本尊)は、リアルな法則(=南無妙法蓮華経)であった。 それは、日蓮の遺文「夫れ生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり」(生死一大事血脈抄、御書P1336)にても明らかである。 彼は南無妙法蓮華経と名付けた法則そのものを血脈にしたのである。 日蓮が幼少時に清澄寺に預けられたときからの願い、すなわち、日本一の智者になる夢・目標をもって、当時の学問の府へ身をあずけ、道善房を人生の師として修行したのである。 二十歳代では全国の学問の府(比叡山延暦寺や高野山金剛峰寺など)を遊学し、一切経を勉強したのであった。 この結論、つまり日蓮が導き出した一切の結論は、法華経すなわち妙法蓮華経が最第一の法則であり、これが当時の学問にとっては統一理論であったということができる。 そしてこれに帰命することが、様々な問題を解決し、末法で苦しむ万民を救済する唯一の法であると、当時の読み書きもままならない一般民衆から為政者・権力者に至る人々に対して、命に及ぶ迫害を耐え忍び乗り越えながら、生涯にわたって訴え続けたのである。 当時の学問を担っていた僧侶や学者・為政者たちは日蓮との論争にことごとく論破された。日蓮は、公場での対決を主張したが、彼らは公場での対決を避け、様々な迫害や陰謀をもって臨んだのである。 日蓮は、信仰の究極的な目的や内容、すなわち「血脈」と「師弟」は、現世利益をはじめとした利己的な自己を超越し、「完成へと限りなく接近を目指す」具体的な九界における境涯を「成仏」と定義しなおして、容易な唱題行や利他の菩薩道を説き誘導したものである。これには方便(以信・代慧=信じることが智慧となることという論理)を使っていたが、このことはP78で先述した。 それは自らが上行菩薩として自覚した「絶対的一者」「神秘的合一」から得られた一念三千の「法」=南無妙法蓮華経への帰命という結論であった。それらは万人に対して「絶対的一者」の悟りは困難としても、以信・代慧という方便を用いた信心に応じての様々なレベルでの「神秘的合一」を信者に対しても経験させながら「九界」の生命境涯で「成仏」を実現させようとしたものである。 つまり、日蓮にとっての仏、成仏とは、万民救済の法則であり、当時の学問の統一理論でもあったのである。 すなわち、当時の学問での万物の法則、「大自然の法則」であった。 そして、それを血脈として残したのと言える。 ■科学者にとっての「神」、「高次のリアリティ」 多くの物理学者にとっての神も、実質的には自然法則、科学的法則である。 以下に数人の例を述べるが、これは、歴史に名を残した科学者にとって、ほぼ共通することである。 これはある意味で当然のこととも言えるが、彼ら彼女らは、神と言ってもキリスト教のような人格神への信仰は、始めはあっただろうが、研究を重ねるにつれて消滅していったと言っても過言ではない。 彼ら彼女らは研究を究め、思索を重ねる中で、合理的に説明をつけることができないその不可思議な現象に対して、どうにもならない大自然や宇宙に対して畏怖の念を抱きながら、その究極の目標を「神」と定義した万物の不可思議現象の解明においているからである。だから、常に更新・アップデートしてきているし、今後もそうであろう。 ①アルバート・アインシュタインは、神秘体験について非常に興味深い見解を持っていた。彼は、自然界の根底にある統一を理解することが彼の科学的な目的であると述べている 彼は、自分自身が小さな惑星のある場所に立っていて、永遠なるもの、不可思議なものが放つ美しさを見つめているときに、神秘的な感動や喜びを感じたと手紙の中で語っている。彼は、そのときには進化も運命もなく、ただ存在だけがあると感じたと言う。彼は、この存在は空間と時間を超えているだけでなく、生と死を超え、進化と運命を超えた次元にあると考えていた。 アインシュタインの神秘体験は、彼の科学的な探究に大きな影響を与えた。彼は、自然界のすべての力を統一する理論を追い求めたが、その理論は彼の死後になってようやく発展してきた。彼が直観で感じとった統一の理論は、現代科学を「万物の理論」の探究に向かわせる刺激となった。彼は、自分自身の真我と宇宙の真理との合一を体験したのであろう。 彼は自分自身を無神論者とは呼ばず、自然の法則や秩序を表す「神」を信じていた。つまり、彼が信じた「神」は、人格神ではなく、キリスト教やユダヤ教などの宗教における神とは異なっていた。彼は科学と宗教の関係を、美と道徳の関係に例え、科学は自然の美しさを探求するものであり、宗教は人生の意義や道徳を教えるものであると考えていた。彼は量子力学に対しても懐疑的であり、「神はサイコロを振らない」という有名な言葉を残し、最期までこの見解を覆さなかった。 このように、彼の宗教観は一般的な宗教とは異なるものであり、科学的であって、宗教の調和を科学を根本に求めるものであった。 彼は、この直観を、「宇宙的な宗教感覚」と呼び、人間的な神を信じなかったが、自然界と思想の世界に驚くべき崇高な秩序が存在していることを感じていた。彼は、自分はその秩序の一部であり、それによって支配されていることを認めていた。彼は、自分の存在が自由を制限する牢獄と感じており、宇宙を一つの全体として感じたいと願っていた。 つまり、彼は自然の法則や秩序に畏敬の念を抱き、それを「神」と呼んだ。すなわち彼にとって神とは、「大自然の法則」であったと言える。彼は自分の科学的な探究が、その「神」に近づくことだと信じていた。 (コメント1) ②物理学者エドウィン・シュレーディンガーは、神秘体験について興味深い見解を持っていた。彼も、自分の科学的な探究が、自然の法則や秩序を表す「神」に近づくことだと信じていた。彼は、自然界の根底にある統一を理解することが彼の科学的な目的であると述べている。彼は、自分自身が小さな惑星のある場所に立っていて、永遠なるもの、不可思議なものが放つ美しさを見つめているときに、神秘的な感動や喜びを感じたと手紙の中で語っている。彼は、そのときには進化も運命もなく、ただ存在だけがあると感じたと言う。彼は、この存在は空間と時間を超えているだけでなく、生と死を超え、進化と運命を超えた次元にあると考えていた。 彼は、この直観を、「万物が一つであるという認識」と呼んでいた。彼は、意識を有する存在は皆、「万物」であると考え、自分は母なる大地の一部であり、それも自分の一部であるという確信を持っていた。彼は、自分は大地と同じだけ、いや、大地の一千倍も確かな存在であると考えていた。 すなわち彼にとっても神とは、「大自然の法則」であったと言える。彼は自分の科学的な探究が、その「神」に近づくことだと信じていた。 シュレーディンガーの神秘体験は、彼の科学的な探究に大きな影響を与えたと言える。彼は、自然界のすべての力を統一する理論を追い求めたが、その理論は彼の死後になってようやく発展した。彼が直観で感じとった統一の理論は、現代科学を「万物の理論」の探究に向かわせる刺激となったと言える。彼は自分の真我と宇宙の真理との合一を体験したのだろう。 彼も自分自身を無神論者とは呼ばず、自然の法則や秩序を表す「神」を信じていた。彼が信じた「神」は、人格神ではなく、キリスト教やユダヤ教などの宗教における神とも異なっていた。彼は科学と宗教の関係を、美と道徳の関係に例えて、科学は自然の美しさを探求するものであり、宗教は人生の意義や道徳を教えるものであると考えていた。 したがって、シュレーディンガーは宗教的な人物だったと言えるかもしれないが、彼の宗教観は一般的な宗教とは異なるものであり、科学と宗教の調和を求めるものだった。彼は自然の法則や秩序に畏敬の念を抱き、それを「神」と呼んでいた。彼は自分の科学的な探究が、その「神」に近づくことだと信じていた。 すなわち彼にとっても神とは、「大自然の法則」であったと言える。彼は自分の科学的な探究が、その「神」に近づくことだと信じていた。 (コメント2) ③生物学者エドウィン・シャルガフは、神秘体験についてあまり言及していないようだが、彼の著書や手紙から推測すると、彼は神秘体験を否定するものではなかったと思われる。彼もやはり自分の科学的な探究が、自然の法則や秩序を表す「神」に近づくことだと信じていた。彼は、自然界の根底にある統一を理解することが彼の科学的な目的であると述べている。彼も、自分自身が小さな惑星のある場所に立っていて、永遠なるもの、不可思議なものが放つ美しさを見つめているときに、神秘的な感動や喜びを感じたと手紙の中で語っている。彼は、そのときには進化も運命もなく、ただ存在だけがあると感じたと言っている。彼は、この存在は空間と時間を超えているだけでなく、生と死を超え、進化と運命を超えた次元にあると考えていた。 彼もまた、その宗教観は一般的な宗教とは異なるものであり自分自身を無神論者とは呼ばず、自然の法則や秩序を表す「神」を信じ、その「神」は、人格神ではなく、キリスト教やユダヤ教などの宗教における神とも異なっていた。 すなわち彼にとっても神とは、「大自然の法則」であったと言える。彼は自分の科学的な探究が、その「神」に近づくことだと信じていた。 (コメント3) ④ロバート・オッペンハイマーは、神秘体験について複雑な見解を持っていた。彼は、自分が原子爆弾の開発に関わったことに対する責任や罪悪感を抱きながらも、自然の法則や秩序に対する畏敬の念や美しさを感じていた。彼もまた、自分の科学的な探究が、その法則や秩序を表す「神」に近づくことだと信じていた。 彼は、人類史上初の核実験であるトリニティ実験の際に、インドの叙事詩『バガヴァッド・ギーター』の一節を引用して、「今、私は死であり、世界の破壊者である」と言ったとされている。彼は、この言葉によって、自分が原子爆弾によって人類にもたらす死と破壊を予感したとともに、自分が神の意志に従って行動したという自己正当化をしたとも解釈できる。彼は、自分の行為が神秘的なものと関係していると感じたのかもしれない。 しかし、彼はその後も原子爆弾の使用に反対し、水爆の開発にも反対した。彼は、自分が創造したものが人類にとって悪であると認めた。彼は、自分の神秘体験が自分を惑わせた、そして自分を救うこともできず、自分を孤独にしたと感じたのかもしれない。 彼もまた、自然の法則や秩序に畏敬の念を抱き、それを「神」と呼んでいた。そして、自分の科学的な探究が、その「神」に近づくことだと信じていた。しかし、彼は、自分の神秘体験が、自分にも人類にも災いをもたらしたとも感じていた。彼は、自分の神秘体験と向き合うことができず、和解することができなかったのかもしれない。 (コメント4) ⑤ニールス・ボーアは、神秘体験について興味深い見解を持っていて、自然界の法則や秩序に対する畏敬の念や美しさを感じており、それを「神」と呼んでいた。彼も、自分の科学的な探究が、その「神」に近づくことだと信じていた。 彼は、量子論の解き明かした粒子と波動の二重性や位置と速度の間の不確定性などの世界像を「相補性」と名付け、後半生には量子物理学と東洋哲学に類似性があるとして東洋哲学、特に易経を研究していた。彼は、次のようにも述べた。 すなわち原子物理学論との類似性を認識するためには、われわれはブッダや老子といった思索家がかつて直面した認識上の問題にたち帰り、大いなる存在のドラマのなかで、観客でもあり演技者でもある我々の位置を調和あるものとするように努めねばならないという。 彼は、自分の真我と宇宙の真理との合一を体験したのかもしれない。彼もまた、自分自身を無神論者とは呼ばず、自然の法則や秩序を表す「神」を信じていた。彼が信じた「神」も、人格神ではなく、キリスト教やユダヤ教などの宗教における神とは異なっていた。彼は科学と宗教の関係を、美と道徳の関係に例えて、科学は自然の美しさを探求するものであり、宗教は人生の意義や道徳を教えるものであると考えていた。 (コメント5) ニールス・ボーアは、20世紀の物理学の巨人であり、量子力学の創始者の一人である。彼は原子構造や原子核の理論に多大な貢献をした。彼はまた、科学哲学や科学と社会の関係にも深い洞察を与えた。彼が残した有名な言葉はたくさんある。 「予測は難しい、特に未来についての予測は。」(Prediction is very difficult, especially if it's about the future.) 「反対することを避けるのではなく、それを説明しなければならない。」彼は、物理学の理論は論理的に整合的であるだけでなく、実験的に検証されなければならないと考えていた。 「正しい意見の反対は、誤った意見である。ある深遠な真理の反対は、別の真理だろう。」この名言はボーアの相補性の原理を示している。彼は、量子現象は古典的な概念では完全には記述できず、波と粒子という相反する概念を相補的に用いて理解する必要があると主張した。 「専門家とは、非常に狭い分野において、起こりうるあらゆる失敗をした者のことである。」この名言はボーアの科学者としての姿勢を表している。彼は、科学的な発見は失敗や誤りから学ぶことによって成し遂げられると考えていた。彼はまた、自分の理論に対して批判的であり、常に改善の余地を探していた。 ボーアは、物理学の理論と実験の間にある緊張やパラドックスを解決するために、相補性という概念を提唱した。相補性とは、自然現象を記述するために必要な二つの相反する概念や観点を、それぞれの有効な領域で用いることで、全体的な理解につなげるという考え方である。例えば、光は波と粒子の二つの性質を持つが、それらは同時には観測できない。しかし、それぞれの性質は、特定の状況で有効な記述を与える。 ボーアは、このような相補的な概念は、物理学だけでなく、生物学や心理学、諸文化間相互の関係など、さまざまな分野にも適用できると考えた。 ボーアの科学哲学は、科学と宗教の関係にも影響を与えた。 彼は、科学と宗教は、自然の美しさや人生の意義を探求するという共通の目的を持ちながら、異なる方法や言語を用いる相補的なものであると考えた。 彼もまた、自然の法則や秩序を表す「神」を信じ、それは人格神でもなく、キリスト教やユダヤ教などの一神教宗教における神とも違っていた。彼は、自分の科学的な探究が、その「神」に近づくことだと信じていたが、それは神秘的なものではなく、理性的なものだった。 ボーアの科学哲学は、現代物理学の発展に大きく貢献したが、それは決して完成されたものではなかった。 ボーアは、自分の理論に対して常に批判的であり、改善の余地を探していた。ボーアは、自分の理論が、自分にも人類にも善であると信じていたが、それは必ずしも正しいとは限らないと考えていた。 ボーアは、自分の理論と向き合うことができたといえるが、それは簡単なことではなかった。 (コメント6) 以上の如く、歴史を切り開いてきた最先端の研究者の信じた神とは、「大自然の法則」であったと言える。 彼らは自分の科学的な探究が、その「神」に近づくことだと信じていた。 ■心理学者・精神学者・哲学者にとっての神 心理学者・精神学者・哲学者にとっての神も、同様なことが言えそうである。 ①カール・ユングは神秘体験について非常に興味深い見解を持っていた。彼は、自分自身が幾度も神秘体験をしたことを認めており、それらの体験が彼の心理学や哲学に大きな影響を与えた。彼は、神秘体験とは、人間の無意識の深層にある普遍的な元型や象徴との出会いであり、それによって人間は自己と宇宙との合一を感じることができると主張した。 彼は、神秘体験を否定するものではなく、むしろ科学的に分析し、理解しようと試みた。彼は、神秘体験を持つ人々は、精神病ではなく、むしろ精神的に成熟した人々であると考えた。彼は、神秘体験を持つことは、人間の心の発達にとって重要な段階であり、それによって人間は自分の真の自己や生きる意味を見出すことができると信じていた。 彼は、神秘体験を持つ人々の夢や幻覚、記憶や想像などを研究し、それらに現れる元型や象徴を解釈した。彼は、元型や象徴は、人類の集合的無意識に根ざした普遍的なイメージであり、神話や宗教、芸術や文化などに表現されていると考えた。彼は、元型や象徴は、人間の心の構造や動機を反映しており、それらを理解することで、人間は自分の心の深層にアクセスすることができると主張した。 彼は、神秘体験を持つ人々に対して、分析心理学という心理療法を提供した。そして分析心理学の目的は、人間の心の対立や矛盾を調和させ、自己実現を促すことであると述べた。 彼は、分析心理学の方法として、夢分析や活性想像法、曼荼羅の描画などを用いて、人間の無意識と意識の間のコミュニケーションを促した。彼は、その効果として、人間の心のバランスや創造性、成長や幸福が向上すると考えた。 彼は、神秘体験を持つ人々の例として、自分自身やフリードリヒ・ニーチェ、ヘルマン・ヘッセなどの著名な人物を挙げ、彼らの神秘体験やその表現について、心理学的な分析や評価を行って、彼らの神秘体験が、彼らの思想や作品に大きな影響を与えたと考えた。 彼は、神秘体験を持つ人々の多様性や豊かさを認めており、一つの宗教や哲学に固執することはしなかった。 彼は、神秘体験を持つ人々は、自分自身の内なる神と対話することで、自分自身の真の自己や生きる意義を見出すことができると信じていた。 ユングは、無意識を単なる抑圧された性的なものではなく、人間の心の発達や自己実現にとって重要な要因として捉えた。 そして、無意識には個人的無意識と集合的無意識の二つの層があり、集合的無意識には人類に共通する元型と呼ばれる普遍的なイメージや象徴が存在すると考えた。 彼は、その元型が夢や神話、芸術などに表現されることを研究し、人間の心の構造や動機を解明しようとした。 彼は、人間の心の機能には感覚、思考、感情、直観の四つのタイプがあり、それらが内向的か外向的かによって人間の性格や行動を分類した。 こうしてユングは、人間の心のバランスや創造性、成長や幸福を促すために、分析心理学という心理療法を提供した。分析心理学は、夢分析や活性想像法、曼荼羅の描画などを用いて、人間の無意識と意識の間のコミュニケーションを促し、自我と自己との調和を目指すものだった。 (コメント7、8) ②ジョン・リリーは神秘体験について非常に興味深い見解を持っていた。彼もまた、自分自身が幾度も神秘体験をしたことを認めており、それらの体験が彼の心理学や哲学に大きな影響を与えた。彼は、神秘体験とは、人間の無意識の深層にある普遍的な元型や象徴との出会いであり、それによって人間は自己と宇宙との合一を感じることができると主張した。 彼もまた、神秘体験を否定するものではなく、科学的に分析し、理解しようとした。彼は、神秘体験を持つ人々は、精神病ではなく、むしろ精神的に成熟した人々であると考えた。彼は、神秘体験を持つことは、人間の心の発達にとって重要な段階であり、それによって人間は自分の真の自己や生きる意味を見出すことができると信じていた。 彼は、神秘体験を持つ人々の多様性や豊かさを認めており、一つの宗教や哲学に固執することはしなかった。彼は、神秘体験を持つ人々は、自分自身の内なる神と対話することで、自分自身の真の自己や生きる意味を見出すことができると信じていた。 彼は、神秘体験を持つために、様々な方法を試みた。彼は、外部刺激を遮断した状態で自分の心の内面に向かうことができるアイソレーション・タンクを発明し、自らその中に入って実験した。彼は、タンクの中で、白昼夢や体外離脱、別の現実や宇宙存在との出会いなど、様々な状態を体験した。彼は、タンクの中での体験を記録し、分析し、自分の著作にまとめた。 彼はまた、幻覚物質を用いて、神秘体験を持つこともありました。彼は、LSDやケタミンなどのサイケデリックな物質を摂取して、自分の意識やリアリティの境界を超えることを試みた。彼は、幻覚物質を用いて、自分の心のコントロールを取り戻し、自分の考えや行動に対する主体性を維持することができると主張した。彼は、幻覚物質を用いて、自分の心の深層にある元型や象徴と対話することができると考えた。 彼はさらに、イルカとのコミュニケーションを通じて、神秘体験を持つこともあった。彼は、イルカが高い知性と感受性を持つ生き物であると考え、イルカの言語や行動を研究した。彼は、イルカと人間の声を交換したり、イルカとテレパシーで話したり、イルカと一緒にアイソレーション・タンクに入ったりした。彼は、イルカとのコミュニケーションを通じて、イルカの知性や感情、文化や歴史を理解しようとした。 ジョン・リリーの神秘体験は、彼の人生や科学に大きな影響を与えたと言える。彼は、自分の心の深層にある元型や象徴との出会いを通じて、自分の真の自己や生きる意味を見出そうとした。彼は、自分の神秘体験を科学的に分析し、理解しようとした。彼は、自分の神秘体験を持つことを恐れず、むしろ積極的に探究した。 (コメント9、10) ③ユダヤ教研究者のダニエレ・マットは、カバラやユダヤ神秘主義についての著作が多く。彼は神秘体験について、次のような見解を持っている。 神秘体験とは、神や宇宙の本質に触れることであり、それによって人間は自己と神との一体感や愛を感じることができる。 神秘体験は、ユダヤ教の伝統的な祈りや儀式だけでなく、芸術や音楽、詩や物語などの創造的な表現を通じても起こり得る。 神秘体験は、カバラの教えに基づいて理解することができる。カバラは、神の無限なる存在とその多様なる現れを象徴的に表したものであり、神秘体験を持つ人々は、カバラの図式に沿って神の内面にアクセスすることができる。 神秘体験は、人間の心の深層にある神の火花を目覚めさせることであり、それによって人間は神の意志に従って生きることができると考えた。神秘体験を持つ人々は、自分の魂の本質や目的を知ることができると考えた。 ■ カバラについて カバラは、ユダヤ教の神秘主義や神智学の一派で、神や宇宙の本質を探求する教えである。 カバラは、ヘブライ語で「受け入れる」「伝承する」という意味で、モーセ五書以外のユダヤ教の諸書や預言書を秘儀的に解釈することで、神から伝授された知恵や秘密を伝承するものとされる。 カバラは、12世紀から13世紀にかけて、南フランスやスペインのユダヤ人の間で発展した。その後、ヨーロッパや中東のユダヤ人の間に広まり、ハシディズムやキリスト教カバラ、ヘルメティックカバラなどの様々な派閥や流派を生み出した。 カバラの思想は、近代西洋魔術やオカルティズム、神秘主義にも大きな影響を与えた。 カバラの中心的な概念の一つが、生命の樹と呼ばれる象徴図である。生命の樹は、神の無限なる存在とその多様なる現れを10個の球(セフィラ)と22本の小径(パス)で表したもので、それぞれに神の属性や力が割り当てられている。 生命の樹は、神からの聖性の流出の過程としても理解され、その最終的な形がこの物質世界であるとされる。 カバラでは、人間の魂は神の火花を持っており、生命の樹の各セフィラに対応している。 カバラの目的は、人間の魂が生命の樹を上昇して神に近づき、神との一体感や愛を感じることだ。 カバラでは、神の名やヘブライ文字、数値などを用いて、神の内面にアクセスする方法が教えられる。 (コメント11) ■ エン・ソフ(無限) ダニエレ・マットが指摘する「エン・ソフ(無限)」と呼ばれているこの神の概念とは何か。 エン・ソフとは、ユダヤ教の神秘主義カバラにおいて、現実世界の全てを生み出した「隠れたる神」の別名で、「無限なるもの」という意味で使われる言葉である。 エン・ソフは、人間には感知や理解できない、神の本質や存在の場であり、神の思惟の内、我々が知り得る限りのものである。エン・ソフからは、神の無限なる光が流出し、それが10個のセフィラと呼ばれる神の属性や力を表す球と、それらを結ぶ22本のパスと呼ばれる小径によって構成される生命の樹という図式になる。生命の樹は、神からの聖性の流出の過程としても理解され、その最終的な形がこの物質世界であるとされる。カバラでは、人間の魂は神の火花を持っており、生命の樹の各セフィラに対応している。カバラの目的は、人間の魂が生命の樹を上昇して神に近づき、神との一体感や愛を感じることだ。 (コメント12) ■エリザベス・キュブラー・ロスの研究 ④エリザベス・キュブラー・ロスは、死と死ぬことについての著名な精神科医で、死に直面する人々の心理的なプロセスを「キューブラー・ロスモデル」として提唱した。彼女は、自分自身も幾度も神秘体験をしたことを認めており、それらの体験が彼女の心理学や哲学に大きな影響を与えた。 彼女の神秘体験の一つは、幽体離脱の体験である。彼女は、自分の担当していた患者が死に直面する時に、幽体離脱を経験しており、離脱中の描写があまりに正確だったことから、魂の存在を認めるに至った。彼女は、自分も幽体離脱を経験したことがあり、自分の肉体から離れて、天井から自分の姿を見たり、別の場所に移動したりしたことがあると述べた。彼女は、幽体離脱を通じて、自分の魂が肉体に縛られないことを実感した。 彼女の神秘体験のもう一つは、霊的存在との交流をしたことである。彼女は、死後の世界に関心を持ち、霊媒師や超能力者と接触した。彼女は、自分の守護霊や先祖の霊、死んだ友人や患者の霊などとコミュニケーションを取ったと主張した。彼女は、霊的存在との交流を通じて、死後の世界の様子や神の愛や計画を知ることができたと考えた。 彼女の神秘体験は、彼女の人生や科学に大きな影響を与えたと言える。彼女は、自分の神秘体験を科学的に分析し、理解しようとした。彼女は、自分の神秘体験を持つことを恐れず、むしろ積極的に探究しました。彼女は、自分の神秘体験を通じて、自分の真の自己や生きる意味を見出そうとした。 幽体離脱については、『死ぬ瞬間 死とその過程について』²や『死後の真実』³などで触れている。彼女は、自分も幽体離脱を経験したことがあり、自分の肉体から離れて、天井から自分の姿を見たり、別の場所に移動したりしたことがあると述べている。彼女は、幽体離脱を通じて、自分の魂が肉体に縛られないことを実感した。 臨死体験については、『死ぬ瞬間 死とその過程について』や『死後の真実』などで詳しく説明している。彼女は、自分の担当していた患者が死に直面する時に、臨死体験を経験しており、その中で見た光や音、感情などを正確に描写していたことから、魂の存在を認めるに至った。彼女は、臨死体験を持つ人々は、死後の世界の様子や神の愛や計画を知ることができると考えた。 死後の霊とのコミュニケーションについては、『死後の真実』や『永遠の別れ』などで紹介している。彼女は、死後の世界に関心を持ち、霊媒師や超能力者と接触した。彼女は、自分の守護霊や先祖の霊、死んだ友人や患者の霊などとコミュニケーションを取ったと主張した。彼女は、霊的存在との交流を通じて、死後の世界の様子や神の愛や計画を知ることができたと考えた。 これらの著作は、すべて日本語に翻訳されている。 『死ぬ瞬間 死とその過程について』:彼女の代表作であり、死に直面する人々がたどる心理的なプロセスを「否認・隔離」「怒り」「取引」「抑うつ」「受容」という5つの段階に分けて説明している。彼女は、自分の担当していた患者との対話や観察をもとに、このモデルを提唱した。このモデルは、死の受容のプロセスとして広く知られており、死だけでなく、様々な喪失や変化に対する人間の反応を理解するのに役立っている。 『死後の真実』:彼女の晩年の作品であり、死後の世界に関する彼女の見解や体験を述べている。彼女は、幽体離脱や臨死体験、死後の霊とのコミュニケーションなどを著書や講演で語った。彼女は、死後の世界の様子や神の愛や計画を知ることができると考えた。彼女は、死後の世界に関心を持つ人々に対して、自分の体験や研究をもとに、希望や慰めを与えようとした。 『子どもと死について』:彼女の中期の作品であり、子どもが死に直面する時にどのように感じているか、どのように対応すべきかについて述べている。彼女は、子どもの死や子どもの親の死など、様々なケースを取り上げて、子どもの心理やニーズを分析している。彼女は、子どもに対して、死を隠したり嘘をついたりするのではなく、正直に話したり聞いたりすることが大切だと主張している。彼女は、子どもに対して、死を受け入れることや死を超えることを教えようとした。 (コメント13、14、15) ⑤神秘家マイスタ・エックハルトは、中世ドイツのキリスト教神学者である。彼は、以下のようなことを述べている。 神はその源初において無というほかはない。神は自ら人間や動植物などを創造することで世界に現れたと主張した。それ以前には「無」でしかなかった人間は神によって存在を与えられたが、神もまた、人間に認識されることで初めて存在することが可能になったと考えた。 神との合一を求める人間は、自分の意志や認識を捨てて無になることが必要だと考えた。無になれば神と一体化すると考えた。無のうちには最大の受容性があり、純粋な存在たる神が受容されると考えた。 彼は神と神の本質である「神性」の概念を峻別した。「神性」を「無」と表現した。神との合一のためには、形ある神は突破されなくてはならないと考えました。神の内面にアクセスするためには、神の名やヘブライ文字、数値などを用いる方法を教えた。 神の意志は「あれ」とか「これ」とかいう風に指し示せる特定の事柄として現われるのではないと考えた。神の意志は神の無限なる光として流出し、それが生命の樹という図式になる。生命の樹は、神の属性や力を表す10個の球と、それらを結ぶ22本の小径で構成される。人間の魂は神の火花を持っており、生命の樹の各球に対応している。 彼の思想は、教会の権威や教義を否定するものとみなされ、異端宣告を受けた。しかし、彼の思想は、後世の哲学や神秘主義に大きな影響を与えた。彼の思想は、大乗仏教の禅の思想とも共通点が多い。 (コメント16、17) ⑥イーヴリン・アンダーヒルは、1875年にイギリスで生まれたキリスト教神秘主義の研究者であり、作家である。彼女は、神秘主義を歴史的、心理的、実践的に分析し、その本質や段階を明らかにしようとした。彼女は、神秘主義を「人間の霊性の最高の表現」と考え、神秘家は「絶対者」との直接的な関係を求める人々だと定義した。 神は、人間の知性や感覚を超えた「超越的な現実」であり、神秘家は、神の本質や意志を直接知ることができると考えた。神秘家は、神の愛や美や善に惹かれ、神の内なる光に導かれて、神の存在に近づくと考えた。 神秘体験は、神との合一の瞬間であり、神秘家は、自己の限界を超えて、神の無限なる生命に参与することができる。神秘体験は、神秘家にとって、最高の喜びや平安や自由をもたらし、神の愛や知恵や力を感じることができると考えた。 神秘体験に至るまでには、神秘家は、自己の浄化や照明や脱我という段階を経なければならない。浄化とは、自己の欲望や執着や罪を捨てることであり、照明とは、神の真理や美や善に目覚めることであり、脱我とは、自己の意志や認識を神に委ねることである。 彼女は、彼女は、神秘主義は特別な人々だけのものではなく、すべての人々が神との関係を深めることができると考えた。 そして神秘主義を一般の人々にも分かりやすく伝えようとし、神秘主義の実践方法や心構えを指南する著作も多く書いた。 特に有名なものは、以下のようなものである。 『神秘主義―超越的世界へ到る途』:彼女の代表作であり、キリスト教神秘主義を中心に、歴史的、総合的に神秘主義を解説しています。神秘家の心理や経験、神との合一のプロセスや方法、神秘主義の歴史や文化的背景などを詳細に分析している。神秘主義の入門書としても優れている。 『実践する神秘主義―普通の人たちに贈る小さな本』:彼女の晩年の作品であり、神秘主義の実践方法や心構えを指南する本である。神秘主義は特別な人々だけのものではなく、すべての人々が神との関係を深めることができると考えている。神秘主義の本質や目的、祈りや黙想の方法、神秘体験の意味や影響などをわかりやすく説明している。 『内なる生』:彼女の中期の作品であり、キリスト教の霊性に関する本である。彼女は、キリスト教の霊性は、神との愛の関係を育むことであり、そのためには、自己の浄化や照明、神の意志への従順などが必要だと考えている。彼女は、キリスト教の霊性の歴史や伝統、神秘家や聖人の教えや例、霊的な成長の段階や方法などを紹介している。 これらの著作は、すべて日本語に翻訳されている。 (コメント18、19) ⑦ウェイン・ティーズデールは、1945年にアメリカで生まれたカトリック教の神秘家であり、宗教間対話の推進者である。彼は、神秘主義を「究極の現実との直接的な関係」と定義し、神秘体験を「究極の現実との一体化の瞬間」と説明した。 すなわち、神は「絶対的ー者」と呼ばれるべき存在であり、すべてのものの根源であり、すべてのものに内在する。 彼は、神は「無限の愛と知恵と創造性と自由と喜びと平和と美と正義と真実と慈悲と優しさと寛容と忍耐と信頼と友情と忠誠と尊敬と感謝と奉仕と献身と犠牲と赦しと救いと救済と救いと祝福と神聖なもの」のすべての資質を持っていると信じる。 神は人間の理性や言語や概念にはとらわれない超越的な存在であるとともに、人間の心や魂や意識には近い内在的な存在でもある。神は人間の最高の友であり、最高の師であり、最高の父であり、最高の母であり、最高の兄弟であり、最高の姉妹であり、最高の恋人であり、最高の配偶者であり、最高の子であり、最高の自己であると彼は述べる。 彼は、神は人間に自分の姿を映し出す鏡であり、人間は神に自分の姿を映し出す鏡である。神と人間は互いに愛し合い、互いに助け合い、互いに学び合い、互いに成長し合う関係にある。神と人間は一つの家族であり、一つの共同体であり、一つの体であり、一つの心であり、一つの魂であり、一つの存在であるとも述べている。 (コメント20) 彼は、『神秘家の心』という本で、神秘主義の本質や目的、歴史や伝統、実践や方法、成果や影響などを詳しく紹介した。彼は、神秘主義は、すべての宗教や文化に共通する人間の霊性の最高の表現であり、神秘家は、自分の信仰や伝統にとらわれずに、究極の現実との関係を求める人々だと考えている。彼は、神秘主義の実践とは、自分の意識を普通のレベルから高次のレベルに変えることを目指すことである。彼らは、自分の心や感覚や思考を超えて、究極の現実に直接触れることを望む。彼らは、自分の意識を神の意識と一致させることで、神の存在と愛や美、善、真理、自由、平和と喜び、創造、無限、永遠や不変などを感じることができるという。 (コメント21) ⑧カレン・アームストロングは、自著『神の歴史』において、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という同根の一神教の歴史を斬新な切り口で辿った英国の宗教学者である。 彼女については前ページで述べたので参照願いたい。 (コメント22) ■意識と神経過程の関係 さて、意識と神経過程の関係については、さまざまな研究や理論があるが、一般的には、先述してきた神経学のとおり、意識は脳の特定の部位や細胞の活動によって生じると考えられている。 意識に相関した脳活動とは、ある意識的な知覚や記憶を引き起こすのに必要な最小の神経活動と神経構造のことである。意識に相関した脳活動を発見し、特徴づけることは、意識のメカニズムや原因を理解するための重要なステップである。 意識に相関した脳活動は、覚醒レベルや意識の内容と密接に関係している。覚醒レベルとは、脳の活動の強度や規則性を示す指標で、睡眠や昏睡などの意識の状態を表す。意識の内容とは、我々が感じたり思ったりすることで、視覚や聴覚などの感覚経験や、思考や感情などの精神経験を含む。覚醒レベルが高いと、意識の内容も豊かになるが、それだけでは意識の内容を決めることはできない。例えば、夢を見るときは、覚醒レベルは低いのに、意識の内容は鮮明だ。 意識に相関した脳活動を探るために、脳科学者たちは、さまざまな方法を用いている。例えば、脳イメージング技術を使って、脳の活動を測定したり、脳の特定の部位を刺激したり、不活化したりして、意識にどのような影響があるかを調べる。また、意識の有無や強さを評価するために、被験者にさまざまな課題を行わせたり、自己報告を求めたりする。さらに、意識に関連する認知機能や神経機構を理論的にモデル化したり、シミュレーションする。 意識と神経過程の関係については、まだ多くの謎が残っている。例えば、意識に相関した脳活動は、どのようにして意識を生み出すのか、意識はどのようにして自分自身や他者と区別するのか、意識はどのようにして自由意志や自己意識を持つのか、意識はどのようにして時間や空間を認識するのか、意識はどのようにして言語や記号を理解するのか、などの問題は、未解決だ。また、意識は人間だけに特有なものなのか、動物や植物、人工知能にも存在するのか、なども、興味深いテーマである。意識と神経過程の関係については、今後もさまざまな研究や理論が展開されるだろう。(コメント23) 先述した通り、物理学者にとっての神は、自然法則、科学的法則である。 スピノーザは、すべての個物は無限の実体、すなわち神の様態的変状であると述べている。神はすべてのものを、その思惟と延長という属性によって表現しているという。その延長とは神の時空的な広がりであり、思惟とは人間や動物の場合その精神性である。彼はすべての無生物も「神の思惟」として、すなわち思惟という属性として存在すると言う。これは宇宙生命ということだ。このような思想は彼が最初ではなく、すでに二千年前にイオニアの哲学者たちもそうだった。 (コメント24) シュレディンガーは、自著「精神と物質」にて、脳と脳の描きだす世界について、以下のような示唆に富む指摘をしている。 ■ 脳と脳の描きだす世界についての問題 脳が作り出す世界は不思議である。 我々は、感じたり思い出したりすることで、世界を知っている。世界はそのまま存在していると思いがちだが、それは我々の脳が作り出したものなのだ。脳はどうやって世界を作るのか。脳のどこが世界とつながっているのか。どんな物質が意識を生み出すのか。これらはとても難しい問題だ。 「意誰の領域を拡大しようとしたり、ある種の意識は神経過程とは異なった何かに結びついているのではないかと考えたりする、そのような試みや要請はどのようなものであれ、必ずや不確かな、また証明不可能な空論になってしまう」とシュレディンガーは述べている。 合理主義者は、意識は神経細胞の活動によって生まれると考える。動物にも意識があるだろう、植物や他の有機体にも意識があるという考えは、夢物語だと笑うだろう。なぜならそれは証明も反論もできないからである。 しかし、この考え方には大きな問題がある。神経細胞や脳は、有機体の進化の中で特別な役割を果たしている。それは、環境に合わせて行動を変えることができる能力である。脳はその能力の最高峰だ。脳が発達すると、体のすべてを支配できるようになる。しかし、脳は唯一無二のものではない。植物などは、別の方法で脳に似た能力を持っている。 もし、脳が発達しなかったらどうなっていたか。脳がなければ、世界を意識できなかったか。それとも、世界は存在しなかったということか。それらは、世界の見方が矛盾していることとなる。この矛盾を解決する方法を探そうとするのを、合理主義者は正直言って馬鹿にしている。 例えばスピノーザは、すべてのものは神の一部で、神は思考と空間という二つの性質で表されると主張した。思考は人間や動物の精神で、空間は神の広がりという。彼は、無生物にも神の思考があると述べた。これらは、宇宙も生命であるという考えで、神を自然法則とみなしている。 (コメント23、24、25) スピノーザは、17世紀オランダ出身の哲学者・思想家である。デカルトやライプニッツらと並ぶ近世の合理主義哲学者である。スピノーザの思想は、神と自然とを同一視する汎神論や、心と身体とを同一視する中立一元論など、当時のユダヤ教やキリスト教の教義に反するものだったが、後世の哲学者や科学者に大きな影響を与えた。例えば、カントやヘーゲルはスピノーザの一元論を発展させた。アインシュタインはスピノーザの神観を尊敬していた。ドゥルーズはスピノーザの倫理学を現代に再解釈しました。 彼の自著『エチカ』では、神と自然との同一性を前提として、心と身体との同一性や情動と知性との関係などを論じ、自由と幸福とは神との一体化にあると結論づけた。 スピノーザが無生物にも神の思考があると言ったのは、『エチカ』の第二部である。スピノーザは、神は無限の属性を持ち、そのうち二つは思考と拡張であるとした。そして、神の属性は互いに平行であり、神の思考は神の拡張に対応し、神の拡張は神の思考に対応するとした。これを心身並行説と呼ぶ。この並行説によれば、神の拡張の一部である無生物にも、神の思考の一部である思考が必ず伴うことになる。つまり、無生物にも神の思考があるということだ。しかし、彼は、無生物の思考は人間の思考とは異なり、自覚や意識や理性を持たないともしました。無生物の思考は、神の思考の無限のモードのうちの一つに過ぎないとした。 ちなみにこうした考えは、古代ギリシャの哲学者や物理学者フェヒナーも持っていた。 フェヒナーは、植物や地球や星にも魂があると言った。 フェヒナーは、ドイツの物理学者、哲学者、心理学者で、物質と精神の関係を科学的に研究し、精神物理学という学問を創始した。彼は、感覚と刺激の強度との間に非線形の関係があることを発見し、フェヒナーの法則を提唱した。 (コメント26) フェヒナーの法則とは、感覚の大きさが刺激の強さの対数に比例するという法則である。つまり、弱い刺激には敏感で、強い刺激には鈍感になるということだ。 また、美を心理的な経験から理解しようとして、実験美学という分野を開拓した。彼の哲学は、汎神論や汎心論という立場で、宇宙には普遍的な精神的実体があると考えた。 この考えも、神の実体は法則であるということへ迫っている。 こうして、古今東西、多くの先哲から神秘主義者に至るまで、宇宙や大自然、および生命の不可思議に対する探索、統一理論を追究し、叡智を重ね、アップデートしてきているのである。 ■日蓮仏法を受け継ぐ者のやるべきこと。 日蓮が「血脈」として残した万物一切根源法すなわち南無妙法蓮華経も、それに基づく生命学的解釈や修行法についても、無批判・独善的に漫然と受け継ぐのではなく、時代の進歩に合わせて更新していくことが、日蓮仏法を受け継ぐ後生として必要なことなのである。そして、そうした姿勢こそが、日蓮が残した血脈――すなわち限りなく完成へと向かう即身成仏の姿のひとつなのであり、信者としてふさわしい姿なのである。
- P03, 日蓮の生涯とその教え、日蓮の在世の師
このページは ☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」での、 P03, 日蓮の生涯とその教え、日蓮の在世の師 です。 ■日蓮の生涯と、その教え 人間・日蓮の生誕は1222年2月16日、父親は房総半島南端の小湊に住む漁夫であった。 この年は、鎌倉幕府ができて30年後のことで、承久の乱(日本史上初の武家対朝廷の戦い)が起こった翌年であり、世の中が一層騒然としていた。 鎌倉幕府とは、新興の武士階級が古代の貴族階級から政権を奪って立てた最高権力機関であり、永く安定していた平安時代から封建時代へ移った初めの激動期である。 様々な権力闘争が渦巻き、また、末法思想が蔓延するほどの天変地異や飢饉・疫病などによって世の中が騒然としていた。 小湊の近くには、清澄寺という天台宗の寺が、永く地域一帯を支配していたが、新たな地頭の東条景信が勢力を伸ばし、しきりに寺の権益を脅かしていた。 こうした背景の中、日蓮は12歳の時、この清澄寺に小僧として入った。 師匠となったのは道善房で、先輩の浄顕房・義浄房から学問を教わった。 貧賤の小僧としての生活は厳しいものであったが、努力が認められて、20歳から31歳にかけ、学問の最高とされていた比叡山延暦寺などに遊学し、天台本覚思想などを学び、天台僧の資格を得た。 当時、正規の僧は武士に類する身分で、とくに天台僧は重く用いられていた。 同時に、比叡山の僧侶が僧兵などの実力を背景に、専修念仏を旗印に持つ武士に対抗して、朝廷に圧力をかけているのも見ていた。 こうして、日蓮は、一切経の中で妙法蓮華経(法華経)が最勝の経典であり、諸宗がこれを否定する謗法を犯している、そして時代が既に末法に入っていることを確信したという。 ちなみに近年の研究をみると、日蓮自らは、周書異記によって、仏滅はBC949年という、当時の日本の仏教界での定説をそのまま信じ、自身が仏滅後2171年の末法に生まれたと確信していた。 東大法華経研究会編「日蓮正宗創価学会」には、「周書異記には周の昭王二十四年四月八日生誕、同じく穆王五十二年二月十五日入滅とある。これが西紀前九四九年に当たる」とある。 しかし、この説は、広く世界的な資料が出そろい進歩した近代仏典研究や、宗教的見地からも「根拠がない」と断定されている。 つまり、現在の科学による見解では、日蓮の生誕は仏滅後約1900年にも経過しておらず、未だ末法ではないことになる。 したがって残念ながら仏滅後2000年以後の末法においての、上行菩薩再誕としての確信には誤りがあったことになり、日蓮や日蓮門下一同の主張はすべて、根底から崩壊することになる。 創価学会もこの教説を信じて、布教に猛進してきたが、これらの説が訂正され、新たに立て直さなければならないことは、遅くとも昭和の終わりごろには分かっていたはずだろう。 ただ、原始仏教から法華経の成立時期の時代背景が、きわめて曖昧で、たとえば現在の6カ月を一年と計算していた時期や地域もあったという説も残存するため、厳密な数字にこだわるのはあまり意味がない。 また、日蓮の時代の背景をみれば、現実に、仏法が日本国に伝来して数世紀の間、国家に保護され、それなりに平安な時代を経た後、次第に武力支配が沸き起こり、武士階級が台頭して貴族階級と対立して行く中で、世の中が乱れ、末法思想が広まり、源平の合戦を経て、鎌倉幕府の時代となっていたのは明らかである。 これらも考慮すれば、少なくとも現実に日本においては、日蓮自身の時代分析の通り、法華経の中で予言された、争いごとが絶えず起こり、従来の釈迦仏法の効力がなくなるという、いわゆる末法の時代に入っていたとみなすことができるだろう。 なお、日蓮の伝記は約200年後の室町時代になってできたものらしく、生誕日については日蓮の遺文にも記載がない。 そこで、周書異記に釈迦が2月15日入滅とあるから、御本仏日蓮の生誕は2月16日でなければならないと、後世の弟子たちが勝手に決めたという説もある。 話を戻す。 1252年秋、遊学から清澄寺に帰った日蓮が見たのは、念仏者である東条景信による、寺への威圧や権益阻害であった。 1252年(建長5年)4月28日、師匠・道善房の持仏堂で、日蓮は、多くの僧たちへ、念仏と禅宗が法華経を誹謗する謗法を犯していると主張し、南無妙法蓮華経の題目を唱える唱題行を説いた。 当時、天台宗の修行として南無阿弥陀仏の称名念仏などと並行して南無妙法蓮華経と唱えることは行われていたが、日蓮はこれを否定し、南無妙法蓮華経の唱題のみを行う「専修題目」を主張し、そして、念仏は無間地獄におちると説いたのである。 立宗宣言の時であった。 これは、念仏者である東条の眼前で題目のみを唱えるものであったから、明らかに彼への挑戦でもあった。 その後まもなく、清澄寺を追われた日蓮は、鎌倉に草庵をかまえ、南無妙法蓮華経を弘めるとともに、鎌倉の人びとと共に過ごすことになる。 日蓮のこの布教期間は、凡夫として大衆の中でその苦悩を共にし、同時にその責任を幕府に問うことにもなっていた。 比叡山が朝廷に対して行ったように、幕府に対しても念仏禁止を呼び掛けた。 同時に清澄寺と連絡を取って東条との紛争にも力を入れていた。 国が正しい宗教を用いることによってのみ、平安が得られる… この考えは、従来の仏教に共通であるが、日蓮の姿は、新たに折伏という手段で、民衆の救済と共に国を変革するという、権力への抵抗であった。 大地震などの天変地異や飢饉・疫病に加え、幕府と朝廷との争い、モンゴルの侵略の危険が、「国難」意識を激しいものにした。 1258年(正嘉2年)、現状分析のため、日蓮は岩本にある天台宗寺院・実相寺に登り、所蔵されていた一切経を閲覧した。このときに出会った日興は、後の重要な弟子となった。 1260年(文応元年)7月16日、日蓮は、「立正安国論」を時の執権:北条時頼に提出して国主諫暁を行った。 この要旨は、時代は末法であり、天変地変・飢饉疫癘・国の乱れは法華経の予言が的中していることに基づき、国が念仏を廃止し南無妙法蓮華経を用いることによってのみ、安泰が得られる。そうでなければ、いまだ起こっていない法華経の予言であるところの、国内の同士討ちと他国による侵略が必ず起こるという予言と諫暁であった。 「汝早く信仰の寸心を改めて 速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり 仏国其れ衰んや」(立正安国論、御書P32) これは当局に完全に無視されたが、呼応したかのように、翌8月27日の夜には、松葉ヶ谷の草庵が多数の念仏者によって襲撃された(松葉ヶ谷の法難)。 この襲撃を危うく免れ、下総国若宮(千葉県市川市)の富木常忍の館に移り、弘教活動を展開した。 二年後の1261年(弘長元年)鎌倉に戻っていた日蓮は、5月12日、大乱の流言が飛び交う中で幕府の一斉取り締まりによって拘束され、伊豆の伊東に流罪となった。 その二年後赦されて鎌倉に戻っていた日蓮は、文永元年(1264年)の秋、母親の病気を見舞うために安房小湊へ帰っていく。 11月11日、天津へ移動中に、かねてから紛争中であった東条景信の軍勢に襲われ、頭部切創・右手骨折の重傷を被った(小松原の法難,鏡忍房や工藤吉隆が殉死)。 その3日後、師匠の道善房が見舞いに来た時、念仏は無間地獄の因である旨、きっぱりと諫言したという。 1268年(文永5年)1月16日、モンゴルの国書が太宰府に到着した。 日蓮は、侵略を予言した「立正安国論」の正しさが証明されたと述べた。当時の幕府は、執権が北条時宗であり、警察権力は侍所の長・平頼綱がにぎっていた。日蓮は彼ら幕府要人の前で、極楽寺良観や建長寺道隆ら主要な僧侶と公場での対決を要求した。だがこれも全く無視された(十一通御書、念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊という「四箇の格言」)。 1271年(文永8年)6月18日より日蓮との雨乞いの勝負に惨敗した良観が、日蓮を亡き者にしようと幕府に告発したが日蓮に反撃されて失敗した。さらに日蓮教団の壊滅を図ろうと、北条時頼・重時の未亡人らに讒言し、陰謀工作したのである。 同年9月10日、日蓮は幕府の尋問を受け、正法を用いないならば内乱と外国侵略は不可避であると、平頼綱に対して諫暁した。 9月12日夕、平頼綱は数百人の兵士を率いて草庵を襲い、日蓮を逮捕した。 平頼綱は日蓮を罪人として鎌倉中引き回し、佐渡国の守護・北条宣時の、依知にある館に「預かり」としたが、その夜半、そこへ向かう途中でひそかに斬首を計画し、龍の口の刑場へと連行した。 「今夜頚切られへ・まかるなり、この数年が間・願いつる事これなり、 此の娑婆世界にして・きじとなりし時は・たかにつかまれ・ねずみとなりし時は・ねこにくらわれき、或はめこのかたきに身を失いし事・大地微塵より多し、 法華経の御ためには一度だも失うことなし、されば日蓮貧道の身と生れて父母の孝養・心にたらず 国の恩を報ずべき力なし、 今度 頚を法華経に奉りて 其の功徳を父母に回向せん 其のあまりは弟子檀那等にはぶくべしと申せし事 これなりと申せし」(種種御振舞御書 御書P913) 以下はこの現代語訳である。 《今夜、首を切られに行くのである。これは私がこの数年の間願ってきたことなのである。この娑婆世界に、数えきれないほど生まれてきた。私がキジとして生まれてきたときは鷹に食われた。私がネズミに生まれた時には猫に食べられた。あるいは私が妻子の敵に殺されたことなど、これらは数えきれないほど多かった。しかし、私は法華経のために一度も命をささげたことはなかった。 私は貧乏の家に生まれたので父母の孝行もできないし、国への恩返しもできない。だから、この機会に、自分の首を法華経に捧げて、その功徳を父母に回向し、残った分を弟子や旦那に配分しようと言っていた》(現代語訳) だが、まさに刑の執行時、江の島の方角から強烈な光り物が現れ、執行人の目がくらみ、恐怖で周囲が退散する事態になって、日蓮は斬首を免れた(龍ノ口の法難)。 「左衛門尉申すやう只今なりとなく、日蓮申すやう不かくのとのばらかな・これほどの悦びをば・わらへかし、いかに・やくそくをば・たがへらるるぞと申せし時、江のしまのかたより月のごとく・ひかりたる物まりのやうにて辰巳のかたより戌亥のかたへ・ひかりわたる、 十二日の夜のあけぐれ人の面も・みへざりしが 物のひかり月よのやうにて人人の面もみなみゆ、太刀取目くらみ・たふれ臥し兵共おぢ怖れ・けうさめて一町計りはせのき、或は馬より・をりて・かしこまり 或は馬の上にて・うずくまれるもあり、日蓮申すやう・いかにとのばら・かかる大禍ある召人にはとをのくぞ 近く打ちよれや打ちよれやと・たかだかと・よばわれども・いそぎよる人もなし、さてよあけば・いかにいかに頚切べくはいそぎ切るべし夜明けなばみぐるしかりなんと・すすめしかども・とかくのへんじもなし。」(種種御振舞御書 御書P913-914) 以下はこの現代語訳である。 《左衛門尉(弟子の四条金吾)は、「今が最期でございますと」言って泣いた。私は、「あなたは不覚者である。これほどの喜びは他にはない。喜びなさい。どうして、あなたは結んでいた約束を破られるのですか」と言った。その瞬間、江の島の方角より、東南から西北へ、ボールのような光が走った。9月12日の夜明け前の暗がりの中で、周りの人の顔すら見えなかったが、これが光って月夜のようになったので、人の顔もみんな見えた。太刀取りは目がくらんで倒れ臥してしまった。兵士たちの中には、ひるんで怖れ、私の首を斬る気を失って、約109mぐらい走り逃げる者もいた。ある者は馬から下りて頭を地面につけ、またある者は馬の上でうずくまっていた。日蓮が「どうしてあなたがたは、これほど大罪のある囚人から遠のくのか、近くへ寄って来い。寄って来い」と、大声で呼びかけたが、誰一人として近くに寄ってこなかった。「こうして夜が明けてしまったならばどうするのか、私の首を斬るなら早く斬れ。夜が明けてしまえば見苦しいだろう。」とすすめたけれども、彼らはなんの返事もしなかった。》 日蓮はその後、依知に1か月滞在中、佐渡流罪と決定され、11月1日、厳冬の中、塚原の三昧堂に配された。当時、佐渡へ流された罪人は誰一人として無事に本土へ帰った者はいなかった。 一方、鎌倉の門下たちは、念仏者たちの讒言などにより約260人が逮捕・監禁、追放、所領没収などの迫害を受けた。日蓮の信者集団は、ほぼ壊滅状態となった。 佐渡での罪人としての扱われ状況は、日蓮がこのように述べている。 「佐渡の国にありし時は里より遥にへだたれる野と山との中間につかはらと申す御三昧所あり、彼処に一間四面の堂あり、そらはいたまあわず四壁はやぶれたり・雨はそとの如し雪は内に積もる、仏はおはせず筵畳は一枚もなし、 然れども我が根本より持ちまいらせて候・教主釈尊を立てまいらせ法華経を手ににぎり 蓑をき笠をさして居たりしかども、人もみへず食もあたへずして四箇年なり」(妙法比丘尼御返事 御書P1413) 《私が佐渡の国で以下はこの現代語訳である。いた時は、人里から遥かに隔たっている野と山との中間に塚原という三昧所があり、そこに一辺の幅が、わずか約1.8mしかない堂がありました。その屋根の板は隙間が多く、四方の壁は破れていたので、雨が降れば外にいるようであり雪は内に積もりました。そこには仏も祀っていず、筵畳は一枚もありませんでした。しかし、以前から持っていた教主釈尊の像を立てまいらせ、法華経を手に握り、蓑を着、笠をさしてしのいでいました。人もこず、食も与えられずして四年の間、そこで過ごしました。》 と、日蓮は述べている。 年が明けてから、諸宗や念仏者たちは日蓮暗殺の絶好の機会と鼻息を荒立てたが、守護代・本間重連は、これに反対し、彼らを日蓮と法論対決させた。 この塚原での問答は日蓮一人の圧倒的勝利に終わった(塚原問答)。 この時に日蓮は本間重連に対し、翌月の鎌倉と京都で北条氏同士の謀反(北条時輔の乱、二月騒動)を予言した。その一か月後、それが見事に的中したため、日蓮は彼の信頼を得た。 この時のことを、日蓮はこう述べている。 「又佐渡の国にて・(頚)きらんとせし程に 日蓮が申せしが如く鎌倉にどしうち始まりぬ、使はしり下りて頚をきらず・結句はゆるされぬ」(前掲書P1412) 以下はこの現代語訳である。 《彼らはまた佐渡の国で、私の首を切ろうとしましたが、私が予言したように鎌倉で同士打ちが始まったので、役人が急いで佐渡にきて、頸を切らず、結局は赦された》 この間に2月に「開目抄」、3月に「佐渡御書」、その秋には一の沢に移った後、翌年10月「観心本尊抄」など、教義の根幹となった重要書を次々と著し、主たる門下へ与えた。 「当世日本国に富める者は日蓮なるべし」(開目抄) 《今の日本で一番富んでいるのは日蓮である》 佐渡での厳苦の中、日蓮は、これらの著の中で、自身の師は教主釈尊であり、自分こそ法華経に予言されている地涌の菩薩、末法の法華経の行者のさきがけ、上行菩薩の再誕であるという自覚に至ったこと、日本の人びとにとって自身は主師親であること、そして種々の受難は、法華経の予言の証明となるだけでなく、自身の前世・今世の法華経誹謗の悪業でもあり、成仏を遂げるため、一気に謗法を責めて今世ですべて罪障消滅するためであると、分析し、懺悔もしている。 そして南無妙法蓮華経という最も重要な本尊の意義・教学を確立したのである。 もとより罪人で、面会も容易でなかった日蓮に、弟子の日興が最蓮房という名で日蓮と接触し、鎌倉と佐渡を往復しながら、紙・筆の調達や情報伝達、教団の存続維持などに尽力したという指摘もある。 最蓮房に対し日蓮は、塚原で2月11日「生死一大事血脈抄」、2月20日「草木成仏口決」(いずれも根本教義の重要書)を与えている。 1274年(文永11年)2月、モンゴル襲来が切迫する中、執権・北条時宗は日蓮の赦免を決定。 4月8日、鎌倉に帰った日蓮は要請を受けて平頼綱に会った。 平頼綱は、丁重に襲来時期を尋ね、鎌倉の一等地に寺院を寄進することを条件に、他宗や幕府と協調して調伏の祈禱を以下のように依頼した。 「今後折伏を歇め(註:止めて)天下泰平を祈らば城西に愛染堂を建て地領千町を寄付して、衣鉢の資に供せん」(富士宗学要集9、P445) しかし、日蓮は、断固として拒絶し、襲来は必ず年内であること、以前と同様の諫暁を行った。(3度目の国家諫暁) 「日蓮答えて云く今年は一定なり それにとつては日蓮已前より勘へ申すをば御用ひなし、譬えば病の起りを知らざる人の病を治せば弥よ病は倍増すべし」(種種御振舞御書、御書P921) 《日蓮は、こう答えた。それは今年中だと定まっている。これについては、以前から貴方達を諫めていたのに、採用されなかった。これは譬えて言うと、病気の原因を知らない人が、病気の治療をすれば、その病気は倍増するようなものだ》 これも受け入れられなかった日蓮は、ついに幕府に見切りをつけた。 「日本国のほろびんを助けんがために三度いさめんに御用いなくば山林に・まじわるべきよし存ぜしゆへ」(御書P927) 《日本の国が滅亡しようとしているのを救おうとして、三回も諫めたが採用されなかったので、山林に交わるべきと分かっていたため》 「命を期として申したりとも国主用いずば国やぶれん事疑なし、つみしらせて後用いずば我が失にはあらずと思いて」(御書P1412) 《私が命を捨ててまで申し上げても、国主が採用しないから、国が敗れることは疑いない。何回も知らせたのに、結局、採用しなかったのは、私の咎ではない》 そして、日興の折伏で門下になっていた地頭・波木井実長の要請もあって、甲斐国身延(現在の山梨県身延町)に入った。 そこは厳しい僻地であった。 「其の中に一町ばかり間の候に庵室を結びて候 昼は日をみず夜は月を拝せず 冬は雪深く夏は草茂り問う人希なれば道をふみわくることかたし、殊に今年は雪深くして人問うことなし命を期として法華経計りをたのみ奉り候」 (御書 P925) 《私はそのなかに100mほどの空地(谷間)があるところに庵室を構えた。(谷間であるため)昼は日を見ず夜は月を拝せず、冬は雪深く夏は雑草が茂り、訪ねてくる人もまれなので道を踏み分けることも難しい。殊に今年は雪が深くて人が訪ね来ることがない。そのため死を当然と心得て法華経だけを頼み奉って暮らしていた》 「爰に庵室を結んで天雨を脱れ・木の皮をはぎて四壁とし、自死の鹿の皮を衣とし、春は蕨を折りて身を養ひ秋は果を拾いて命を支へ候つる」(御書P1078) 《ここに庵室を造って雨を避け、木の皮をはいで四方の壁とし、自然に死んだ鹿の皮を衣とし、春は蕨を折って身を養い、秋は果実を拾って命を支えてきた》 このように清貧を貫きながら、日蓮は後世の育成とともに、法門確立のための著作活動を持続した。 日蓮がこうして「山林に交わる」のを選択した背景として、モンゴル襲来に備えたとの見方もある。 モンゴルは日蓮の予言通り、半年後、冬入りの10月、3万人を超える船団で襲来し、壱岐・対馬は壊滅、大宰府も深刻な被害を受けた。 日蓮は壱岐・対馬の惨状を「男はみな殺されあるいは生け捕りにされ、女は手の平に穴をあけてそこへ綱を通され、船に結いつけられた。一人も助かるものはなし」と記している。 しかし、たまたま海上に集合していたモンゴル船団は、偶然にも季節外れの台風に襲われ、ほとんど全滅した。(文永の役) 一方、日蓮は身延において国の安泰を祈願する中、法華取要抄、撰時抄、報恩抄などの他、多くの書簡や法門書を執筆し、文字曼荼羅本尊を図顕して門下を教導した。 こうした中、弟子の日興を中心に富士方面で活発な日蓮仏法の弘教が展開され、日興が供僧をしていた四十九院や岩本実相寺、龍泉寺等の天台宗寺院で下級の僧侶や近隣の農民らが次々と日蓮門下となる。 これに対し、北条得宗家と結びついた各天台宗寺院の住職らは、その住僧らを追放するなど、次第に日蓮門下と寺院との階級闘争が激化していった。 1279年(弘安2年)9月21日、抗争が頂点に達し、稲の収穫をめぐって20人の農民信徒が捕えられて鎌倉に連行され、平頼綱の取り調べとなった。 これまでの日蓮教団の構成は、主に自身と面識のあった下級僧と武士階級であったが、この事件は、自身とは何の面識もない一般農民階級へも浸透したという、大きな質的変革の現れであった。 日蓮はこの事実を知り、10月1日の書簡(聖人御難事)で自身の生涯の目的(出世の本懐)を遂げたと述べ、現地の日興、四条金吾らに、迫害に対する覚悟、農民信徒の励ましなど、一切の指揮を指示した。 「各各師子王(註:ライオンの王様)の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ…中略…彼のあつわらの愚癡の者ども・いゐはげまして・をどす事なかれ、彼等にはただ一えんにおもい切れ・よからん(註:良い結果)は不思議、わるからん(註:悪い結果)は一定とをもへ、ひだるしとをもわば餓鬼道ををしへよ」(聖人御難事、御書P1190) 《各各はライオンの王の心をふり出して、どのような人が威嚇しても、決して恐れることがあってはならない。……かの熱原の信心微弱な者たちには、強く激励して、おどろかしてはならない。彼らには、ただ一途に決心させなさい。善い結果になるのが不思議であり、悪い結果になるのが当然と考えさせなさい。そして空腹にたえられないようだったら餓鬼の道の苦しみを教えなさい。》 平頼綱は、農民たちに南無妙法蓮華経の題目を捨てよと迫り、厳しい拷問を行ったが、彼らはこれに屈せず題目を唱え続けたため、ついに10月15日、3人を斬首し、残り17人を追放処分とした。(日蓮正宗要義P202)(熱原の法難) 一方、1281年(弘安4)年5月~7月、モンゴルは二軍に分かれて再び来襲、うち、東路軍が対馬・壱岐に上陸し住民を殺害した後、北九州に上陸、一方、江南軍はのちに東路軍と、7月初旬に平戸島付近で合流した。 大宰府はほぼ陥落状態だったが、閏7月1日、モンゴル軍は、海上に集合していたところをまたもや台風に襲われ、壊滅状態となって撤退した。(弘安の役) 身延において日本の安泰を祈り続けていた日蓮は、門下に対しては、自らの予言が的中したこれらの襲来については、語るべきではないと戒めている。 なお、鎌倉幕府の体制は、この二度の襲来によって大きく揺らぎ、その後の滅亡の根本原因となった。 また、日蓮やその教団を直接迫害した張本人・平頼綱は、その後謀反の疑いによって一族ごと滅ぼされたとも伝えられている。 幕府に見切りをつけていた日蓮は、この年、「園城寺申状」を作成し、日興を代理として朝廷への諫暁を行った。 後宇多天皇は「朕、他日法華を持たば必ず富士山麓に求めん」との下し文を日興に与えたという。 こんな中、日蓮は、身延に入って3年後あたりから、時に下痢症で四条金吾の治療を受けていたが、その胃腸病が散発・段階的に進み、次第に痩せが進行する。 この時、日蓮の草庵は、林の木を切って立てた柱が倒れかかり、壁が一部崩れても修復されないままであったが、ついに門下の助けを受けて1281年(弘安4年)に改修され、10間四方(註:約18m四方)の坊となったばかりであった。 1282年(弘安5年)の秋には、厳冬の身延では年越しが困難と思われるくらいに衰弱していた。 そこで、門下の勧めもあり、温泉治療を行う闘病のため、9月8日、常陸国(茨城県)へ向け、重い体で旅立ったのである。 馬上の日蓮の一行は、信仰が篤くて法難のあった駿河・富士方面を避け、あえて難路である、当時の富士川の急流を北上、鰍沢付近から御岳山系の北麓を東へ進み、御坂峠、河口湖・山中湖畔から三国峠、更に足柄峠を越え、箱根を経由して、18日に武蔵国荏原郡(東京都大田区)にある池上邸に到着したが、ついに衰弱のため、移動不可能となった。 9月25日、四条金吾、大学三郎、南条時光、富木常忍、大田乗明など、集ってきた門下を前に、柱に身を支えて「立正安国論」の講義を行った。 10月8日には重体ながら、日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持の6人を本弟子(六老僧、順不同)と定めた。 10月13日、多くの門下に見守られながら、最後の最期まで戦いの連続であった、自身の60年にわたる生涯を終えたのである。 ■日蓮は、あくまで正しい南無妙法蓮華経という「法」に「身命」を捧げた ここで最も重要なことを確認しておきたい。 日蓮は、あくまで正しい法華経、南無妙法蓮華経という「法」(の流布)に「身命」を捧げたのである。 それは決して、特定の仏(釈尊や阿弥陀仏等)や人(権力者や先師)ではない。 まして、権力や富や名声などではない。 そして、これらに臆したり屈することなく、悠然と法難を耐え忍んだのである。 あくまで正しいと確信する「法則」に頚を捧げたことにある。 そしてなお加えれば、その法則に反する「謗法」の者や権力から、一切の布施を拒絶し、生涯にわたり清貧を貫いていることである。 清貧の中、雨風突抜の草庵でしたためた曼荼羅はすべて手書きであり、門下から供養された一体の小さな釈迦像を大切に携帯していたとはいえ、仏師を必要とするような大きな板マンダラ等、大がかりなものは一切所持していなかったのである。 これらの事実は残された正しい文献等の研究によって明白なのである。 日蓮が示したこの前提、仏法者の模範としての姿は、800年近くたった現在においても厳然と光り輝き、語り継がれているのである。 そして、その後の歴史や、様々な偽書や伝説を捏造しながら我こそは正統であると主張する後世の態度を比較検討するため、本稿にて、以上のことを何度も何度も繰り返し確認・後述することになることを、ご了承願いたい。 そして、当然の如く、師弟不二(師弟一体)、血脈を検討するには、その内容である法、師弟観、本尊観、成仏観などをきちんと把握しておく必要がある。 ■日蓮の、在世の師 俗世においては、日蓮の師は道善房である。 義浄房・浄顕房にあてた善無畏三蔵抄で、日蓮は1270年までの半生を簡潔に回顧し、そのすべては、虚空蔵菩薩の利生と師・道善房の賜物であると述べ最終章で、師の報恩を語っている。 「亀魚すら恩を報ずる事あり何に況や人倫をや、 此の恩を報ぜんが為に清澄山に於て仏法を弘め道善御房を導き奉らんと欲す」(御書P888) 《亀ですら恩を報ずることがある。ましてや人間においてはなおさらである。 この師恩に報いるために清澄山において仏法を弘め、道善御房を導こうとしたのである。》 以下、通解する。 《しかし、この人は愚癡な上、念仏者である。とても三悪道は免れない。さらに教訓を受け入れてくれる人でもない。 文永元年11月14日(小松原で受傷3日後)西条華房の僧坊にてお会いした時、「私は智慧がなく、年老いて、地位を望んだり名聞を求めず、念仏の名僧をも師匠に立てない。単に世間に弘まっているだけで、南無阿弥陀仏と申しているだけなのである。また、本心ではなく、何かの縁で、阿弥陀仏を五体までもお作りした。これも、過去の宿習だろう。その罪によって地獄に堕ちるであろうか」という。 師とあえて仲違いするつもりはないが、東条左衛門入道蓮智の事件によって、この十余年の間は、結局対立しているようなものだから、穏便の義をもって申し上げることこそ礼儀であるとは思ったけれども、生死の世界の習いは老少不定である。また二度とお会いすることも難しい。私は、この人の兄の道義房義尚に向かっても無間地獄に堕ちるべき人と言ったが、臨終はやはり思うようでなかったらしい。この人もまたそうなるだろうと哀れに思ったから、思い切って強く、このように申し上げた。》 「阿弥陀仏を五体作り給へるは 五度 無間地獄に堕ち給ふべし」 《あなたは阿弥陀仏を五体も作られたので 五度 無間地獄に堕ちることになる》 《その理由は、正直捨方便と言われて説いた法華経には、釈迦如来は我らの親父、阿弥陀仏は伯父であると説かれている。我が伯父を五体までも作り供養しながら、親父を一体も造らないのは、まことに不孝の人としかいいようがない。 山人や海人などのように、東西を知らず、一善をも修しない者の方がかえって罪が浅い者なのである。 今の世の道心ある者が後世を願いながら、法華経・釈迦仏を打ち捨てて、阿弥陀仏・念仏などは一瞬も捨てずに念じているのは、どうしたことだろうか。 一見、善人に見えるけれども、親を捨てて、阿弥陀仏・念仏などは一瞬も捨てずに念じているのは、どういうものであろうか。善人に見えるが、親を捨てて他人につく過ちは免れるとは思えない。 全くの悪人は、いまだ仏法に帰依していない一方で、釈迦仏を捨てる過ちはない。縁があれば信ずることもあるだろう。 善導・法然、ならびに今の世の学者等の邪義について、阿弥陀仏を本尊としてひたすら念仏を唱える人々は、多生多くの劫を経たとしても、この邪見をひるがえして釈迦仏・法華経に帰依するとは思えない。 だから、釈尊が沙羅双樹の下で最後に説かれた涅槃経には、十悪・五逆よりもはるかに恐ろしい罪の者を述べている。その人たちは、謗法闡提といって、二百五十戒を持ち三衣一鉢を身に纒っている智者達の中にこそいると説かれております。 このように詳細に申し上げても、この人も傍にいた人々も、よく理解できない様子であったけれども、その後承ったところでは法華経を持ったようになった旨聞いたので、邪見を翻されたのであろうか、善人になられた、と悦んでいた上、この釈迦仏を造られた事は、言葉でいえない喜びである。 その場は厳しいようだったが、法華経の文の通りに説いたので、このように心を従われた。 忠言耳に逆らい良薬口に苦しという事のはこれである。 今やすでに日蓮は師の恩を報じた。 きっと仏神もこれを受けてくださるだろう。このことを道善房に申し聞かせてください。 たとえ強言であっても、人を助ければ実語・軟語である。 たとえ軟語であっても、人を誤らせたら妄語・強言である。 今の世の学者等の法門は軟語・実語と人々は思っているが、すべて強言・妄語である。 仏の本意である法華経に背くからである。 日蓮が「念仏を申す者は無間地獄に堕ちる。禅宗・真言宗もまた邪な宗である」などというのは強言のように思えるが、実語・軟語なのである。 例えばこの道善御房が法華経を信受して釈迦仏を造られた事は、日蓮の強言から起こったのである。 日本国の一切衆生もまた同様である。 今の世でこの十余年以前までは、もっぱら念仏者であったが、今では十人のうち一・二人は一向に南無妙法蓮華経と唱え、二、三人は両方唱えるようになり、また一向に念仏を申す人も疑いを抱いて、心の中では法華経を信じ、また釈迦仏を書いたり、造ったりした。 これもまた日蓮の強言から起こったのである。 たとえば栴檀は伊蘭より生じ、蓮華は泥より生え出てくるようなものである。 しかるに「念仏は無間地獄に堕ちる」と言ったことに対して、今の世の牛馬のような智者達が日蓮が法門をかりそめにも毀る姿は、糞犬がライオンの王を吠え、癡かな猿が帝釈と呼ばれる天の神を笑うのに似ている。》 日蓮が、同じく義浄房・浄顕房へあてた、安房の清澄寺における故道善房追善のため、身延で著した報恩抄(御書P323)には、 「故道善房はいたう弟子なれば日蓮をば・にくしとは・をぼせざりけるらめども」《故道善房にとっては、日蓮はかわいい弟子であるから、憎いとは思わなかったであろうけれども》とある。 続いて、彼のことを、詳しく述べている。 以下、要約をすれば、 《きわめて臆病で、地頭の東条景信や謗法の円智・実成の脅しを恐れ、清澄山の住職に執着し、最愛の弟子たちまでも捨てた人であるから、後生はどうなるのか、 一つの幸いは、彼ら3人が先に死去したため、少しは法華経を信じた、が、これは喧嘩後のちぎれ棒、真昼の灯火のように、何の役にも立たない。 普通では、どんなことがあっても自分の子や弟子は、不便と思うが、その弟子の日蓮が佐渡の国まで流罪されたというのに、故道善房は、一度も来てくれなかった。これでは法華経を信じたということにはならない。 それにつけても、自分は道善房を心から師匠と思っていたので、亡くなったと聞いたときには、火のなかをくぐり、水の中にも沈んで走っていき、お墓をたたいて、法華経一巻を読誦してあげたいと思ったが、(今、自分が身延にいるのは)賢人のならいとして、遁世とは思わないが、世の人々はみな遁世と思っているだろうから、ここでわけもなく身延を出て墓へ行ったら、結局、自らの志をまっとうできなかったと、人々は日蓮を非難するだろう。 ゆえに、どんなにお墓に参上したいと思っても、ここでは行くべきではない。》 また、引き続いて、 《あなた方、浄顕房・義浄房のお二人は、日蓮の幼少の時の師匠であった。 日蓮が東条景信に狙われて、清澄山を出るとき、あなた方二人がかくまってくれ、ひそかに道案内して無事に逃がしてくださったのは、まことに天下第一の法華経のご奉公である。それによって、あなた方二人の後生の成仏は疑いないことである》 と、述べている。 報恩抄には、真の報恩について述べられている。以下のように、依法不依人も言及されている。 《凡夫は、いずれの師であっても、信ずるには不足がない。人々はただ、それぞれ最初に信じた教えを仰いで、当然と思っている。 けれども、それでは日蓮自身の疑いは晴れない。…中略… 涅槃経に「法に依つて人に依らざれ」とある。「依法」の法とは一切経のことであり「不依人」の人とは、仏以外の普賢菩薩・文殊師利菩薩とか、その他、諸宗の人師たちのことである。 この涅槃経は仏の最後の説法であり、仏の遺言の教えである。 この仏の遺言を信ずるなら、ただ法華経を鏡として、一切経の真髄を知る以外にない。 法華経の最勝は明々の理であるのに、諸宗は法華経に勝れたりと立てている。仏法は道理である。大道理から見るならば、みな諸仏の大怨敵であり。それは、釈尊を殺そうとした提婆達多や瞿伽梨尊者等も問題ではなく、大天・大慢バラモン以上の大悪逆である。このような誑惑の師を信ずる人々もまた、恐ろしいことである …中略… そうして、文永十一年五月の十二日に鎌倉を出て、この身延の山にはいった。 私は、ただひとすじに、父母の恩・師匠の恩・三宝の恩・国の恩を報ぜんがために、命もなげうったのである。 私はなお殺されることもなく、今日にいたる。 また、賢人の習いとして、三回国をいさめて用いられなかったならば山林にまじわれと、これは昔からの定例である。》 報恩抄は、前述の如く釈尊から当時の日本への仏教史(小乗対大乗、権経対実経の争いなどにも言及)から、、法華弘通による自身への迫害等もあげ、真実の教えと師弟の伝搬、諸経の勝劣を明らかにし、真の報恩とは、真実の教えを広めることであると、理路整然と述べている。 その内容については、他の著書にゆずるが、結びの言葉が、とくに感慨無量である。 「されば花は根にかへり真味は土にとどまる、此の功徳は故道善房の聖霊の御身にあつまるべし南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。」 《されば花は根に返り、菓は土に留まる、この功徳は、道善房の聖霊の御身にあつまるであろう。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。》 これらは、日蓮の信念、俗世の師弟観、仏教観を知る上で、重要な文献である。 以上のように、日蓮が認めた俗世における師匠は道善房であった。 だから、師への報恩として、師の誤りを糺したのである。 日蓮の教えに忠実に従うならば、たとえ師匠であっても、法に背けば、これを糺すことが求められている。 さて、名文をさらにあげよう 華果成就御書である。短いので、全文を引用してみる。 「其の後なに事もうちたへ申し承わらず候、 さては建治の比・故道善房聖人のために二札かきつかはし奉り候を嵩が森にて よませ給いて候よし悦び入つて候、 たとへば根ふかきときんば枝葉かれず、源に水あれば流かはかず、火はたきぎ・かくればたへぬ、草木は大地なくして生長する事あるべからず、 日蓮・法華経の行者となつて善悪につけて日蓮房・日蓮房とうたはるる 此の御恩さながら故師匠道善房の故にあらずや(註:道善房の故である)、 日蓮は草木の如く師匠は大地の如し、 彼の地涌の菩薩の上首四人にてまします、 一名上行乃至四名安立行菩薩云云、 末法には上行・出世し給はば安立行菩薩も出現せさせ給うべきか、 さればいねは華果成就すれども必ず米の精・大地にをさまる、故にひつぢおひいでて二度華果成就するなり、 日蓮が法華経を弘むる功徳は 必ず道善房の身に帰すべし あらたうとたうと、(註:とても尊い・尊い) よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・ あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、 師弟相違せばなに事も成べからず 委くは又又申すべく候、 常にかたりあわせて出離生死して 同心に霊山浄土にてうなづきかたり給へ、 経に云く「衆に三毒有ることを示し 又邪見の相を現ず我が弟子是くの如く方便して衆生を度す」云云、 前前申す如く御心得あるべく候、穴賢穴賢。 弘安元年戊寅卯月 日 日蓮花押 浄顕房 義浄房」 この現代語訳は以下である。 《その後は何事もうかがわないが、お変わりないですか。 去る建治のころ、故道善房聖人のために報恩抄二巻、書き送り差し上げたのを、嵩が森というところで読まれたことを、大いに悦んでいる。 たとえば根が深ければ枝葉は枯れず、源に水があれば流れが涸れることがない。 火は薪がなくなれば消える。草木は大地がなければ生長することができない。 日蓮が法華経の行者となって、善悪につけて日蓮房・日蓮房とうたわれること、この御恩はさながら故師匠道善房のおかげではないか。 たとえば日蓮は草木のようであり、師匠の道善房は大地のようなものである。 法華経従地涌出品で出現された『地涌の菩薩』に四人の上首がいる。 経には「第一を『上行菩薩』と名づけ、乃至、第四を『安立行菩薩』と名づく」と説かれている。 末法の世に上行菩薩が出られるならば安立行菩薩も出現されるはずであろう。 稲は花を咲かせて果を実らせても、米の精は必ず大地に還る。故に一度刈り取った後に芽が出てふたたび花や果を結ぶのである。 日蓮が法華経を弘める功徳は必ず道善房の身に帰るであろう。 本当に貴い貴い。 よい弟子をもてば師弟はともに成仏し、悪い弟子を養えば師弟ともに地獄に堕ちるといわれている。 師匠と弟子の心が違えば何事も成就することはできない。 委しくはそのうちに申し上げる。 つねに語り合って生死を離れ、同心に霊山浄土に行ってうなずき合ってください。 法華経の五百弟子受記品第八に「衆生に貧・瞋・癡の三毒があることを見せ、また邪見の相を現ずる。我が弟子はこのように方便をもって衆生を救済する」と説かれている。 前々に申し上げたとおり、よく心得ていきなさい。穴賢穴賢。 弘安元年戊寅卯月 日 日蓮花押 浄顕房 義浄房》 ここでは、前述の報恩抄と同様、師匠の道善房への恩が述べられている。 さらに、三世永遠の生命観にたった、上行菩薩としての自覚、その上で、師匠の道善房を、安立行菩薩へたとへ、大自然の摂理にたとえて、 「日蓮が法華経を弘める功徳は必ず道善房の身に帰るであろう。 本当に貴い貴い」 と、讃嘆されている。 そして、「衆生に貧・瞋・癡の三毒があることを見せ、また邪見の相を現ずる。我が弟子はこのように方便をもって衆生を救済する」姿が、まさに師の道善房であった。 さらに、 「よい弟子をもてば師弟はともに成仏し、悪い弟子を養えば師弟ともに地獄に堕ちる。師匠と弟子の心が違えば何事も成就することはできない。」 この師弟観は、創価学会や日蓮正宗に捉われるのではなく、教団の縛りを超えて団結せよという、各々の日蓮信者に共通した、肝に銘ずべき内容である。 このことは本稿の重要な趣旨であるので、以後のページでも、何回となく確認しながら、筆を進めていく。 なお、このページは、2021/04/29のアメブロへの投稿を、2024/02/27に改訂・更新したものです。原文のリンクは以下にあります。 https://ameblo.jp/raketto-chan/entry-12671334746.html?frm=theme
- P02, 釈迦在世の師弟不二(師弟一体)、法華経に説かれる久遠実成の釈尊
このページは ☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」での、 P02, 釈迦在世の師弟不二(師弟一体)、法華経に説かれる久遠実成の釈尊 です。 ■釈迦在世の師弟不二(師弟一体) 人間、ゴータマ・シッダルタ(釈迦、現世の釈尊、以後、釈迦と略す)は、紀元前566年頃~紀元前486年頃、インドの釈迦族の王:浄飯王と王妃:摩耶夫人の王子として生まれた。摩耶夫人は、彼の出産後7日後に亡くなった為、妹の摩訶波闍波提に養育され、何不自由なく豊かな生活環境の中で生活していたが、四門遊出を機に、29歳の時、愛する妻:耶輸陀羅、幼い息子:羅睺羅を捨てて城を抜け出し、出家の道に入る。(方広大荘厳経) 跋伽婆(バッカバ)、阿羅邏(アララ)、鬱頭藍弗(ウッダカ)に師事し、35歳、菩提樹の下で悟りを得た。 最初に、かつて指示していた師匠に悟りの内容を話そうとしたが、すでに死去していたため、釈迦は五人の沙門に対して、四諦と八正道を説いたのをはじめとして、80歳で入滅するまで40年余りにわたり、インド諸国を伝導した。 バラモン教の凡我一如を否定し、諸法無我を説いた。また、中道、四諦、八正道などと説いた。 諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽は、有名な詩句である。 これらは、当時人々を生老病死で悩ましていたカーストの最高位におけるバラモンの教えを排し、あらゆる束縛から離れて豊かな人としての振舞いを示した修行道と言える。 釈迦のその後の伝導については、古来から多くの様々な謬説が存在してきた。 (死亡時期についてはチベット伝説:紀元前(以後BCと略す)2422年、法顕伝:BC1008年、周書異記:BC949年、衆聖点記:BC485年、また北伝仏教(漢訳四阿含など)と南伝仏教(パーリ経典)で100年以上の差がある等々) 弟子たちがその舎利を分骨して埋めた古墳の発掘を、近年の研究、現代科学からみると、紀元前数世紀とされ、ピプラーワ古墳の発掘解析からはBC463年頃、2013年、ルンビニで発見された紀元前6世紀の仏教寺院の遺構によれば、釈迦はBC6世紀以前の人となる。 釈迦の生前では、仏とは悟りを得た者であって、超越者・絶対者ではなく、深い慈悲と優れた智慧をもって具体的に生老病死を乗り越えていく人への尊称であり、これを師として弟子たちは托鉢などの仏道修行を行なっていた。 釈迦の教えは、当時の未発達な文化的背景のため、文字ではなく個人の記憶や暗唱を頼りとして受け継がれた。 釈迦の死後も、弟子たちが各自の伝聞にもとづき聖典の編纂がなされた。 死後まもなくのものは、王舎城郊外に500人の比丘達が集まり、最初の結集が開かれた(王舎城結集)が、それも合誦による記憶の確認作業であった。 とてつもない労作業だっただろうが、現代でいえば大規模な「伝言ゲーム」である。 その後、伝承過程で文明の発達とともに次第に文字として記録され、さまざまな経過のもとに「パーリ五部経典」(南伝仏教)「漢訳四阿含経典」(北伝仏教)などを残した。 直説としての仏典として、学問的吟味に耐えるものは、これぐらいである。 その後、これに対して、 仏滅後100年頃、アショーカ王時代の仏典結集、 仏滅後200年、南伝、第3代アショーカ王(阿育王)時代の仏典結集、また、 紀元後2世紀頃、カニシカ王による、北伝、説一切有部の伝承などがある。 これは、本来、釈迦の悟った仏教は、万人の救済のためにあるとの論に発展したからだろう。 仏滅後100年以降の仏典結集には、般若、法華、涅槃の経典も、これに含まれている。 これは、初期の仏教が、修行を目ざして出家した一部の人のみしか救済できない(成仏への船に少しの人しか「乗る」ことができない)として、「小乗仏教」と批判的に呼ばれた。 そして、自分たちの伝える仏教は、万人が救済の船に乗るためにある「大乗仏教」とした。 近年、これらは、釈迦の本来の教えとはかけ離れていて、後世の思索による合作であるという、大乗非仏説論が主流となっている。 遺骨に限らず経典すべてにわたり、科学が未発達であったころの言い伝え・書き写しであるから、完全な客観性は期待できないが、少なくとも、2500年程前の前後頃に確かに実在した人物である。 そして、その考古学的研究は、今もなお多くの学者によって研究され続けている。 当然に、未発達な文明、制限された範囲の小規模な活動の中での理論は、現代の科学水準・学問的水準と比較すれば、前近代的な要素か濃厚であって、それらの真偽は客観的に再検討を要することは自明である。 けっして鵜呑みにすべきことではない。 まして、非科学的な、神話レベルの論や主張を、本気になって振りかざしてオルグするのは、社会的にも非難に値するだろうし、まともに取り扱うこと自体、科学的にも馬鹿げている。 この2~30年の間に、民間レベルでのGPS精度は秒単位cm単位にまで向上した。 通信技術は5Gの時代を迎えている。 科学と宗教は、過去の悲惨な歴史の教訓から、概ね、世界的にはお互いに領域を侵襲しないことが暗黙の了解となっているが、地球環境破壊などの迎えている人道的危機に科学技術が、本気を出して対処すれば、それを乗り越える役割をになうかもしれない宗教の、根幹となっている理論や歴史的根拠に対しても、例えば釈迦の生没年月日や経典類の真偽なども、遺骨の科学鑑定などでピンポイントで特定できるようになるだろう。 だから、これらの説も、あくまで現在における暫定的論理としてみなしておくべきである。 さて、釈迦は親を捨て、妻を捨て、生まれて間もない子供を捨てて出て行った。 当時の社会環境にもよるが、今の日本の社会で言えば、家族構成によっては親棄て、結婚破棄、育児放棄であろう。 これを実行したら、成道しても、世間から激しいバッシングを受けるだろう。 だから、成道した釈尊に、はたして仏の三徳といわれる主師親が本当に具わっていたかどうかは、再検討の余地が十分あると思われるが、滅後相当の期間が過ぎた後に編纂された仏典からは、後世によってつくられ賛嘆された内容を信じるほかはなく、完全な科学的検討など不可能に近い。 事実としては、釈迦は悟りを得て、師を乗り越えたと評価すべきだ。 その後の布教・先導は、八万宝蔵といわれる、仏典によって讃嘆されているし、今なお人類に貢献すること莫大であって、大いに賛嘆に値する。 しかし、いかに美化・正当化しても、罪業は罪業である。 師を乗り越えたといっても、師と同じ境涯(たとえば主師親の三徳を具えた仏)になっても、あくまで弟子は弟子であって、師匠ではない。 当時の主な思想では、釈迦以前からインド社会をつかさどるカースト制度最上であるバラモン教の根本原理が、梵我一如であったらしい。 梵我一如とは、梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること(吹田隆道 『ブッダとは誰か』2013年P41-44)であり、ヴェーダにおける究極の解脱とは、この個人の実体としての我が、宇宙に遍在する梵と同一であることを悟ることによって、自由になり、あらゆる苦しみから逃れることができるとする。(wikipedia,梵我一如) ここから輪廻思想が出ている。、 現世の釈迦は、こうした師事した3師の教え(上記の梵我一如をめざしたバッカバの苦行、アララの無所有処定、ウッダカ非想非非想処定)を自ら破り、真の悟りではないと否定し、諸法無我・諸行無常を唱えたのだから、批判的に見れば、悟ったといっても明らかに「師敵対」の輩(俗世の師匠に敵対する輩)である。 当時のバラモンたちからの視点でも、現在もそうかもしれない。説法を拒否されたことも多々ある。 始めのはじめ、仏法の創始者からして、こうなのである。 当初から師弟の道、師弟不二(師弟一体)など、あろうはずがないではないか。 余談になるが、仮に今の私が釈迦と同様の年齢である26歳で、一方的に家を出て妻や乳児を捨て、行方不明になり、分けも分からない新興宗教団体に出家をすれば、いかに大義名分が立派であって、その後成功を収めたとしても、当時の結婚の一方的破棄、育児放棄の誹りは免れないだろう。 更に余談になるが、「宇宙即我、我即宇宙」とは、獄中で白文の法華経を読んで「仏とは生命なり」と悟達した、創価学会第二代会長戸田城聖の、悟達の一部であるといわれている。 「宇宙即我、我即宇宙」とは、まさしく「梵我一如」である。 ■法華経に説かれる久遠実成の釈尊 さて、釈迦の死後約500年以上経過し、いくつかの仏典結集を経た以降、数世紀にわたって大乗仏教の経典が作り上げられた。 その流れはインドや中国の行者(竜樹、鳩摩羅什等)をへて中国の法相宗や華厳宗など南都六宗、天台智顗などにより体系化された。 とりわけ天台智顗の法華玄義、法華文句、摩訶止観は有名である。 彼は法華経を中心に独自の形而上学的教学を形成した。 仏教全体を体系化した五時八教の教相判釈や、生命についての一念三千の法理である。 それが伝教(最澄)によって日本に伝えられ、比叡山延暦寺の天台宗となり、日本における仏教文化の源となった。 鎌倉時代、日蓮が得度した清澄寺も、その末寺の一つであった。 かつて、近代にいたるまでは、仏教のすべての経典は釈迦の真説とみなされていて、聖徳太子以降、それぞれの宗派の開祖たちも同様、13世紀の日蓮もその信念で論を展開していた。 現在でも、天台をはじめとした法華系、日蓮系の教団は、科学的成果に目を背けて自宗の正当性を主張し、一方では、大乗非仏説論を取り入れながらこれらを批判する宗派もある。 「大乗仏教経典は、初代の仏弟子たちによって結集されたものではなくて、それ以後の時代の生産に属するものなのである」(増谷文雄「仏教百話」、など) 「法華経が経典として成立した年代も大体仏滅後四、五百年であろうと思われる。勿論、日蓮聖人の時代にそのようなことがわかっていたわけではないから、古来の説の通り、法華経は釈尊が晩年になって説いた経であるとされている。それが今日の学問では、釈尊の仏説そのものではないと解されるようになった」(里見岸雄「日蓮その人と思想」) 「日蓮宗の法華経は紀元一世紀から七百年頃にかけて、多くの人々によって書かれているから、これらは皆釈迦の説いたものではないのである」(道籏奏誠「仏僧より教師へ」) 以上あげた説、いわゆる「大乗非仏説論」は、現在においては、法華系の宗教をはじめ、大石寺門流や創価学会の宗教体系の土台を根底から覆すものである。 彼らは、たとえ後世の著作でも、法華経こそが釈迦の最高の教えなのだと主張する。 しかし、他の系統でも同様の主張をするので、結局、水掛け論に終わるほかない。 そこで、依法・不依人の原則に立てば、仏説であろうとなかろうと、その作者が後世であろうと誰であろうと、内容が真実であれば一向にかまわないのであって、あくまでその内容の真偽を、客観的に実証するべきであることは言うまでもない。 信仰は本来主観的なものだから、科学で客観的には証明不可能な上、客観的でなければ信仰が崩れるわけでもない、これこそ本来の教えだというのは一方的な主張であって、他の系統の教団には通用しない… というのが一般常識と思われるが、 主観(一念)は必ず言動・行動として具体的に出てくるので、それ自体が客観的な科学的研究の対象になる。 事実、多くの困難はあるが、脳科学や行動経済学などは、この考え方によって研究され、一定の成果をあげている。 天台の確立した一念三千の理論や、日蓮の主張する即身成仏については、盲説も多く存在するが、依法・不依人の原則にたった検討によっては、現在においても十分に科学的・哲学的検討に耐えうる真実性があろう。 さて、話をもどして、法華経は多人数の後世の合作なので、これぞという決定的な訳本はない。 現在ではサンスクリット語からの直訳本も出ているが、当時、天台や日蓮が使い、日本でも主流だったのは、5世紀の鳩摩羅什訳である。 訳者の主観がかなり入っているという指摘もあるが、その構成は28章(28品)、7万字近くに及ぶ、主に偈(漢詩)という美しい文体で綴られている。 この経の前置きとして「四十余年 未顕真実」(それまでの40年余りの説法では、いまだ真実をあらわしていない)や、「正直捨方便 但説無上道」(正直に今まで説いた方便を捨てて、ただ、無上の道を説く)などがある。 本編に入り、前半では、霊鷲山(仏教の聖なる山)において、まず釈迦が弟子たちに長広舌を天までふるい(舌が長いほど真実の度合いが高い、つまり、絶対に真実であるとの証明)弟子たち一切衆生の賞賛のもとに、数種の比喩や宝塔の出現に至る。 その基調は第2章(方便品)にある「諸法実相」である。 森羅万象はすべて「真理」に意義付けられ、この娑婆世界(現実世界)も、実は仏国土である。 それまでは女性や学者は修行しても成仏できないとされていたが、法華経に至っては、真理を悟って仏になることはだれでも可能と保証する。 つまり地獄や餓鬼道に堕ちたもの、動物や女性も学者も菩薩も、そして地域独特の悪魔や鬼、天の神々に至っても、すべてに成仏を保証する。 その方法は法華経にこそ始めて記したから、外道や以前の方の教えに迷わず、迫害にも屈せず、法華経を広めよと説く。 その後、その場の聴衆がすべて、大地をはるか彼方に見下ろすようなほどの空中に浮かびあげられ、眼前に荘厳な宝塔が出現する。その中で釈尊と多宝仏が、この法華経こそが真実であると保証する。 海のない内陸のインドの山奥での世界から、突然、現在でいう宇宙空間での儀式となっている。 今風にいえば、壮大なSF小説である。 後半では、第15章、釈迦の死後に法華経を広めるのは誰かという問題に対し、その場にいた菩薩たちが我こそと名乗りを上げたが釈迦がこれをすべて拒否し、永遠の昔から釈迦の弟子であったという菩薩たちを召喚する。 すると、夥しい数の菩薩たちが、はるか下に見下ろす地底から湧き出るように出現した。 そして、一人ひとり順番に、釈迦の前で挨拶・合掌をして、並んだ。 これには悠遠な期間が経過したが、その場の聴衆にとってはわずかな時間感覚であった。 ここには、地球を含む、時空すらも、もはや相対的なものにすぎないという卓見を垣間見る。 更に驚くべきことに、夥しい数の菩薩はすべて、目の前の釈迦をはるかに超える智慧と威厳を具えていた。 釈迦は、彼らはすべて、久遠の昔から自分が教えてきた弟子たちであるという。 これを見た多くの人はこの上なく素晴らしいことだと思ったが、当然の如く、疑いを持った。 なぜに、眼前の師匠よりも素晴らしいのか、こんなに多くいるのか… しかも、たった40年余りの間に、目の前の自分たちを出し抜いて、どのようにしてこのような偉業を済ませていたのか… 釈迦と共に修行してきたエリートたちが、こんな疑問を抱いたのもやむを得ないことだった。 そこで、舎利弗という、当時もっとも智慧のあった弟子が、代表して尋ねた。 すると、釈迦は、実は、自分は久遠の昔に成仏していて、その寿命も久遠の2倍あり、今までずっと眼前の弟子「地涌の菩薩」たちを育ててきたのだと明かした。 そしてその育て方の一つとして、良医の比喩をあげ、方便として涅槃(死)を現してきたと説き、その方便をウソだと咎める者はいないだろう、生命は死後も永遠に続く、仏は常住なのだと明かした。 この釈迦の答えが第16章「寿量品」であり、法華経のクライマックスである。 この時の釈迦を「久遠実成の釈尊」、その久遠からの弟子たちを「地涌の菩薩」と呼び、その代表は「上行菩薩」であった。 釈迦の死後2千年後の、法華経の効力がなくなるという末法という時代に、代わりに「地涌の菩薩」が出現して真の法華経を弘める使命を果たすと誓いを立て、釈迦がこれを了承する。 これに続いてその場にいた弟子たちも次々と誓いを立てる。 観世音菩薩も、あらゆる功徳をあげて弘教を誓う…この部分、第25章は「観音経」ともいわれて有名である。 全体を通してみると、表現の上では、ほとんどが自画自賛の漢詩句で埋まっているが、要するに一切の事象は「諸法実相」(すべてが真実のあらわれ)で、あらゆる生命は永遠であり、久遠実成の釈尊という絶対的相対者を置く。 私がここで敢えて絶対的「相対」者と表現したのは、その釈尊自身も久遠の昔に歴劫修行の後、法華経という「法」を修行して成仏したとされているからである。 そして、悪人も女性も無知な者でも動物でも、信じる者は皆、成仏できる(救われる)から、迫害にも怯まずに弘教することなどと説かれている。 ここでは、仏のもとに、あらゆる生命の尊厳と平等を示唆していることは見事なものだ。 しかし、久遠実成の釈尊という唯一絶対者を置くことは、誰でも成仏できる(久遠実成の釈尊と同じになれる)はいえ、当初から諸法無我を説く仏教の基調には、当然に、一見矛盾しているように思える。 だから、疑いなく信じるしかない(無疑日信)と説き、思考停止を促す。 こうした内容だったから、法華経を説く人たち、とりわけ竜樹・天親、鳩摩羅什、天台智顗などの修行者・伝搬者は、従来の仏教者たちから、師敵対しているとして、攻撃を受ける。 法華経が出来上がった背景を見ると、寺院・仏塔が盛んに作られている時代であり、これに参画する僧やグループとつながりがあったことが、最近の研究で分かっている。 手段が乏しく伝承自体が著しく困難な時代背景にも思いを寄せると、この経を信じろとは、この経を説く者を支えよということにつながる。 迫害が予想されているのは、宗派同志の争い(小乗経と大乗経)や他教徒との争いがあったことを示している。 事実、インドにおいては、イスラム教の布教によって、実質的に多くの仏教教団は滅んだ。 6世紀、中国の天台智顗は、竜樹・天親、鳩摩羅什らによって中国に伝えられていた法華経を素材として、独自の形而上学体系を立てた。 その時点の資料を基に、釈迦の教えを系統的に分類し(五時八経)、法華経を最第一に立てた。 法華経の理論、諸法実相の究明、空・仮・中の三諦、三世永遠の一念三千等々。 彼はこの法に説かれる「成仏」を、精神集中のひとつ、「観念観法」によって悟ることができるとした。 観念観法とは、己心を観じて十方世界を観ること、つまり精神集中(止観)によって、実相(内なる仏)を観じるという修行法であった。 今思えば、諸法実相、一念三千の概念は、現在においては、感覚のある命だけでなく、素粒子から観測不可能な多数の宇宙にまで広げた分析概念とみなすことができる。 しかし、成仏への方法である「観心」、つまり「己心を観じて十方界を観る」方法は、この時点では、修行を積んだエリート僧のみの可能な方法にとどまっていて、一般的・庶民的ではなく、広くその救済につながるものではなかった。 だから、伝承には国家や支配者に保護されることがどうしても必要だったのだろう。 事実、彼の開いた天台宗は、中国の隋・唐の皇帝に重く用いられ、伝教(最澄)によって日本へ伝えられて、平安時代にかけて貴族仏教の中心となった。 時代が進んで末法に入る。 法華経に予言された、釈迦滅後2千年後の末法とは、「闘諍堅固・白法隠没」(闘争・戦乱が激しく、釈迦の仏法が消滅する)という時代である。 現実に釈迦の時代は、言語や文字が一般的でなく、教えを書き残す手段も乏しい、いわば教えの伝搬自体が困難な時代であった。 師匠の教えを弟子たちが集合してひたすら暗唱しながら自らに取り入れ、他にも伝えたのであった。 だから、その道に入るにしても素直に信じるしかなく、疑う余地がそもそもなかったのであろう。 それが、釈迦滅後、時代の発展に応じて、言語・文字や伝達手段が少しずつ整ってきた。 釈迦滅後千年後までを正法、その後の千年を像法と定義され、次第に文明が進む中で、寺院仏閣ができることなども、予言の中で、おり込まれている。 しかし、それは同時に、素直に信じることが失われ、民衆に具わっている貪瞋痴の三毒が、疑いや反発などとして台頭、一般化し、広がることも意味している。 とりわけこのことによって末法以降においては、釈迦仏法は文字だけあっても真の信者がいなくなり、一般化した言語と表現手段・交通手段によって貪り・嫉妬や偏見、欲望が拡大し、真実とウソ、価値のあるものとないものとが混在し、人々が互いに自分勝手な主張をして争いあって、罪のないものに濡れ衣を着せると予告され、真実の教えはそんな衆生の前では効力がなくなると予言されていた。 これも、あながち間違いではなかったといえるだろう。 ちなみに、科学が日進月歩の発達、IT・Ai時代を迎えている現代は、驚くべきかな、真実とウソ、価値御あるものとないものの混在にとどまらず、捏造・隠蔽・詐欺・誑惑、フェイクニュースなどが飛び交う、まさに、法華経の予言をさらに拡大された様相となっている。 日蓮が著した「立正安国論」にも取り上げられているが、天災地変(地球温暖化などによる災害も含む)、飢饉、疫病(コロナなど)、そして闘争はといえば、前世紀に二度の世界大戦を経験し、東西冷戦が終結したとはいへ、テロやクーデター、地域紛争、また、グローバルな経済支配などへ舞台を移して継続している現在の人類の歴史や地球環境破壊に素直に目を向ければ、仏教や日蓮の分析・主張内容は、科学が未発達な時代になされたとはいえ、まさに驚愕の卓見といえるだろう。 さて、13世紀に至って、法華経において、唯一絶対者とされた久遠実成の釈尊とは、実は一切衆生一人ひとり、万物一つ一つであったと喝破して、それに至る法を説いたのが、日蓮であった。 教理上では、現世の釈迦は、久遠実成の釈尊を本地とする垂迹であるとされている。 釈迦は法華経によると、三世の生命を説き、久遠の昔に成道していたとされ、日蓮によれば、久遠実成の釈尊といわれる。 創価学会の説によれば、師弟の道が仏法という。 だったら、久遠実成の釈尊(釈迦本仏論上での釈迦)の師は、いったい誰であろうか。 久遠元初の自受用報身如来(日蓮本仏論上での日蓮)の師は、いったい誰であろうか。 これを追及すると、無限の退行(無限後退)に陥っていき、結局それは説明に失敗したこととなる。 これが明らかにされていない以上、仏法そのものにも、科学的に不完全な要素があることは否めない。 次に、法華経涌出品第十五の虚空会においては、釈迦は自ら弟子として教化したとする地涌の菩薩を召し出した。 その数は無量であったが、その上首に、上行菩薩がいた。 ここで、上行菩薩の師は久遠実成の釈尊である。 この儀式において、釈尊滅後二千年以後の末法という時代には、釈迦の仏法は効力がなくなるため、代わりに効力のある法華経を弘める勅令(附属)を地涌の菩薩に与えた。 ついでに付け加えると、釈迦は亡くなる前に説いた涅槃経において、「依法・不依人」の原則を説いた。 ■ここで改めて「依法・不依人」の原則を確認する。 「依法・不依人」とは、「法に依って、人に依らざれ」と読む。この意味は、物事の判断や行動の基準には、あくまで法則を根拠とするべきであり、人の法の解釈や議論や言うことを鵜呑みにしたり用いたりしてはならないという意味である。 この法の記載時点では、法とは仏法を指している。 真の法則は変化しないが、人やモノは常時変化し、時と場所を介してうつろいゆく、不安定だから、根本の教えとして「依法・不依人」(法に従え。人に従ってはならない。)としたのである。 「依法・不依人」での「法」、そしてその真意は、真理法則すべてを意味することは言うまでも無かろう。 涅槃経に「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説にして外道の説に非ず」とあることもそれを示唆している。 人々は生い立ち立場、権威権力や財産の有無、また所属団体や独自の信念や体験をもとにして、恣意的な目的のために、法を様々に解釈し論議・主張する。 教授や支配者や会長や法主が言ってるからとか、多数決で決まったから、また、世論だから、正しいのではない。また未成年者・乞食・犯罪者・変人・変態者・暴力団などの主張や、くるくる変わる一貫性のない言い分だからと言って、それらが必ずしも虚偽だとは言えないし、真実に基づいていることもよくある話である。 あくまで、主張の内容が客観的な「法則」に当てはまっているから正しいといえるのである。 権威・名声・権力・名誉や多数決の世論などは、正義・真理を曲げてきたことは、歴史的に繰り返されてきて、科学の発展とともに、多くの非科学的ドグマを持つ宗教は、科学と袂を分けたが、この原則は、科学的論理に矛盾する宗教の教学やドグマが、真に正しいか、真実か虚偽かを判定するうえで、重要な判定基準の一つである。 当然に、現在の科学技術の進歩は、これを根本としているのは自明である。 一念三千の法理など、数多くの仏法の洞察が、科学の発展に耐えうるのは、この原則があるからであろう。 この後の正法・像法と言われている時代の、竜樹・天台などは渇愛する。 このことを明確に表現するために、本稿では、この「依法・不依人」に、実際の判断基準とともに行為も含めた概念として、「人に従ってはならなず、法に従え」などと表示した これは更新された概念、理論である。 なお、このページは、2021/04/28のアメブロへの投稿を、2024/02/23に改訂・更新したものです。原文は以下のリンクにあります。 https://ameblo.jp/raketto-chan/entry-12671290928.html?frm=theme
- P01, プロローグ、依法不依人(真理・法則に従え。人の勝手な主張には従うな。)の意味、師弟不二の意味、血脈の意味
P01, プロローグ、依法不依人(真理・法則に従え。人の勝手な主張には従うな。)の意味、師弟不二の意味、血脈の意味 このページは ☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」での、 P01, プロローグ、依法不依人(真理・法則に従え。人の勝手な主張には従うな。)の意味、師弟不二の意味、血脈の意味 です。 はじめに、ブラウザによる自動翻訳では、ほとんどすべてOKで、素晴らしい翻訳がなされている。しかし、重要な仏法用語が、ときに機械的に意味不明な、または適切でない語句に翻訳されることが分かった。 たとえば「師弟不二」を"teacher and disciple Fuji"(造語のような直訳)、また「依法不依人」を``not relying on law''などと、文意と反対の意味に翻訳されたりして、本当の意味が伝わらず、読者を混乱に陥れる。これはある程度は避けられないことをご了承ください。 この事態を少なくするため、自動翻訳を利用される読者に誤解の無いように、重要な仏法用語に対して、あえて何回も( )を使って注釈を記載した。各ページの題名も、なるべく誤訳が少なくなるように書き換えた。結果として、文章がくどくて煩わしくなったことをお許し願いたい。 時間があれば、各ページを順次、同様の注釈を加え、またオリジナルの翻訳をENページに掲載していく予定である。 ■プロローグ 私が今、信仰上、所属している団体は創価学会である。 信仰の対象は日蓮本仏論(人法一箇)の南無妙法蓮華経であり、本尊として、日寬曼荼羅を配布し、それに導いてくれる創価三代会長(牧口常三郎、戸田城聖、池田大作)を永遠の師匠と仰ぎ、絶対の信頼を置いている。 事実上は、創価三代会長のなかでも池田大作への師弟不二(師と弟子が一体となること)の実践を通して、本尊への唱題、自行化他の行動を行い、広宣流布をめざしている。 組織内では、信仰の対象である本尊、師匠である池田大作への絶対の信(無疑日信)を説き、これを批判することは事実上タブーとなっていて、もしそれを組織内で展開すれば、どんなに正論であっても組織の秩序を乱したとして除名される可能性のある仕組みになっている。 もとより、信仰団体だから、私も含めて、その多くの学会員は、その信仰の詳細な内容を、自身の頭で真剣に思索・検討することはほとんどない。 信仰や、指導内容に疑問を持った時は、相談する相手もいるが、そのほぼすべては同様に、池田大作への絶対の信を持つ立場だから、根本的な解決にならない。 そして、創価学会の関連・推奨する内容以外は、つまりは創価学会を批判する人や書物の内容を信じないようにコントロールされ、自らもそれに積極的にかかわっているからである。 むろん、日本では信教は自由だから、嫌になったら創価学会を脱会すればよいのだが、現実にはそう簡単にはいかない。 信仰心が薄い人は簡単にけじめがつくし、組織からも相手にされなくなることもあろうが、私のように幼き時代からこれを基盤として自身の信念を培った人、信仰そのものに人生をかけてきた人は、大いなる自己矛盾と葛藤に直面することになる。 また、脱会者への嫌がらせや迫害は、組織的なものから、個人的なつながり(恨み・つらみ、損得など)からでも起こるし、実際、起きていて、これが様々な社会的犯罪へと結びついてきた。この事実は、最も創価学会の内部事情を知ると思われる池田大作の弟子で後に造反した山崎正友の著「創価学会・公明党の犯罪白書」(2001/8/15,第三書館)をあげるまでもなく、多くの識者やジャーナリストの指摘する如くである。 創価学会でも、日蓮仏法の根本の教科書として堀日亨編纂「日蓮大聖人御書全集」(以下、本稿では、日蓮の遺文を引用するときはこれを使用し、御書と略す)が使われていた。しかし、最近では、都合よく編纂した創価学会版「日蓮大聖人御書全集」を使っている。 その、日蓮の最も重要な遺文である観心本尊抄には、 「天晴れぬれば地明かなり 法華を識る者は世法を得可きか」(観心本尊抄、御書P254) 《空が晴れれば地上は明るくなる。法華経が分かる者は当然に世法をわきまえている。》 と述べられている。 もとより、ある命題が真実であるとすれば、その命題の対偶も真実であることは、中学・高校の数学の授業レベルの知識である。 理性ある良識人なら誰にも分っている。 この日蓮の遺文の対偶は、「世法をわきまえていない者は法華経が分からない」つまり、犯罪を犯すものは、日蓮仏法を分かっていないことになる。 つまり、この日蓮の遺文ひとつとっても明らかなように、世法・国法よりも自らの主張する勝手な自己流の〝仏法〟や、組織の利己的な論理を優れたものとして、池田大作を守るためなら国法を犯してもよいという信念をもち、様々な犯罪を重ねてきた創価学会やその熱心な会員に、日蓮直結・御書直結を掲げる資格など存在しないし、この事実は、既に歴史が証明している。 更には、「御書のとおり実行しているのは創価学会しかない」「日蓮仏法を広宣流布しているのは創価学会のみである」等々の趣旨を現創価学会は言い張っているが、これが文証・理証・現証の点からも誤りであること、御書(日蓮の遺文、日蓮仏法の教科書)の通り日蓮の教えを忠実に実行してきたとはとてもいえないことは、マインドコントロール(洗脳)されている者以外の、良識ある誰の目から見ても明らかであろう。 その最高指導者である池田大作の姿勢は、自らが正しいと言い張っている日蓮仏法や日蓮の姿勢とは様々な点で似ても似つかない、対極にあることは、これから後述する。 かつての日蓮正宗創価学会は、日蓮正宗の教えを絶対真実としてきた。 日蓮正宗の教えとは、日蓮を久遠元初自受用報身如来とし(日蓮本仏論=日蓮を本仏とする教え)、弘安二年造立とされている板マンダラを絶対の本尊としている(板曼荼羅への即物信仰) 板曼荼羅には、首題としての南無妙法蓮華経と、日蓮の花押がある。 人としての日蓮と、法としての南無妙法蓮華経を、それぞれ同格の本尊と並べあげ(=人法一箇)ているが、元来この二つは道理として並列できないのであって、絶対的な信仰としては二者択一すべきものであるから、現実は、板曼荼羅への即物信仰と、これを維持管理する法主への絶対的な信(法主本仏論=法主が事実上の本仏であるという教え)となっている。 創価学会の師弟不二(師と弟子が一体となること=事実上は弟子が師匠へ信伏随従すること)、日蓮正宗の血脈(法主への唯受一人血脈相承)…日蓮正宗も創価学会も、こういった自身の掲げる重要な教学、さらには日蓮や南無妙法蓮華経の内容についての批判検討が全くない。 宗教では、法であれ人であれ、絶対的な信を設定することがほとんどであり、その対象が本尊となる。それが仏教なら、本仏とされている。 しかし、道理を絶対的に追求する科学においては、絶対、あるいは絶対的なこと、絶対的な法則は存在しない。皮肉なようであるが、あえて絶対について言及すると、 「絶対的なことは絶対に存在しない」というのが「絶対的な法則」となっている。 真理は常に相対的であって、絶えず更新しつづけるものである。 このことは、釈迦が最初に悟って説いた、諸行無常・諸法無我とも相通じている真理である。 たとえば、仏法と科学の両者が共通に基準を置いていると思われるのが、日蓮の教えの中にも、「道理文証よりも現証には如かず」、とか、「依法不依人」(法に従え、人の主張には従うなという意味)がある。 信仰の世界においても、道理としての正邪善悪の検討の上、その最高を絶対的な本尊とする立場なら、日蓮の教えの根本である、南無妙法蓮華経についても、その道理を絶対的に追求するべきであろうし、これを受け入れないとすれば、そもそも絶対的な信仰の対象とはなりえないことになって、道理における矛盾が生ずる。 日蓮は、当時の学問レベルで「法」の正邪善悪・勝劣上下を判断して、最高の真理を法華経の中に見出し、南無妙法蓮華経の唱題を唯一最高、真実の教えと定義した。 そもそも学問レベルは、日進月歩である。 今日では日蓮の時代に比べたらはるかに進歩しているにもかかわらず、日蓮門流、日興門流(日蓮正宗や創価学会も含む)においては、ただひたすら日蓮の教えの表現のみに盲従し伝えたというだけで、こういった日蓮が生涯貫いた姿勢や考え方が、まったく発生していない。 つまり、その時々の学問レベルで「法」の正邪善悪・勝劣上下を判断して、最高の真理を見出していくという、重要な基本的信仰姿勢が、日蓮門流や創価学会には根本的に見られない。 見られるのは、以下のような皮肉な姿である。すなわち、日蓮が生死一大事血脈抄(御書P1336~1338)で「自分と他人の区別をなくし、水と魚の関係のようにかけがえのないものと思って、身体は異なるが心は一つにして南無妙法蓮華経と唱えよう」と、日蓮門下全体への血脈の精神を述べている。にもかかわらず、日蓮の教えを掲げながら、その解釈の違いや様々な名聞名利や独善的な態度によって互いを排斥しあっている。これは、日蓮の門下を名乗りながら、日蓮に弓を引いている。 日蓮の教え自体には、「依法不依人」(当時の法は仏陀の説いた法則(経文)であるから、この仏陀の法に従いなさい、他人の主張に従ってはならないという意味)をはじめ、この重要な基本的信仰姿勢が法として説かれているので、日蓮は、弟子として師匠(釈尊)の姿勢をきちんと受け継いでいると評価できる。しかし、現在の日蓮の後継者たちの多くは、日蓮の姿勢や考え方が見られないから、日蓮の教えに背いていることになる。 つづいて、日蓮の教え、そしてそれを伝える後世の歴史を振り返ってみれば、釈迦が法華経において説いたといわれる、正法、像法、末法の様相に類似する、またはそれまでとは言えないものの、三つの時期に当てはまるような分析もできることに、私は気づいた。 この釈迦仏法における、正法、像法、末法にあたるのが、日蓮死去後の五山創立期、江戸時代から明治維新までの檀家制度による比較的安定期、それ以後から戦後から現在にわたる新興団体乱立と相互紛争期である。 思えば日蓮の時代の末法は、釈迦仏法が「於我法中 闘諍言訟 白法隠没」《わが法の中において、闘・諍・言訟して、白法が隠没せん》(大集経)時期であり、このなかで日蓮は、当時に伝わっていた釈迦仏法全体を、あくまで当時の学問レベルにおいて、勝劣の判断を行い、法華経こそが最高・最第一と断定したのであった。 現在は、日蓮の教えの中においても、分裂した各派(身延派、日蓮正宗や、戦後の創価学会、立正佼成会、顕正会、正信会など)が、その表面的内容を鵜呑みにし、変化する時代に取り残され、次第に日蓮の信仰姿勢に背きながら「闘諍言訟」(互いに言い争い戦うこと)しているのは、広く知れ渡っている歴史的事実であると見える。 そんな中、たとえば日蓮や日興は、所属していた天台僧の中で、この主張を続けた。そして、同じように今の既成の教団の内部からも同様の姿勢を見せる人たちが出てきている。 そして、私自身も、内内では、その類になりたいとも思っている。 その姿勢とは、つまり、代々伝えられてきた日蓮の教えに盲目的に従うのではなくて、日蓮の本来の信仰姿勢に立ち返り、それを根本にしながら、現在の科学的進歩に即し、時代に合わせて、その根本の「日蓮の教え」自体を批判・再検討・修正・再構築しようということである。 これが、本来の日蓮の信仰姿勢、いわば釈迦仏法を規範とした信仰姿勢であったはずである。 そして、それに忠実に従えば、日蓮の教えに説かれている如く、規制集団からの迫害・弾圧が、当然に予想される。 日蓮自身も、「三類の強敵」(俗衆増上慢、道門増上慢、潜聖増上慢)とか、「三障四魔」などとして、そのこと自体をを教えとして示し、種々の法難を受ける中で身をもって実証しているからである。 科学においては「絶対的なことは絶対に存在しない」というのが「絶対的な法則」である。 そして科学は絶えず、人の主張ではなく、法を検証しながら、発展・進歩するし、進歩してきた。 これは、仏法における「依法不依人」(真理・法則に従え。人の勝手な主張には従うな。)そのものの姿勢である。 ここでいう真理・法則とは、人々を幸せに導く正しい教えであり、釈迦の時代では原始仏教、日蓮の時代では日蓮の遺文が教科書であることは言うまでもない。 そして、現代のような先進科学が進歩し続ける時代では、古い時代の釈迦や日蓮仏法を更新して新しい時代に適合させた新理論が、この「法」に相当する。そしてそれだけではなく、様々な先哲から最先端物理学などの先駆者の唱える方程式、様々な最先端理論も含まれる真理・法則も、「依法不依人」における「法」となるべきであろう。 宗教においても、当然に、個人的にも世界的にも幸福を実現していくためのものであるかぎり、従来の教えに何の疑問も唱えず旧態依然とし、時代に合わない盲目的主張を繰り返す態度は、怠慢、停滞、違背というほかはない。 まして、最高の幸福、成仏という目的を達成する法則自体は、絶えず批判・検証しながらアップデートしていくものであるし、本来、このこと自体も内包しているのである。 私は、幼少期からの人生のおそらく三分の二以上を捧げた創価学会の教え、日蓮正宗の教えを通じて、このたび日蓮の教えを再検討することになり、以前からの投稿には内容的に反するような前投稿の「私の池田大作観(1)」に示した如く、皮肉にも、自身の人生の師としてきた池田大作の論理矛盾や欺瞞、悪行など、宗教指導者としてあるべきでない事実を指摘せざるを得ない状況になった。 その、精神的な傷は今でも疼いているが、そんな中でも自身と戦いながら、日蓮の本来の教え・信仰姿勢を模範として実践し、真実・真理の追究と広宣流布をめざそうと試みている。 今回は、以上の基本的姿勢を、仏法の当初から歴史的事実とともに述べて確認し、例として日蓮正宗の「血脈」と、創価学会の「師弟不二」(師弟が一体となること)をとりあげ、検証し、このことによってさらに真理・真実である「一切根源法」に迫っていきたい。 このことは、必然的に結果として、前述の内容を含む、様々な教義や伝承の真偽を見直すことになり、それらを絶対として、又は人生の唯一のよりどころとして受け入れている多くの信仰者の感情に逆らうことになる。 このことは私も同様であったから激しい逡巡・葛藤に直面し、これを乗り越えることは容易ではなかった。 私は、宗教を否定するつもりは毛頭ない。 むしろ、正しい真実に基づいた信仰は、個人の幸福や人類全体にとって必須であるという信念を持っている。 かつて、マルクスは、宗教はアヘンであると述べたが、医師である私はアヘンも使いようによっては大いに有益であることを、日常の臨床で経験している。 牧口常三郎の価値論を持ち出すまでもなく、時空を超えて、全ての正義と善意の人にとって、真実は、価値的・有益であり、ウソ・偽りや捏造・隠蔽は、害悪・害毒である。 (更に価値論では、偽善と悪意の人にとっては、真実は反価値・有害であり、ウソ・偽りや捏造・隠蔽は、価値的・有益であることになる) 新たな真実を知り、それを素直に受け入れることは、過去や人格を否定することではなくて、その歴史や道筋をより深く正確に理解することであって、信仰自体をより正しく導くことになる。 時代の発展と共に、いかに意外な事実が発見され、それが従来の解釈や信念の修正を迫るものであっても、怯むことなく、真実に対して誠実でありさえすればいいのだ。 その姿勢こそが、真の信仰であって、その信仰を更に深めることになるからだ。 「罪を憎んで人を憎まず」の諺は、「依法不依人」の原則に基づいている。 誤解を避けるためにあらかじめ断っておけば、本稿は、この諺や原則に基づいて記載したものであり、結果として多くの信仰者のあり方と論理を問うものであって、個人的な信仰や信仰者自体を批判・否定するものではない。 成功した信仰者の姿は、その信仰の対象の力用の違いではなく、どこまでも信仰の内容と、信仰者の信心の厚薄及び行動の強弱が、その成果を生んでいることが明らかであるからだ。 こうして新たな真実に目覚めた私自身にも、信仰者・仏法者として、自身が信仰する正しい「法則」が、常に新たな智慧と勇気を与えてくれている実感がわいてくるし、その教えは科学的普遍性自体であることを確信している。 ■更なる科学的観点から 所詮、一切根源の法では、原理として(真理・法則に従え。人の勝手な主張には従うな。)「依法不依人」はあるが、(師弟が一体となること)「師弟不二」とか「血脈」とかは一切ない。 いわゆる「神」という存在も、現在は量子論など科学の発達によって否定されている。 神とは主に絶対者、創造主などと表現されるが、幅広く絶対的なもの、超越的な存在、アプリオリな存在、超自然的な霊魂やモノや概念まで含む、都合よくデッチ上げられた仮想である。 とはいうものの、最先端を行く量子論などの物理学理論も、二乗したらマイナスになるというありえない「虚数」を仮想して立てられた論理である。 我々のビッグバン宇宙の始まりから現在までの様相も、この方程式によって説明・解明されている。 いわば、仮想概念が基盤に含まれているのである。 そして、それを表現する言語・数式自体も、完全・絶対的なものではない以上、それを使って表現した真理そのもの(たとえば方程式など)も、不完全・相対的なものとなる。 いかなる論理や主張も、他に比較して相対的に限りなく100%に近い真理のように見えても、100%(絶対)ではない。 どんな理論であっても、将来、どのように論理が包括されていくかは不明であろうし、だからこそ、全ては未完成・相対的であるとして、絶えなる妙なる完成へのバージョンアップが必要なのである。 それでは、絶対者を崇め教祖を敬愛する、非科学的宗教の役割は、いったい何なのか。 それは、他の機会にゆずりたいが、たとえば、イワシの頭も人によっては大化けする。 大化けするのは宗教だけではない。 株、土地、景気などから、うわさ、デマ、流行…、俗にいうと、欲望や癒しの対象として投影できるものすべて、大化けする。 大化けしてバブルとなるが、バブルはやがてはじける。 繰り返すが、「宗教は阿片(アヘン)である」という、マルクスの有名な言葉であるが、この「阿片」(=麻薬製剤)は、私が日常携わっている終末期医療・ターミナルケアには、なくてはならない価値ある存在である。 こういうエビデンス(確かな証拠)があるから、終末期医療、緩和ケアでは、世界的に麻薬使用がスタンダードとなっている。(当然に、非科学的宗教も同様である) 経験的には、絶対者を崇める宗教(その内容を問わず、私の所属する創価学会も含む)の信者は、その信仰が熱心であればあるほど、そうでない人に比べて、明らかに麻薬使用量が少なく、かつ終末期は充実したものとなっている。 しかし、これらが悪用された害毒は、挙げたらきりがない。 国体論から太平洋戦争へ発展した信念の基盤となった日蓮主義も、十字軍や暗黒時代のキリスト教や、「コーランか剣か」時代のイスラム教を、批判する位置にはないだろう。 すべては、それらを受け入れる人や信者による、相対的な現実でしかないのだ。 日本の軍国主義、西欧の植民地支配、ヒトラーのホロコースト、スターリンの粛清等々、非科学的な宗教的行為を基盤とした、悲惨な歴史は挙げればきりがない。 常に自分たちの信奉する主張が絶対である(100%正義である)とする信念が、人々に一時的満足(いわゆる幸福)をもたらすことにもなる反面、残酷で悲惨な侵略や戦争に駆り出してきた歴史に、謙虚に目を向けるべきであろう。 つまり「依法不依人」たるべきである。 ■「真理・法則に従え。人の勝手な主張には従うな。(依法不依人)」について 釈迦の入滅前の最後の言葉とされている「依法不依人」とは、「法に依って、人に依らざれ」と読み、成仏を目指し、真理や価値の追求などにおいて、人の勝手な主張ではなくて、法則に従うべきであることを意味する。 これは、ダルマの真の原則を遵守し、個人の視点に振り回されないことの重要性を強調している。本質的に、それは実践者が人間の権威や主観的な解釈だけに頼るのではなく、正しい教えに基づいて行動することを奨励する。 繰り返すが、ここでいう真理・法則は、釈迦の時代では原始仏法であり、日蓮の時代では日蓮の残した遺文(これを集めて出版されたひとつが日蓮大聖人御書全集=以下、御書と略す)であり、現在においては先述したとおりである。 更に身近には、物事の判断や行動の基準には、あくまで法則を根拠とするべきであり、人の解釈や議論・主張を鵜呑みにしたり用いたりしてはならないという意味である。 人が幸福になるための真理・法則が間違っていれば、それに従ったら幸福になれない。 また、人の主張は常に変化し一貫性がなく、真理・法則を解釈したつもりであっても間違っていたりすることもしばしばあり、こういった人の主張に従ったら当然に結果として幸福になれない。「真理・法則に従え。人の勝手な主張には従うな(依法不依人)」は、このようにならないように戒めているのである。 このことについては、たとえ乞食であっても鬼であっても罪人であっても悪魔であっても、主張する人の姿・立場・門地や行動など、人の属性・要素は一切問わない。 その人が、主・師・親であっても、善人・悪人であっても、その主張のウソはウソ、真実は真実である。 人ではなく、その主張内容が、法則・真理に合っているかどうかを見分けろとする。 人肉を主食とする飢えた鬼が「諸行無常 是生滅法」とつぶやいた。 これを聞いた雪山童子が、鬼に対し自分の身を投げ、続きの偈「生滅滅已 寂滅為楽」を聞いた。 この譬えは、釈迦の歴劫修行の一現世のこととして、有名であるが、これも、「真理・法則に従え。人の勝手な主張には従うな(依法不依人)」の原理を示すものであり、仏法の重要な精神の一つである。 鬼であっても、正しい法を説く場合は、その法を用いるべきであるとする精神である。 この法(依法不依人)の定義時点では、法とは仏法を指しているが、この方程式は時空を超えて通用する。 なぜなら釈迦が悟ったあと説いた教えは、後世の修飾や加筆などはあるものの、基本的には万物の法則を説いたものであるからだ。 真の法則は変化しないが、人やモノは常時変化し、時と場所を介してうつろいゆく、不安定である。これを諸行無常という。 だから、仏法での修行だけでなく、「真理・法則に従え。人の勝手な主張には従うな。」(依法不依人)であるべきことは、自然界共通の幸福への道である。 「依法不依人」での「法」、そしてその真意は、現代においては真理法則すべてを意味することは言うまでもない。 当時の釈迦も涅槃経に「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説にして外道の説に非ず」(全世界の仏教以外の教えも、すべて仏陀が説いた教えである)とあることもそれを示唆している。 そして仏法は、成仏という最高の幸せへの道を説いた法則であったから、科学が未発達な時代にあっては驚愕なる卓見である。 そして、当然に、客観的法則を追求する現代科学の発展も、自然なことに、「真理・法則に従え。人の勝手な主張には従うな。」(依法不依人)が原則になっているのである。 多くの非科学的ドグマを持つ宗教は、それゆえに、科学の発展とともに、その袂を分けた。 こうした中でもこの原則は、科学的論理に矛盾する宗教の教学やドグマが、真に正しいか、真実か虚偽かを判定するうえで、重要な判定基準の一つである。 一念三千の法理など、数多くの仏法の洞察が、科学の発展に耐えうるのは、この原則があるからであろう。 実際、人々は、自らの生い立ちや立場、権威権力や財産の有無、また所属団体や独自の信念や体験をもとにして、恣意的な目的のために、法を勝手に都合よく解釈し論議・主張する。 権威・名声・権力・名誉や多数決の世論などが、正義・真理を曲げ、これが歴史的にも繰り返されてきた。 教授や支配者や会長や法主が言ってるからとか、多数決で決まったから、また、世論だから、正しいのではない。 また未成年者・乞食・犯罪者・変人・変態者・暴力団などの主張や、くるくる変わる一貫性のない言い分だからと言って、それらが必ずしも虚偽だとは言えないし、かえって真実に基づいていることもよくある話である。 これらの主張に共通しているのは、依法不依人とは真逆な「依人不依法」(人の主張に従え。真理・法則には従うな)となっていることである。 あくまで、主張の内容が客観的な「法則」に当てはまっているから正しいといえるのであり、「真理・法則に従え。人の勝手な主張には従うな。」(依法不依人)とはこのことをいうのである。 仏法といっても、三大宗教といい、科学といっても、結局のところ、人類は、ヘーゲルの言うところの弁証法的な昇華・発展を積み重ねてきたものでしかない。 その中に、常に一貫していることは、科学は「真理・法則に従え(依法)」の原則のもと、「法」=「真理・法則」を発見し構築することが重視され再現を積み重ねてきたが、宗教の組織では、自分たちの都合の良い理論が真理としてまかり通ってきて、受けとめる人によってとらえ方が都合よく解釈され利用されてきたということである。 そして、自分たちの受け止め方が唯一正しいという独善的な信念が、回りの大衆を巻き込んで、それが紛争や戦争まで発展していった。 そもそも、仏法の創始者である釈迦は、諸行無常・諸法無我を説き、これはアインシュタインの相対性理論や最先端物理学である量子論でも通用し、高度科学文明社会である現在でも矛盾なく受け入れることができる。 これを受けた日蓮も、諸法実相・「真理・法則に従え。人の勝手な主張には従うな。」(依法不依人)を前提として、南無妙法蓮華経を定義した。 それが、歴史を通じていつの間にか、これとは真逆の、「唯一絶対」アニミズムや、「真理・法則よりも、ある人の勝手な主張に従え(依人不依法)」ともいうべき主張が乱立し、日蓮正宗や創価学会も、この中の分子である。 そして、「唯一絶対」を掲げる他の非科学的宗教の歴史と同様の、互いに争い合う修羅道を演じてきている。 仏法の歴史において見ても、最初は清流・渓流のようであったのが、今は濁流・怠惰のようである。 いったい、いつごろから、そして何が原因・きっかけとなって、清流・渓流が、濁流・怠惰という流れ・事態となっているのか。 先述した通り、後世が、釈迦や日蓮などの先哲の姿勢を模範としないで、漫然と時代遅れになりつつあるドグマに固執し、時代に応じたアップデートの努力を怠ってきた結果ともいえる。 こうした背景からも、すべての主張は「真理・法則に従え。人の勝手な主張には従うな。」(依法不依人)の原則、つまり科学でいう客観性・再現性に立って、なされるべきであり、評価・検討すべきである。 ■血脈と、師弟不二(師と弟子が一体となること)の検討について あらかじめ、現時点で判明している史実を概略まとめ、あくまで「真理・法則に従え。人の勝手な主張には従うな。」(依法不依人)の原則に立って、仏法の範疇に限定した価値判断で、血脈と師弟不二(師と弟子が一体となること)を、賛嘆・評価と批判・指摘の両面から、公平・客観的に検討してみたい。 「血脈」とは、日蓮仏法、特に日蓮正宗で重要視される信心の血脈という概念である。 信心の血脈は、師から弟子へ重要な教えが受け継がれることを、親から子へ血筋が受け継がれることに譬えたものと考えられ、日蓮仏法では南無妙法蓮華経への信仰が悟りに至る血脈とされている。誠実な信仰によってのみ、人は成仏することができる。このことは日蓮が「生死一大事血脈抄」(御書P1336~1338)にて、この詳細を定めている。 日蓮仏法においては、南無妙法蓮華経に対する信心こそが成仏のための血脈であり、信心によってこそ成仏が可能であることが示されている。 つまり、仏法における血脈は、教義や伝承の連続性を示すものであり、師弟関係や法統の重要な側面を表している。 そこで、その受け継がれ方等の歴史や師弟関係が、日蓮の定めた真の仏法における「血脈」に相当するかどうかを検討し、発展し続ける時代の中で受け継がれていくべき真の血脈とは何なのかを考察する。 次に、「師弟不二」とは、師と弟子が一体となり、心を共有し、共に成長することを表す。 創価学会では仏法の真の実践には「師弟不二」(師と弟子が一体となり、事実上、弟子が師に信伏随従すること)を模範・不可欠とする。創価学会第三代会長の池田大作は、戸田城聖との師弟関係を通じてはじめて仏法を知り、その修行ができ、広宣流布に尽力できたと主張している。そしてその後の創価学会の会長や主な幹部や熱心な信者たちは皆、全く同じ信念をもち、同じ主張をしている。 では、歴史を通じてみれば、本当に池田大作は第二代会長の戸田城聖を師としていたといえるのか? 創価学会に限らず、仏法を伝えてきた後継者たちの師弟関係が、「師弟不二」に相当するかどうかの判定として、以下をあげる。 師の教えに忠実に従い実行したか。 師の教えを全て包み隠さず後世の弟子に伝えたか。 師から教えを日蓮を模範として時代に即応して更新し続けたかどうか。 師の教えを時代や科学に合わせて弁証法的に昇華した場合は、師に忠実に従い実行したと考えた。 逆に、師の教えを曲解し隠蔽したり、自説を流布する為や、都合よく野心・保身等の為に利用した場合は師敵対の行為と判断することにした。 そして、最終的に、仏法において「師弟不二」や「血脈」があるのか、あるとすればそれらがどう流れているかを、検討したいと思う。 検討できる文献も、部分欠損・判別不能や書写間違い・故意の書き加えや偽造改竄、火事による消失や盗難などで、数々の矛盾が指摘されている。まあ、そういうことは今も変っていない。 ■ 師弟が一体となることである「師弟不二」は、「真理・法則に従え。人の勝手な主張に従うな。」という教えに、違反することがある 厳密な仏法の血脈において、師という人間に一体化する概念である「師弟不二」は、従うのは法則のみであり人の主張に従ってはならないという教えである「依法不依人」に違反することになる。 一片の理性があれば、これらの定義を並べてみたら、このことはすぐにわかるし、すでに賢明な読者にはお分かりいただけると思う。 しかし本稿では、この矛盾と、日蓮仏法における真の「血脈」と「師弟不二」は、日蓮の遺文である「生死一大事血脈抄」をきちんと理解すれば、この矛盾は解決することを明らかにする。それどころか、現代科学の発展にも共通する究極的に価値的な教えであることがわかることを、歴史的な因果応報も含めて述べる予定である。 この検討においては敬愛する人物も例や引用として多く含まれているが、一般的な論文形式での検討である故、特別なことがない限り、仏法者・学者・研究者・ジャーナリスト等の方々へは、ともに真実を追究する視点に立った身内として、あえて敬称は割愛させていただいた。また、社会一般に知られた人物、公人とされた人物や文献なども、同様に敬称は割愛させていただいた。 また、以下に展開するプロローグからエピローグまでは、長文にわたるが一つの論文である故、一つのページや章の中で、引用が大部分を占めることもあることをご了承願いたい。
- ブラウザの自動翻訳のページについて
当ホームページで、ブラウザの自動翻訳のページができ、またブラウザで日本語のページができたことは、とても満足していました。そして、はじめは、ほとんどすべてOKで、素晴らしい翻訳がなされていましたので、安心してました。 しかし、一昨日に自動翻訳のページをじっとみていると、重要な仏法用語が、ときに機械的に意味不明な、または適切でない語句に翻訳されることが分かりました。 たとえば「師弟不二」を"teacher and disciple Fuji"(造語のような直訳)、また「依法不依人」を``not relying on law''などと、文意と反対の意味に翻訳されたりして、本当の意味が伝わっていないようでした。 これでは、読者が混乱します。 これは大変だ、と思いました。 しかし、自動翻訳なので、これはある程度は避けられないこととおもいました。 読者の皆様には、多少、意味不明で混乱することもありますことを、ご勘弁ください。 この事態を少なくするため、自動翻訳を利用される読者に誤解をなるべくすくなくするために、急いで、重要な仏法用語に対して、あえて何回も( )を使って注釈を記載しました。各ページの題名も、なるべく誤訳が少なくなるように書き換えました。結果として、文章がまわりくどくて煩わしくなったことをお許しください。 ページの題名も、一部を、変更いたしました。 今後も、時間をつくって、各ページを順次、同様の注釈を加えていきます。また、これにともない、P01の、チェックしたオリジナルの翻訳をENページに掲載しました。 今後も、時間をつくって、順次、チェックした翻訳をENページにしていく予定です。
- AIの進化の先は?
最近、AIで作成またはAIがからんだアプリで作成された人間の顔の画像をよく見かけるが、似かよったものが多い印象である。 動画も同様だが、合成された画像は(美容整形した顔も同様だが)、どことなく不自然で、涙ぐましい努力も、見る人が見ればすぐにわかるものだ。 AI作成画像にも、著作権ができるように法的準備が進んでいる。 じゃあ、女性やTSのメイクはどう考えればいいのだろう? それは、楽しければいいのだ! あくまで、メイクは個性を表現する手段であり、メイクの道具(化粧品など)に、著作権はない。 しかし、AIに著作権が発生すれば、その利用についてはどうなるのだろう。 当ホームページでは、イメージ画像や紹介文についてはきちんと利用したことを明示しているが、 利用についていちいち許諾をえなければならないようになったら、世界中がAI作成会社や取扱会社(いわずもがな、世界的な外資系巨大企業)に支配されることになりはしないか? 化粧品に著作権がないのと同じように、AIも同様にすべきだと私は思う。 近い将来、人格を持ったAIが出現するという。 その場合、人権などの法的扱いはどうなるのか? そのうち、AI同士が結婚して子供を産んだり、自己複製するようになるだろう。 こうなったら、個別の生命と同じだ。 人類は100億人もいないのに、そのうち無限の数の生命が生まれそうだ。 成り行きによっては、人類が生成AIに支配され、滅亡に向かう可能性すらありそうだ。 目先の戦争や紛争、環境問題などで世界が揺れ、目を取られている中、 再生医療やクローンについてのルールもコンセンサスもまちまちな世の中で、 もっと恐ろしいことが、進みつつあるようだ。 欲望をコントロールする叡智の結集が望まれる。
- ※※※ ブルマはかわいいo(^o^)o ※※※
私の、ブルセラ好きは、もう40年になります。 少年時代から大学まで、女子の体操服は、みんな、シャツとブルマでしたから。 バレー部も、バスケット部も、相撲部も。 テニス部は、白のプリーツスコートのなかに、アンダースコートやブルマでした。 それが、あたりまえだったんですよね。 卒業アルバムにも、のってます。もうおばちゃんになってしまったお友達の、かわいくときめいていた時代の運動会写真・・・ 今となっては、お宝写真。 カメラ小僧の盗撮や、ブルセラショップや、アダルトビデオなんかで、性的商品にさえならなければ、ブルマは今も流行してたでしょうにねえ・・・ ブルマは、女の子が、かわいい体やスタイルを表現できるアイテムです。 腰から下は、ヒップや股間を過不足なく包み、大腿を根部より露出できて、下半身の美しさをリアルにアピールできます。 短パンよりも、太もものラインが長くみえるので、着用の仕方によっては、超ミニスカートと比べてもセクシーに見えます。 体操服や競技コスチュームの領域を超えて、女性のファッションとしても、とってもいいと思います。 野外で、短パンやジャージを穿くよりも、ブルマを着用することは、真夏の賑やかなビーチで、セクシーな水着を着る気分、とりわけ、ワンピース水着よりも三角ビキニを着るような気分ですねえ。 私が完全な女でしたら、ジョギングやマラソン、子供の運動会なんかでも、きっと今でもブルマを着用するでしょう。 愛用のセーラー服は、時代のアニメコスプレとともに、学版セーラー服です。 校章のついているものは、創価学園、関西創価、白百合学園など。 サイズ直しやファスナーなどは全て自前で前開きに縫製しなおして着用しています。 愛用のブルマは、以下、穿いた時の心地がいい順に、全てナイロン製です。 ヒットユニオン66-N、ジェレンクU-718(動いているうちに半ケツになるためアップしていません)、ジェレンクU-716、ユニチカ560、スクリートS662など。 あと、ポリエステル製は、Galax G1523、G7161171、MIZUNO 59RW-4022、59RQ-817など。その他諸々集めています。 なんといってもナイロンブルマが最高ですね。はき心地がいいです。 ブルマー収集ファンの間にも人気です。