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晩年の模範として、日蓮の生涯

  • rakettochansm
  • 1月1日
  • 読了時間: 3分


 新年明けましておめでとうございます。

皆様のご健康とご多幸を、心よりお祈りいたします。

今年もよろしくお願いいたします。


 この高齢化社会、晩年の模範として、日蓮の生涯を思い出してみた。

「百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも 名をあげん事こそ大切なれ」(御書p1173)

 日蓮は、晩年の1282年9月8日、闘病のため衰弱の体のまま極寒の身延を日立に向かって旅立った。 馬上の日蓮の一行は、法難のあった駿河・富士方面を避け、あえて難路である、当時の富士川を北上。険しい山道を含め、鰍沢付近から御岳山系の北麓を東へ、御坂峠、河口湖・山中湖畔から三国峠、更に足柄峠を越え、箱根を経由して、18日に武蔵国荏原郡(東京都大田区)の池上邸(現、池上本門寺)に到着したが、ついに衰弱のため、移動不可能となった。

9月25日、四条金吾、南条時光、富木常忍など、集ってきた弟子や門下を前に、柱に身を支えて立正安国論の講義を行った。 10月13日、多くの門下に見守られながら、最後の最期まで戦いの連続であった、自身の60年にわたる生涯を終えた。

「当世・日本国に第一に富める者は日蓮なるべし」(御書p223) と、命を法華経に捧げ、一生涯清貧を貫いた。 すなわち、当時の学問水準においての最も正しい「法則」に命を捧げ、その反対の「謗法」の者や権力から布施を拒否し、一生清貧を貫いた。

「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」(御書p1173)

「日蓮は少より今生(注、文脈より、現世利益のこと、これをほとんどの日蓮の後世は間違って解釈している)の祈りなし 只仏にならんとをもふ計りなり」(御書p1169)


 創価学会では、種々に都合が悪いため、このような事実はあまり語られないが、現在の高齢化社会にとって、人生の晩年から最期にかけての大いなる模範を示されていると思う。


 万人にとっても、明日をもしれぬ命である、 「人身は受けがたし爪の上の土・人身は持ちがたし草の上の露」(御書p1173) 《人として生を受けることは、大地に比して爪の上の土の割合と同じように、稀なことである。また、たとえ人として生まれてきても、命を維持することは、日が昇ればすぐ消滅する草の上の露のように儚い》

 三世永遠の生命観に立てば、すべてが一念三千の法則であり、諸法実相、因果応報である。

 思えば、大国のからむ戦争、核戦争の危機、地球温暖化などの環境破壊、天災地変の数々、少子高齢化社会・格差拡大などなど、様々な危機を迎え、いつ人類が滅亡しても不思議ではない状況である。

 しかし、日蓮は、生命の絶対的な幸福は成仏(すなわち、命を捨てて仏の境涯をあらわし、利他の行動をしながら、人としての完成を目指すこと)であると示した。

さらに、志半ばであっても善業を(又は悪業を)受け継ぎ、一瞬のうちに来世に転生して、あらたな生命を生きることを確信できる、このことを日蓮は自身の一生涯を通じて示し、説いている。

 私も、余命がたった1日であっても、最期まで「生きて一日なりとも 名をあげん」すなわち真の「心の財」を積む人生でありたいと思う。

 
 
 

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