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ブログ報告 ●82 素粒子から宇宙の外までのすべてが万物の生命,一つの電子も意志を持っている

  • rakettochansm
  • 2024年4月2日
  • 読了時間: 12分

 「P82, 素粒子から宇宙の外までのすべてが万物の生命・・・」原文は↑リンクです。

今回のセーラー服コスプレ写真は、黒岳登山道から、河口湖のほぼ全貌を背景とした富士山です。


 今回は☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」で追加投稿の

「P82, 素粒子から宇宙の外までのすべてが万物の生命,一つの電子も意志を持っている」

を、概ね、半分くらいの字数でまとめてみました。

 詳細は、原文P82をご参照ください。


 約800年前、日蓮は佐渡で、現代科学にも透徹する法則を説いていた。

 法華経の教えは、一切衆生が必ず十界を具足しているというものである。

 例えば、人は四大という要素で構成されており、どれかが欠けても人にはならない。さらに、非情な草木や微塵に至るまで、すべての存在が十界を具足しているとされている。

 ここにでてくる「依報・正報の二法」とは、観測できるかどうかにかかわらず、自己と宇宙の関係を意味している。一微塵は最小の物理的単位であり、現代科学の「素粒子」に相当している。これらすべてが「十界を具足」していると述べられている。

 一方、現代科学では、「意志」についての論争が盛んである。

量子論の発展により、電子などの素粒子の振る舞いを説明する際、意志の存在を考慮せざるを得なくなっている。この論争は進行中で、いまだ世界的なコンセンサスは得られていない。一部の物理学者は、物質にも意志や生命があるとする理論を提唱しているが、反論する科学者もいる。

 山田廣成の「対話原理」は、電子が意志を持ち、量子論の法則に従って自由に行動することで不確定性原理を説明できるという斬新なアプローチである。

■ 電子、原子と万物の関係

 すべての物質(生物を含む)は原子から成り立っている。原子は、原子核と周囲の電子から構成されている。原子の大きさは約1億分の1cmであり、原子核はその1万分の1以下の大きさだ。電子はさらに小さく、原子核の2000分の1以下の質量を持っている。

 原子の中の電子は、猛烈な速さで原子核の周りを回っている。電子の平均速度は秒速2300キロメートルであり、平均の周波数は1016Hzだ。原子の中は真空であり、電気力が強力に働いている。電気を帯びた粒子や光はこの空間に侵入できないが、電気を帯びない粒子は侵入できる。

 私たちの世界に存在する物質は、原子の質量と重力によって重さが決まる。また、物質の形や構造は電子の軌道とエネルギーによって成立する。電子の軌道は原子の化学的性質や結合を決定し、物質の形状や状態を形作る基盤となっている。

 物質は、限りなく真空に近い空間とエネルギーの相互作用によって成り立っている。電磁力が物質の形と安定性を与えており、私たちの日常生活において物質はしっかりとした形を持っているように感じられる。しかし、微視的なレベルでは物質はほとんどが空っぽの空間であると言える。

 空間自体も電磁力が働いており、物質以外のものにも関与している。

 電磁波は真空中でも伝わり、エネルギーを運ぶ役割を果たしている。

 物質は、エネルギーと空間の相互作用によって成り立っていると言える。

 原子の質量は、実際には様々なエネルギーの形態で構成されている。

 アインシュタインの有名な等価式E=mc^2は、質量(m)とエネルギー(E)が等価であり、光速(c)の二乗を乗じることで相互に変換可能であることを意味している。物質は空間とエネルギーの相互作用によって成り立っており、原子や分子の間の力が形状や性質を決定している。

 ちなみに私たちの生命が死んでも、その肉体は等価で別のエネルギーに置き換わり存在し続けるだけである。

 生物の肉体は、分解されて他の形態の物質やエネルギーに変わる。

 例えば、分解によって放出される化学エネルギーは、他の生物の栄養源となったり、熱エネルギーとして環境に放出される。

 このプロセスは、生態系における物質循環とエネルギー流の一部であり、死んだ生物の肉体が土壌に還り、植物の成長を助ける栄養素となることで、新たな生命を育む基盤を提供する。

 このように、生命の終わりは、新たな生命の始まりへとつながる循環の一環となっている。

 こうして、万物は流転する。

■ 一つの電子も意志を持っている

 一つの電子も意志を持っているという考え方が出てきた。

 山田廣成は、自著「量子力学が明らかにする存在、意志、生命の意味」で、微小な電子にも意志があると述べている。

 彼の視点では、電子が物質的な実体として行動を決定する「意志」を持つことで、物理的な現象と意識的な要素を科学的に説明できるという。

 このアプローチは、物質と意識の統合を試み、21世紀の科学的思想の新たな基盤を形成することを目指している。

 量子力学、唯物論、観念論は、宇宙の根本的な性質についての理解を深めるために互いに補完し合うことができる異なる視点を提供しているとえる。

 以下、山田廣成の対話原理に基づく考察を参考にして述べる。

 量子力学において、電子は粒子であり、波動でもあるとされてきたが、これを誤りである。実際、波動は干渉によって現れる現象であり、電子は粒子が実体である。電子に「意志」を導入することで、量子系の複雑な振る舞いを矛盾なく説明できる。

 これは物理学と社会学を結びつける架け橋となる。

 意志の定義には「個体を統合する力」「他者から己を識別する力」「他者と対話し干渉する力」が含まれ、量子系の確率的な振る舞いを説明する上で有用である。

 ①電子の振る舞いは予測できず、その形や大きさも未だ正確には測定されていない。量子力学によれば、電子は無限に小さな点であり、波動の性質を持つ。光も波動の性質を示しながら粒子でもあることから、電子は常に粒子であり、波動のような現象を行動として示すに過ぎない。

 人間の行動も予測不可能であり、電子の行動と同様に不確定性がある。

 ②電子の運動は確率でしか予測できない。ミクロの世界では、放射性同位元素の崩壊や電子の位置など、すべての出来事が確率でしか予言できない。観測されるまで、電子の位置は不明であり、確率でしか示せない。

 人間の行動もまた、確定することはなく、意志によって変わる。

 ③統計学では、意志の有無に関わらず運動を取り扱うことができる。電子は、意志があるが、それは確率的な性質によるものである。

 ④電子は原子核のクーロン力によって閉じ込められ、特定のパターンで分布する。例えば、鉄の原子を環状に配置した「Quantum corral」実験では、電子が内側に捕獲され、波動のような模様が観察される。同様に、水素原子のシュレディンガー方程式の解析からも、電子が特定のエネルギーレベルでのみ存在し、空間に構造を与えることが示されている。

 人間もまた、地球上で特定の場所に集まり、構造を形成している。

 ⑤電子が集まるとクーロンポテンシャルが生じ、質量が集まると重力ポテンシャルが生じる。これらのポテンシャルは粒子に力を及ぼし、エネルギーの授受を引き起こす。

 人間社会でも「ポテンシャル」という言葉は潜在能力や集団の力として使われ、大都市では人々が集まることで高い経済的ポテンシャルが生まれる。

 ⑥物理学では、重力やクーロン力などの力は量子化され、中間子や光子が発生する。

 経済学においても、人間の交換関係は物々交換や金銭の授受によって成り立つ。

 ⑦電子の波動性についての新しい実験結果によると、電子は予想に反して、等間隔で規則正しく移動するのではなく、粗密が発生することがわかった。

 高速道路での車も同様に密度波を形成し、波に乗ることで走行速度が変わる。

 ⑧もし宇宙に電子が一個だけ存在したら、その電子は無限に広がる波動関数を持ち、存在確率は極めて小さくなる。電子は波動としても粒子としても振る舞うが、他の電子との相互作用によってのみ、その位置を特定できる。

 人間もまた、他者との関係性によって自己を理解し定義している。

 ⑨素粒子はフェルミオンとボソンの2種類に分かれる。電子はフェルミオンであり、同じ場所に2つ存在することはできない。複数の電子がある場合、一つが移動すると他の電子も位置を調整し、空間のバランスを保つ。

 人間も電子の集合体であるため、フェルミオンの性質を持っている。

 以上から明らかなように、電子と人間の振る舞いは驚くほど似ている。

 電子に意志がなく、アットランダムに振る舞う場合、このような類似点は見いだせない。

 私見では、意志を伴った人間の行動と電子の行動は驚くほど似ていることが示されたが、ただし、そのベースとなる法則は異なる。

 

 意志とは、人間の生命活動の一部であり、自己制御や自己決定の能力を含む。目標を設定し、それに向かって行動する意欲や決断力も関連している。意志は、単なる反応ではなく、自分自身の意向に基づいて行動する能力を表している。

 歴史的には、意志の概念は変化してきた。

 中世では、意志は神のみが持つものとされ、人間は神の意志によって生きていると考えられていた。

 しかし、ルネッサンス以降、人間は自分の意志で生きていると確信するようになった。

 山田廣成は物理学について次のように述べている。

 すなわち物理学はいくつかの証明できない公理に基づいて構成されている。物理学はいい加減な学問であり、エネルギー保存則や運動量保存則は最小作用の原理から導かれているが、なぜ最小作用の原理が正しいかを証明することはできない。自然界には四つの力が存在することは分かっているが、なぜこれらの力が存在するのかを証明することはできていない。

 こうして、今の物理学は最小限の公理をもとにして体系を構築し、自己矛盾がないことを追求する学問である。

 このような前提を理解しないと、物理学の本質を理解することは難しい。科学は限界を持つものであり、物理学だけでなく他の学問でも同様であろう。

 ところで意志とは一体何だろう?

 仏法では、九識論に意識が含まれていると述べている。

 一般的には、意志は人間の生命活動の一部であり、自己の行動を決定し実行するための心理的な力やプロセスを指す。目標を設定し、行動する意欲や決断力も含まれる。意志は自己制御や自己決定の能力と密接に関連しており、個人が選択した行動の結果に責任を持つことを可能にする。

 物理学においても、意志を科学的に定義することにはどのようなメリットがあるのだろうか?

 かつて、ルネサンスの時代から、自然界の全体像を理解するためには、意志を神から独立した概念として捉える必要があった。

 意志を物理学の公理として導入することは、これによく似ている。

 意志は個体を統合し、他者との識別や対話を可能にする力であり、確率統計原理に従って個体の振る舞いを決定する。

 この定義は人間だけでなく電子にも適用可能で、電子の量子力学的振る舞いを説明するのに役立つ。

 電子が意志を持つとすれば、その振る舞いは確率的であり、位相空間での位置は個々の電子の特性によって異なる。

 意志は複雑な人間だけでなく、あらゆる個体に存在すると考えられる。

 個体は階層性を持ち、意志もまた階層的な性質を持つと言える。

 人間の意志決定プロセスは電子のそれとは異なるが、根本的な概念は同じである。

 このように、意志を物理学の公理として導入することで、粒子の行動がランダムなものではなく、意志に基づいた選択として理解できるようになる。

 ただし、電子が持つ「意志」と人間の意志は、根本的に異なる概念だ。

 物理学における電子の「意志」とは、電子の行動が、ある種の規則性を持っていることを指すための比喩のようにも見える。これは、電子が量子力学の法則に従って行動することを意味している。

 人間については、生物学的・心理学的~社会学的法則も存在するが、電子が人間のような意識的な選択をしているわけではない。

 実際、電子が持つ意志は、量子力学では、電子の振る舞いは確率波動関数によって記述され、特定の条件下での確率的な結果を予測する。

 これは人間の意志が直面する複雑さとは異なる種類の複雑さである。

 電子の行動は、量子力学の法則に従い、観測されるまでの間は多くの可能性を持っているが、これは人間の意志の複雑さとは根本的に異なる。

 言い換えれば、電子は電子としての意志を持ち、人間は人間としての意志を持っているということだ。

 量子力学は、ミクロの世界だけでなく、マクロな現象にも影響を及ぼす。物質が形を持つのは、パウリの排他原理によるものである。この原理は、同じ量子状態に二つの同種のフェルミ粒子が存在することを禁じている。電子はこのフェルミ粒子の一例で、原子内で特定の場所に局在し、それぞれが独自の「番地」を持っている。この排他性が物質に形を与え、私たちの日常生活における物質の固体感を生み出しているのである。

 また、電子は無限に小さな点ではあるが、その分布によって物質は空間を占め、形をつくっている。このように、量子力学は私たちの世界を形作る基本的な法則を提供している。

 ただ、物理学者が古典力学と区別して考える理由は、量子力学の法則がマクロなスケールで直感的には観察しにくいためであると言える。

 しかし、この原理は、物質の構造や私たちの存在に深く関わっていることを忘れてはならない。

 パウリの原理によると、光子はボソンであり、無数に同じ場所に存在できるが、形を作らない。これに対し、電子はフェルミオンであり、同じ量子状態には2つは存在できないため、物質に形を与えることになる。

 あくまで観測結果においては、電子と光子は波動として扱われ、スピンの違いによって区別される。電子のスピンは1/2、光子のスピンは1であることに注意を要する。

 電子は原子内で不確定な振る舞いをし、光を放出してエネルギー状態を変える。

 この光を放出するタイミングが、電子の「意志」であり、予測不可能なことなのである。

 電子のライフタイムは原子によって異なるが、おもしろいことに、その平均値が存在する。

 不確定性原理によれば、電子のエネルギー準位の幅(ΔE)と寿命(Δτ)は逆の関係にあり、単純な式で、ΔExΔτ= h と表される。ここでhはプランク定数である。

 この原理は、電子のエネルギー準位の幅が広いほど寿命が短く、狭いほど長いことを示している。これは、人間の生き方にそっくりであると言える。

細く長く生きる人々と、太く短く生きる人々が存在することを考えると、興味深い。

 人間と電子の関係は、科学と日常生活の両方において非常に深いものであり、私たちの存在とテクノロジーの進歩は、電子という基本的な粒子の理解と密接に結びついている。

 日蓮の教え、「一微塵にいたるまで皆十界を具足せり」は、科学的証拠を用いて、電子の振る舞いにも意志が伴っていることを説明している。

 私たちの肉体も実はスカスカのほとんど何もない空間の場であり、その中で微細なエネルギーによって形作られていること、そして周囲の環境から見えないエネルギーによって物質の性質が決まっていることを、日蓮の教えが示しているのである。

 800年前の日蓮の教えが、現代の量子力学と一致していることは驚くべきことであり、科学と哲学の両方において重要な意味を持っているといえる。


 
 
 

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