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08:法華経 現代語訳 妙法蓮華経譬諭品第三・ラケットちゃんの ホーホケキョウ(3ー2)(2016-03-31投稿)

前記事よりの続きです。



 いよいよ、三車火宅の喩えに入ります。

 美しい詩の中で、地獄(苦しみの世界)・餓鬼(飢えて貪る世界)・畜生(本能の世界)・修羅(媚びへつらい争いの世界)に生きる生物(衆生)が、燃え盛る火の中で、苦しみ悩む有様が、生々しく表現されています。

 そして、その中で、苦しみや恐ろしさも何も知らないで、遊び戯れる幼稚な子供を、方便を使って救い出す物語です。

 一見、恐ろしくて避けるべき存在のように描かれていますが、その張本人の地獄(瞋恚)・餓鬼(貪り)・畜生(愚痴)・修羅に生きる生物(衆生) も、この説法を聞いていて、純真に、自身の真の姿を知り、成仏しようと目指しています。

 そして実際に、これらの衆生も、万物も、法華経を実践すれば成仏すると、 法華経28品全体を通して説かれています。

 あくまで、真意は、万人・一切衆生を成仏へ導くためであり、そのためのひとつの喩えであるという観点で理解すべきと思われます。

 自然界の、それぞれの現象が、何に喩えられているか。

とても驚愕すべき内容が、明らかになっています。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 その時、舎利弗は、仏に申し上げて言った。
「世尊よ、私は、いままた疑いも悔いもなく、親しく仏前において阿耨多羅三藐三菩提(無上の完全な悟り)を得るという予言を承ることができました。
ところが、この諸々の千二百の、心が自在である聖者(もはや学ぶべき必要のない完成者)たちが、昔、学んでいたときに、仏は、その時に限り、常に教化してこのようにおっしゃっていました。
 「私の説く法は、よく生・老・病・死を離れさせて、究極には安らかな涅槃に至る。」と。
だから、この学(学ぶべき必要のある修行者)と、無学の人(もはや学ぶべき必要のない完成者)も、各自ら、単に、自我に執着する見解や有無に執着する見解等から離れていることをもって、涅槃を得たと思い込んでいます。
 だから今、世尊の前で、未だ聞かざる事を聞いて、皆、疑惑に堕ち込んでいます。
世尊よ、いい機会でございます。
 どうか願わくは、四衆の為に、この因縁を説いて、疑いや悔いから離れさせることができますように。」




 その時、仏は、舎利弗に言いました。
「私は、先に諸仏世尊の種々の因縁・譬喩・言辞をもって方便して法を説きましたが、これは皆、阿耨多羅三藐三菩提の為であると言わなかったか?。(たしか、言ったはずである。)
 この諸の所説は皆、菩薩を導く為の故である。
 しかし、舎利弗よ、今あらためて、譬喩をもって更にこの意義を明らかにしよう。
 諸の智慧ある者は、譬喩をもって理解できるからである。



 舎利弗よ、ある国、ある村、ある集落に大長者がいた。
彼は年老いていたが、財産や富は量りきれないほどあった。
多くの田や邸宅、及び多くの下男がいた。
その家は広大だったが門は唯一つしかなかった。
 諸の人々が大勢いて、その中に百人・二百人、乃至五百人が住んでいた。
しかし、その立派な建物は朽ち古びていて、垣根や壁は頽(はが)れ落ち、柱の根は腐って壊れ、梁棟は傾いていて危い。
 そんなとき、同時にたちまち火事が起って、家全体が火に包まれた。
長者の子供たちは、十人、二十人、あるいは三十人に至るまでこの家の中にいる。
長者は、この大火の四方より起こるを見て、すぐ大いに驚き恐怖を感じて思った。
私はうまくこの焼けつつある門より安全に出ることができるといっても、多くの子供たちは、火宅の内にいて楽しい遊戯に夢中であり、火が迫って来ることなど覚らず知らず驚かず怖れることをしない。
 こうしている間にも火は燃えてきて身に迫り苦痛が自身に切迫しているというのに、心は厭わず患わず、外へ出ようという気がない。

 舎利弗よ、この長者は、そこで、このように考えた。
「私には腕力がある。花器をもってまたは机をもって、実力で子供たちをまとめて家から追い出そうか。」
また、更に考えた。
「この家は門は唯一つしかなく、しかも狭小である。
子供たちは幼稚だから、まだ何が何であるかも分からないで、楽しいところに捉われしがみついている。
もしかしたら落ち込んでいて火に焼かれてしまうにちがいない。
よし、私が行って彼らのためにこの恐ろしさを説いてやろう。
「この家はもう焼けてしまう。とっとと出て行け。火に焼けてしまってはいけない。」と。

このように考えて、ひとりひとり、多くの子供たちに告げた。
「君たち、速やかに外へ出なさい。」と。
 父は子供たちをかわいそうに思い、善い言葉をもって誘い諭したけれども、子供たちは楽しい遊戯に夢中であり、返事はするが信じようとせず、驚かず畏れず、どうしても出ようという心がおこらない。
 そもそも火事とは何者か、家とは何か、焼け死ぬとはいったいどういうことかを知らない。

ただ東西に走り戲れて父を見つめるだけである。
 その時、長者は、すぐにこのように考えた。
「この家は既に大火に焼かれている。私も子供たちも、もし適当な時間に逃げなければ必ず焼け死んでしまう。
私は今まさに方便を使って、子供たちがこの害を免れるようにしてやろう。」と。

 父は、以前に、子供たちが各々好んでいた種々の珍しい玩具や奇異の物には心が必ず喜び捉われることを見抜いて、子供たちに告げた。
「君たちが好きな玩具は稀にしかなくて得難い。それを今、君たちに与えるから、もし取らなかったら後になって必ず泣くことになるだろう。
そのような種々の羊車・鹿車・牛車が、今、門の外にある。それで遊びなさい。
君たちはこの火宅より速かに出ていきなさい。君たちが欲しいものを皆、与えよう。」と。

 この時、子供たちは、父のいう珍しい玩具のことを聞くと、自分の欲しいものにぴったり合うので、各々、心は勇みたち、互いに誘いあい、共に走り、競争して、燃えつつある家から出て行った。
 その時、長者は、子供たちが安穏に出て、皆、四辻の道の中の露地に座っていて、怪我ひとつなかったのを見て、心が泰らかになって歓喜し踊った。
 子供たちは父に言った。
「お父さん。さっき約束した珍しい玩具の羊車・鹿車・牛車、どうかいま与えてください。」



 舎利弗よ、その時、長者は子供たち一人一人に第一級の大きな車を与えた。
その車は高く広く、多くの宝で飾っていて、ぐるりと手すり囲いがあり、四面には鈴が懸けられている、またその上には掛けがさが設置されていて、珍しい様々な宝で之を厳そかに飾っている。

 宝でできた縄がまわりに廻らせてあり、それには諸の花のふさが垂れていて、中には敷物が多く敷いてあり赤い枕が安置されていて、車を引っ張るのは白牛である。
 その白牛の皮膚の色は潔らかで形は美しく大きな筋力がある。

 行歩いて行く時は平らで真っ直ぐ、風のように疾く走る。
 又多くの下男がこれについて従い守っている。
 なぜならば、この大長者は、富や財産は計り知れず、たくさんの種々の蔵も悉く皆いっぱいになっているからである。

 そして、このように思った。
「私の財産は限りがないので、つまらない下劣な車を、子供たちにあたえることはできない。  今、この子供たちは私の子だから、かわいいのに偏りはない。

私にはこのような七つの宝の大車があって、その数は計り知れない。

心は平等に各々にこのような車をあたえるのであって、適当に区別することがあってはならない。
なぜなら、私がこの物をひろく国中の人に与えても、なお不足するということはないからである。

まおさら、子供たちに与えるときに不足するということがあろうか。」と。

 このとき、子供たちは、それぞれ、大車に乗って、いまだかつてなかった喜びを経験するのだが、もともとの欲しいものとはちがっていたので、ちょっと不思議に思っている。



 舎利弗よ、あなたの考えではどうか。
この長者が等しく子供たちに珍宝の大車をあたえたことは、嘘偽りではなかったか、どうだろうか。」
 舎利弗は言いました。
「嘘偽りではありません。
世尊よ、この長者が”珍しい玩具を与える”と言ったのは、ただ、多くの子供たちを火事の難から免れさせ、その体と命を全うさせるためだけの目的であって、実際にそうさせたので、これは虚妄ではありません。
なぜなら、もし身命を全うするならば、既に珍しい玩具を得たといえるからです。
まして、方便を使って火事の家から子供たちを救い出したのですから、なおさらです。
世尊よ、だから、もしこの長者が、最小の車ひとつでさえもを与えなかったとしても、なお虚妄ではありません。
なぜなら、この長者は、その前にこう考えていたからです。
「私は方便を使って子供たちが出ることを可能にしよう」と。

この因縁をもって虚妄ではありません。
まして、長者自ら財産は限りがないと知って、多くの子供たちを喜ばせてあげようと欲して等しく大きな車を与えたのですから、なおさらです。」







 仏は、舎利弗に告げなさった。
「よろしい。よろしい。あなたの言うとおりである。
 舎利弗よ、如来もまた同様である。
 則ち私は一切の世界の父である。
諸の怖畏・衰悩・憂い患い・無明・暗さを既に遠い過去に絶滅し尽くしていて、残りも何もなくなっており、悉く計り知れない知見・力・恐れのないことを成就し、大神力及び智慧力があって方便の方法や智慧波羅蜜を具足している。
大慈大悲があって常に懈倦なく、いつでも永遠に善い事を求めて一切の者に利益を与えている。
 そして、全世界の中で、朽ち古びた炎に包まれた家に、この身を生じてみたのは、
生・老・病・死・憂悲苦悩・愚痴暗蔽・三毒(貪(むさぼり)瞋(いかり)痴(おろか))の火から、一切衆生を済度し、教化して阿耨多羅三藐三菩提を獲得させようとしたためである。

 多くの衆生(生あるもの)を見ると、生・老・病・死・憂悲苦悩に焼かれ煮せられ、また五欲や財や利益を求めての故に種々の苦を受けている。
 また貧著し追求する故に、現実には多くの苦を受け、死後には地獄・畜生・餓鬼の苦を受ける。
 もし、天上に生れ、又は人間に生まれては、貧乏して窮まり困る苦しみ・愛する者と別れなければならない苦しみ・怨み憎んでいる者と会わなければならない苦しみ、このような種々の多くの苦がある。
 衆生は、その中に埋もれ沈んでいて、儚い、危険なものに歓喜し遊戲して、自覚せず知らず驚かず怖れず、また厭うこともなく解脱を求めない。
 この全世界の中の火宅において東西に馳走して、やがて大苦にあうと切迫していてもなんの心配もしない。
 舎利弗よ、仏はこれを見て次のように考えた。
「私はいきとし生けるもののの父である。その苦難を抜き無限の仏の智慧の楽しみを与え、遊び戲れるようにしてあげよう。」
 舎利弗よ、如来は、また次のように考えた。
「もし私が、単に神通力及び智慧力を用いて、方便を使わないで、この多くの衆生の為に即座に火を消し家を建て替えれば、衆生は、如来の知見・神通力・畏れのない態度を讃めたたえるでえあろうが、これでは衆生を済度することはできなくなる。
なぜなら、そうでなくてもこの諸の衆生は未だ”生・老・病・死・憂悲苦悩”を免れずにいるのであり、このような、全世界の”燃え盛る家(=生・老・病・死・憂悲苦悩)”にとどまって焼かれてしまうであろうからである。
 方便を使わなかったなら、どうすれば仏の智慧を理解できるだろうか。
 舎利弗よ、かの長者は、腕力(実力)があっても、それを用いなかった。
ただ、手段を尽くした方便をもって多くの子供たちを火の家から救済して、しかも後ほど各々に珍宝の大車を与えた。
 如来もまた同じようにするのである。
 如来は現状をすぐにどうにでも変えられる神通力があり、畏れるものは何もない。
けれども、あえてそれをしないで、ただ、智慧と方便をもって全世界の燃え盛る家より衆生自身を救済しようとして、レベルに応じて三乗の声聞(聞いて悟るもののための教え)・辟支仏(ひとりで悟るものへの教え)および仏乗を説くのである。
 そして次のように付け加える。
あなた達は、遊びにふけって全世界の燃え盛る家に留まることがないようにしなさい。
つまらない古びた色・声・香・味・触を貧ることがないようにしなさい。
 もし貧り執着して愛着を起こせば、すなわちそれらに焼かれてしまうであろう。
あなた達は、速かに、この欲望の世界を出でて、三乗の声聞・辟支仏および菩薩の教えの乗り物に乗りなさい。
 私はあなたたちのためにこのことを責任を持って、あとで虚しかったということがないようにしましょう。
だから、あなた達よ、しっかりとこれを勤め修行し精進しなさい。」

 如来は、この方便をもって衆生を誘い導いた。
 またこのように言われました。
「あなた達よ、しっかりわきまえなさい。
この三乗の法は皆、聖者が褒め称えているものである。
それは、自由自在であって束縛がなく、すべてが含まれていて、これ以外には必要で求めるものはない。
この三乗の、それぞれのレベルにふさわしい教えに乗って、穢れのない根・力・覚・道・禅定・解脱・三昧等を十分に精進して獲得し、それに自ら楽しんで、すなわち無量の安穏快楽を得なさい。」


 舎利弗よ、ある衆生がいて、内に智慧の素質があって、仏、世尊に従い法を聞いて信じて受け入れ、丁寧に精進して、速かにこの世界を出て自ら涅槃を求めるならば、これを声聞乗と名づけよう。
 前の譬えで言えば、羊車を求めて火宅を出た子供たちにあたる。
 ある衆生がいて、仏、世尊に従い法を聞いて信じて受け入れ、丁寧に精進して、大自然に備わっている法を知る智慧を求め、ひとりで善き寂静の境地を求め、深く諸法の十二因縁を知るならば、これを辟支仏乗と名づけよう。
 前の譬えで言えば、鹿車を求めて火宅を出た子供たちにあたる。
 ある衆生がいて、仏、世尊に従い法を聞いて信じて受け入れ、勤め修行し精進して一切智(一切のものを知る智慧)・仏智・自然智(自然にすべてを済度に向ける智慧)・無師智(ひとりで悟る智慧)・如来の知見・神通力・無所畏(畏れのないこと)を求め、無量の衆生を心にかけ安楽にして、天や人々を利益し一切のものを済度し解脱させるならば、これを大乗と名づけよう。
 菩薩が、この乗を求めるが故に名づけて摩訶薩と言おう。
 前の譬えで言えば、牛車を求めて火宅を出た子供たちにあたる。


 舎利弗よ、かの長者の、多くの子供たちが無事に燃え盛る家から脱出できて安全なところにいるのを見て、しかも財産が無限にあるから、平等に大きな車を与えたように、如来も同じことをするのである。
 私は一切衆生の父である。

若し無量億千の衆生が、仏教の門に入らせて全世界の苦・怖畏の険しい道を出て、涅槃の楽しみを得たのを見て、如来は、このように思った。
「私には無量無辺の智慧・神通力・無畏等、諸仏の法の蔵がある。
この多くの衆生は皆我が子である。等しく大乗を与えよう。
人としてひとりたりとも滅度を得させないでいられようか。皆、如来と同じとなって入滅・済度を実現させてあげたい。」

 この多くの衆生の穢れた世界から脱出した者には、悉く諸仏の禅定・解脱等の娯楽の道具を与える。

3つに分かれてはいるものの、皆、これは同一の様相・同一の種類であって、聖者の称歎しなさるものである。
浄らかで妙なる第一の楽を生ずることができるのである。

 舎利弗よ、かの長者が初め三車を以て子供たちを誘引し、後にただ一種類の大車の宝物で荘厳し最上の安穏を与えたことに、当然、かの長者が虚妄の咎がないように、如来もまた同じであって、虚・偽りがあることはない。
 初め三乗を説いて衆生を引導し、然して後にただ最上の大乗をもって衆生を済度し解脱させる。
 なぜなら、如来は無量無限の智慧・神通力・無所畏・諸法の蔵があるが、いきなり大乗の法を一切衆生に与えても、大きくあふれてうまく受けとれないからである。


 舎利弗よ、この因縁をもって、まさに知りなさい。諸仏は、本来は一仏乗のところを、方便力を使って三乗に立て分けて説きなさるのである。







その時に世尊は、重ねてこの意義を宣べようとして、偈の形式で言った。



譬如長者 :譬えば長者に
有一大宅 :一つの大きな邸宅があった。
其宅久故 :その家は久しく古びて
而復頓弊 :壊れ朽ちている。



堂舎高危 :高い堂舎は危くて
柱根摧朽 :柱の根は朽ち砕けて
梁棟傾斜 :梁も棟も傾きゆがみ
基陛頽毀 :基礎や階段は頽れくずれ、



墻壁圯拆 :垣根も壁も破れ裂けて
泥塗褫落 :壁土ははがれ落ち
覆苫乱墜 :草むしろも乱れおち
椽梠差脱 :たるきもひさしも、たがいちがいに抜けていて



周障屈曲 :周囲の垣根は曲がっていて
雑穢充遍 :汚いものがいっぱいにある。

有五百人 :そこに五百人いて
止住其中 :その家に住んでいる。



鵄梟鵰鷲 :とび、ふるろう、くまたか、わし
烏鵲鳩鴿 :からす、かささぎ、山鳩、家鳩などの鳥類や、
蚖蛇蝮蠍 :トカゲ、ヘビ、マムシ、サソリ、
蜈蚣蚰蜒 :ムカデ、ゲジゲジ、



守宮百足 :イモリ、オサムシなどの虫や
鼬貍鼷鼠 :いたち、たぬき、はつかねずみ、ねずみなどの動物など、
諸悪虫輩 :多くの悪虫の群れが
交横馳走 :わがもの顔で走り回っている。



屎尿臭処 :屎尿の臭いところは
不浄流溢 :不浄物が、流れあふれ
蜣蜋諸虫 :クソムシなどの、多くの虫が
而集其上 :その上に集まり、



狐狼野干 :きつね、おおかみ、野干が
咀嚼践踏 :死体を、噛みつき食べたり、踏み散らしたり
嚌齧死屍 :咬み食いして
骨肉狼藉 :骨や肉を散らばらして
(歯+齋がコードにないので嚌をあてました)


由是群狗 :これによって、野犬が群がり
競来搏撮 :競いやって来って食いつき
飢羸慞惶 :飢えて、つかれて恐れて
処処食求 :あちらこちらで、食い物を求める。



闘諍摣掣 :闘い、争い、引き裂きあい、
啀齟喤吠 :歯をむき出して、いがみ、怒鳴り、吠える。
(歯+此がコードにないので齟をあてました)
其舎恐怖 :この家の恐怖や
変状如是 :異常なことは、以上のようだ。



処処皆有 :所々に、皆
魑魅魍魎 :ものの精、
夜叉悪鬼 :夜叉や悪鬼がいて、
食人肉 :人肉や

毒虫之属 :毒虫の類を食いつき、

諸悪禽獣 :多くの悪い鳥や獣がいて、
孚乳産生 :卵をあたため乳を飲ませ、産み育てながら
各自蔵護 :各々自ら、かくまって守っている。



夜叉競来 :夜叉が、競ってやって来て
争取食之 :争い取って、これを食べる。
食之既飽 :これを食べて、食べ飽きてしまうと
悪心転熾 :悪い心が、よりいっそう盛んになって

闘諍之声 :闘争の叫び声をあげていて、
甚可怖畏 :はなはだ怖ろしい。


鳩槃荼鬼 :鳩槃荼鬼(悪魔の一種)は
蹲踞土埵 :土くれにうずくまって、

或時離地 :ある時は
一尺二尺 :一尺二尺も飛び上がり、
往返遊行 :行ったり来たりして遊びまわり、
縦逸嬉戯 :好き放題に戯れている。



捉狗両足 :犬の両足をつかまえて
撲令失声 :振り回し打ちつけて声がでないようにしたり
以脚加頚 :脚で首を踏みつけたりして
怖狗自楽 :犬を怖して自ら楽しんでいる。



復有諸鬼 :また、多くの鬼がいる。
其身長大 :その体は高く大きく、
裸形黒痩 :裸で黒く痩せていて
常住其中 :常にその家に住んでいて

発大悪声 :大きな嗚咽を発して
叫呼求食 :叫び呼んで食いものを求める。


復有諸鬼 :また、多くの鬼がいる。
其咽如針 :その咽は針のようだ。

復有諸鬼 :また、多くの鬼がいる。
首如牛頭 :首は牛の頭のようだ。
或食人肉 :あるものは人肉を食い
或復噉狗 :あるものは犬を食う。



頭髪蓬乱 :頭髪は、よもぎのように乱れ
残害兇険 :殺害することが残虐で、凶暴で危険である。
飢渇所逼 :飢えや渇わきに迫られて
叫喚馳走 :大声で叫喚し走りまわる。



夜叉餓鬼 :夜叉や餓鬼や
諸悪鳥獣 :多くの悪い鳥獣が
飢急四向 :飢えのため、四方に突撃し
闚看窓牖 :窓からうかがい狙っている。



如是諸難 :このような多くの災難があって、
恐畏無量 :恐ろしいことは、はかりしれない。



是朽故宅 :この朽ち古びた家は
属于一人 :一人の人の所有であったが、
其人近出 :その人が近くに出かけてから、
未久之間 :まだ時間がたってないうちに、



於後宅舎 :後に家に
忽然火起 :忽然として、火事が起って
四面一時 :四方へ、たちまち、
其焔倶熾 :その炎が、盛んにたちこめている。



棟梁椽柱 :棟(はり)梁(むね)椽(たるき)柱(はしら)は
爆声震裂 :爆音をあげて燃え、震えて裂け、
摧折堕落 :くだけて、折れ落ち
墻壁崩倒 :垣根や壁は、崩れ倒れる。



諸鬼神等 :住んでいた多くの鬼神等が、
揚声大叫 :大声を揚げて叫ぶ。

鵰鷲諸鳥 :鵰(くまたか)鷲(わし)など多くの鳥や
鳩槃荼等 :鳩槃荼(くはんだ)等の鬼は、
周章惶怖 :あわてふためき、驚き怖れて
不能自出 :自ら、家から出ることができない。



悪獣毒虫 :悪い獣や毒虫は、
蔵竄孔穴 :そこらの穴に隠れて逃れ、
毘舎闍鬼 :毘舎闍鬼(肉を食う悪鬼)も
亦住其中 :また、その穴の中に隠れている。



薄福徳故 :それまで行ってきた福徳が薄いために
為火所逼 :火に迫られ
共相残害 :共に殺し合い、
飲血肉 :血を飲み肉を食い合う。



野干之属 :野干の類は、
竝已前死 :皆、その前に命絶えてしまった。
諸大悪獣 :すると、多くの大きな悪獣が
競来食噉 :競いあって、それを食う。



臭煙蓬桲 :臭い煙がたちこめて
四面充塞 :四方に充満する。



蜈蚣蚰蜒 :ムカデ、ゲジゲジや
毒蛇之類 :毒蛇の類は、

為火所焼 :火に焼かれ
争走出穴 :争い走って穴から出てくる。


鳩槃荼鬼 :鳩槃荼鬼は
随取而食 :とり放題に取って食う

又諸餓鬼 :また、多くの餓鬼は、
頭上火燃 :頭上に火が燃えて
飢渇熱悩 :食に飢えて、のどが渇き、熱に悩んで
周章悶走 :あわてて悶え走りまわる。



其宅如是 :この家は、このように、
甚可怖畏 :はなはだ怖ろしい、恐ろしい。
毒害火災 :毒害や火災は
難衆非一 :ひとつどころか多くやってくる。







是時宅主 :この時、家の主人は
在門外立 :門外に立っていて、
聞有人言 :ある人の言葉を聞いた。
汝諸子等 :あなたの多くの子供たちが、



先因遊戯 :先に遊び戲れて
来入此宅 :この家に入っていき、
稚小無知 :幼稚で、わからずやで
歓娯楽著 :歓び娯楽に取り付かれてしまっている。



長者聞已 :長者は聞き終わると
驚入火宅 :驚いて燃え盛る家に入って
方宜救済 :なんとか救済して
令無焼害 :焼死することがないようにしたいと、

告諭諸子 :多くの子供たちを諭して
説衆難患 :多くの患いや災難を説いた。


悪鬼毒虫 :「悪鬼や毒虫がいて
災火蔓莚 :火災がひろがって

衆苦次第 :多くの苦しみが次第に
相続不絶 :絶え間なく続いてやってくる。


毒蛇蝮 :毒ヘビ、トカゲ、マムシ
及諸夜叉 :及び多くの夜叉、

鳩槃荼鬼 :鳩槃荼鬼や
野干狐狗 :野干、きつね、たぬき
鵰鷲鵄梟 :鵰(くまたか)、鷲(わし)、鵄(とび)、梟(ふくろう)


百足之属 :百足(オサムシ)の類は

飢渇悩急 :飢えと渇(かわき)で、もがき回って
甚可怖畏 :はなはだ怖ろしい。
此苦難処 :この苦しみすら対処し難いのに
況復大火 :まして燃え盛る炎は、なおさらである。」と。



諸子無知 :子供たちは全く分からないので
雖聞父誨 :父の教えを聞いているといっても
猶故楽著 :なお遊びに夢中で
嬉戯不已 :やめて出ようとしない。



是時長者 :この時、長者は
而作是念 :こう考えた。
諸子如此 :子供たちはこんな調子で、
益我愁悩 :私の愁い悩みは尽きない



今此舎宅 :今、この舎宅は
無一可楽 :楽むべきものは何一つない。
而諸子等 :なのに、多くの子供たちは
躭湎嬉戯 :遊戲に溺れていて
(女+冘がないため躭をあてた)

不受我教 :私の教えを受けず
将為火害 :まさに焼け死のうとしている。


即便思惟 :このように、即座に考えて
設諸方便 :諸々の方便を使って

告諸子等 :子供たちに告げた。
我有種種 :「私は種々の
珍玩之具 :珍しい玩具である
妙宝好車 :大いなる宝で飾ったすばらしい車を持っている。



羊車鹿車 :羊車、鹿車
大牛之車 :大牛の車である。
今在門外 :それらは今、門の外にある。
汝等出来 :君たちよ、出で来なさい。



吾為汝等 :君たちの為に
造作此車 :これらの車を造ったのだ。
随意所楽 :思うがままに
可以遊戯 :これで遊びなさい。」



諸子聞説 :子供たちは
如此諸車 :このようなすばらしい車があると聞いて
即時奔競 :即時に、競って
馳走而出 :馳走し、外へ出で

到於空地 :空地にでたので
離諸難苦 :多くの苦難を逃れた。



長者見子 :長者は子供たちが
得出火宅 :火宅を出て

住於四衢 :四辻にいるのを見て
坐師子座 :師子の座(気高い場所)に坐った。


而自慶言 :そして自ら喜んで言った。
我今快楽 :「私は今、とても楽しい。

此諸子等 :この子供たちは
生育甚難 :教育することがとても難しい。


愚小無知 :幼く愚かで無知にして
而入険宅 :危険な家に入っていた。

多諸毒虫 :多くの毒虫
魑魅可畏 :魑魅多くして、畏るべし。


大火猛焔 :猛だけしい大きな炎が
四面倶起 :四方より一面に起こっているのに

而此諸子 :この子供たちは
貧楽嬉戯 :遊びに貪り夢中であった。


我已救之 :私はすでに子供たちを救って、
令得脱難 :難を脱れさせることができた。

是故諸人 :この故に人々よ。
我今快楽 :私は今、とても楽しい。」



爾時諸子 :その時、子供たちは
知父安坐 :父がゆっくりと座っているのを見て

皆詣父所 :皆、父の所に詣でて
而白父言 :父に言った。


願賜我等 :「どうか私たちに
三種宝車 :三種の宝車を与えてください。

如前所許 :前にお聞きしたように、
諸子出来 :外へ出たら


当以三車 :三種類の車を
随汝所欲 :ほしいままに与えるとおっしゃいました。

今正是時 :今、ちょうどそのときです。
唯垂給与 :どうか、与えてください。」



長者大富 :長者は大いに富んで
庫蔵衆多 :蔵や倉庫はたくさんあった。

金銀瑠璃 :金・銀・瑠璃
硨磲碼碯 :硨磲(しゃこ)や碼碯(めのう)など、


以衆宝物 :多くの宝物をもって
造諸大車 :諸の大車を造り

荘校厳飾 :厳かに飾りたて
周帀欄楯 :ぐるりと欄干をつけて


四面懸鈴 :四面に鈴をぶらさげて
金縄絞絡 :金の縄でくくりつけ

真珠羅網 :真珠の網を
張施其上 :その上に張りめぐらせ


金華諸纓 :金でできた華の房が
処処垂下 :ところどころに垂れ下がり

衆綵雑飾 :多くの装飾がいろいろに
周帀圍繞 :ぐるりと取り巻いている。


柔軟繒纊 :柔軟なシルクの綿でできた
以為茵蓐 :布団をしき
上妙細氎 :高級な毛布は
価直千億 :千億もする、価値あるもので、

鮮白浄潔 :真っ白で浄らかで清潔であり、

以覆其上 :その上に覆っている。


有大白牛 :大きな白牛がいて
肥壮多力 :肥って壮んで力が強く
形体妺好 :立派な体形の白牛が
以駕宝車 :宝車を引っ張っていて

多諸儐従 :多くの客を導く人々が大勢いて
而侍衛之 :これに従っている。


以是妙車 :このすばらしい車を
等賜諸子 :等しく子供たちに与えた。

諸子是時 :このとき子供たちは
歓喜踊躍 :歓喜し踊りあがって


乗是宝車 :この宝車に乗って
遊於四方 :四方に遊び

嬉戯快楽 :遊び戲れ楽しんで
自在無碍 :自由自在、好き放題になった。







告舎利弗 :舎利弗に告ぐ
我亦如是 :私もまた同様である。
衆聖中尊 :多くの聖者の中でさらに尊い
世間之父 :世界の父である。



一切衆生 :一切衆生は
皆是吾子 :皆、私の子であるが、
深著世楽 :深く世間の楽に執着して
無有慧心 :智慧を求める心がない。



三界無安 :この世界は安らかなところはなく
猶如火宅 :なお燃え盛る家と同じである。
衆苦充満 :多くの苦しみが充満していて
甚可怖畏 :甚だ怖ろしい。



常有生老 :常に生老
病死憂患 :病死の憂い患いがある。
如是等火 :このような煩悩の炎が
熾然不息 :燃え盛っていて、止まないのである。



如来已離 :如来は既に
三界火宅 :世界の燃え盛る家を離れて

寂然閑居 :静寂な境地に静かにいて
安処林野 :林野に安らかに身を置いている。


今此三界 :今この世界は
皆是我有 :皆これ私のものである。

其中衆生 :この中の衆生は
悉是吾子 :ことごとく、わが子である。


而今此処 :しかも今この場所は
多諸難患 :多くの患いや災難が多い。

唯我一人 :唯一、私だけが
能為救護 :うまく救い護ることができる。



雖復教詔 :また、子供たちに教え諭しても
而不信受 :信じて受けいれることをしない。

於諸欲染 :多くの欲に染まって
貧著深故 :深く貧り執着しているからである。


是以方便 :そこで、方便を使って
為説三乗 :その為に三乗を説き、

令諸衆生 :多くの衆生に
知三界苦 :世界の苦しみを知らせ
開示演説 :世界から脱出する道を
出世間道 :開き示し演説するのである。



是諸子等 :この多くの子供たちは
若心決定 :もし心にしっかり決意すれば
具足三明 :三明と
及六神通 :及び六神通を備えて

有得縁覚 :縁覚と
不退菩薩 :不退の菩薩の境地を得ることができる。



汝舎利弗 :汝、舎利弗よ
我為衆生 :私は衆生の為に
以此譬喩 :この譬喩をもって
説一仏乗 :一仏乗を説く。



汝等若能 :汝等が、もしよく
信受是語 :この語を信受したら
一切皆当 :一切、皆、当に
得成仏道 :仏道を成ずることができる。



是乗微妙 :この乗は、非常に優れていて
清浄第一 :清浄で第一の法である。
於諸世間 :諸の世界において
為無有上 :これ以上のものはない。



仏所悦可 :仏が喜んで許可されるところであり、
一切衆生 :一切衆生の
所応称讃 :称讃し
供養礼拝 :供養し礼拝すべきところである。



無量億千 :その上、無量億千の
諸力解脱 :多くの力、解脱、
禅定智慧 :禅定、智慧、
及仏余法 :及び仏の、それ以外の法がある。



得如是乗 :このような乗を得させて
令諸子等 :多くの子供たちをして
日夜劫数 :昼も夜も、永遠に
常得遊戯 :常に遊び戲れることができるようにしてあげる。



与諸菩薩 :諸の菩薩や
及声聞衆 :及び声聞たちとを
乗此宝乗 :この宝の法に乗せて
直至道場 :直ちに道場に至らせる。



以是因縁 :この因縁をもって
十方諦求 :十方に明らかに求めても
更無余乗 :一仏乗以外に法はない。
除仏方便 :ただし仏の方便の法は例外である。







告舎利弗 :舎利弗に告ぐ
汝諸人等 :貴方達多くの人々は
皆是吾子 :皆これ、わが子である。
我則是父 :私は父である。



汝等累劫 :貴方達は、長い年数を重ねて
衆苦所焼 :多くの苦に焼かれているところを
我皆済抜 :私は皆救い出して
令出三界 :この煩悩の世界を脱出させたのである。



我雖先説 :私は先に
汝等滅度 :貴方達は涅槃に達したと説いたけれども
但尽生死 :ただ、生死が尽きただけであって
而実不滅 :真実には、煩悩は滅していない。



今所応作 :今、貴方達が、なすべきことは
唯仏智慧 :ただ、仏の智慧だけである。
若有菩薩 :もし菩薩がここにいるならば
於是衆中 :この集まりの中で
能一心聴 :よく一心に
諸仏実法 :諸仏の真実の法を聴け。



諸仏世尊 :諸仏・世尊は、
雖以方便 :方便を使われたというけれども
所化衆生 :教化される衆生は
皆是菩薩 :皆、菩薩である。



若人小智 :もしも誰かが、智慧がなくて
深著愛欲 :深く愛欲に執着しているならば
為此等故 :その人のために
説於苦諦 :苦に関する真理(苦諦)を説きなさる。



衆生心喜 :衆生の心は喜んで
得未曾有 :いまだかつてない最高のものを得る。
仏説苦諦 :仏の説きなさる苦に関する真理は
真実無異 :真実であって、間違っていることはない。



若有衆生 :もしも、衆生がいて
不知苦本 :苦の本質を知らず
深著苦因 :深く苦の原因となるものに執着して
不能暫捨 :それをしばらくも捨てることができないならば、

為是等故 :その人たちのために
方便説道 :方便を使って道を説きなさる。


諸苦所因 :多くの苦の原因は
貪欲為本 :貪欲が根本にある。

若滅貪欲 :もし貪欲を消滅すれば
無所依止 :執着するよりどころそのものがない。


滅尽諸苦 :多くの苦を消滅し尽くしたのを
名第三諦 :第三の真理=滅諦という。

為滅諦故 :滅諦のために
修行於道 :八つの道(八正道)を修行するのである。


離諸苦縛 :多くの苦縛を離れることを
名得解脱 :解脱というのである。

是人於何 :この人は、何において
而得解脱 :解脱を得たのか。


但離虚妄 :ただ虚妄(いつわり)から離れたのを
名為解脱 :解脱を得たと、いっただけで

其実未得 :これは実際には未だ
一切解脱 :すべての解脱を得たのではない。


仏説是人 :仏は、この人は
未実滅度 :いまだ涅槃を得ていないと説きなさっている。

斯人未得 :その人が未だ
無上道故 :無上道を得ていない故に
我意不欲 :私(仏)の心でも
令至滅度 :涅槃に至らしめたと思わないのである。



我為法王 :私は法の王であり、
於法自在 :法において自由自在であるから、
安穏衆生 :衆生を安穏にするために
故現於世 :この世界に現れたのである。




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