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P45, 増上慢な本仏、誤った「仏教史観を語る」、寺院不要論

■ 増上慢な本仏


 有名な寺院不要論の発端となった昭和52年1月元旦の勤行会(全国で50万人参加、海外で10万人以上参加)での、池田大作の挨拶のテープが、以下のようにある。

「創価学会の信心が日蓮大聖人のご精神に直結した信心で、その信心の血脈をうけた皆さん方は、絶対に最高の、世界最高、宇宙最高の功徳を受けます。福運を受けられる。…中略…その理由は…中略… 第一番目に、日蓮大聖人の御書の通りに実践しておるのが創価学会でございます。いな創価学会しかない‼ もはや御本尊は全部同じです。…中略…御書の中に法華経を広め広宣流布に向かっていくならば必ず三障四魔がある。三類の強敵がある、猶多怨嫉がある、と明言されております。創価学会しか猶多怨嫉はありません。中傷批判もありません。三類の強敵もありません。…中略…故に成仏しないわけはありません。大功徳が湧かないわけがない。
 尚、第二番目には、物の布施という次元から言うならば…中略…まず大聖人の御遺命である正本堂を建立しました。誰がしましたか途中で。創価学会がしたんです。私がしたんです。そうでしょう? 大聖人はお喜びでしょう。御本尊様は最大に創価学会を賛美することはまちがいない。
 寺院というものは、葬式それから結婚式それからエー御受戒儀式の場なんです。勘違いしちゃいけません。われわれは広宣流布だ。大聖人の遺命は広宣流布なんです。そうでしょう? 簡単なんです。そこは……唯、儀式、われわれは実質の人間革命、社会を改革する。更に広宣流布の御本尊を流布する、そういう重大な次元の役目が、御本仏日蓮大聖人から直結しております。
 したがって、信心の血脈こそ大事なんです…中略…形式は必要ない。尚、正本堂を建立し、本山に於いては、大坊も創価学会の寄進です。大講堂もそうです。大客殿もそうです。大化城もそうです。総坊もそうです。五重の塔、御影堂、三門も全部修復したのは私です。創価学会であります。坊もいくつも造った。いな、何百という寺院もつくりました。昔は二か寺つくると大講頭…中略…。したがって、御書の通り物の布施に於いても一番重大な法の布施に於いても、これ又、大聖人様の御身の智に感応したが故に賞賛され、絶対の信頼があるが故に、これだけの折伏ができた。…中略…
 みなさん功徳をいただいてますね?(ハイ)まだまだ今までの何千倍、何万倍、何億倍も受ける資格がある。受けられる土壌がある。これが創価学会の信心なんです。だから、創価学会の信心には、世界一、宇宙第一の功徳があるんだ。…中略…その創価学会を馬鹿にしたり、金儲けの手段にしたり、又は権威でおさえようとしたり、又は中傷批判した場合には仏罰があります。全部地獄へいきます」



 原島崇は自著「池田先生への手紙」P141から、この演説をとりあげ、池田の増上慢を以下のように諫言している。
 「ものすごい気迫を私は感じました。しかし、いま考えればこの元旦の発言こそは、創価学会エゴイズム、池田先生のエゴイズム、いな傲慢を醜く露呈したものであり、残念でなりません。
〝日蓮大聖人の御書の通りに実践しているのは創価学会しかない‼〟というのは、宗門はそうではないとの発言ととってさしつかえないと思います。全体の流れは、日蓮大聖人――創価学会(=池田先生)直結であり、そこにつらなる人のみが、世界一、宇宙一の功徳を受けられるというのです。これでは宗門の入る余地はまったくありません。しかし、日蓮大聖人の御書通り実践するということは、私たち凡夫にはとうていできません。日蓮大聖人の御書は、私たちの明鏡であり、私たちの実践をたえず正していくことはできても、御書通り実践するとは大聖人の通り実践するということと同じ意味であって、私たちのできうるところではないのです。それを池田先生は実践されたというのでしょうか。如説修行(仏説の如く修行する)というのは、私たちの実践目標であり、たえずそれに向かって精進することは大切ですが、自分は御書通り実践したなどと、かりそめにも言うことはできないはずです。
 また、「全部、創価学会がした」といい、すぐに「私がした」というのは、創価学会イコール池田先生であることを示しております。こうした御供養、寄進は、御本尊のために少しでもすることができた、有難いと報恩感謝の念をもつべきであって、「私はこれだけの大きなことをやった」などというのはぜんぶ自己の名声欲、権勢欲のあらわれでしかありません。有難や、受けがたき人身を受け、大御本尊のお力によって、また、御宗門の暖かいご理解をえて、仏子である皆さん方の助けを得、このように今世において多少なりともお役に立てたことは、我が身とみなさんの福運なりと感謝すべきであって、逆に驕りたかぶることは、仏法上、最も忌むべきことなのです。…中略…
 さらに「一番重大な法の布施に於いても、これ又、大聖人様の御身の智に感応したが故に」とありますが、前にも述べましたが「私と感応したかどうかで信心が決まる」というご発言などと考え合わせると、日蓮大聖人に池田先生は感応している、したがって私たちは池田先生に感応しなければならないことになり、池田先生即、日蓮大聖人の生命となり、かくして池田先生の本仏論は、みごとに成り立つわけです。
 また「寺院は葬式の場」であるとし、大聖人と直結せず、したがってそこには信心の血脈は流れていない、「我々の次元に於いては……形式(ここでは儀式の意=筆者注)は必要ない」となれば、だれも寺院に行く必要はなくなってしまいます。あげくのはて「創価学会を馬鹿にしたり、金儲けの手段にしたり、又は権威でおさえようとしたり、又は中傷批判した場合には仏罰があります。全部地獄へいきます」と脅すのです。「金儲けの手段にしたり、権威でおさえようとしたり」とは、今日の創価学会、池田先生の姿と重なって皮肉ですが、それはともかくこれは、ときの御法主日達上人(権威)をもふくめて、学会に批判的な僧侶に対して向けられた発言です。他にも私は、日達上人に対しても、聞くに耐えない暴言、悪口を、先生からじかに耳にしています。また、そうした資料もたくさんあります。その同じ先生が、今日、くるりと変わって猊下(日顕上人)の言うことを聞かない僧侶は謗法であるなどというのですから、どうなっているのかと、ただただ疑問に思うのです。
 その元旦の日の夕方からの代表幹部との会食、その後の会合も終始、御宗門への攻撃的な発言でしたが、その内容は略すことにします。また、池田先生はそのころ、とみに「僧侶(広く宗門)は異質の動物である」とまでさげすんでおられましたが、こうした傲慢無礼な発言は、自らの心の〝さもしさ〟をあらわしております」


 この、原島崇の池田大作への諫暁は、彼の考えの基底が当時の日蓮正宗の受け継いでいた日寬アニミズムであることはさておき、極めて的を当てている指摘である。
 御供養とは前ページでも述べたが、本来「まごころ」で行うものであり、そこに見返りを要求したり期待した時点で御供養ではなくなる。
この見返りには、証拠や領収書、相手からの感謝、回りからの賞賛や評価なども含まれているはいうにおよばない。この点が、寄附とは異なることである。
 御供養の目的は、本来、特定の他人や社会のために行なうのではない。
あくまで自分自身が仏に成る、自身の境涯を上げる修行、自分の為として行う、菩薩の行為である。
 それが、即ち、結果として直接またはまわりまわって他人や社会のためになる。
これを真の慈悲の行為という。
 特定の他人や社会のためになる行為ではあるが、あらかじめその見返りを考えた、前提とした、それを計算に入れた行為は、慈悲の行為でもなんでもなく、こういうのを「偽善」というのである。
 まあ、「偽善」であっても、漢字の部首の通り、「人の(為に)為す善」であるには違いない。
 「偽善」であっても、結果として特定の他人や社会の利益になり、それが社会の繁栄の一部分に貢献しているのは確かであるが、「偽善」によっておのれの利益をむさぼり、野望を実現する輩がなんと多いことか。
 これが名聞名利にまみれた社会の姿、これを仏法では「無明」という。


 こうした観点で検討すれば、上記の文言で「物の布施という次元から言うならば、創価学会は…中略…まず大聖人の御遺命である正本堂を建立しました。誰がしましたか途中で。創価学会がしたんです。私がしたんです。そうでしょう? 大聖人はお喜びでしょう。御本尊様は最大に創価学会を賛美することはまちがいない」
 池田大作がこのように暴露した瞬間以降で、もう、正本堂は、仏法上での布施・御供養という前提が崩れるのである。
 しかも「私がしたんです」とは、増上慢も甚だしい。
 これは、かつての提婆達多をはるかに超えるのではなかろうか。
 かつて正本堂請願のときには「私ひとりではなしえないことです」と言って、多くの会員から355億円もの御供養を集めたのである。
 よくもよくも、少なくとも慈悲の精神を根底にする仏法の指導者という立場の人間でありながら、なんということを言ってくれたものだろう。
 さらに「尚、正本堂を建立し、本山に於いては、大坊も創価学会の寄進です。大講堂もそうです。大客殿もそうです。大化城もそうです。総坊もそうです。五重の塔、御影堂、三門も全部修復したのは私です。創価学会であります。坊もいくつも造った。いな、何百という寺院もつくりました。昔は二か寺つくると大講頭……」と念を押し、原島崇の指摘の通り、自己の名声欲・権勢欲をむき出しにしている
 この文言自体、仏眼で見るまでもなく肉眼であっても、自分の野望実現のために宣揚しているに過ぎないのが明白である。
 この上、図々しくも、「大聖人はお喜びでしょう。御本尊様は最大に創価学会を賛美することはまちがいない」と豪語しているが、日蓮が生きていたら、このような御供養を上っ面で弄んだ傲慢な行為がいかに物理的に大規模であっても、当然に喜ぶはずもなく、池田の言う「御本尊様」(すでに板マンダラは拝めなくなっている)も賛美するどころか、釈尊が提婆達多を叱ったことをはるかに超えるお叱りを受けるであろう。
 日蓮は「七宝をもって三千大千世界に敷きみつるとも、手の小指をもって仏法に供養するには如かず」と言っているのである。宝石を全宇宙に満たして与えるよりも、小指一本でできる「まごころ」の供養には及ばないという意味である。



 ところで、よく、創価学会風には仏罰といわれるが、池田はここでも創価学会を金儲け手段や誹謗中傷などすると仏罰として地獄域であると述べた。
 己の野望実現のために戸田城聖との師弟不二という絶対的盲目的服従関係を宣揚・利用しながら会員を権威で抑制し、自身の著作を側近に代作させて出版して末端組織の会員に買わせて金儲け手段としたり、組織を使って会員に名誉称号を集めるよう仕向けたり、真実を諫言する批判者を仏罰があると言ったのが、まさに今、自分自身の体と組織に因果応報の結果として顕れているのではあるまいか。
 創価学会組織ぐるみで隠しているのであろうが、創価学会員に限らず一般人も含めて、人前に姿を見せられないのが現在の状態なのではなかろうか。
 もっとも、この時の会場の多数の参加者は池田の前で洗脳状態であろうから、先述した「没在於苦海」の状態であったことは間違いなく、原島や私の指摘したことをこの時点で見抜いた人はわずかであっただろう。

 また、ここでのいつもの、御書の通りに実践してのは創価学会しかないという主張も、拙論文の前ページで指摘した如く、現在の創価学会の「大昔に釈尊が成仏の修行のために捨て去ったもの、そして日蓮が成仏のために当初から拒否・否定したところの名聞名利や栄華栄達を(特には池田大作についての栄誉栄達を)毎日のごとく、仏法上の御利益や偉大な実証の最第一と掲げて宣揚して憚らない姿を見れば、全く真実でないことが明らかなのである。



■誤った「仏教史観を語る」


 さて、上記の挨拶に続いて池田大作は、1977(昭和52)年1月15日、関西戸田記念講堂にて記念講演を行なった。これが「仏教史観を語る」といわれている講演である。
 この年初から始まった狂気の52年路線といわれる第1次宗門事件の様子は、新・人間革命 第27巻『正義』の章でも記載されている。
 当時、この講演内容は画期的であり、末端会員への徹底のために小冊子まで配布され、今でも創価学会シンパがネットでも公開している(アドレスは割愛)が、概ねは、元旦の本音を、浅薄な知識で根拠をでっち上げて様々に正当化し美辞麗句で飾って建前として表したものである。

 この講演で、池田大作は、仏教が革命の宗教であり“宗教のための人間”から“人間のための宗教”への転回が仏教の発祥だと切り出し、時代の経過で出家僧侶を中心とする一部のエリートたちの独占物となったのが小乗仏教であり、小乗に対する革命が大乗仏教と述べた。 さらにその説明として、釈尊滅後百年ごろ、仏教教団が「上座部」と「大衆部」に分裂した原因は、上座部の小乗教団が上に座るように、在家の民衆から供養を受けながら、それを当然のごとく考え、民衆を睥睨、エリート意識で君臨した教団、形式主義・官僚主義で民衆の苦悩から遊離したと決めつけ、それに対して大衆部の大乗仏教が在家民衆との対話・接触を保ち、仏教の原点を遂行したと断定した。

 これは、大乗仏教からの観点では、ほんの一部分的には是認されようが、中国から日本へ伝来した仏教しか眼中にない、しかもその仏法のあさはかな知識を根底とした、かなり歪んだ仏教史観である。
 小乗仏教は、その後インドを追われたが、東南アジア方面に伝わり、現在でも、イスラム教の各国の中でも仏教教団として一部の民衆に根づいている。
 そもそも「上座部」とは池田が言うような“上に座る”(特権階級)という文字通りの意味ではなく、仏法の修行経験年数の長い人の総称であり、単なる秩序的な目安である。
 さらに、出家僧は名聞名利を捨てて修行一本に励む「持たざる者」であり、托鉢(いうなれば乞食行為)によって、在家から受けていたのが供養、正確には布施である。
古代から「持てる者」が「持たざる者」に物を分かち合うのは善業や徳を積む当然の行為であり、そこには見返りを求めたりとか、強制とか、いやいやながらするということではなかった。
 また、与えられた者も、それによって相手に善業を積ませたことになるのだから、与えた者に対して感謝や称賛もしない。しかも、鉢にもらったものは持ち帰って修行者達で平等に分け合いながら食べていた。これが、当時の釈尊時代をはじめ、仏教が伝来した時代背景なのである。
 このような本来の布施や供養の意味を知らずに、このような修行者達に対しての彼の断定はいかに仏法を歪曲したものであろうか。
 上座部の教団は、確かに、紙や筆のない中、主に暗唱によって、釈尊の教えを厳密に言葉通りに伝えるように努力したが、そこには時代の流れや伝来した地域の事情によって釈尊の教えをアップデートすべきことも積み重なった。それが大乗仏教として芽吹いたのである。

 この自身の歪んだ仏教史観を根拠に、池田は、仏教が沈滞・形骸化した要因は仏教界全体が出家仏教に陥り、民衆を導けなくなったこと、本来仏教は民衆のものであり、その出家は、民衆の指導者であると述べた。

 仏教がみずみずしく躍動したのは事実だろう。しかし歴史的に沈滞・形骸化していったといえるであろうか。
 また、その後の文言は、たとえばイスラム教国イランのホメイニ氏のような絶対的宗教指導者を思いうかべながら、本来の仏教でも修行者はそうした民衆の絶対的指導者であるべきであるというの文言のようにも聞こえる。

 つづいて講演では、日寛の「撰時抄文段」、日蓮の「受けがたき人身を得て適ま出家せる者も・仏法を学し謗法の者を責めずして徒らに遊戯雑談のみして明し暮さん者は法師の皮を著たる畜生なり」や「然るに在家の御身は但余念なく南無妙法蓮華経と御唱えありて僧をも供養し給うが肝心にて候なり、それも経文の如くならば随力演説も有るべきか」(いずれも松野殿御返事、御書P1386)をあげ、僧侶が折伏に徹し、三類の敵人と戦い、広宣流布するのに対して、在家は成仏のため唱題し僧侶を支える立場であり、創価学会は在家、出家の両方に通ずる役割を果たしていて、創価学会以上に仏意にかなった和合僧は世界にない。だから成仏も功徳も、絶対に間違いないと述べた。
 ここで、仏意にかなった、成仏も功徳も、絶対に間違いないと思うのは個人の自由だが、仏意にかなった和合僧は世界にないとは極めて早計である。創価学会が学問的研究において一体どれだけの仏教教団の詳細を調べたというのであろうか。


 また続いて、講演では出家の意味について、大乗仏典の一つ「維摩詰経」での出家をあげ、出家とは名聞名利・煩悩から離れることで、剃髪はその徴で名聞名利・煩悩へ二度と帰らない決意とし、出家の象徴であった剃髪を「二度と家に帰らないとの決意であり、その志・決意と修行の深さが大切であり、この精神においては出家・在家の形式を問わず出世間(出家)の人々であるとした。また「大荘厳法門経」の「菩薩の出家は自身の剃髪を以て名けて出家と為すに非ず。何を以ての故に。若し能く大精進を発し、為めに一切衆生の煩悩を除く、是を菩薩の出家と名く。自身に染衣を被著するを以て名けて出家と為すに非ず。勤めて衆生の三毒の染心を断ず。是を出家と名く」も引用し、菩薩の出家は剃髪や僧衣は必要なく、大乗の菩薩僧の主流は俗衣を着した在家で活動する人であって、それが創価学会であるとしている。

 ここまでにある、日蓮の遺文まで悪用したこじつけには、ひたすら僧衣を着た修行僧(=ここでは日蓮正宗の僧侶)を、民衆を睥睨しエリート意識で君臨する悪と決めつけ、そうではない在家の民衆(=池田大作を頂点とする創価学会)を、仏意にかなった善なる存在と宣揚する意図が見える。

 むろん、大乗仏教の教えの中の、素晴らしい点の一つに、化儀や形式にとらわれず、純粋に慈悲の行為を行う万人に成仏の善業を説いた点である。
 だから、文字どおりであれば、この原点に立ち返ろうとする上記の主張は、当時の社会情勢を鑑みれば画期的な発想であり、形式に堕した既成仏教教団への大いなる警笛となり、科学的にも是認できるものと評価できるのではあるが。
 拙論文でも、日蓮正宗の歴史の中で、教団の堕落や原点回帰の動き(もちろん完全ではないもの)については指摘したとおりである。

 さらに、講演では、供養について、根拠として「諸法実相抄」の「日蓮を供養し又日蓮が弟子檀那となり給う事、其の功徳をば仏の智慧にても・はかり尽し給うべからず」をあげ、創価学会も未曾有の供養をしてきたので大福運・大功徳があると述べている。


 拙論文の前ページ等、くり返し指摘したが、未曾有の供養をしたから大福運・大功徳があると自ら言うのは、経文にも違背している。
 供養とは真心でするものであり、このように供養をしたからとあげつらうこと自体が、真心での供養ではなく見返りを計算に入れての行為であったことを自ら暴露しているのであって、その供養自体が供養でなかったことになるのは明白である。
 前にも取り上げたが、日蓮は、たとえば「七宝を以て三千大千世界に布き満るとも、手の小指を以て仏経に供養せんには如かず」(佐渡御書、御書P956)
や、
「法華経の第七に云く「若し復人有つて七宝を以て三千大千世界に満てて仏及び大菩薩・辟支仏・阿羅漢を供養せし、是の人の得る所の功徳は此の法華経の乃至一四句偈を受持する其の福の最も多きに如かず」(乗明聖人御返事、御書P1012)
と例をあげているのである。
 何をもって未曾有の供養をしたというのか。
 355億円の供養金を集めて正本堂を建てたことを、こんなにも鼻にかけているのを思いうかべると、片腹痛くなる。
 池田大作は、本当に日蓮の遺文や釈尊の経典を理解しているといえるだろうか。
 カネやモノの供養がその量に比例して功徳があると愚かにも思いこんでいるのではないか。
 大昔の釈尊在世で、貧女の一灯がアショカ王の膨大な供養に及ばなかったことをあげるまでもない。全宇宙に宝石を満たす供養よりも、小指を一本、仏法のために動かすには及ばないのである。
 池田の講演は、こういう点、まったく仏法本来の根本精神が分かっていない証拠である。

 つづいて講演では、維摩詰経での供養の意味を、仏法を流布し民衆救済に努める者は供養を受ける資格がある、その供養が民衆や仏法のために還元されるならば、仏法の本義であり、在家あっても供養を受けられるとした。

 さらに、法華経法師品の、法華経を受持、読、誦、解説、書写という五種の妙行を実践する者を法師と名づけ、在家、出家ともに、法華経受持の人は最高の供養を受ける資格があるとし、
 日蓮の遺文「法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱うる即五種の修行を具足するなり」(日女御前御返事、御書P1245)、「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は法師の中の大法師なり」(御義口伝、御書P736)、また、大石寺第66世日達の言った有髪・無髪を問わず信者すべてが和合僧の一員であるをあげて、出家も在家も全く同格であり、創価学会も大法師であり、供養を受けられるとした。

 法華経に限らず、大乗仏教を、現在の科学で一般化した観点でいえば、万人に仏の境涯が具わっている以上、万人に供養を受ける資格がある。
 上記の主張は、その論理的主張の筋展開のみを文字通り解釈すれば、これにむけた第一歩として大いに評価できる。
 しかしながら、その例として創価学会のみであることが明白であるところが、きわめて残念な点である。
 本来ならば、創価学会に限らず、成仏を目指す個人や集団すべてに当てはまる方程式とすべきであっただろう。
 出家も在家も同格との主張は、正宗僧侶も創価学会員も同じ、そして創価学会も大法師との論筋は、創価学会の頂点にいる池田大作自身を大法師のなかの大法師へと昇格させ、この時点で、池田大作が日蓮正宗法主を凌いだ本仏であると、結論として実質的に述べているのある。
 だから、これ以降の寺院の位置づけについての論説は、池田大作の創価学会が日蓮正宗よりも優れたものという前提で述べられている

 さらに、寺院の位置づけについて、寺院は本来修行者の場所であるとして、日蓮も寺院は持たず、草庵で折伏弘教したことは伽藍仏教であった宗教界への警鐘・仏教革新運動である。儀式だけしか行なわず布教しない寺院は寺院ではなく、学会の会館・研修所が近代における寺院であるとした。

 これも、先述と同様、創価学会に限らず、成仏を目指す個人や集団すべてに当てはまる方程式とすべきであっただろう。


 そのうえで、名前こそ出さないが日蓮正宗寺院を儀式を中心とした場とし、既成宗教が民衆を従属させて安泰を保ってきたから行き詰まりを見せていると述べて、批判している。
 対して学会の会館が、新しく開かれた宗教の基盤であるとして、創価学会の功績を強調・宣揚している。

 最後に、法華経神力品の「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」のとおりに日蓮が世間に行じたことをあげ、世間へ仏法を広めない姿勢は日蓮の実践の逆になるとして、暗に日蓮正宗の体制を非難しているのである。


 こういった傲慢な主張に対して、大石寺66世日達をはじめ宗門の僧侶や正信会、妙信講が異を唱えないわけがない。
 この池田の演説は、言論出版妨害事件で挫かれた野望の矛先を日蓮正宗の支配へ向けたものと考えられる。背後の共産党の攻撃をおさえるためになされた創共協定は、様々な資料から、このための準備と見ることができるが、ここでは割愛する。

 この池田大作の増上慢の最大の後ろ盾(功績)となったのが正本堂であり、池田大作は日蓮の生まれ変わりなどという「池田本仏」を組織内に醸成しながら、勢いに乗って特別財務と称して会員から膨大な金を集めて全国に学会施設(池田大作専用の豪華施設付き)や墓苑等を建設した。これを指摘した民社党が、こういった宗教施設の違法建築ぶりを「質問主意書」として内閣に提出しようとしたが、学会はあわてて大金を使って池田専用の豪華施設などを取り壊して改造し、中の豪華美術品などは関連企業の輸送会社のトラックの中に積み込んだまま、全国を回る事態になったことも、たしか山崎正友が自著で暴露している。
 ただ、この正本堂の意義が、日蓮の遺命、本門・事の戒壇「たるべき」存在であると、それを池田大作が成したこととして日達に認めさせていたのを、後の大石寺法主67世阿部日顕によって「未来のご仏智による」と否定・後退させられたことで、さらに対立を深める要因になっていく。
 池田大作の執着した名聞名利、すなわち池田本仏論を根底とした宗門支配への野望が、くしくも日寬アニミズムを忠実に受け継いだ日顕によって暴露され、結局破門されることにつながっていく。

 いずれも仏法の精神からは大きく離れ、現代科学の発展からも取り残された、時代錯誤の日寬アニミズムに固執し、真理へのアップデートが常にされないままのなかで繰り広げられる修羅界の醜い争いであり、一種の「平家物語」のようである。



■尊大性の萌芽


 「池田大作・政教支配の実態 創価学会=公明党の覚醒に向けて」(1998/11/20 創価学会内部改革派優創グループ(代表・大西進次郎)著、エスエル出版会 鹿砦社、P36—40)には、創価学会の内部からの、痛烈な指摘が述べられている。
 この当時の創価学会内部を明らかにしている重要な資料であるので、以下にあげておく。

 すなわち、池田会長が、自分は天皇ではなくノリ屋のむすこです、会長であろうが会員であろうが仏を敬う姿で、尊敬しきっていくべき(昭和三十八年十月四日、東北本部結成大会)と述べていたが、この謙虚な姿勢、庶民の感情を持ち続けていたら、この騒動は起きなかった。
やがて側近が増え、人が思うように動きだすと、乗る車、着物、住処、調度品等が豪華になり、本来の自身の境涯が露見した。
 昭和四十年十一月、正本堂の建設委員会の時、配席や料理に憤慨して、流会になった。その五日後に、責任者だった妙光寺住職で宗務院の総監をやっていた柿沼広澄師が、総監職を更迭された。
また、大石寺で、学会員信徒の面前で、池田大作が突然、日達に『約束の十三億五千万はどうしたのか、早く出しなさい』と命令調で言い、日達が『池田が、法主の私を小僧っ子扱いにした』とブルブル体を震わし激怒した。
以上を指摘して、こう述べている。
「私はこれを週刊誌で読んだ時、デタラメ書いているのは週刊誌で、謙虚な池田先生が、総監や猊下にそんなことをするはずがない、と深く考えようともしなかった。
 昭和五十年頃から、学会の副会長クラスや野崎とか原田という青年部の幹部が御僧侶を次々とつるしあげた事件というものが報道された時も、まさか事実ではないだろうと信じはしなかった。
…中略…
 その日、学会本部に呼ばれ、つるし上げられ、詫状を書いた御僧侶は、真っすぐ本山にゆき、日達猊下に一部始終話したそうである。
 日達上人は『そうか、そうか、いまはガマンだ、忍耐だよ』と言われたそうで、猊下の部屋から戻ってきた御僧侶とその御僧侶の同期生や同僚の人々は、在家からつるし上げをされ詫状を書き、それでも耐えねばならないくやしさに、夜の総本山で肩をくみ合いながら泣いたそうである。
…中略…

 会長就任当時の、謙虚さ、庶民会長の姿は一体どこにいったのであろう。
 総監を辞任に追い込み、猊下を叱りつけ、御僧侶をつるし上げる。これはいかなる理由があろうとも、池田氏は地獄の業因を作っていると思わざるを得ない。
 昔、仏法僧の三宝は仏宝の一宝にみられていたとのことである。僧宝も仏宝とのことである。
 戸田二代会長が言われた如く、『御供養は御本尊にしたのであって、その真心の如何によって功徳を受けるわけで、あと御僧侶がどう使おうが勝手である』という論法からすれば、御僧侶が邪宗の本尊を拝んだ等の大謗法を犯したのであれば、信者としていうべきかもしれないが、道徳上の問題程度なら、在家の人間が御僧侶を本部まで呼び出して、詫状まで取るとは越権行為、慢心行為もはなはだしいというべきである。
 猊下の弟子は、本山の規定に従って猊下が裁くのであって、在家の者に一体なんの権利がある。
 この当時の新聞やマスコミの報道を詳しく調べてみたが、自分の弟子が事もあろう日達上人の弟子をつるし上げたということで池田大作氏が日達上人に謝罪したという記事は一行もない。
 自分は広宣流布の大指導者である。ゆえに、総監、猊下を怒鳴ることができ、『僧侶をつるし上げてもなんら罪にならない』という増上慢、尊大性。
 このような性格は、創価学会が巨大化されるに比例し現われ始めた。

 池田大作氏の御僧侶に対する態度がその程度であるから、以下幹部右にならえである。
 私はそのような教団にあるのを恥ずかしくも思い、恐くも思う。
 猊下、御僧侶方は日蓮大聖人の直系である。
 もし私たちが死後大聖人の待つ霊鷲山に行って、『なに、お前が私の弟子をつるし上げた池田大作の弟子か、池田と共にここに来ることはまかりならぬ。地獄にゆけ』などと言われたら、長年信心の甲斐はない」



■二面性の落差

 少し前後するが、続いて同書P40-44には、「この半年ほどの『聖教新聞』を見ると、池田大作氏の講演は必ず一時間以上の長講演で、四条金吾とか、南条時光とか、釈尊の弟子を引き合いに出し、必ず退転者の末路や反逆者とか不知恩というような言葉がとび出す。
 明らかに、大橋・藤原氏の事件を意識した上での話であることがわかる。
 それにしても最近の池田氏の講演は、それら日蓮大聖人の時代に共に信仰をした信者の名や総本山歴代法主上人の話を引用しているが、つまるところ『信者の退転防止』なのである。
 いまから十年前や二十年前の池田大作氏の講演は、夢があり希望があり迫力があった。
 いまはとってつけたような文化論や、有名人志向の話と、退転防止のための話で、太陽西に沈む観の暗い影が見え始めた。
 池田大作氏の『聖教新聞』に載る内容と実語はかなりの違いがある。
  四月二十二日の本部幹部会での話は、次のようなものである。
『きょうこれから私が話したいことは、今一番、学会は魔と戦うことを忘れているといっておきたいんです。
 それはあまりにも仏法というものが、もう観念論になっている。
 ただ弁護士も必要かもしれないけれど、どうっていうことはない。東大出身も必要だけれど、どうっていうことはない。まあ、教学部長もどうっていうことないしね。一番大事なのは、学会の信心のある人です。本当に偉い人は議員でもなければ、著名人でもない。信心がある人だ』
 ここで池田氏が言っている弁護士とは山崎正友氏、東大出身というのは福島源次郎氏、教学部長というのは原島崇氏、そして議員というのは、大橋敏雄氏、藤原行正氏のことを言っていることは間違いあるまい。
 このぐらいはまだいい。宗教家池田大作氏ともあろうものが『聖教新聞』に名前こそ出さぬが、これらの人々を反逆者、退転者、魔、地獄行きと罵り冷笑する。
 私はこの罵言に池田氏の感情の起伏の激しい愛憎の二面性を見る思いがする。
 この山崎正友はかつて創価学会第一号弁護士として、とくに昭和四十四、五年の言論弾圧問題の時、池田大作氏を守ったことは事実で、常に創価学会のダーティの部分を守った時があった。
 福島源次郎氏は池田氏を本仏とまで言いながら、全国に池田崇拝の波動を起こした人であり、原島崇氏は『永遠の教学部長』とまで言われた時があった。
 その時、池田氏に対しては忠実な弟子であり下僕の如き姿をして仕えたはずである。
 そういう人間に、反逆、不知恩、魔と憎悪たっぷりに攻撃する。
 上杉謙信は宿敵武田信玄に塩を送ったことは有名だが、敵であっても池田氏にそれぐらいの人間としての情があったら、と思う。池田氏は口では美辞麗句を並べるが、宗教家としての『自愛と寛容』に欠ける。
 自分や創価学会を悪口する者には、宗教家という自分の立場を忘れ、唯一人の『戦闘者』となってしまう。

 池田氏には『社長会全記録」という、学会系企業の社長たちと会話した記録がある。これは側近だけという気安さであろう。そこに池田氏のありのままの人間像が見える。
『中曽根康弘は心配ない。こちらの小僧だ。総理大臣になりたいと言っていたので、よしよしと言っておいた。ケネディきどりだ。坊やだ』(於小富美 第六回社長会)
『松下幸之助はずるい奴だ〝PHP〟五十万部ですごく儲けている。もう少し下ると思うが道徳をとりあげている。松下教祖だ。社内の訓練も松下教だ』(於初波奈 第十二回社長会)
 出来上がった人間、創価学会でいう人間革命された人間というのは、裏も表もないはずだ。仏様が、表面は鄭重な言葉を使って、裏にゆくと『あの野郎』とか『あいつは』などと品のない言葉を吐くだろうか。池田氏の人間としては軽薄な二面性がここに存在する。
 池田氏は、昭和五十年、松下幸之助氏と『人生問答』ということで対談し、それを出版した。
 その序文に『人類の未来を思い、真剣に思索している人ならば、心から敬意を払い、対話に赴くのに吝かではない』とある。
 この言葉と『松下幸之助はずるい奴だ』と側近の前で自分を尊大ぶってみせる人間とが同じ人間なのだとは、なかなか信じられぬことであった。
 しかし、間違いなく二冊の本は現存し、この類の池田氏の人間二面性を物語る文献はいくらでも出せる。
 藤原弘達氏に対する言論出版問題の時、田中角栄自民党幹事長(当時)に泣きついたというのに、中曽根は小僧、坊やだ、と自分を偉くみせる。こういうことは、精神世界の宗教界では劣等生もいいとこである。
 人間を尊べ、革命しきった高潔な人間となれと表面ではいうが、裏では、日本の政財界を代表する人間を子供扱い、悪者扱いにしている。
 創価学会が信じられぬ体質をもつのは、その頂点に立つ池田大作氏のこのような人間の二面性の故ではないかと思う。
 池田大作氏が会長に就任して以来、昭和四十五年の言論出版弾圧事件で謝罪するまでが創価学会の上昇期であった。世帯数がうなぎ昇りにのぼった。
 この中心にいたのが池田大作氏である。これは池田氏の感情の激しさが、人々に熱い感動として伝わった故であろう。
 しかし、いま下り坂になった創価学会には、池田氏の感情の激しさは、さほどの価値は生まなくなり、むしろマイナスが生ずるのである。
 乱世の英雄、治世の能臣とはいうが、乱世には敵を次々と倒す英雄が必要であるが世が治まれば、なお覇道を唱える者に人間は自然と反発する。
 アルプス越えをした初期のナポレオンはフランスの民衆から救国の英雄として迎えられた。

 しかし、ロシア遠征で、数十万の兵士をむざむざと殺した時、フランスは英雄を必要としなくなっていた。
 乱世には英雄を待望するが、治世には英雄を必要としない一例である。
 いま、創価学会は、その初期に見られた、激しい折伏戦はやろうとはしていない。
『法華折伏、破権門理』という折伏を池田氏は放棄した。内部の混乱で忙しい池田氏は外部攻撃どころではないだろう。
 内部の組織固め、組織の混乱を防ぐのに手一ぱいである。それなのに『いまや創価学会は安定した広布のあげ潮』などの麗句で毎日の『聖教新聞』を飾っている。
 もしも『安定した広布のあげ潮』がほんとうならば、乱世の英雄的池田氏の存在価値はますますなくなろうというもの、池田氏の感情の激しさ、その二面的性格が、安定を求める創価学会に、むしろ逆説的な悪弊を生ぜしめている。
 第三、第四の大橋・藤原両氏が、この悪弊を破らんとして出る。この可能性を憂うるに、乱世の英雄は、ガラスの飾り箱に坐って戴いたほうがいいのではないか」と述べられている。


 なんともやりきれない思いがする指摘である。
 この指摘にある「デタラメ書いているのは週刊誌で、謙虚な池田先生が、総監や猊下にそんなことをするはずがない、と深く考えようともしな」いのは、今でも多くの熱心な末端創価学会員の姿の一面でもあろう。
 かく言う私も人生始まってから2年前まではそうであったのだから、今ではその分についての、また過去の拙記事も誤った部分についても含めて懺悔し、懺悔滅罪に励むため、知恵を絞る毎日である。
 だから、過去の記事のなかの誤った部分は、過去の創価学会のように都合よく捏造・隠蔽することは、私は仏法者として善しとせず、誤りも含めてそのままにしてあり、今後の検証にも役立てようと考えている。

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