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P04-1, 日蓮の仏法上の師、「不依法・依人」の日蓮本仏論、「依法・不依人」の日蓮仏法、日蓮の本尊観
■(1):日蓮の、仏法上の師

■日蓮の、仏法上の師

  さらに、仏法、とりわけ法華経における、三世永遠の生命観に立った上での検討に入る。
 日蓮の師は、日蓮自身の、上行菩薩の再誕という自覚からは、久遠実成の釈尊となるであろう。
 もっとも、彼が久遠実成の釈尊を師とするなら、師から受けた内容自体から、それを弟子としてどのように受けとめ、昇華したのかを解明しておくことが重要である。
実は、このこと自体が、彼の教えの根本へつながっているのだ。

 立正安国論提出を発端とした法難で、斬首刑、佐渡流罪にまで至った日蓮は、苦難の中で、自身こそ、師匠である久遠実成の釈尊から受け継いだ(相承した)法華経を弘める使命を持った、「地涌の菩薩」であること、それをかれ自身が初めて唱えたのだから、その上首・上行菩薩であることを自覚した。
そしてその弘めるべき法、すなわち成仏に至る唯一の法は、要するに妙法蓮華経に南無することである。彼はこれを弘めることが、一切衆生の幸福(成仏)となること、併せて必ず起こる障害としての三障四魔や、三類の強敵による迫害に屈してはならないこと、この法を世界に弘めること(広宣流布)が、自身が生を受けた使命であることを悟ったのであった。

 法華経、その他の大乗経典の解釈も含め、仏教全体の形而上学的解釈は、妙楽や天台智顗等の人師によって確立されたものが、日本にも伝わっていた。
 法華経の理論は諸法即実相、三世永遠の一念三千であり、天台はこの法に説かれる「成仏」を「観念観法」によって悟る。
 一念三千の概念は、現在においては、感覚のある命だけでなく、素粒子から観測不可能な多数の宇宙にまで拡大しうる分析概念である。

 だが、天台の観心、すなわち「己心を観じて十方界を観る」方法は、極めて困難で、一般的・庶民的ではなかった。
 日蓮は、この修行を簡易化して一般庶民にまで広げ、南無妙法蓮華経の唱題として打ち立てていた。(観心本尊抄)
これは、受持即観心と称し、法華経を信じて受け維持することそのものが、観心(成仏そのもの)であるとする論理である。
 同時に、成仏の主体を、天台の一念三千を根拠に、感覚のある命だけでなく、素粒子から観測不可能な多数の宇宙にまで広げ、木像や画像の曼荼羅自体も成仏できるとした。(草木成仏口決)

 また、折伏とは、相手を折り伏せて従わせることである。
 日蓮が他教と違って折伏を主たる弘教方法として取り入れた理由の第一は、法華経に忠実であったからである。その第二は、日蓮の時代が封建時代の幕開けであったことである。その時代は法華経において予言された末法の時代様相である「闘諍堅固・白法隠没」(闘争・戦乱が激しく、釈迦の仏法が消滅する)そのものであった。とりわけこの時代は当時の武士や僧としての階級闘争が著しい時代であった。
 さらにその第三の理由は、一般庶民は教育レベルが貧弱で、現実に読み書き・そろばんにはほとんど縁もなく、なじみの薄いことであった。だからこそ、この時代は、無疑日信(=決して疑わず、ひたすら信じること)、無条件に信じて受け入れることのみが強調されたのである。

 日蓮は、晩年の弘安4年(1281年)9月11日、満59歳、身延から、南条時光に宛てた書簡に、
「此の処は人倫を離れたる山中なり、東西南北を去りて里もなし、かかる・いと心細き幽窟なれども教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し・日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり」(南条殿御返事、御書P1578)
《ここは人倫から離れた山中である。東西南北とも離れて里もない。このような大変に心細い幽窟であるが、教主釈尊の唯一究極の秘法を霊鷲山において相伝し、日蓮の肉体と精神の中に秘密に隠し持っている。》(現代語訳)

 また、日蓮がその翌年の満60歳になった春、病気治療のため身延を旅立つ5か月前の弘安5年(1282)4月8日、日蓮が門下の大田金吾に、秘す可し秘す可しとして与えた書簡、三大秘法抄(病気による衰弱のため、この書は日興の筆録という説もある)の中に、その明確な結論部分がある。

「此の三大秘法(註、秘めた法則)は二千余年の当初・地涌千界の上首として日蓮慥かに(註、確かに)教主大覚世尊(註、釈尊)より口決相承せしなり、
今 日蓮が所行は 霊鷲山の禀承に芥爾計りの 相違なき 色(註、実体)も替らぬ寿量品の事の三大事なり。」(御書P1023)
《この三大秘法(秘めた法則)は二千余年前のその時、私、日蓮が地涌の菩薩の上首(上行菩薩)として、確かに教主釈尊の口から直接に承ったものである。
今、私が広めている法門は、その時に霊鷲山において承った通りの、少しの相違もなく、実体も変わらない寿量品の事の三大秘法である。》(現代語訳)

 日蓮はこの書簡までは、「口決」相承(註、口頭による相承)について明確には明かしていない。
 たとえば佐渡流罪中の書簡、開目抄までは自身を「法華経の行者」としており、その後の観心本尊抄で「予がごとき人」、また諸法実相抄では「日蓮・末法に生れて上行菩薩の弘め給うべき所の妙法を先立て粗ひろめ…中略…地涌の菩薩のさきがけ日蓮」と述べている。
 須田晴夫はこれについて「日蓮は…中略…謙遜の表現に終始した」(須田晴夫著「日興門流と創価学会」2018/9/5,鳥影社,P27)と主張する。しかし、これは彼の信仰心が影響しているからであろう。
文献的な証拠に忠実に従えば、その後の流罪の免赦、身延入山、熱原の法難などを経験し、長期間の生涯を通じて徐々にその自覚が培われ強固になっていったものと考えるのが相当である。

 そして、日蓮は、その人生の最期にさしかかってようやく、自身の師が大覚世尊(=久遠実成の釈尊)であると述べ、そして、弘めている法(=寿量品の事の三大秘法、南無妙法蓮華経)は、師の口から直接聞いて相承したと、明確に打ち明けたのである。

 以前にも、佐渡流罪以降の書簡に限られるが、観心本尊抄、撰時抄など、無理やりその意味をこじつけて推量しうる内容は見られる。
 しかし、後世の誰が何と言おうとも、これが決定的文献となる。

 大串達治著「創価学会批判」(1965/4/25 いのちのことば社 P11)には、以下のような指摘がある。
「日蓮は、『法華経神力品第二十一と属累品第二十二によると、釈尊は数ある弟子の中から特に上行菩薩のみを選んで、この法華経の教説を自分の死後二千年目にインドより東北に位する大乗仏教国に広めるようにと付属している』という明文を発見したようです。…中略…
 当時の日本の数ある僧侶のうちで真の仏説法華経を正統的に受持している行者は、日蓮ひとりだけではないかという推論に、彼の自負が加わって、日蓮自身を上行菩薩の再誕者まで昇華させてしまったわけです。(注5 日蓮が上行菩薩を公に発表したのは、文永十年蒙古侵入の時からであって、学会の言うように開教当初からではない)」

 日蓮の師は久遠実成の釈尊、その内容は三大秘法の南無妙法蓮華経である。
 南無妙法蓮華経は、元来、久遠実成の「釈尊」の仏法であった。
 日蓮は、自身が弟子として、地涌の菩薩の上首(上行菩薩)として、釈尊の仏法を、一部始終、聞いていたのを、全く色付けすることなく、末法に出現して広めたというのである。

「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」(開目抄、御書P237)
「日蓮は日本国の人人の父母ぞかし・主君ぞかし・明師ぞかし」(一谷入道御書、御書P1330)
 として、自らは、教主釈尊の弟子として、主師親の三徳をそなえ、仏としての自覚を得たとした。
しかし、生涯にわたって、決して、自らを本仏とは言わない。
 また、自身の教えはアニミズムである脱益仏法を否定したにより、自身を本仏とは決して言えない立場にある。
 さらには、仏であっても、未来永劫いつまでもどこまでも、弟子は弟子、師匠は師匠である。
いま示したことは、根本的に重要なことである。

 そして、日蓮は自ら広めている法則=南無妙法蓮華経も、自分の主張とは言わない。(「全く自作にあらず」)
 その証拠は、それを明かした観心本尊抄で、その法は、あくまで師匠のもの、受け継いだものだとしている。
 受持即観心を明かした下記の名文は、
「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す
我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(観心本尊抄、御書P246)
《釈尊が成仏した原因となっている釈尊の修行の内容と、その結果成仏にともなう徳を得たシステムは、すべて妙法蓮華経の法則に含まれている。われらがこの妙法蓮華経の法則を、ひたすら成仏を目指して受け入れ実行すれば、当然に、釈尊の修行の結果=功徳が実現するのである》(現代語訳)
 とあり、妙法蓮華経は、あくまで釈尊の因行・果徳を説明した「法則」を包含しているである。

 天台のような修行者しかできないとされた、形而上学の観念観法は、形而下で、実は一般人にも可能であると明かし、
 唯一ひたすら成仏を目的として、この妙法蓮華経を受持する、そのことが、すなわち観心、即身成仏となる、と説いた。
 このことは後述するが、脱益の仏「久遠実成の釈尊」をも架空の産物であったと喝破し、最も根本とすべき本尊としての「法」は、具体的にはそれぞれの生命の肉体と精神にあると説明したものである。
 この法則を弘めることを下種という。これは妙法蓮華経の実践の一つであり、最も善根を積み、成仏への修行である。

 こうして日蓮は、釈迦の解脱以来、一旦は様々な架空の仏を設定するアニミズムに陥っていた仏法を、再び「法則」の信仰へ蘇らせたのである。

 確認のために繰り返すが、現世利益や見返りなどを求めず「ただひたすら成仏を目指すこと」が、必須の条件になっている。

 これは、根本的に重要なことである。
 架空の設定としてではあるが、日蓮の師は、久遠実成の釈尊であり、説いた仏法は、その弟子として、釈尊から血脈として受け継いだ妙法蓮華経なのである。
 凡夫であり、凡夫でありながら、釈尊の弟子として、主師親の三徳を備えたのである。
 釈尊も、同様に凡夫であり、凡夫でありながら、久遠の昔に南無妙法蓮華経を修行して、主師親の三徳を備えたと設定したのである。
 この設定は、因果の理法を三世永遠まで広げ、最初の本仏というドグマとアニミズムを排除して、2000年以上見失われていた成仏の法則を、南無妙法蓮華経と、改めて定義した点で、非常に重要なことである。
 日蓮の後世は、このことを原点として、ふまえるべきであったが、残念なことに史実はそうではなかった。

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