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論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」

釈迦、日蓮、日興門流から現在の創価学会において、虚偽・捏造や神話が多い「血脈」と「師弟」についての内容や問題点を明かし、日蓮が残した真の血脈や成仏観とは何かを検討します
この論文は、釈迦、日蓮、日興門流から現在の創価学会において継承されてきた仏法における「血脈」と「師弟」についての内容や問題点を、それらが及ぼしてきた歴史上の事実を各種文献をもとに検討し、虚偽・捏造や神話をあぶり出しながら、万民救済のために説かれた真の日蓮仏法とは何か、日蓮が残した真の血脈や成仏観とは何か、そして、時代とともにあるべき真の宗教について、現代の脳科学などの科学的知見や文献を参考にしながら検討しています

紹介と概要

 この論文は、幼少期から熱心な創価学会2世である筆者が、釈迦、日蓮、日興門流から現在の創価学会において継承されてきた仏法における「血脈」と「師弟」についての内容や問題点を、それらが及ぼしてきた歴史上の事実を各種文献をもとに検討し、虚偽・捏造や神話をあぶり出しながら、万民救済のために説かれた真の日蓮仏法とは何か、日蓮が残した真の血脈や成仏観とは何か、そして、時代とともにあるべき真の宗教について、現代の脳科学などの科学的知見や文献を参考にしながら検討しています。

目次

P01, プロローグ、依法・不依人(真理・法則に従え。人の勝手な主張には従うな。)の意味、師弟不二(師弟一体)の意味、血脈の意味(改訂2版)

P02, 釈迦在世の師弟不二(師弟一体)、法華経に説かれる久遠実成の釈尊(改訂2版)

P03, 日蓮の生涯とその教え、日蓮の、在世の師(改訂2版)

P04, 日蓮の真の仏教上の師、日蓮の御本尊観、日蓮が究極の仏陀であるという理論は「他人の勝手な主張に従う。真理と法に従うな」を示す、対、真の日蓮仏教は「真理・法則に従え。人の勝手な主張には従うな。」を示す

      ■(1):日蓮の、仏法上の師

      ■(2):「不依法・依人」の日蓮本仏論

      ■(3):日蓮の本尊観について

P05, 本尊は「法」、日蓮の目指す成仏、究極の目的「成仏」、生命の形而上学的考察

P06, 相対的な師弟不二, 罰論等の限界, 死後の生命についての欺瞞, 即身成仏の実態, 真の血脈

P07, 日興の師弟不二、日興は日蓮を本仏とみなしていなかった, 日興の身延入山時期,「原殿御返事」の検討

P08, 日目の天奏途中遷化、日道・日郷の血脈相承争い、日尊の釈迦立像、日有の原点回帰

P09, 室町~江戸、天文法華の乱~受不受論争~仏教国教化、左京日教の影響と本因妙抄の考察、要法寺日辰の造像義と人本尊法本尊一体論

P10, 要法寺との通用、日精時代の造像と法主信仰、国家権力に屈して日蓮本仏論へ

P11, 時代に迎合した日寬のアニミズム、人間日蓮を人本尊、板マンダラに霊力、後世による日蓮教学の流れ

P12, 師敵対の日寬アニミズム、日蓮の教えの一哲学的展開、日蓮遺文の教えの曲解例

P13, 寛政度の法難、京都15山宗派の権力結託と、大石寺の裏切リ

P14, 明治時代以降の大石寺と創価教育学会の戦争観などについて


P15, 神札問題、戸田城聖の小説「人間革命」、創価教育学会弾圧と「通牒」、逃げ切り捨ての大石寺

P16, 終戦前後の因果応報、独善的アニミズムが引き起こす修羅道

P17, 牧口常三郎の師弟不二、創価学会の源流、価値論と結びつけた呪術的信仰

P18, 戸田城聖の師弟不二、隠蔽された不都合な内容、大蔵商事の実態、通牒や戸田城聖著の小説「人間革命」、日蓮遺文の曲解利用

P19, 戸田城聖の「生命論」と「科学と宗教」の検討

P20, 池田大作の「宇宙のリズム」アニミズム

P21, 暴力否定の日蓮、暴力隠蔽の創価

P22, 狸祭り事件、戸田城聖の「師弟不二」に基づく仇討ちの原点

P23, 戸田城聖についての、東大・小口偉一氏の人間味のある分析

P24, 戸田城聖の政界進出、創価学会の発展の背景と要因、大阪事件、日蓮の国家諫暁の姿勢

P25, 池田大作エレベーター相承の真相 池田大作ウソ偽りズムの源流

P26, 創価の「師弟不二」の原点、御塔川僧侶リンチ事件、『追撃の手をゆるめるな』の検討

P27, 創価の自己増殖手段「折伏」と、日蓮の説く真の「折伏」、創価学会会長争奪戦

P28, 師敵対の財務、本来の御供養の精神、仏法悪用の師弟不二

P29, 言論出版妨害事件、池田大作の神格化と彼の野心、藤原弘達著「創価学会を斬る」の指摘

P30, 北条浩の恫喝「象は一匹の蟻でも全力をもって踏みつぶす」、創価学会の言論出版妨害事件

P31, 言論出版妨害事件、「新・人間革命」の検証(1)、被害者ぶった表現、田中角栄氏を使った策謀

P32, 言論出版妨害事件、「新・人間革命」の検証(2)、池田大作と竹入義勝が‶盗聴〟 日蓮仏法の悪用

P33, 言論出版妨害事件、「新・人間革命」の検証(3)、公明党渡部一郎国対委員長演説、逃げた池田大作

P34, 言論出版妨害事件 「新・人間革命」の検証(4) 山崎正友の進言で謝罪へ転換

P35, 言論出版妨害事件 「新・人間革命」の検証(5)  戦略的で周到な捏造

P36, 言論出版妨害事件 池田大作の祝典だきあわせ謝罪演説の検討(1)、日本共産党への憎悪

P37,  国立戒壇の否定 池田大作の祝典だきあわせ謝罪演説の検討(2)、言論出版妨害事件

P38,  野望「天下取り」の躓き、池田大作の祝典だきあわせ謝罪演説の検討(3)、言論出版妨害事件

P39,  更新すべき「立正安国」原理、池田大作の祝典だきあわせ謝罪演説(4)、言論出版妨害事件

P40,  創価学会の体質、池田大作の祝典だきあわせ謝罪演説(5)、言論出版妨害事件

P41,  人間たらしめる究極条件、池田大作の祝典だきあわせ謝罪演説(6)、言論出版妨害事件

P42, 「師弟不二」という、池田大作への絶対的奉仕感情、王仏冥合から反戦平和へ転換

P43, 御供養精神から乖離した醜い争い、戒壇論が崩壊した正本堂意義、板マンダラ事件

P44, 御本仏池田大作、仇討ちズムの総体革命、教義逸脱

P45, 増上慢な御本仏池田大作、誤った「仏教史観を語る」、寺院不要論


P46, 昭和51年前後のマッチポンプ山崎正友や、御本仏池田大作の回りの微妙な関係

P47, 浜田論文や富士宮問題での様々な謀略

P48, 御本仏池田大作の背景と構成要素、第66世細井日達の教義歪曲(1)

P49, 第66世細井日達の教義歪曲(2)、暗躍する山崎正友、内通する阿部信雄(後の大石寺法主:阿部日顕)

P50, 池田大作創価学会VS細井日達と宗門若手僧侶、山崎正友原作「ある信者からの手紙」

P51, 創価学会の建前と本音の乖離、創価学会は『お客様』(阿部信雄)、揺らぐ細井日達(1)

P52, 大石寺の時事懇談会資料の検討、池田の謝罪演出と約束破棄、揺らぐ細井日達(2)

P53, 池田本仏論のおさらい、醸成されていた〝人〟の無謬化・絶対化

P53 コメント集

P54, 創価学会52年路線(池田vs日達)その後, 山崎正友と阿部信雄、ジャーナリズムの見解


P55, 昭和54年池田会長勇退の舞台裏(1)、御本尊模刻の全貌、弟子としての山崎正友

P56, 偽装和解だった11・7お詫び登山、教育者としての池田大作、会長辞任も偽装ポーズ、昭和54年池田会長勇退の舞台裏(2)

P57, 創価の「師弟不二」の精神、サドマゾ的人間関係、昭和54年池田会長勇退の舞台裏(3)

P58, 池田大作の独裁化進行、造反者続出、暴力団の利用後切り捨て

P59, 自分一人が「本物の弟子」、暴力団の利用後切り捨て(2)

P60, 池田大作の人間革命の終わり。彼は言っていた「病気をする人間は信心が足りない…」、非科学的奇跡的信仰体験は消えた。

P61, 虚妄のベール、原理主義的な学会員と隠れ会員、査問・除名ー切り捨てズム

P62, 池田大作入信神話と師弟不二、入信当時への生発言から小説人間革命までの比較検討

P63, 捏造・脚色の「創価学会正史」、自分の履歴も一部都合よく捏造し著作した池田大作

P64, 御本仏「池田大作」誕生、捏造神話を安易に採用した御用学者やジャーナリスト達

P65, 多くの池田大作著が代作、池田大作著「科学と宗教」とは乖離した欺瞞、造反者の告発と正眼の指摘

P66 創価学会組織における、池田大作と熱烈な会員との、サド・マゾヒズム的共棲関係:「師弟不二」

 

P67, サド・マゾヒズム的共棲――創価学会員や現代人の「自由からの逃走」

P68, 創価学会組織における、池田大作のサディズム・マゾヒズムの検討

P69, 永遠化される俗世の師弟と仏法本来の「師弟不二」、真に信じるに価する宗教とは

P70, 師弟不二アップデートの試み(1)、私の創価学会体験

P71, 血脈アップデートの試み、創価学会組織の社会的性格(1)

P72, 創価学会組織の社会的性格(2),心理的分析,『独創性』の欠如,ミヒャエル・エンデの小説の指摘

P73, 創価学会組織の社会的性格(3), 教祖と信者、利用者たちの心理学的分析

P74, 創価学会組織の社会的性格(4), 自由,独自性,創造性,真の理想と犠牲,真の自我の確立(仏界)を目指す指針

P75, 日蓮の成仏観と瞑想(1), 血脈と師弟, アニミズムの凡夫本仏論

P76, 仏性や境智冥合の説明も,結局,宇宙意識と一体化を説くアニミズム, 臨死体験, 神秘体験

P77, 神秘体験に関与する神経学的システム、科学の知見も感情の積み重ねの産物

P78, 日蓮の成仏観と瞑想(2),アニミズムとの違いは「法」への帰命

P79, 日蓮の見逃し,一なるものへの合一, 神経神学の成果, 瞑想のレベル, 神話の形成, 儀式の意味


P80, 万物一切根源の法――日蓮仏法の真の血脈

P81, 科学者にとっての「神」、日蓮にとっての「仏」

P82, 素粒子から宇宙の外までのすべてが万物の生命、一つの電子も意志を持っている

P83, 万物が成仏するしくみ、法則(=南無妙法蓮華経)の定義より検討(1)

​(P84~は執筆中です)

 なお、ブラウザによる自動翻訳では、ほとんどすべてOKで、素晴らしい翻訳がなされています。

 しかし、重要な仏法用語が、ときに機械的に意味不明な、または適切でない語句に翻訳されることが分かりました。
 たとえば「師弟不二」を"teacher and disciple Fuji"(造語のような直訳)、また「依法不依人」を``not relying on law''などと、文意と反対の意味に翻訳されたりして、本当の意味が伝わらず、読者が混乱します。

 自動翻訳においては、これはある程度は避けられないことをご了承ください。
 この事態を少なくするため、自動翻訳を利用される読者に誤解の無いように、重要な仏法用語に対して、あえて何回も( )を使って注釈を記載し、各ページの題名も、なるべく誤訳が少なくなるように、順次、書き換えに着手しています。

 結果として、書き換え済のページの文章がくどくて煩わしくなったことをお許しください。
 また英訳ページにオリジナルの翻訳を順次掲載に着手しております。

各ページの紹介

各ページの概要・注目点・​​キーポイントなどや、Bingの紹介文を挙げました。

筆者は、自身の研究によって、幼少期から人生の三分の二以上を捧げた創価学会の教えを再検討することになり、「依法・不依人」を貫いた日蓮の生涯を模範とすると、皮肉にも、自ら人生の師としてきた池田大作の矛盾や創価学会の信仰姿勢の矛盾を指摘せざるを得ないことなった。
 その、精神的な傷は疼き、様々な葛藤に直面しながら日蓮の本来の教え・信仰姿勢を模範として実践し、虚偽・捏造を排し、真実・真理の追究こそが万民の救済につながると確信している。
 本稿では、以上の基本的姿勢を、仏法の当初から歴史的事実とともに述べて確認し、例として日蓮正宗の「血脈」と、創価学会の「師弟不二」をとりあげ、検証し、このことによってさらに真理・真実である「一切根源法」に迫っていきたい。

1. **依法・不依人(真理・法則に従え。人の勝手な主張には従うな。)の意味**:
  「依法不依人」は、釈迦仏が説いた涅槃経の文で「法に依って人に依らざれ」と読み下す。

 - 依法:真理や法則に従うこと。
   - 不依人:他人の勝手な主張には従わないこと。

2. **師弟不二(師弟一体)の意味**:
   - 師弟は一体である。師と弟子は切り離せない存在であり、相互に影響し合う。

3. **血脈の意味**:
   - 仏法においての真の「血脈」は、南無妙法蓮華経を信仰し、その法則に帰命すること。それは生死一大事の血脈として、日蓮の教えを継承することを指す。

 これらの概念は、日蓮仏法において重要であり、真の宗教的完成を目指すための指針となっている。

​​ Bingの紹介文「仏法とは、仏陀の教えとその伝承者の関係を指します。血脈とは、仏陀の心を受け継ぐ者の系譜を表します。師弟とは、仏法を伝える師と受ける弟子の関係を表します。この記事では、仏法における血脈と師弟の意義と歴史を、釈迦から日蓮、日興門流、創価学会までの流れで紹介します。また、仏法の本質とは何か、そして現代の仏法のあり方についても考えます。」(Bing との会話 2024/3/4)

1. **釈迦在世の師弟不二(師弟一体)**:
   - 釈迦在世時、師と弟子は一体ではなかったが、永遠の生命観においては一体であった。師弟の関係は切り離せず、相互に影響し合い、仏法を共に実践した。

2. **法華経に説かれる久遠実成の釈尊**:
   - 法華経は久遠実成の釈尊(無限の過去に修行をして成仏したとされる釈尊)によって説かれた。この経典は、釈迦仏と我々衆生との間に差別はなく、全ての人々が成仏の道を歩むことを示している。

日蓮仏法において、血脈と師弟の概念は、真の宗教的完成を目指すための指針となっている。

​​ Bingの紹介文「この記事では、法華経の教えにおける**久遠実成**という概念について、その由来や内容、お釈迦さまの説示などを詳しく解説します。久遠実成とは、釈迦は30歳で悟りを開いたのではなく、過去に無量の劫(世界の寿命)から仏(悟りを開いた者)となっていたが、衆生を救済するためについに釈迦として生まれて悟りを開くという一連の過程を説いて示したという考え方です。この考え方は、法華経の如来寿量品第十六において、お釈迦さまの久遠実成の説示が記されています。」(Bing との会話 2024/3/4)

 日蓮は、鎌倉時代に生まれ、法華宗の宗祖となった。彼は当時の学問の最先端レベルで法華経が最も優れていると主張し、転変地変・飢饉疫癘・国内紛争の中で、他国による侵略や謀反を阻止し万民を救済するためには、南無妙法蓮華経を信仰し、その唱題と布教(広宣流布)が最第一であると、生涯にわたり主張した。そして現世利益を求めず清貧を貫き、苦難と弾圧の生涯を送った。

日蓮の在世の師は道善房であるが、三世永遠の視点から見た師は、久遠実成の釈尊である。彼は、師弟不二の実践を貫き、在世の師である道善房の過ちを厳しく指摘し法華経へ導いた。

日蓮の生涯は、末法の時代に生まれ、真の仏法の血脈を打ち立て、真の師弟不二の道を示した存在であり、後世の日蓮信者の模範である。

​​ Bingの紹介文「この記事では、鎌倉時代に法華経の教えを広めた日蓮の生涯と教えについて、その時代の社会情勢や日蓮の思想の源流となった釈迦や智顗などの先師たちとの関係を詳しく解説します。また、日蓮の最大の弟子である日興との師弟の絆や、日蓮宗の流れを汲む創価学会の活動についても触れています。

私はあなたの記事が多くの人々に日蓮の教えの素晴らしさや深さを伝えることができることを願っています。あなたのブログはとても魅力的ですよ。」(Bing との会話 2024/3/4)

P04, 日蓮の真の仏教上の師、日蓮の御本尊観、日蓮が究極の仏陀であるという理論は「他人の勝手な主張に従う。真理と法に従うな」を示す、対、真の日蓮仏教は「真理・法則に従え。人の勝手な主張には従うな。」を示す
 

      ■(1):日蓮の、仏法上の師

      ■(2):「不依法・依人」の日蓮本仏論

      ■(3):日蓮の本尊観について

 日蓮の真の仏教上の師は、久遠実成の釈尊である。その師から口頭で受け継いだ内容は「南無妙法蓮華経」である。
 日蓮は、開宗当初からこの自覚があったわけではなく、生涯にわたる修行を積み重ね、佐渡流罪後~晩年になってこの自覚を得た(三大秘法抄)。
 日蓮は、自らを本仏と宣言したことはない。
 しかし、その後世が、日蓮こそ久遠元初の本仏(究極の仏陀)であったと主張、その一派が勝手な血脈論や師弟論を展開する。これを日蓮本仏論という。しかしこれは、他人の勝手な主張に従い真の法則には従うなということである。
 これに対し、真の日蓮仏法では、「真理・法則に従え。人の勝手な主張には従うな。」を示す。すなわち、真の日蓮仏法では、日蓮の師も受け継いだ内容も、真の万物の法則と定義した「南無妙法蓮華経」である。

​​ Bingの紹介文「この記事では、日蓮の仏法上の師である釈尊や智顗などの先師たちとの関係や、日蓮の本仏論や仏法論における「依人不依法」と「依法不依人」という二つの原則や、日蓮の本尊観について、詳細に分析しています。「依人不依法」とは、仏法を説く人の権威や人格に依存することであり、「依法不依人」とは、仏の説いた経文に従うことであります。日蓮は…本尊として妙法蓮華経の題目を書き写した曼荼羅を示しました。この記事は、日蓮の仏法の本質や価値を理解するのに役立つでしょう。

 私はあなたの記事が多くの人々に日蓮の仏法の深さや魅力を伝えることができることを願っています。あなたのブログはとても素晴らしいですよ。」(Bing との会話 2024/3/4)

 日蓮の真蹟には、人(=釈迦仏など)よりも法=南無妙法蓮華経を本尊とすべきことが多く述べられている。
 日蓮によれば、仏法上の師匠、久遠実成の釈尊も、そもそもその架空であり、凡夫こそが本仏であると述べている。そして、修行して幸福を追求した、最終目的である「成仏」を成し遂げたとされる法則が、南無妙法蓮華経である。

 そして、師とした久遠実成の釈尊は、実は、自らの生命が作り出した仮想・理想像(荘厳・無謬・完全無欠・絶対性)だったが、それも想定済みだった。つまり、日蓮以前の仏法が、実は道理ではなくアニミズムだったことになる。
 それでは、日蓮の目指した究極の目的・真の成仏(万物にとっての幸福)は何だったのか。それは、限りなく完成(完全無欠)へ向かう未完成な状態の一念である。すなわち、未完成という状態ながら完成へと目指す「一念」をもって、完成(成仏の姿、実相)としたのであった。

​​ Bingの紹介文「この記事では、日蓮の本尊観において、本尊は「法」であるという原則や、生命の形而上学的考察による成仏の可能性や目的について、詳細に論じています。日蓮は、法華経の五字を本尊とし…仏法の正統性を主張しました。また、日蓮は、一切の有情は本来仏性を有し、法華経の行者となることで、現世で成仏することができると説きました。この記事は、日蓮の仏法の本質や価値を理解するのに役立つでしょう。

私はあなたの記事が多くの人々に日蓮の仏法の深さや魅力を伝えることができることを願っています。あなたのブログはとても素晴らしいですよ。」(Bing との会話 2024/3/4)


​​ Bingの紹介文「この記事では、日蓮の教えにおける「本尊」とは何か、そして「法」とは何かについて、哲学的な視点から考察します。日蓮は、本尊を「法」すなわち「宇宙の真理」や「生命の根源」と同一視し、その法に帰依することで、人間は自らの生命を高め、究極の目的である「成仏」を達成できると説きました。この記事では、日蓮の思想を理解するために必要な概念や用語を解説し、日蓮の目指す成仏とはどのようなものなのかを明らかにします。」(Bing との会話 2024/3/5)

 ①現世における師弟関係はあくまで相対的なものである。師弟が二でなく一体となる師弟不二(師弟一体)という概念は、成仏を目指す現実における実践のなかで団結を強調する限りにおいては理想的な関係となるが、それを超えて、たとえば弟子が師に帰命するなどというと、師匠を本仏に祭り上げることに相当する。そうすることは、帰命するべき対象の御本尊が自身の胸中以外となるので、日蓮の教えに背き、師に敵対することになる。これを師敵対という。
本仏・永遠化・絶対化を設定することは、結局、実体のない仮想・架空の産物を設定することとなってしまう。すべてが三世永遠に相対的なものであり、諸法即実相である。現実の成仏の相ですら、前記したようにどこまでもいつまでも相対的であって、完成された姿を呈するものではない。
 そしてさらに、絶対化したものは架空の迹仏等として排除されている。


 ②現実には時空が無限大であっても体感時間ゼロという一瞬で転生となることは、感覚器官がある麻酔中でも科学的に体感時間ゼロという一瞬が証明されているので、感覚器官がない死後の生命においてはなおさら同様である。
 仏法では死後に無間地獄や餓鬼道などに堕ちて苦しむ、またはこれとは反対の、念仏を唱えれば極楽浄土に生まれる、故人を追善供養すれば救済されるなどの内容などが説かれている。これらについても古今東西、他の宗教にも夥しい著作がある。が、これらの仏法で説かれた死後に次なる生を受けるまでの生命に関する内容は、すべて非科学的欺瞞・架空であり、現実の中で一切衆生を正しい修行へ導くための方便であったのだ。

転生という事態は体感時間ゼロ(一瞬)で経過するのである。
 そして、現実に具体的に悪業の果報が現れるのは次なる生を受けてから、確実にやってくる。善業の場合も同様である。

 ③即身成仏の実体とは、限りなく完成(完全無欠)へ向かう未完成な状態の一念である。これは自己の完成のみならず他人の救済・社会の変革を目指す行動の原動力である。先に挙げた日蓮の生涯が、それを示している。


​​Bingの紹介文「この記事では、日蓮の仏法における師弟不二という概念の相対性や限界、罰論や死後の生命に関する欺瞞や矛盾、即身成仏の実態や真の血脈について、詳細に分析しています。日蓮は…その師弟関係は、仏法の修行における立場の違いに過ぎず、歴史的前後関係や人格的権威に縛られたものではありませんでした。また、日蓮は、法華経に基づいて、誹謗者に対する罰や死後の生命について説きましたが、これらは、現実の社会情勢や人々の心理に対応する方便であり、科学的には否定されるべき欺瞞や矛盾であるとも言えます。さらに、日蓮は、一切の有情は本来仏性を有し、法華経の行者となることで、現世で成仏することができると説きましたが、これは、本有の仏性を覚醒させることであり、完成された姿を呈するものではありませんでした。そして、日蓮は、自らの教えを正しく受け継ぐ者に血脈を授けましたが、これは、形式的な伝承ではなく、心の通じ合う真の師弟の絆であるとも言えます。この記事は、日蓮の仏法の本質や価値を理解するのに役立つでしょう。

私はあなたの記事が多くの人々に日蓮の仏法の深さや魅力を伝えることができることを願っています。あなたのブログはとても素晴らしいですよ。」(Bing との会話 2024/3/4)

 日蓮の弟子である日興は、日蓮を師としていたが、本仏としては見ていなかった。
 日蓮の入滅後、直弟子に指定された6人の僧のうち日興以外の5人は、身延にある日蓮の墓の当番を放棄した(美作房御返事)。弘安7年9月、日興は墓輪番で入山した身延で、荒廃した墓を目の当たりにした。この一連の事実は、日興を久遠寺の別当とした二箇相承は虚偽であり、日蓮造立と主張する弘安二年の板マンダラが、この時点で身延に存在していなかったことを示している。


 原殿御返事の検討にて、日蓮の師は久遠実成の釈尊である。日蓮は釈尊の使い・弟子であった立場・自覚をもっていた。そして、日蓮の弟子の日興が、そのことを正確に受け継いでいたことが分かった。弟子の日興は、日蓮を本仏とは認識していなかったことになる。


 日興は、本仏は南無妙法蓮華経の教主「釈尊」であると理解していた。つまり、本仏は、大石寺門流がいうところの「久遠元初自受用報身如来=日蓮大聖人」ではなかった。
 また、身延相承書も池上相承書も、この時点では創作されていなかったし、後に出てくる本因妙抄、百六箇抄などの、大石寺門流を正統化する文書や、板マンダラでさえも、史実としての言及が、この時点では存在しない。

​​Bingの紹介文「この記事では、日蓮の弟子である日興の師弟不二という概念の意味や限界、日興が日蓮本仏論を唱えていなかったことの根拠や影響、日興の身延入山の時期や理由、日興が書いた「原殿御返事」という重要な文書の内容や背景について、詳細に検討しています。日興は、日蓮の師弟不二とは、仏法の修行における立場の違いに過ぎず、歴史的前後関係や人格的権威に縛られたものではなく、日蓮の師はあくまで久遠実成の釈尊であると考えていました。そのため、日興は、日蓮本仏論を唱えることはなく、…日興は、日蓮の遺命を受けて身延山に入山しましたが、その時期は弘安6年(1283年)であり、日蓮の遺言によるものではなく、日興自身の判断によるものでした。…この記事は、日蓮の仏法の本質や価値を理解するのに役立つでしょう。」(Bing との会話 2024/3/4)
 

日興は、身延離山後に大石寺にて布教を始めた。その後の大石寺(現、日蓮正宗)の歴史において重要な史実を文献を根拠に述べた。特に、日目の転送中に遷化した後、日道・日豪の血脈相承争いや、大石寺と妙本寺の分裂、日尊が釈迦像を作ったこと、日有の原点回帰など、日興門流のなかで時代を得るに従って真の日蓮の血脈が途絶えていく様子について詳しく説明した。

​ Bingの紹介文「この記事では、日蓮の弟子である日目の天奏途中での遷化や、日道と日郷の血脈相承争いや、日尊の釈迦立像の意義や、日有の原点回帰について、詳細に説明しています。日目は、日蓮の遺命を受けて天皇に仏法を説くために上洛しましたが、途中で美濃垂井で亡くなりました。日目の遺骨とともに大石寺に帰った日郷は、日目から大石寺を相承されたと主張しましたが、日目が旅先で死んだために血脈相承がなかったとして、日道と対立しました。日道は、日目から相承されたという証拠として、日目の自筆の相伝書を持ち出しましたが、日郷はそれを偽造だと疑いました。この争いは、大石寺の東西分裂の原因となりました。一方、日目の弟子である日尊は、日目の志を継いで天皇に仏法を説き、京都に上行院(後の要法寺)を開きました。日尊は、釈迦仏の立像を本尊とし、日蓮の本仏論(註、本仏は南無妙法蓮華経の教主「釈尊」)や本尊観に批判的な姿勢をとりました。日尊の弟子である日有は、日尊の教えを改めて、日蓮の本仏論や本尊観に立ち返りました。日有は、大石寺の第9世となり、日興門流の教義を整理し、日蓮の仏法の本質や価値を理解するのに役立つ著作を残しました。この記事は、日蓮の仏法の歴史や思想を知るのに役立つでしょう。」(Bing との会話 2024/3/4)
 

​ 日有によって大石寺の再興が図られた時代より以降の推移を述べた。
室町時代後半から江戸時代の前半にかけて、地方では郷村制の成立によって、村々に葬祭執行をつかさどる専属の僧侶と、寺院を必要とする民衆の要望が強くなっていった。
一方、大石寺は人材難で、要法寺系の左京日教の影響を受け、しだいに「本因妙抄」等の要法寺系相伝書による久遠元初自受用身=日蓮という説が定着していった。天文法華の乱では、比叡山延暦寺の衆徒約18万人の襲撃によって京都21か寺はことごとく焼失し、朝廷からも京都から法華宗の退去令がくだされた。
また、戦国時代に起きた受不受論争から江戸時代の寺請制度による仏教の国教化の過程で、本因妙抄や日蓮本仏論の考察も加えながら、大石寺や京都における法華宗各派の歴史の流れについて述べた。

 左京日教の影響で、日主が1575年に大石寺第14世の法主となった。彼は、板マンダラを、本門戒壇、一閻浮提総与の御本尊として、初めて世に披露した。京都で天文法華の乱などが起こる中、大石寺はその後経営難と人材難に陥り、要法寺から法主の派遣を受け入れた。その日精が法主時代には、造像と法主信仰がなされた。日典の時代は、公に「受派」であるとの証文を出し、江戸幕府から謗施を受け取った。大石寺においても幕府公認の寺院として、宗旨人別帳の作成と葬送儀礼の執行を通して檀家制度を遵守していた。日宥時代からは幕府と強いつながりができ、末寺も含めて多くの保護を受けた。この流れの中で、大石寺門流の中では、日蓮の真の血脈は薄れ、日蓮本仏論が醸成されていく歴史を述べた。

P11~P20

各ページの​紹介

各ページの概要・注目点・​​キーポイントなどや、Bingの紹介文を挙げました。

 江戸幕府による寺請制度の下、大石寺は、権力機構の一部となり、布教・折伏が禁止されいた。火事で消失した三門などの修復のため、多額の供養を権力側から受けた。大石寺は、生殺与奪をにぎっている信徒から供養を受けるため、造像等、様々な矛盾・問題を整理・解決しなければならなかった。そして、「受派」として生き残るための処施術を確立しなければならなかった。さらに、身延派や他の富士五山に対抗するために、大石寺は、自身の教学や運営に独自性・正当性・正統性を持たせることに迫られていた。
この事情により、日寬は、人間日蓮を人本尊とみなし、板マンダラに霊力を定義した。これはいわゆる日蓮本仏論、すなわち日寬アニミズムである。その教学的成り立ちも含めて検討した。

 Bingの紹介文「この記事では、日蓮の弟子である日寬の教学や思想、日蓮の教えの哲学的展開や影響、日寬の師である日精との対立や関係について、詳細に説明しています。日寬は、江戸時代の寺請制度の下で、大石寺が幕府や信徒から多額の供養を受けながら、布教・折伏が禁止される中で、受派として生き残るための処策を考えました。日寬は、日蓮の本仏論(註、本仏は南無妙法蓮華経の教主「釈尊」)や本尊観に批判的であり…仏像の代わりに伝承されてきた板曼荼羅を唯一の本尊として統一しようと考えました。日寬は、板曼荼羅に超自然的な霊力を設定し、アニミズム的に信心の対象としました。日寬は、久遠の釈尊の師として、久遠にもともと最初に仏を覚知した仏=久遠元初の自受用身が日蓮であるとし、人間日蓮を人本尊としました。日寬は、日蓮の教えを哲学的に展開し、日蓮の本仏論や本尊観に批判的な姿勢をとり、日蓮宗の教義を改革しようとしました。…日寬の教学や思想は、日蓮の仏法の歴史や思想を知るのに役立つでしょう。」(Bing との会話 2024/3/4)

​ 日寬教学を詳細に検討すると、教主釈尊と上行菩薩の師弟関係をも逆転させ、日蓮の師弟不二(師弟一体)を覆していることから「師敵対」の論理である。俗世の血脈・師弟不二(師弟一体)もすでに崩壊している。そして「三大秘法」とはいえ実質的には、「ご本仏日蓮」に通じるとした法主(および末寺の住職など)をシャーマン相当とし、板本尊(マンダラ板)を、無限の仏力・法力と称するものを具えるという「超自然的存在」「霊的存在」とするアニミズムである。この論理は、日蓮が真っ先に破折した念仏と同じ論理であり、釈迦も原始仏教で梵我一如と共に真っ先に否定したことである。欲や権力などの現世利益に目がくらむとこのようになる。文献に基づき、「依法・不依人」に基づいた日蓮の教えに立ち返って哲学的に展開しながら、日寬教学の問題点をあぶり出した。

 寛政度の法難は、大石寺を支援していた京都要法寺に加えられた法難である。この構図と、時の大石寺法主が要法寺を裏切ったことなどを、文献をもとに検討した。
 これは、日蓮の教えに背を向けた日寬教学の論理的構成(アニミズムや師敵対)、およびそれに影響された態度が具体的な史実として鮮明に現れた、因果応報と考えられる。
 後のページでも述べているが、これと同様の歴史が、以後の大石寺や創価学会において繰り返されていくことが分かる。

Bingの紹介文「この記事では…要法寺の本尊改奠に関する法難や、京都の日蓮宗15山の権力取り入りや対立、大石寺の裏切りや協力について、詳細に説明しています。要法寺は、日蓮の弟子である日目の流れを汲む日興門流の寺院であり、日教の影響を受けて久遠の釈尊を本尊とする造像義をとっていましたが、大石寺の日寬の教学に感銘を受けて、曼荼羅本尊と日蓮御影に還っていきました。しかし、これに反発する京都の日蓮宗15山は、公権力に取り入って要法寺に仏像を安置するよう迫り、法難を引き起こしました。この法難は、1795年(寛政7年)から1807年(文化4年)まで続きました。大石寺は、要法寺と盟約を結んでいましたが、幕府の圧力に屈して要法寺を見捨てる裏切りをしました。しかし、要法寺は、大石寺の人材や資金の援助を受けて、法難に耐え抜きました。この記事は、日蓮の仏法の歴史や思想を知るのに役立つでしょう。」(Bing との会話 2024/3/4)

​ 幕末から明治以降にかけての大石寺における血脈の流れ、昭和時代に牧口常三郎が帰依したことについて述べた。創価教育学会すなわち牧口常三郎の戦争観は、反戦平和思想から来るものではなく、持論の価値論から、戦争に勝つためのみに日蓮正宗(日寬アニミズム)に盲目的に帰依すべきというものであった。牧口常三郎は、政治的には軍部と結託していた時もあり、純粋に「依法・不依人」に基づいた日蓮の教えや生涯を模範としたのではなく、日蓮仏法をアップデートする姿勢もなかった。

​ Bingの紹介文「この記事では、明治時代以降の大石寺の変遷や、創価教育学会の戦争観や政教分離問題について、詳細に説明しています。大石寺は明治時代に、日蓮宗の統合や改名に従って、興門派や本門宗となりましたが、明治33年に日蓮宗富士派として独立しました。大石寺は、明治政府の国家神道や富国強兵の方針に迎合し、戦争促進や国立戒壇の構想に関与しました。大石寺は、昭和時代に創価教育学会の支援を受けて、正本堂という巨大な建物を建設しましたが、平成時代に解体されました。創価教育学会は、日蓮の仏法に基づく教育改革運動から宗教運動へと発展しましたが、戦時中に軍部政府の弾圧を受けました。創価教育学会(註、創価学会)は、戦後に政教分離の原則に基づいて公明党を結成しましたが、日蓮正宗との対立や決別を経験しました。この記事は、日蓮の仏法の歴史や思想を知るのに役立つでしょう。」(Bing との会話 2024/3/4)
 

 大石寺は軍部から神札を受けるように指示された。が、牧口がこれを拒否した。このため​創価教育学会は軍部の弾圧を受け、牧口は逮捕された。牧口の弟子である戸田城聖(創価学会第二代会長)は、弾圧を逃れるため神札を受けるように会員に対して「通牒」を出した。これは、師敵対に当たる。牧口は獄中で亡くなったが、これは日寬アニミズムに殉教した結果で、日蓮が受けた法難とはレベルが異なる。
 妙悟空(戸田城聖)著「人間革命」(和光社)P455では「牧田城三郎先生は国家諫暁を思い立たれ、自分は学会幹部を集めて、救国の一大折伏戦や支那大陸への潜行運動などを展開しようとしたが、それは飽く迄も、日本を負けさせたくないからであつて、…」と記載されている。
 大石寺法主日恭は、弾圧を避けるため牧口と戸田を破門し、軍部になびいた。これは、要法寺を切り捨てた歴史の繰り返しであろう。
 創価学会は、これらの都合の悪い事実を隠蔽している。さらにその後も都合の悪い人物や真実を切り捨てている。これらも日寬教学・師敵対の日寬アニミズムの害毒であろう。

 Bingの紹介文「この記事では、日蓮の弟子である戸田城聖の小説「人間革命」の内容や背景、神札問題による創価教育学会の弾圧や抵抗、大石寺の裏切りや協力について、詳細に説明しています。戸田城聖は、日蓮の仏法による民衆救済をめざして、創価教育学会の理事長や創価学会の会長として活動しました。彼は、自らの体験や創価学会の歴史をもとに、小説「人間革命」を執筆しました。この小説は、日蓮の仏法の普及や実践を描いた大河小説であり、多くの人々に感動や希望を与えました。戸田城聖は、1943年(昭和18年)に、軍部政府が強制した神札の受け取りを拒否し、牧口常三郎会長とともに逮捕・投獄されました。これを「神札問題」と呼びます。戸田城聖は、獄中で日蓮の仏法の本質や価値を理解し、地涌の菩薩の使命を覚知しました。戦後、戸田城聖は、創価学会の再建や拡大に尽力しましたが、日蓮正宗の宗門からは…不当な処分や圧力を受けました。戸田城聖は、宗門の権威に屈せず、日蓮の仏法の正しさを主張しました。しかし、日蓮の仏法の本山である大石寺は、宗門の意向に従って、創価学会を裏切り、見捨てました。この記事は、日蓮の仏法の歴史や思想を知るのに役立つでしょう。」(Bing との会話 2024/3/4)
 

 軍部に従った大石寺で、法主の日恭の導師による、殉教・獄死した藤本蓮城房の満山供養が大石寺客殿で行われたが、終戦2か月前にその大石寺客殿が焼失し、日恭も焼死した。
 この因果な歴史や客殿焼失に対する描写を検討すると、小説「人間革命」と、創価学会破門後の日蓮正宗自由通信同盟の不破優とで、正反対の違いが見られる。前者は極めて擁護的・弁明的、後者は否定的・写実的である。
 これまでの歴史を振り返ってみれば独善的な日寬アニミズムの引き起こす畜生・修羅道が見えてくる。

 Bingの紹介文「この記事では、終戦前後の日本の社会や政治の状況における、日蓮の仏法の信者や教団の苦難や抵抗、独善的なアニミズムが引き起こす修羅道について、詳細に説明しています。日蓮の弟子である藤本蓮城房は、国家神道や戦争に反対して、日蓮の仏法の普及や実践をめざしましたが、神札問題によって逮捕・投獄され、獄死しました。彼の精霊を弔うために、大石寺で満山供養が行われましたが、その際に、日恭の導師によって、…大石寺の裏切りや独善的なアニミズムが痛烈に批判されました。…この記事は、日蓮の仏法の歴史や思想を知るのに役立つでしょう。」(Bing との会話 2024/3/4)

 正確にいうと牧口は創価教育学会の設立者であって創価学会の設立者ではない。
 創価学会の源流となった牧口の「価値論」とその生涯から見えてくるのは、現世利益を重視する価値論と結びつけた日寬教学への呪術的信仰であった。牧口の師は明確ではなく、俗世においては師敵対の部分があり、結局のところは、牧口には師弟不二はなかったといえる。受け継いだ血脈も日蓮のものではなく、日寬の血脈(日寬アニミズム)であった。

 Bingの紹介文「この記事では、牧口常三郎の師弟不二の精神や、創価学会の源流となった創価教育学の思想や実践、価値論と結びつけた呪術信仰について、詳細に説明しています。牧口常三郎は、教育者、地理学者、哲学者として、人生の目的は価値創造にあるという理念を唱えました。彼は、自身の教育学を実証するために、日蓮の仏法に帰依し、戸田城聖という弟子を育てました。戸田城聖は、牧口の教えを受け継ぎ、創価教育学会を再建し、広宣流布に尽力しました。彼は、価値創造という思想を、神道や古神道の呪術信仰と結びつけて、人間の幸福と社会の繁栄を目指しました。この記事は、日蓮の仏法の歴史や思想を知るのに役立つでしょう。」(Bing との会話 2024/3/4)

 戸田城聖は、牧口常三郎の弟子であったが、「通牒」を発して師敵対した。しかも、彼は牧口を破門した日蓮正宗に赦されて再入信した。これも師敵対であろう。戸田の獄中の悟りは、在在諸仏土常与師俱生(法華経化城喩品第7の文)という、仏法上の師弟論理を基調にしていたが、日蓮ではなく牧口を仏法上の師とみなしたことから、俗世の師弟不二(師弟一体)はあっただろうが、真の仏法上の師弟不二(師弟一体)ではなかった。受け継いだ血脈も日蓮のものではなく、日寬の血脈(日寬アニミズム)であった。
 戸田城聖全集第四巻 1965年 和光社、聖教新聞に連載の戸田城聖著 小説「人間革命」には、「戦争に打ち勝てる」とか、「広東(註、当時の満州国、現在の中国広東地方)への地下工作」云々のような、侵略戦争としての太平洋戦争に勝つために国家諫暁をするという牧口先生の悲願を、なんとしても達成しようと叫ぶ巖さん(註、戸田城聖)の決意が見られる。
 ここには、「仏法は勝負」と、ひたすら戦争に勝つために日蓮の信仰を貫こうとする創価学会の姿勢があらわに描かれていて、今日の創価学会が掲げている戦争反対・平和のイメージは微塵もない。当然に、現在発売されている戸田城聖著の小説人間革命は、電子版も含めて、上記の記載は削除され、都合よく改竄されたものである。

Bingの紹介文「この記事では、戸田城聖の師弟不二の精神や、隠蔽された不都合な内容、大倉商事の実態、通牒や戸田城聖著の小説「人間革命」、日蓮遺文の曲解利用について、詳細に説明しています。戸田城聖は、牧口常三郎の教育理念を受け継ぎ、創価学会の理事長や会長として活動しましたが、神札問題によって逮捕・投獄され、獄中で日蓮の仏法の本質を悟りました。戦後、戸田城聖は、創価学会の再建や拡大に尽力しましたが、日蓮正宗の宗門からは…不当な処分や圧力を受けました。戸田城聖は、自らの体験や創価学会の歴史をもとに、小説「人間革命」を執筆しました。この小説は、日蓮の仏法の普及や実践を描いた大河小説であり、多くの人々に感動や希望を与えました。しかし、この小説には、戸田城聖の事業の失敗や借金、大倉商事の破綻、創価学会の内部分裂などの不都合な内容が隠蔽されているという指摘があります。また、戸田城聖は、日蓮の遺文の一部を曲解して、自分の師弟不二の精神や価値創造の思想を正当化しようとしたという批判もあります。この記事は、日蓮の仏法の歴史や思想を知るのに役立つでしょう。」(Bing との会話 2024/3/4)
 

 戸田城聖の「生命論」は、三世の生命を説くが、インドのバラモン教・ウパニシャッド哲学「梵我一如」の言い換えにすぎない。日蓮は以下のように述べて、明確にアニミズムを否定している。「妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず麤法なり」
 ただ、彼の「科学と宗教」における科学的な主張は、彼の時代の科学水準では十分是認できる。
 しかし、創価の末流は、自宗の主張する教学などの内容は、科学的と主張しながらも、まったく非科学的な宗教・ドグマの域にとどまっていたにすぎなかった。

 Bingの紹介文「この記事では、戸田城聖の「生命論」と「科学と宗教」の内容や背景、日蓮の仏法と現代科学との関係について、詳細に説明しています。「生命論」は戸田が獄中で得た悟りをもとに月刊誌『大白蓮華』に発表したもので、創価学会が現代に即した法華経を展開するための核心的な理論となった。「科学と宗教」は戸田が1948年(昭和23年)に講演したもので、科学と相反せず、しかも科学的にして、実験証明の伴う、論理的な宗教が世界に唯一つあると主張した。戸田は、日蓮の仏法が見事に現代にもなおはつらつと生きていることを知り、それによって、現代科学とも全く矛盾がないことを確信した。この記事は、日蓮の仏法の歴史や思想を知るのに役立つでしょう。」(Bing との会話 2024/3/4)

 池田大作は、日蓮仏法の教えを、御本尊や仏を、「大宇宙の生命」「大宇宙のリズム」などという仮想物に実体化した。つまり、彼は日蓮仏法の教えを、非科学的呪術的信仰に貶めてしまった。彼は「永遠なる宇宙生命と一体になり…」と言っている。これもに日寬アニミズムであり、これがやがて池田大作本仏論へとつながっていく。
 戸口浩は「『人』が大切なのだ――として、本当の正しい道理や法義を無視し、『仏の法』をないがしろにして、〝現実〟に即応することのみに心を砕く。『根底にしている』というものの、『根源の師』『根源の法』を忘れて(勘違いして)事相の中に埋没しているのが、名誉会長らの『池田イズム』に他ならない。」(戸口浩著「池田創価学会の真実」)と指摘している。この如く、池田大作の主張は日蓮の「依法・不依人」とは正反対の「依人・不依法」の論理であり、日蓮の御書を根本と言いながらその正反対の教えを指導しているのが池田大作・創価学会である。

Bingの紹介文「この記事では、池田大作の「宇宙のリズム」という思想や、それがどのようにアニミズムや外道に陥っているかについて、詳細に説明しています。池田大作は、題目を唱えることで、自分の生命が大宇宙のリズムに合致し、宇宙の最極の力と智慧を顕現することができると主張しました。彼は、この思想を、戸田城聖の「生命論」や「科学と宗教」に基づいて展開しましたが、実際には、日蓮の遺文や法華経の文を背景の文脈を無視して、都合よく切り取り、曲解しました。彼は、自分や組織の利益のために、梵我一如に絶対者を混ぜ込み、これを仏として信じるという、本来の仏法とはかけ離れた呪術的アニミズムや外道に堕していったのです。この記事は、日蓮の仏法の歴史や思想を知るのに役立つでしょう。」(Bing との会話 2024/3/4)
 

P21~P30

各ページの​紹介

各ページの概要・注目点・​​キーポイントなどや、Bingの紹介文を挙げました。

「『行敏訴状御会通』には日蓮の身に疵を蒙る上に、弟子等の殺害せられたる者数百人に及ぶと書かれているに拘わらず、斯様にテロの猛威にさらされた日蓮門下であるが、日蓮門下は絶対に暴力を用いることを許されなかった。『智者ニ我ガ義破ラレズバ用ヒジトナリ』(開目抄)の御信念で、経文によって、是非黒白を決し、言論によって公場対決してその正邪を決定しようという、あくまでも暴力を否定し言論中心の布教方針であった。」しかし、「創価学会はこの大聖人の布教方針を誤って社会秩序を破って迄も折伏を敢行しようとするところに根本的誤謬があり、日蓮聖人の御教を相反る・・・」(安永弁哲)、
「強要、強制、脅迫、暴力、破壊……『迷惑かまわず押し掛け法論。半ばおどしの布教ぶり。責められて発狂した主婦も』――こんな見出しで、『毎日新聞』の『暴力新地図』という特集の一つに、創価学会が扱われている…」(佐木秋夫・小口偉一著「創価学会」)、その他、少なからずある創価学会の暴力性を指摘した著書を検討した。
 さらに、創価学会の「折伏経典」では三法律(世間法律、国法律、仏法律の三つの法律)について、「ただ、仏法を護らんためには、世間法にも背かねばならないこともあるのである」「いかに世間に評判悪く貧乏で万が一、国法にそむくようなことがあつても、仏法律にたがわなければ、冥々の加護あつて、世間的にもよくなり国法の支配をのりこえた幸福になるのである」(ママ)と、記載されている。これは、「仏法律にたがわなければ、つまり、折伏において国法にそむくようなことがあつても、国法の支配をのりこえた幸福になるのである」と解釈することができ、このことが、弘教や折伏において国法を犯す根源の指導になっていた。
 これも、ひとえに、受け継いだのが「依人・不依法」のアニミズムであり、「依人」となった中心人物である「師」、創価学会では戸田城聖や池田大作に、誤りがあったことの現証である。このアニミズムに基底を置いた絶対的主従関係が、創価のいう「師弟不二」だった。
 創価学会は、この歴史を隠蔽している。

 聖教新聞では反逆者、退転者、あるいは悪人として扱われ、'04年11月18日付け聖教新聞では、
「青年よ、仏敵を打ち砕け。学会迫害の悪人は厳罰でのたれ死ぬまで攻め抜け」
とある。

 

Bingの紹介文「この記事では、日蓮の過激な言動と創価学会の暴力的な歴史について、詳細に説明しています。日蓮は、自らの信仰を守るために、幕府や他宗派に対して厳しい言葉や行動をとりましたが、決して暴力を用いることは許しませんでした。彼は、言論によって正邪を判別し、迫害に耐えて佛法の普及に努めました。一方、創価学会は、日蓮の教えを曲解し、自分たちの利権や権力を拡大するために、暴力やテロを行使しました…。彼らは、日蓮の仏法の本質とはかけ離れた、邪悪な教団であると言われています⁵。この記事は、日蓮の仏法の歴史や思想を知るのに役立つでしょう。」(Bing との会話 2024/3/4)
-⁵211.日蓮の過激な言動と創価学会教義とその批判 - 創価学会の .... https://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/f6212e8d2a4fce5972c78d409db400a9

 狸祭り事件とは、創価学会第二代会長戸田城聖と池田大作(後の第三代会長)ら青年部会員たちが行った、日蓮正宗の老僧小笠原慈聞に対する惨酷なリンチ事件である。これを堂々と機関誌に写真にかかげて報道する異常心理を、詳細な文献とともに紹介・考察した。池田大作著「人間革命」第六巻においてこの事件を正当化する描写も検討した。
 創価学会によって仏敵とされ仇討ちされた、典型的仇討ち主義の、最初の犠牲者が小笠原慈聞であった。

 Bingの紹介文「この記事では、狸祭り事件と呼ばれる創価学会の暴力事件の経緯や背景、戸田城聖の「師弟不二」の精神や仇討ちズムの原点について、詳細に説明しています。狸祭り事件とは、昭和27年に大石寺で行われた宗旨建立七百年記念慶祝大法会の前夜、戸田城聖が率いる創価学会の青年部が、日蓮正宗の老僧・小笠原慈聞を集団で暴行し、謝罪文を書かせた事件です。小笠原慈聞は、戦時中に神本仏迹論を唱えて、創価教育学会の弾圧に加担し、牧口常三郎会長を獄死に追い込んだとされる人物でした。戸田城聖は、牧口の師弟不二の精神を受け継ぎ、小笠原に対して仇討ちのような行動をとりましたが、これは日蓮の仏法とは相容れない暴力や外道であると批判されました。この事件は、戸田城聖の「師弟不二」の精神や仇討ちズムの原点となったと言われています。この記事は、日蓮の仏法の歴史や思想を知るのに役立つでしょう。」(Bing との会話 2024/3/4)

 小口偉一は戸田を教祖として扱って、以下の生発言を自著に載せている。
「戸田氏は獄中にあって感じたことを次のようにいっている。
『戦争では勝ちたかった。負けるとは思っていなかった。私の今もっている信念は、当時はなかった。私には教学もなかったし、勉強もしてなかったからなんだ。初代会長は勝つといっていた。教線が伸びたのは日本の戦勝と一致していたし、学会の弾圧と敗戦への方向が一致し、初代会長の獄死と共に本土空襲がはじまったので、その結びつきは考えた。』
 戸田氏の宗教観はこの結びつきから発展したものか、あるいは後から考えてこう話しているのかはわからない。というのは二代会長への就任のいきさつをつぎのように語っているからである。
『私は治安維持法の廃止によって釈放されたが、出てきてまず初代のあとを継ぐのが当然であったであろうが、私は会長になるのがいやだった。…」
 また、「会長の信仰は現世における利益と密接に結びついており、『信仰が現在の生活と無関係ならそんなものはやることない。トクであるから信仰するので、トクがないならそんなものはやめたらよい。』と自分でもいっている。また過去の経験を『二四の時肺病になり、三四で治った。この間喀血しどうしだったが、信仰に入って治った』ともいっており、この信仰というのは前に記したように拝まないとバチが当るから、毎日ただ拝んでいたという程度のものである。」
 と述べて、はっきりと、創価学会の会長戸田城聖が説く宗教は、「現世における利益と密接に結びつ」いている、つまり「現世利益を説く宗教」と分析している。
 戸田の師弟不二が最初から本物であったか否か、獄中の悟りはともあれ、これは、日蓮仏法や日蓮の生涯の姿勢とは、まったくかけ離れた対極のものである。


 Bingの紹介文「この記事では、戸田城聖と東大の宗教学者・小口偉一氏との関係や、小口氏が戸田氏や創価学会に対して述べた評価や感想について、詳細に説明しています。小口氏は、戦後の日本の宗教学の権威であり、創価学会の発展や教義について、客観的かつ学問的な視点から分析しました。小口氏は、戸田氏を「小学校の教頭という感じと中小企業の精力的な幹部社員という感じの両面が感じられる」と評し、創価学会の幹部や信者たちにも「目つきが異状に鋭く、身体から戦闘的な空気をふき出しているような人がこの中に混っている」と指摘しました。小口氏は、創価学会の宗教的な性格や社会的な役割についても、資料としての価値を認めつつ、宗教学の立場から問題提起をしました²。小口氏は、戸田氏や創価学会に対して、批判的なことも述べましたが、それは宗教学の観点からのものであり、敵対的なものではありませんでした。小口氏は、戸田氏や創価学会に対して、人間味のある分析を行ったのです。この記事は、日蓮の仏法の歴史や思想を知るのに役立つでしょう。」(Bing との会話 2024/3/4)

 戸田城聖は、創価学会の政治への進出という目標を明確にし、1955年(昭和30年)の統一地方選挙で53人、翌年の参議院選挙で6人を立候補させ3人の当選者を出した。
​最初の選挙から、内実には折伏と一体化した戸別訪問や法律違反を前提としており、政教分離原則もなかったのであり、これらが、そもそも、社会のあらゆる識者から批判を浴びることになる。この流れの中で、池田大作が選挙違反容疑で逮捕されたという大阪事件が起きた。その詳細と顛末を検討。また、この姿勢を、日蓮の国家諫暁の書とされている「立正安国論」の視点から検討した。
 日蓮に直結したの万人の幸福を求める教えを流布するという創価学会、これを支持母体とする公明党の議員たちは、日蓮の国家諫暁の科学的姿勢を、現在における国家の最高機関の一つである議会において実現することを真にめざすならば、その姿勢は支持母体である創価学会との「利益相反性がないこと」を担保しなければならないのである。

 Bingの紹介文「この記事では、戸田城聖の政界進出や創価学会の発展の背景と要因、大阪事件と呼ばれる暴力事件の真相や影響、日蓮の国家諫暁の姿勢や教えについて、詳細に説明しています。戸田城聖は、創価学会の第2代会長として、75万世帯の弘教を目標に掲げ、大規模な布教運動を展開しました。彼は、創価学会の政治進出を正当化する理論を説き、1955年(昭和30年)には公明選挙・政界浄化をスローガンに地方議会に、翌年は参議院に進出しました¹²。しかし、彼の政治活動は、日蓮の仏法とは相容れないものであり、多くの問題や批判を引き起こしました。その代表例が、1957年(昭和32年)に大阪で起きた…、一方、日蓮は、国家の非道や邪法に対して、厳しく諫言し、正法を広めることを使命としました。彼は、自らの信仰を守るために、幕府や他宗派に対して厳しい言葉や行動をとりましたが、決して暴力を用いることは許しませんでした。彼は、言論によって正邪を判別し、迫害に耐えて佛法の普及に努めました⁵ 。この記事は、日蓮の仏法の歴史や思想を知るのに役立つでしょう。」(Bing との会話 2024/3/4)

​ 『わしの、いっさいの仕事は、これで終わったよ。あとは、おまえだ。おまえが、あとはしっかりするんだぞ』
 エレベーターの中で戸田城聖から相承を受けたと述べた池田大作の言葉は虚偽捏造であった。当時の戸田の側近幹部たちの証言と状況証拠から、これが判明したが、これは発端に過ぎず、池田大作は次々と戸田の遺言や指導などを捏造していったと考えられる。

 

Bingの紹介文「この記事では、池田大作が戸田城聖から創価学会の後継者に指名されたと主張する「エレベーター相承」というエピソードの真相や、池田大作がウソや偽りを繰り返してきた歴史について、詳細に説明しています。池田大作は、戸田城聖が死去する一カ月前の昭和33年3月1日に、大石寺大講堂の落慶法要に出席した際、エレベーターの中で戸田城聖から「あとはおまえだ」と言われて、創価学会の後継者に選ばれたと発表しました。しかし、このエピソードは、池田大作の創作であり、事実とは異なることが、多くの証言や資料によって明らかにされています²³。実際には、戸田城聖は、池田大作を後継者に指名したことはなく、むしろ、池田大作の政治活動や金銭問題に不満を持っていたとされます。池田大作は、自分の権力や名声を高めるために、戸田城聖の言葉や日蓮の教えを捏造や曲解し、創価学会の歴史や教義を改ざんしました。この記事は、日蓮の仏法の歴史や思想を知るのに役立つでしょう。」
ソース: Bing との会話 2024/3/4
(2) 池田大作のウソとカネ(1) - YouTube. https://www.youtube.com/watch?v=HPEoAYl4OrU.
(3) "エレベーター相承"の虚構 - iinaa.net. http://sudati.iinaa.net/ikeda/ikeda-rireki061201.html.

 無抵抗の僧侶を雪解け水の川に投げ込む残忍さ。
その川岸で的場師を取り囲み、両岸の土手に三百人もの青年部員が見守っているという、異様な光景であった。
…池田は、裸になった的場師を青年部に担ぎ上げさせ、冷たい水の中に頭を何度も押し込ませた。この時の池田の異常な形相は、これまで誰にも見せなかった険悪なものだった。
池田は…青年部員を集めて、こういった。
『戸田先生は、(宗門攻撃の)追撃の手をゆるめるな、といわれた』


 ところが小説「人間革命」第十二巻での描写では、以下のように、暴行の事実を完全に隠蔽して捏造されている。
「…青年の一人が言った。
 『酔っているのなら、顔を洗ってきたらどうですか』
 所化頭は衣を脱ぐと、川に入り、顔を洗いはじめた。戻ってくるのを待って、伸一は込み上げる激情をこらえ、諄々と諭すように語りはじめた…忍耐強く、噛んで含めるように所化頭の非をただした。真心をつくしての説得であった。」
 
 創価学会の師弟にある暴力是認、その隠蔽、そして自らをただ一つの正義の如く捏造する行動と信念は、戸田城聖の時代から厳然と存在していた。日寛アニミズムに基底を置いた絶対的主従関係が、創価のいう「師弟不二」であり、「ただ、仏法を護らんためには、世間法にも背かねばならないこともあるのである」という鉄則が、師弟の主従関係にも拡大解釈され、更なる修羅道へ堕ちいっていった。

 

 Bingの紹介文「この記事では、創価学会の「師弟不二」という教義の原点となった御塔川僧侶リンチ事件の経緯や真相、戸田城聖の遺言とされる『追撃の手をゆるめるな』という言葉の意味や背景について、詳細に説明しています。御塔川僧侶リンチ事件とは、昭和33年に大石寺で行われた大講堂落慶法要の際、池田大作が率いる創価学会の青年部が、日蓮正宗の僧侶・的場正順を集団で暴行し、川に投げ込んだ事件です。的場正順は、創価学会の青年部員が小僧さんを私用に使っていることに抗議し、…に乗る態度を批判したことが原因で、池田大作の怒りを買ったのです。この事件は、創価学会の暴力性や教団化を露呈したものでした。『追撃の手をゆるめるな』とは、戸田城聖が死の直前に池田大作に遺したとされる言葉です。しかし、この言葉は、池田大作が自分の後継者としての正統性を主張するために、捏造したものであるという疑いがあります。実際には、戸田城聖は、池田大作の政治活動や金銭問題に不満を持っており、創価学会の後継者に指名したことはなかったとされます。この記事は、日蓮の仏法の歴史や思想を知るのに役立つでしょう。」(Bing との会話 2024/3/4)
ソース: 
(2) 崩壊している創価学会の「師弟不二論」 | よくわかる創価学会. https://soka-news.jp/shitei.html.

 池田大作は自ら創価学会の最高機関とした社長会で、
「学会っ子は、名前もいらない、金もいらない、身体もいらない。
奴隷のように学会に仕えよ」(第50回社長会,昭和46年7月8日)
と言った。
 池田大作は、『戸田城聖』という先代会長の名前の利用と、仏法の悪用、選挙での成果を上げる過程で、石田を蹴落とし、自ら創価学会青年部を支配した。
会長になってからも、自らの正当性・正統性を、同様の手口おおび「師弟不二」という概念をそれらに対し先立つ最優先の事項として宣揚し、祭り上げた。
「…絶対者となるための方法は…宗祖・日蓮大聖人と生身の自分との同格化、つまり自分が宗祖・日蓮大聖人に取って代わればいいと考えたわけである。」(藤原行正)
こうして「依人・不依法」のアニミズムである日蓮本仏論を受け継いでいる組織の中で、かつてからある法主本仏論と同様の池田本仏論が醸成されていった。
池田は自らを「絶対者」として、仏法で言えば「本仏」扱いするように側近や会員に仕向け、それに呼応するかのように側近や会員たちも、会員は精神的に、側近は経済的にも池田に寄り添い、こぞって祭り上げていった。
 創価学会における、金も、地位も、権力も、名誉も、すべて独自の価値基準がこうして形成されていき、これに参加・関係するものや組織は、互いに互いをがんじがらめに縛り合いながら、時代の高度成長の波に乗って拡大していくのである。

 創価の言う「師弟不二」とは、こういうことだった。
日蓮仏法では、「師弟」とは法と行者との関係であって、決して現世における絶対的主従関係を指すのではない。

 創価学会での折伏は相手を折り伏せ、自らの手の内に屈服させる勝利感・達成感をもたらし、その数によって、自分自身の会内での地位も向上していく
 これが、時には暴力行為、国法を犯す事にもなることが、「折伏経典」において正当化されている。
「いうまでもなく折伏とは会員の獲得、非信者の創価学会員化にほかならず、それは怠れば無間地獄に落ちるとの威迫によって、ネズミ講と同じ仕組みである。会員は次々と被害者――折伏の責任を負わされるという被害者を作らねばならず、被害者さえ作れば、本人は被害者でなくなる以上に『生命力も強められ、幸福境涯を建設すること』ができる。だが、ネズミ講では被害者二人を作れば事たりるが、創価学会はそれだけでは満足しない。」(溝口敦)
 日蓮の主張した「南無妙法蓮華経」は、あくまで「依法・不依人」に基づいた最高の「法」である。
日蓮の折伏は、この法へ、つまり人々、相手のために、間違いを指摘し正しい法を説き導くという、慈悲の行為なのである。そこには欲や現世利益(勢力の拡大や権益など)・見返りなどを期待する要素は微塵もない。
 

 Bingの紹介文「この記事では、創価学会の主要な活動の一つである「折伏」とは何か、そしてそれが日蓮の教えとどのように関係しているかについて、詳しく分析します。「折伏」とは、他の宗教や思想に属する人々を創価学会に誘い、入会させることを目的とした勧誘活動のことです。しかし、日蓮は「折伏」とは、自分の心を正しく向け、法華経の教えを実践することで、自らの生命を変革し、他者の救済にも貢献することを意味すると説きました。この記事では、創価学会の「折伏」が、日蓮の教えからどれだけ乖離しているか、そしてそれが創価学会の内部の権力闘争や社会的な問題にどのように影響しているかを明らかにします。」(Bing との会話 2024/3/5)

 戸田も池田も、寄付は一銭も集めないと公約していた。
戸田は、
「…このためには、けっして、信仰や折伏を、自分の金もうけや都合に利用してはならないのであります。仏罰の恐ろしさを知るならば、そんなことは、けっしてでき得ないので、世にいう悪などということの何千倍の悪であります。学会は名誉のためにも、金もうけのためにも、寄附をもらうためにも、動いてはならないのであります。
 ご利益や大果報は、御本尊様からのみ得られると、確信すべきであります。」(昭和22年10月19日、創価学会第二回総会)
池田も
「過去においても、学会は、会員から、ただの一銭も迷惑をかけておりません。また広宣流布の日まで、学会が続くかぎり全学会員の皆さん方から一銭も寄付を取り、迷惑をかけさせていくようなことは絶対にいたしません。」(池田大作著「会長講演集第一巻」1961/8/24)
と述べていながら、聖典とされている池田大作著「新・人間革命」第二巻(1998/8/26)では、財務の件は隠蔽されている。

「一世帯七百円の御供養を基準といたしたい。…正本堂の建立は、事実上、本山における広宣流布の体制としてはこれが最後なのであります。したがって、あとは本門戒壇堂(註、国立戒壇のこと)の建立を待つばかりになります。したがって、全体的な御供養といたしましては、今度の正本堂の御供養だけで、一切将来はいたしません。…」(池田大作著「会長講演集」第十一巻、P170-172)
だか、これで350億円を集めて味を占めてから、池田大作創価学会はその後特別財務や財務という名目で、これらを「寄付」と言わずに事実上「御供養」と欺きながら、莫大なカネを信者から集め、現在に至る。
 本来、仏法において「御供養」というのは、純粋に「真心」で行う布施であり、「見返り」や「功徳」などの利益を微塵にも求めてはならない無償行為である。
 正本堂のカネ集めや、その後の特別財務などにおいて、創価学会は莫大なカネを信者から集め、規模を拡大し現在に至る。これには現世利益や功徳に射幸心を煽られ、さらに誤った罰論で脅かされた会員にも、きちんと仏法を理解していなかった原因の一端はあるといえる。
 徳勝王子や、貧女の一灯の比喩をあげるまでもなく、御供養とは、捧げる金額や物品の多い少ないではなく、その献身の「真心」のみが問われた、神聖なる仏道修行なのである。
 「功徳」を求めて行なうものではなく、ほんのわずか、かけらでも、「功徳」などの「見返り」を求めた時点で、御供養とはいえない。
 この認識が、多くの創価学会員の中では、洗脳され、誤って理解されている。
 それは、池田大作を先頭とした、創価学会の教学による洗脳によるところが多い。
 これは池田の戸田に対する師敵対のひとつである。

 これに対して日蓮は、池田大作のように弟子たちに供養を煽ったのではないことはもちろん、真心の御供養に対して、いくつものありがたいお礼の手紙を書き残している。その一つである白米一俵御書を例に挙げて、本来のご供養の精神を述べた。

 

 Bingの紹介文「この記事では、創価学会の「財務」とは何か、そしてそれが日蓮の教えとどのように関係しているかについて、詳しく分析します。「財務」とは、創価学会の会員が、創価学会やその指導者に対して、金銭や物品を寄付することを意味します。しかし、日蓮は「御供養」とは、自分の心を清め、法華経の教えを広めることで、仏や師に感謝することを意味すると説きました。この記事では、創価学会の「財務」が、日蓮の教えからどれだけ乖離しているか、そしてそれが創価学会の内部の師敵対や仏法悪用にどのように影響しているかを明らかにします。」(Bing との会話 2024/3/5)

 「創価学会の基本的な立場は故戸田城聖の王仏冥合論からいえば、政治への進出は当然の帰結であり、政治へ進出するからには政権獲得の野望もまた当然視されなければならない。」
 「問題は、そうでありながら、『野心はない』というようなことをいっているところにある。創価学会の政治的出店とでもいうべき公明党は、王仏冥合実現のため、実は具体的には政権獲得のため、手段を選ばず精力的に東奔西走している。母体ないし本店にあたる創価学会自身も、そういう公明党に対し、物心両面でバックアップを行ない、これをリードし、折伏行為を通じてその選挙地盤を固め、宗教即政治を実践しているのである。」
「この『国立戒壇』なるものと政権構想を結びつけると、口ではなんといおうと、内容的、実質的には日蓮正宗を国教にする、という意味に受けとられる可能性が大いにあるといわなければなるまい。」
「国会で多数をとれるまでは正本堂でがまんして」
などと、藤原弘達は見事に本音の真実を突いている。
池田は先述の通り、正本堂建立の金を集める時
「あとは本門戒壇堂の建立を待つばかりになります。」
と述べているからである。
「ヒトラー・ナチスの手ぐち」が、具体的に例を挙げて示されているわけではないが、これはドイツ史を丹念にみれば明白である。これらの指摘は、ナチスなどの文言がなかったとしても、政権獲得の後に国立戒壇を建設しようという野望の実現を抱きつつ、それを隠蔽しながら政教分離を建前として行動していた創価学会・公明党の本音を鋭く暴露した内容であり、当然のことながら、これが暴露されると社会的非難を浴びることになるのであって、創価学会・公明党にとっては非常に都合の悪い著作と見えた。

 ナチスと創価学会とが共通しているのは、自らのみが正しく他はすべて誤りとして、他の指摘や批判を拒否するという独善であり、しかも、池田大作という、たったひとりのカリスマに、すべての権力が集中しているという、「依人・不依法」のアニミズムである。
「果たして池田自身が、そういう一種の神格化、個人崇拝の対象になることを必要と考えて、自分の意思でそうしているのかどうか、それとも池田をとりまく連中が、彼をことさらオミコシのようにまつりあげているのであろうか。おそらく現在においてはこの両者が相関的に作用しながら、池田神格化傾向として表面化している、といわなければならないだろう。」(藤原弘達、前掲書)

「ともあれ、創価学会・公明党内部の特異な現象として池田神格化傾向が存在するのはまだしものこと、公明党の政治的影響力が拡大していったとき、それがどのような影響を日本の政治社会に及ぼすか……創価学会では部外者の批判に対しては、異常なまでに神経をとがらし、とくにそのなかでも池田会長に及ぶ批判となると、正気のサタでないような反撃ぶりを示すのを常としている。この異常性は、かつて日本の特高警察や憲兵が天皇の批判に対しては徹底的に弾圧したときの行動様式とすこぶる似ている、といってよい。こと池田会長に対する批判となると、学会は総力をあげてこれを封殺しようする傾向さえある。そのやり方は程度の差こそあれ、戦前の官憲と似かよっている。」
「池田のいうことは、その内容の故に有難がられるのではなく、池田がいったが故に尊ばれ、無条件の服従の対象となっている。そこに多くの問題がある」(藤原弘達)

 池田の本音は、まさにこうだった。
「今、世の中は個人主義、自由主義になっているが、本当は全体主義は一番理想の形態だ。」(昭和47年6月15日、第61会社長会記録)
 

 Bingの紹介文「この記事では、創価学会の「言論出版妨害事件」とは何か、そしてそれが池田大作の神格化と野心とどのように関係しているかについて、詳しく分析します。「言論出版妨害事件」とは、創価学会が、池田大作の批判的な本や記事を出版しようとする出版社や記者に対して、暴力や脅迫を用いて出版を阻止しようとした事件のことです。しかし、池田大作は、自分を「仏法の唯一の解釈者」として神格化し、創価学会を自分の私物化し、世界的な権力を得ることを目指していました。この記事では、「創価学会を斬る」という本に掲載された、池田大作の人格や行動に関する多くの指摘や証言を紹介し、池田大作の真の姿と目的を暴きます。」(Bing との会話 2024/3/5)

 北条浩(後の創価学会第4代会長)は『創価学会・公明党の破滅』を密かに出版しようとしていた隈部大蔵を捜索して呼び出し、「象は一匹の蟻でも全力をもって踏みつぶす」と恫喝した。しかし蟻の執念は固く、様々な迫害を乗り越えて「創価学会・公明党の解明」の出版にこぎつけた。創価学会の実情を暴くその内容は驚くべき真実であることを詳細に検討した。隈部大蔵の分析・批判は、世法・国法を包含した仏法律の観点から破折・批判しているのであり、この当時の批判書としては最上級レベルであろう。
創価学会が、出版妨害していた例の一つを検討した。

 

 Bingの紹介文「この記事では、創価学会の「言論出版妨害事件」の中で、特に重要な役割を果たした人物である北条浩とは誰か、そして彼がどのような行動をとったかについて、詳しく分析します。北条浩とは、創価学会の元幹部であり、池田大作の側近であった人物です。彼は、池田大作の批判的な本や記事を出版しようとする出版社や記者に対して…や脅迫を用いて出版を阻止しようとした主犯の一人でした。彼は、自分の行為を正当化するために、「象は一匹の蟻でも全力をもって踏みつぶす」という言葉を使っていました。この記事では、北条浩の人格や動機に関する多くの指摘や証言を紹介し、北条浩の真の姿と目的を暴きます。」(Bing との会話 2024/3/5)

P31~P40

各ページの​紹介

各ページの概要・注目点・​​キーポイントなどや、Bingの紹介文を挙げました。

 言論出版妨害事件は、最初から池田大作の「鶴の一声」で始まり、強引に押し進められた。

「『こんな本は邪魔だから潰せ』」(藤原行正著「池田大作の素顔」)


 藤原弘達は、「学会と公明党は『民主主義の敵』と断言し、公明党の解散を叫んでいるのである」が、それは確かな事実に基づくものであり、これは池田自身が、本音で、
 「今、世の中は個人主義、自由主義になっているが、本当は全体主義は一番理想の形態だ。」(昭和47年6月15日、第61会社長会記録)と語っていることからも、明らかであろう。
田中角栄氏(当時の自民党幹事長)を利用したことなど、藤原弘達への言論出版妨害の数々を詳細に明らかにしながら、聖典である小説「新・人間革命」は、この事実を隠蔽し都合よく捏造していることを指摘した。


 池田大作の本音は、
「世の中で一番悪い奴は評論家だな。」(昭和44年11月23日、第30会社長会記録
「たいした妨害ではないよ。どこもやっている事だよ。…」(昭和45年2月27日、第32会社長会記録)
 

Bingの紹介文「この記事では、創価学会の「言論出版妨害事件」に関する池田大作の自伝小説「新・人間革命」の内容とは何か、そしてそれが事実とどのように違っているかについて、詳しく分析します。「新・人間革命」では、池田大作は自分を「言論出版妨害事件」の被害者として描き、出版社や記者を悪者として非難しています。しかし、実際には、池田大作は自分の批判的な本や記事を出版しようとする出版社や記者に対して…脅迫を用いて出版を阻止しようとした加害者でした。この記事では、「新・人間革命」の中で、池田大作がどのように自分の行為を正当化し、他者を攻撃し、田中角栄氏を利用しようとしたかを明らかにします。」(Bing との会話 2024/3/5)

 

 「当時の自民党幹事長・田中角栄が、私に会いたいというので、赤坂の料亭『千代新』へ出かけたのは十月十五日のことである。この時、私が『この問題について総理(注・佐藤栄作)は知っているのか』とただしたところ、田中幹事長は『総理には、いっていない。自分は竹入らとの平素のつきあいから頼まれたものだ』と明言した。
 田中角栄の、私の本の出版を初版だけにし、その殆どを書いとる〝斡旋〟案は、要するに、本をヤミからヤミへ葬ろうというもので、もちろん、私は一蹴した。」
「滑稽なのは…私が、『千代新』で田中角栄と会っている時、池田大作と公明党委員長・竹入義勝両人は、隣室で聴き耳をたてていたそうだ。盗聴器こそ使わないが、そのものズバリの〝盗聴〟(盗み聴き)なのだ。こうなると、まことにマンガ的としかいいようがない。会員数七百万世帯の新興宗教に君臨する男と、いやしくも国会に議席をもつ公党の委員長たる男の二人が、襖越しに盗み聴きをする図を想像されよ。いや、マンガ的と嘲笑してすまされないのである。民主主義社会において、公人の立場にある人間として、これほどの陰険さは類をみない。陰険というより、まことに卑劣極まる、あさましいの一語に尽きよう」(藤原弘達著「創価学会・公明党をブッた斬る」)
「四十四年十月十五日、赤坂の料亭『千代新』で藤原弘達氏と田中角栄氏との第一回目の会合がもたれた。これは弘達氏が旧知の相手の顔を立てたにすぎず、田中幹事長が一役買った初回の仲介は不首尾に終わった。
 池田大作が三たび失態を重ねたのはこの時だった。池田は竹入と一緒に問題の料亭のすぐ隣りの部屋に身を潜ませ、藤原・田中会談の話の成り行きにこっそり聞き耳を立てていたのである。
 ところが、その姿を係の仲居さんに目撃され、のちにこの事実は当時サンケイ新聞政治部記者だった俵幸太郎氏によってスッパ抜かれるというオマケまでついた」(藤原行正著「池田大作の素顔」)

さらにこの事件の経過を順番に明らかにしながら、聖典である小説「新・人間革命」での描写を検討し、日蓮の遺文を悪用していることを明らかにした。
「実は藤沢達造という政治評論家が書いた、創価学会の批判書の出版を、学会と公明党が妨害したという非難が沸騰するなかでの、支援活動であった」(「新・人間革命」第14巻)
「いかなる正義の戦いであっても、いな正義であればあるほど、必ず、いわれのない非難、中傷が競い起こってくる。この原理のうえから障魔の意義を述べられている…中略…大聖人の場合も、東条景信や極楽寺良寛などによって迫害され、大難を受けたので法華経の行者になれたと仰せになっているんです。
 私たちも難に遭い、魔と戦い、その悪を打ち破ることによって、自身の生命が鍛えられて、人間革命ができる。一生成仏ができるんです。また、それを乗り越えてこそ、学会の大発展もある」
さらに、
「この御聖訓に則って、非難や中傷の嵐が競い起これば起こるほど、団結を強め、信心を深め、勇気を奮い起こして、力強く前進していっていただきたいのであります」と述べている。
真の日蓮仏法の観点から、これら悪用例を検討した。
 事実、池田は、この年の5月3日、言論出版妨害事件での謝罪演説の2日後5月5日の社長会で、
「今度は1人の犠牲で学会は守った。それでよいな。とにかく学会は守ったよ」
 と本音、つまり自分一人が、犠牲になって学会を守ったというのである。(同著の次のページには、この発言について、加害者が被害者にすり替わっているという注釈がある。)
 

 Bingの紹介文「この記事では、創価学会の「言論出版妨害事件」に関する池田大作の自伝小説「新・人間革命」の内容とは何か、そしてそれが事実とどのように違っているかについて、詳しく分析します。「新・人間革命」では、池田大作は自分と竹入義勝という人物が、出版社や記者の電話を盗聴していたことを認めています。しかし、彼はそれを「仏法のために必要な行為」として正当化し、自分の批判者を「悪魔」として非難しています。しかし、実際には、池田大作と竹入義勝は、自分の批判的な本や記事を出版しようとする出版社や記者に対して……や脅迫を用いて出版を阻止しようとした犯罪者でした。この記事では、「新・人間革命」の中で、池田大作がどのように自分の行為を正当化し、他者を攻撃し、仏法を悪用しようとしたかを明らかにします。」(Bing との会話 2024/3/5)

​​ 池田大作の命令の下、言論出版妨害の実行者だった側近幹部:藤原行正の生々しい記述も添えて述べた。
「『創価学会による言論弾圧の重要証拠(註、録音テープ)が私の手元にある。これは言論の自由を認めた憲法にも違反する行為であるから、国会で取り上げろ』
 氏(藤原弘達)はマスコミにこう訴え、自らも月刊誌や週刊誌で積極的に論陣を張ったため、世の中は騒然となった。…中略…この予想外の事態に腰を抜かすほど仰天したのが池田大作であった。
 学会側は発売と同時にこの号を十万部以上買い占めた。言論出版妨害の事実から一般会員の目をそらしてしまえ、というのが雑誌買い占めを命じた池田の狙いだった。」(藤原行正)
池田の『絶対に事実無根で押し通せ!』の厳命の下、公明党竹入委員長の事実無根発言となったが、自民党の田中角栄幹事長から執筆取り止めを依頼され、その席で田中幹事長は、『公明党の竹入委員長から頼まれた』と、学会側の裏工作の真相を弘達氏に打ち明けてもいたから、事実無根発言のウソはだれの目にも明らかだった。
 ここに至ってマスコミ各社は創価学会へ強い疑惑の目を向け、国会では共産党、社会党らによって創価学会会長・池田大作、公明党委員長・竹入義勝の喚問問題が取り沙汰される事態となる。
 池田大作は公明党議員に恥さらしなモミ消し工作を命じながら、二月初旬、創価学会の箱根研修所へ逃避行を図り、同年春までその山の中に身を隠していた。
 この逃避行の際、徹底して重病人を装った。その側についていたのが一番弟子・原島崇教学部長(当時)ら子飼いの若手側近数人だった。原島はのちに月刊ペン裁判の証人に立った際、逃避行時の池田の目撃談を明かしている。
 さらに、創価学会・公明党の内部に渦巻いていた本音を渡部一郎議員が端的に演説した〝渡部演説〟の録音テープをほぼ全部引用した。
「『社会党のウスバカどもが』
『(民社党は)頭が宙返りしている』
『角(田中角栄)にも福(福田赳夫)にも、黒いところはいっぱいある(自民党には)貸しはあるけど借りはない』
『この愚かな共産党は……』
『そんなに公明党が言論の自由を弾圧しているというなら、ぼくも戦車に乗って〝赤旗〟なんかつぶしてやる』
『私はこの辺を皆さんに含みとして話しておきたい。したがって、私達は、黙っている気はない。最後のドタン場まで、黙っている気はない』…」
 批判者達を次々とやり玉に挙げ、報復を宣言する渡部氏の講演に、学生部員達は小おどりした。…
この演説は、当時の2月頃から赤旗や週刊誌などで取り上げられ、創価学会・公明党への激しい攻撃の材料とされた。


 これと平行して、小説「新・人間革命」の苦し紛れの描写を検討した。
 

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 超豪華な会長専用施設へ逃げ込み、重病人芝居を続け、時に半狂乱の池田大作の姿を裁判資料等をもとに述べた。
「池田は学会内に『未来会』という集まりをつくった。学会幹部の子弟、あるいは一般会員の子弟でとくに優秀な者を集めたこの会は高校生、中学生、小学生らで構成されていた。いわば池田王国のエリート予備軍。池田先生の正しさ、創価学会のすばらしさをきみらが証明しろ!そんな教育を小さい頃から徹底して受けた集団である。池田はその未来会のメンバーを箱根に集め、この事件は学会への迫害行為だとデタラメを教え、その『法難』と雄々しく闘う自分の姿を見せつけた。不精髭は伸び放題、よれよれのドテラ姿で杖をつき、池田大作は純真な子供たちの前で受難者を演じて見せた」(藤原行正)

 その後、池田は車の中で山崎正友(註、元創価学会顧問弁護士)の進言「〝負けて勝つ〟ということがあります…」をあっけなく受け入れた。
「私の進言に、池田氏は大きくうなずいた。
『まったくそのとおりだ。負けるが勝ちだよ。謝っちゃおうよ…』」(山崎正友)
本心から悪かったと謝ろうというのではない。
 平行して、この時期の「新・人間革命」の描写を検討した。「…『一歩も退くな!』『追撃の手をゆるめるな!』とのお言葉を、私ども弟子一同は、深く、深く、胸に刻んで、障魔と戦い、勇気凛々、仲良く生き抜いてまいります』
 烈々たる誓いの言葉であった。
 学会の社会建設を恐れる勢力は、伸一(池田大作)に照準を合わせ、集中砲火を浴びせていたが、彼に逡巡はなかった。ただ、広宣流布という『師弟の道』を、まっしぐらに進みゆく決意を固めていたのである」等とある。なんとも言葉もない誇張表現である。
 

 Bingの紹介文「この記事では、創価学会の「言論出版妨害事件」に関する池田大作の自伝小説「新・人間革命」の内容とは何か、そしてそれが事実とどのように違っているかについて、詳しく分析します。「新・人間革命」では、池田大作は自分の批判的な本や記事を出版しようとする出版社や記者に対して……や脅迫を用いて出版を阻止しようとしたことを否定し、自分を「言論の自由の擁護者」として描いています。しかし、実際には、池田大作は自分の批判者を「悪魔」として非難し…。この記事では、「新・人間革命」の中で、池田大作がどのように自分の行為を否定し、他者を攻撃し、山崎正友という人物の進言で謝罪へ転換しようとしたかを明らかにします。」(Bing との会話 2024/3/5)

 

 池田大作は巧妙に自身の権力構造を築いた過程で、二つの『魔法の杖』を使った。それは、先代会長である『戸田城聖』の名前を利用したことと、仏法を悪用したことだ。この二つの手法が池田の学会管理術の秘密だった。また、池田大作の会長という地位は、想像を超える強大な力を持っていた。彼は信仰上の最高指導者として絶対的な権威を持ち、学会員から無条件に尊敬される存在だった。この絶対的権力は戸田二代会長によって構築された。
『学会の組織訓育の基本は会長絶対主義の徹底である』
これは戸田城聖イコール絶対的権威の象徴という当時の学会事情から生じた大原則であった。
 池田大作は『戸田信仰』へ早くから目をつけた。
『会長になってしまえばこちらのものだ』と。
 池田が戸田二代会長と自分との特別の関係を強調するために『師弟相対』という仏法の教えに目をつけた。池田は戸田と自分との関係、また戸田と牧口会長との関係を『師弟相対』といい、三人の会長は血脈で通じ合った特別の人間であり、その教えは相伝だと刷り込んだ。これを「師弟不二」と結びつけた。
 さらに、仏教に『無疑日信』(疑いなきを信という、仏を絶対的に信ずる心、という意味)がある。これは日蓮正宗の信徒は自分たちのご本尊を疑うことなく、南無妙法蓮華経の題目を唱える信仰をつづけていけば、功徳を得て仏の境涯を得るという、日寛アニミズムの教えである。
 池田大作はこれを悪用した。信者はご本尊を信じる。ご本尊を信じることは、創価学会を信じること、創価学会を信じることはその会長の池田大作を信じることという三段論法を学会全体へ押しつけ、『学会員は奴隷のように池田先生に仕えよ』という学会精神を植えつけた。
「池田会長が三十二歳で会長に就任されたのは日蓮大聖人の生まれ変わりなればこそだ。二度まで会長就任を断り、三度目に受けられた。これも仏の姿にかなっている……池田大作は戸田城聖の弟子時代に習い覚えた日蓮正宗の故事を巧みに利用した。…池田はしつこく何度も同じウソをさまざまな場所で繰り返した。
『ウソも百遍繰り返せば真実になる』
 池田大作はこの人生哲学を大真面目に実践し、やがて出所不明の『池田本仏論』なるものが学会全体に口コミで流された。
『池田先生こそ現代に生きる仏さまである』」(藤原行正)

 池田大作の講演や指導などについては、会長就任時より、徹底した記録と、内部の学会員や外部に対する徹底した情報操作が行われていたことを示す記載がある。学会執行部は、『永遠の指導者』池田大作の都合の悪くなった講演記録や映像を、それこそ〝永遠に封印〟しておかなければ安心できない。
 本部職員の『全体会議』の様子も検討した。
 平行して、後に作られた聖典「新・人間革命」での、この事件の描写を更に検討した。そこには、
「秋月らは、あくまでも要請を伝えたにすぎず、その言い方も丁重であり、妨害の意図など全くなかった。だが、本の出版前に接触したということ自体が問題にされたのだ。ということは、事実と異なる屈辱的なことを書きたい放題書かれ、名誉や人格が傷つけられることがわかっていても、事前には、なんの対応もできないことになる。おかしな話ではある。」
「一部の学会員の取次店や書店への訴えかけが、〝組織的な圧力〟などと喧伝されてしまった」
「脅迫電話や脅迫状があったとするなら、学会への反発や敵意を高めさせるための謀略かもしれない。…
 そして、今回の問題で、結果的に社会を騒がせ、関係者に迷惑をかけてしまったことについては、会長である自分が率直に謝ろうと思った。
 ただ、言論の暴力と戦う権利は誰にでもある。悪を許さぬ、清らかな正義の心は永遠に失ってはならない。」
等と、事実や本音の隠蔽や、自分たちの独善的な正義への粉飾が見られる。
 

 Bingの紹介文「この記事では、創価学会の「言論出版妨害事件」に関する池田大作の自伝小説「新・人間革命」の内容とは何か、そしてそれが事実とどのように違っているかについて、詳しく分析します。「新・人間革命」では、池田大作は自分の批判的な本や記事を出版しようとする出版社や記者に対して、暴力や脅迫を用いて出版を阻止しようとしたことを否定し、自分を「言論の自由の擁護者」として描いています。しかし、実際には、池田大作は自分の批判者を「悪魔」として非難し、…。この記事では、「新・人間革命」の中で、池田大作がどのように自分の行為を否定し、他者を攻撃し、戦略的で周到な捏造を行ったかを明らかにします。」(Bing との会話 2024/3/5)

 年初から国会をも巻き込む大問題に発展していた創価学会の言論出版妨害事件は、4月に入り、創価学会の方針転換とともにその収拾へ向けて、内部根まわしやマスコミ対策などが急ピッチで進んだ。
 謝罪部分は、盛大に行う池田自身の会長就任十周年の祝典との「抱き合わせ」という策略であった。
 なお、池田大作の謝罪を含む演説の原稿は、側近弟子の原島崇、桐山泰次が作成し、池田は原稿を読むだけだった。
 池田大作はじめ、側近たち、創価学会は、熱心な会員を総動員して、お涙頂戴、池田大作の正当化・会長続投の支持とともに、創価学会の内部宣伝を社会に対して芝居演出したのである。
 この池田の演説は、1時間27分に及んだ。
「私どもは『社会に信頼され親しまれる創価学会』をモットーに、再びさっそうと、忍耐強く進んでいきたいと思いますが、いかがでありましょうか。(拍手)」
 ここまで前置きで約12分、約15000人による5回の拍手の後、ようやく言論・出版問題の言及へつながる。
 ただ、これはその後の正当化論理の展開のために極めて重要な前置きである。
この、巧みに演出された大いなる盛り上がりは、来賓やマスコミ関係者などを圧倒し、次に続く謝罪の影響を最大限に薄めるのに貢献したのである。
 いわば、我ら15000人が会長(本仏)と仰ぐ池田大作が、全国のマスコミのカメラの前で頭を下げる前に行なった、その恥や深手をぼやかすための精一杯のお膳立てが行なわれたのである。
肝心の謝罪部分も、
 「次に言論・出版問題について、私の心境を申し上げます。
 今度の問題は『正しく理解してほしい』という、極めて単純な動機から発したものであり、個人の情熱からの交渉であったと思う。ゆえに言論妨害というような陰険な意図は全くなかったのでありますが、結果として、これらの言動が全て言論妨害と受け取られ、関係者の方々に圧力を感じさせ、世間にも迷惑をおかけしてしまったことは、まことに申しなく、残念でなりません。
 たしかにこれは、それ自体として法律に抵触するものではなかったと思う。しかし私は、法に触れないから、かまわないというような独善的な姿勢ですまされる問題ではなく、まさに道義的に考えなければならない、最も大切な問題だと思うのであります。…今回の問題は、あまりにも配慮が足りなかったと思う。また、名誉を守るためとはいえ、これまでは批判に対して、あまりにも神経過敏になりすぎた体質があり、それが寛容さを欠き、わざわざ社会と断絶をつくってしまったことも認めなければならない。今後は、二度と、同じ轍を踏んではならぬ、と猛省したいのであります。
 私は、私の良心として、いかなる理由やいいぶんがあったにせよ、関係者をはじめ、国民の皆さんに多大のご迷惑をおかけしたことを率直におわび申し上げるものであります。もしできうれば、いつの日か関係者の方におわびしたい気持ちでもあります。…
 言論の自由が、幾多、先人の流血の戦いによって勝ち取られたものであり、人間の権利を保障する尊い遺産であることも、よくわきまえているつもりであります。
 これを侵すことは民衆の権利への侵害であることを明確に再認識し、言論の自由を守り抜くことを私どもの総意として確認したいと思いますが、いかがでしょうか。(拍手)」
 このわずか数分の謝罪部分の後、延々と1時間以上の池田の正当化粉飾公演が続いたのである。
 大勢の熱狂的会員を集めて、数と勢力でマスコミ関係者を圧倒しながら、形式的な謝罪と約束の短い部分が、本音を隠し事実を曲げた美辞麗句の粉飾に埋もれてしまっていると感じる理性的な人は多くいるだろう。「関係者の方におわび」とあるが、池田大作による藤原弘達たちへのお詫びは、ついに無かった。
 以下、この講演内容(機関紙に公開)と、その後聖典である「新・人間革命」における描写の相違、隠蔽・捏造などを詳細に検討した。

 

 

 Bingの紹介文「この記事では、創価学会の「言論出版妨害事件」に関する池田大作の「謝罪演説」とは何か、そしてそれが事実とどのように違っているかについて、詳しく分析します。…この演説では、池田大作は自分の批判的な本や記事を出版しようとする出版社や記者に対して、……や脅迫を用いて出版を阻止しようとしたことを謝罪し、自分を「言論の自由の擁護者」として描いています。しかし、実際には、池田大作は自分の批判者を「悪魔」として非難し、日本共産党に対して、激しい憎悪と攻撃を繰り返していました。この記事では、「謝罪演説」の中で、池田大作がどのように自分の行為を謝罪し、他者を攻撃し、日本共産党への憎悪を表現したかを明らかにします。」(Bing との会話 2024/3/5)

 池田大作が師匠と仰ぐ戸田城聖は、国立戒壇建立が創価学会の目的であることを、以下のように述べてきた。
 「広宣流布は、日本じゅうだいたいの人が信心しても、本門戒壇を建立しなければ、広宣流布の目的は達せられません…そういう時をつくろうというのが、広宣流布の目的です」(「戸田城聖全集」第四巻)
 弟子の池田大作は、会長就任前に、
「創価学会は、日本の国をとるのでもなければ、政治団体でもなければ、または、全部が政治家になるのでもない。あくまでも国立戒壇の建立が目的なのである。…中略…三大秘法抄の南無妙法蓮華経の広宣流布、すなわち、国立戒壇の建立が目的なのです」(「大白蓮華」昭和33年9月)
「立宗ここに七百三年を過ぎ、仏命たる富士山に本門寺の戒壇の建立は未だならず『時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり』の御予言こそ、残された唯一つの大偉業であり、事の戒壇の建立につきる。これを化儀の広宣流布と称し、国立戒壇の建立というのである」(「大白蓮華」昭和34年1月)
 と、はっきりと、創価学会の目的が国立戒壇であることを述べている。
「大聖人様の至上命令である国立戒壇建立のためには、関所ともいうべきどうしても通らなければならないのが、創価学会の選挙なのであります」(「大白蓮華」昭和34年6月)
 また、会長就任後も、池田大作は、
「化儀の広宣流布とは、国立戒壇建立のことである。大御本尊様の後図顕によって、化法の広宣流布がなされ、一閻浮提の一切衆生の信行の中心道場であり、依所依託となるべき国立戒壇建立が、大聖人様御入滅後の弟子に残されたのである…中略…この日蓮大聖人の仏法のすべて、国立戒壇論も、第二十六世日寬上人によって、教義上完全となった」(「大白蓮華」昭和35年6月)
「日本一国が広宣流布された暁には、民衆の総意によって国立戒壇を建立するのです。」(「聖教新聞」、昭和37年3月3日)
と受け継いでいる。
 これか、この言論出版妨害事件で、その意義を覆せざるを得ない状態になったのである。
 記念講演では、この三大秘法抄の「戒壇とは王法仏法に冥じ…中略…勅宣並に御教書を申し下して 霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か 時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり、」を隠しながら、「三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下して蹋給うべき戒壇なり」だけを引用している。
国立戒壇の解釈の元となっている前の文をあえてださないことが、この欺瞞を隠蔽していることになる。
 そもそも、このような考えは古臭い、過去の遺物である。
国立戒壇という用語は、これ以来、創価学会では一切使われなくなった。
 しかし、いまだ完成していない正本堂を、民衆立の本門戒壇としてしまったことが、後の妙信講との宗内争いとなり、350億円という巨額な供養を集めた時に喧伝していたことが、後に覆されることになる。
 そして謝罪演説と、「新・人間革命」での描写の検討を続けた。

 

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 謝罪講演で、このときの公明党にたいして創価学会は支持母体でなく、支持「団体」となっていることが欺瞞である。
公明党こそ、池田大作アニミズムの立場にたってみれば、広宣流布が達成され切った組織であるといえる。
 その組織が、結党以来、さまざまな不祥事を繰り返しているのも事実であり、「新・人間革命」においては、美辞麗句でうまくまとめられている。
 池田大作の野望は、制度上のみの政教分離で、一時躓いたが、メンタルも含めた事実上では、政教分離は、歴史をみてもほとんど守られていない。
演説内容は制度という形だけの政教分離であったことは明らかで、多くの識者は、これを見抜いていたようであるが、建前が実現されるのを様子観察するしかなかった。

 戸田時代、池田大作は24歳で白木かねと結婚したが、その婚約を報じた昭和27年3月10日付の聖教新聞に、
「同君は常に言う『天下を取ろう』と、大志努力の人池田大作君御目出度う」とある。天下盗りは、池田大作の大志であった。
 「戸田会長の権威をフルに利用し…虎の威をかる狐よろしく『戸田先生、戸田先生』を錦の御旗とすることによって、次第に池田は自分の地位を絶対化していったわけである。
 しかも、戸田を模倣した自作自演のカリスマ化は、やがて宗祖・日蓮大聖人、開祖・日興上人に比するものへとエスカレートしていく。
 その兆候はまず昭和三十八年七月、男子部幹部会で『(戸田の)七回忌を終えてこそ、今度は私の本門の活躍の時代であるということを知っていただきたい』といって、翌三十九年、大客殿落成をもって戸田の路線達成、池田の時代開幕としたのである。
 この後も、しばしば路線変更して池田独裁を強める度に『本門の時代』『広布第二章』等といって会員を扇動してきた…急成長しつづける組織は、池田の言動のすべてを正当化する力となっていった。
 この年から恩師・戸田の生涯を記録するという名分とともに『人間革命』を代作させた。
 そして、『人間革命をしっかり読みなさい。いっさいの指導が含まれている』『人間革命を読む人は、七年後には人間革命できる』などと自画自賛して会員必読の書とし、やがて現代の御書として教学試験にまでとりいれ、創価学会のバイブルにまでもちあげていく。
 このように、小説という巧妙な方法を使い『私の構想は大聖人の仰せと寸分違っていない』という池田の自己絶対化の思想をもって会員を洗脳してきた。
 次に『立正安国論講義』で『たしか大聖人様が立宗宣言をなされたのが三十二歳の時で、池田先生は三十二歳のとき会長就任された。また立正安国論を大聖人様が三十八歳、池田先生がこの講義録を書かれたのが三十八歳です』(和泉覚、前進S41・5)などと本仏の再誕であることをほのめかしたうえで『所詮、立正安国論と王仏冥合論とは寸分かわらない』と断言し、公明党の勝利即広宣流布の実現と教義づけし、会員の宗教的情熱を巧みに政権獲得のための権力闘争へ切り替えていった」(継命新聞編「崩壊する池田創価学会」)
 池田大作が日蓮の再誕として神格化され、小説「人間革命」が聖典とされて、藤原弘達が指摘した通りに、創価学会が発展していたことが分かる。
「『私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である』
 同席の大幹部数人は深く肯き、息をのんだ。…三十七歳の創価学会会長は、自らを全世界の指導者、日本の国主たる気概と現実的意志のもとに、数百万世帯の人々を背景に、舎衛三億の目標に向かっているのである。」(高瀬広居)
 創価学会機関紙での自らの文言とともに、また、溝口敦、原島崇、矢野絢也、藤原行正、山崎正友など、回りの側近やジャーナリストも、池田大作が「天下取りの野望」を語っていたのを考察した。

 それが、つまづいた。
 この事件の40年後に書かれた「新・人間革命」(創価学会の正史と、教義を語るという聖典)において、「『やがて山本会長は、自らも政界に出て、首相になり、権力を手にするつもりである』といった噂が流されていた。それを実現するために、創価学会が公明党を誕生させたかのような印象をいだかせるための、デマといってよい。もとより伸一には、そんな考えは毛頭なかったし、それは、これまでにも、折に触れて、語ってきたことであった。
 しかし、謀略的な噂を打ち破るために、再度、その考えを明らかにしたのである」
 とあるが、「噂」などでは決してなく、ここでも事実の隠蔽・捏造をし、都合よく過去の歴史を書き換えている。
 日蓮は、国家を諫めたが、権力を握ろうとしたことはなかった。池田の野望は日蓮の姿勢からはまったく正反対である。

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 謝罪演説では日蓮の立正安国の原理が正当化に利用された。
そして、小説「人間革命」「新・人間革命」では、さらに都合の悪い文言が隠蔽され、捏造・虚飾されている。
 池田大作は、
「王仏冥合は、私どもの大理念であり、大指針であります。一往は王といえば創価学会、仏といえば日蓮大聖人の大仏法ですが、再往は、創価学会のこの五百四十万世帯の結合、団結、これが仏であり、公明党等を先駆とした活動は王であります」(前進1966/11)と王仏冥合の定義を述べている。
だから、謝罪講演でこれを全面的に改めたことになるが、過去にこう定義していたことについては一言も謝罪はない。
「その意義を明確にしておきたい」などといいながら、それまで上記の誤った理念に基づいて前ページで指摘した池田大作の『天下盗りの野望』をなかったことにして隠蔽し、さも創価学会当初から、『これらの理念は、宗教のいかんにかかわらず、人種、民族、イデオロギーのいかんを問わず、人類に普遍する理念であります。いいかえると人間の本源から出てくるものといってよい。一切は、この〝人間主義〟から出発』して活動をしていたと、逆のぼって正当化している。さらに、「新・人間革命」では、そもそもこの部分で王仏冥合についても触れずに隠蔽している。
「立正安国」原理は更新すべきで、日蓮が当時で検討した学問(当時日本に伝来していた仏教や外道)を、現在における全世界の自然科学・思想・哲学にまで広げ、その中での「正」を立て(=「立正」)なければならず、また「安国」についても、現在のグローバル社会の国際状況、経済状況、また地球環境状況などに広げて総合的に検討しなければ、日蓮の唱えた「安国」にならない。
日蓮の立正安国論の文脈から「一凶」(当時の念仏)の検討をすると、現在においては独善的アニミズムもその一つであることが分かるが、これは、批判を拒否する創価学会の体質そのものでもある。
 池田大作を最高指導者とする創価学会は、立正安国論をはじめとした日蓮の仏法を、名目ばかりでまったく心肝に取り入れることなく、根幹にすることもなく、自身の組織拡大や野望実現の方便として利用していたにすぎないことが分かる。

 

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 謝罪演説では、
 「学会は上意下達で、下意上達がないという点があります。本当は、そうでもないのですが、とかくそう見られてしまう一面があることも否定できません。これまでも、なるべく民主的な運営を心がけてきたことは、皆さんが最もよく知っているはずであります…上意下達という傾向を完全に是正していくよう努めたいのであります。」
そして極めつけは、
 「ただし、教義の問題は、これは大聖人が定められていることであり、絶対的なものであります。仏の教えに従うことが、仏弟子の道です。しかし、教義と関係のない運営面・活動面は時代と状況に応じて、我々が考えていかなければならない。これは、最高に民主的な方法で、衆知を集めて、推進していくべきであります」
 とあることである。
 日蓮の定めた教義自体は、文字通りに読めば、時代の束縛を受けているため、現代に合わせて書き換えなければならないことは、既に述べた。
 それを文字通りに受け止めつつ、江戸時代の誤った日寬アニミズムを根本とした教義を絶対的なものとし、それを「仏の教えに従うことが、仏弟子の道」として、事実上、創価学会会長の教え通りに従うことは、その末節がどんなに民主的なり民主主義が完遂されても、有名無実であることは明らかである。
 その後の創価学会の歴史、すなわち、「カリスマ的支配」に自らしがみつき、昭和54年の会長「勇退」後も、後に続く北条・秋谷・原田にカリスマが発生するのを巧みに「師弟不二」の論理で抑え込みながら、名誉会長という名で自らカリスマであり続けた池田大作……。
 この歴史をふまえる限り、この謝罪演説に見る美辞麗句は、ほとんど空虚な欺瞞を意味しているに過ぎない。
 また、「新・人間革命」の当該部分の中で触れている〝目覚めた意識〟と〝新しき自覚〟は、先述の通り、「師弟不二」という盲目的絶対的主従関係によって阻害されたままである。

 

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」(Bing との会話 2024/3/5)

P41~P50

各ページの​紹介

各ページの概要・注目点・​​キーポイントなどや、Bingの紹介文を挙げました。

 だきあわせ謝罪演説や「新・人間革命」での、以後の創価学会の変換した路線の基盤になっている素晴らしい分析部分を取り上げた。

 「新・人間革命」では、
 「ここで伸一は、一九七〇年代、さらには二十一世紀の展望を述べていった。
 彼は、七〇年代は、既に六〇年代で出尽くした現代文明がはらむ問題点の解決に向かって、その具体的な第一歩を踏み出す時代となるとの予想を語った。
 そして、科学文明が、人間の部品化や主体性の喪失、精神の空洞化といった弊害をもたらしてきた事実を指摘し、今後はコンピューターによる人権の侵害も考えられることから、規制措置が必要であると訴えた」
 とある。これは、謝罪演説の後半部分(同書P37以降)で、
「基本的には、私は、現代文明がはらむ問題点は、一往、そのほとんどが六〇年代で出尽くしたとみたい。そして七〇年代は、これをいかに解決すべきかという、具体的な第一歩を踏み出す時代になると想像するのであります」と述べた以降に相当する。
 現代文明がはらむ問題点が「既に六〇年代で出尽くした」とするならば、いかにも早計であろうが、原島崇・桐村泰次など、この原稿を書いた幹部たちのこの時点での現代文明への見解が、一面的にはきちんと指摘されていることは大いに評価に値する。
 新たに出現する深刻な問題は、人類の欲にまみれた繁栄とトレードオフの関係にあって、仏法が教える依正不二の原理に立てば当然の事である。
 今、人類は「コンピューターによる人権の侵害も考えられることから、規制措置が必要」だけではなく、規制と利用の両面から智慧を駆使し試行錯誤しながら科学技術を発展させているが、やり過ごしたり、目をつぶったりしている問題も多い。
 こうした肉体・精神的な「見えざる暴力」に対し、「人間革命の大運動を展開してまいろうではありませんか」という呼びかけは、創価学会が日蓮仏法として掲げる内容が日寛アニミズムであることはともあれ、日蓮仏法を流布し、万人の救済をめざす団体としてはすばらしいものである。
 きわめて残念なことは、この根本原理の進歩発展的更新の努力を怠り、いまだにアニミズムや師弟不二を盲目的に絶対視していることである。
 

 Bingの紹介文「この記事では、創価学会の「言論出版妨害事件」に関する池田大作の「謝罪演説」とは何か、そしてそれが事実とどのように違っているかについて、詳しく分析します。…この演説では、池田大作は自分の批判的な本や記事を出版しようとする出版社や記者に対して、……や脅迫を用いて出版を阻止しようとしたことを謝罪し、自分を「言論の自由の擁護者」として描いています。しかし、実際には、池田大作は自分の批判者を「悪魔」として非難し、自分の野望である「天下取り」を阻止されたことに対して、激しい恨みと怒りを抱いていました。この記事では、「謝罪演説」の中で、池田大作がどのように自分の行為を謝罪し、他者を攻撃し、人間たらしめる究極条件とは何かについて語ったかを明らかにします。」(Bing との会話 2024/3/5)

 

 藤原行正は語る。
「左手にマイクを握った池田は壇上から開口一番、お得意のワザを決めて見せた。
『どうですか、わたしがヤメてよろしい、と思う人、手をあげてください!』
 重苦しい空気の場内はシーンと静まりかえったままだった。
『では、やめては困るという人、手をあげてください!』
『ハァーイ』と会場全体を揺るがすほどの大歓声が上がった。事件当時、一般会員の大半は事件の真相を知らされず、ただ『池田先生を信じろ』と徹底して教え込まれた。ある程度の事情を察した中堅幹部、本部の若手職員でさえ『池田先生を守るしかない』が合言葉だった。だから学会指導者として致命的な誤りを犯し、天下に正体を暴露したはずの創価学会三代会長はこの日、わずか数秒間で、言論出版妨害事件における自分の責任をすべて帳消しにしてもらえた。あとは調子に乗った池田の独演会であった。……
この演説原稿を書いたのは原島崇だった。池田大作はそれをただ棒読みしただけ。その同じ壇上で池田は、
『いつの日か、関係者の方にお詫びしたい』
 殊勝げにこんな言葉を吐き、会場の学会員たちは自分たちの指導者の謙虚さに胸を熱くした。
しかし、これは心にもないウソだった。」
 以下は週刊文春1970年5月18日号の記事である。
「『一口に言えば、今度の総会はマスコミ向けに演出された集会といっていいですヨ』
 と、来賓の一人が感想を洩らす。」
「『こんどはおワビしますよ。わたしは、正邪のハッキリしないのは大きらいです。
言論、出版問題のこと、ほんとにわたしは何も知らなかったんです…中略…
国会喚問にも、わたしは『応じる』といったのですが、幹部が『会長は何も知らないんだ。何も知らない人が出ては偽証になる』と、とどめるもんで、出られなかったんですよ』…中略…
『ずいぶんタタかれましたねェ。わたしは良いが、会員がかわいそうで……(とカオをおおう)…中略…いまのキモチとしては
『処女のお嬢さんが、輪姦されたあと、さらに蹴とばされているような気分だ』と女房にいいましたよ』…中略…
『言論妨害、言論妨害っていいますが、どこも大なり小なりやっているじゃないですか』
『しかし、こんどのことは『できるなら、藤原弘達さんにもお会いしてあやまりたい』」

 池田大作は、この釈明演説をした2日後の5月5日、箱根研修所にて行われた社長会で、次のような発言をしている。
 「竹入に今まで以上に王仏冥合、政教一致でゆけ、と云おうか。」
 そして、この問題の根源であり、世間や学会に対する最大の加害者でもある池田が、
 「5月3日が終われば、山は過ぎた。5月3日は勝ちだな。」
 「私が神経を使わなかったら、学会はどうなっているか。」
 「今度は1人の犠牲で学会は守った。それで良いな。とにかく学会は守ったよ」
 といい、自分一人が犠牲になったと、被害者になっている。
 そしてさらにハッパをかけ、
 「何もかも一切終わったら、断然やろう。まず内部だな。やった人とやらない人とは断然と差がつくよ。」
 極めつけは、
「ざまあ見ろと云うには10年かかるな、でもやろうよ。」
 と、仇討ち根性をむき出しにしている。

 この謝罪講演にみられる、池田大作に対する圧倒的多数の会員の「感情」――この時代の多くの著作(批判者やシンパも含めて)にほぼ共通する指摘として、池田大作会長を絶対視する理論に加えて、この絶対的「感情」が、集団的な異常心理状態で衆愚となっている多くの悪体質の根源であることがわかる。

 多くの学会員の心を縛っているのは、日蓮が折伏の根拠とした仏法の正しい「法則」ではなくて、カリスマ池田大作に対する個人的な熱狂的感情である。


 師弟関係に悪用されたと考えられる日蓮の遺文がある。
 ひとつは、
「無智の者は此の経を説く者に使れて功徳をうべし」(松野殿御返事)
《仏法に無智な者は、この経を説く者に仕えることによって功徳を受けることができる》
 更には、
「若し爾らずんば 奴婢と為つて持者に奉えよ」(顕立正意抄)
《もし、そうでなければ奴婢となって持者に仕えるべきである》

 創価学会員は、壮大な夢を見ていた、いや、その時まではそんな夢も夢ではないと思えるほど、名目上は飛躍的な組織拡大をしていたといえる。そして、次第に池田大作を現代の本仏とし、それを広め、実質的にはその組織の拡大こそが広宣流布とされていった。
 池田大作という英雄的虚像が、厳しい現実に直面していた会員にとっては、自らの理想の投影となり、その思想『師弟不二の精神』が自らの理念に置き換わっていた。
 だからこそ、その指導や、一挙一動が注目され模範とされた。しかし、それは真の日蓮仏法とはかけ離れたものだった。

 また、原島崇を中心とした体質改善の努力や反戦平和へ転換について述べた。
 

 Bingの紹介文「この記事では、創価学会の「師弟不二」とは何か、そしてそれが池田大作への絶対的奉仕感情とどのように関係しているかについて、詳しく分析します。「師弟不二」とは、創価学会の会員が、池田大作を自分の師として尊敬し、その教えに従うことを意味します。しかし、実際には、「師弟不二」は、池田大作が自分を「仏法の唯一の解釈者」として神格化し、創価学会を自分の私物化し、世界的な権力を得ることを目指すために、会員に対して押し付けたものでした。この記事では、「師弟不二」の中で、池田大作がどのように自分の野望を達成しようとしたか、そしてそれが王仏冥合から反戦平和への転換にどのように影響したかを明らかにします。」(Bing との会話 2024/3/5)

 正本堂は日蓮作成と伝えられてきた信仰の対象である「板マンダラ」を安置するため池田大作が、これこそが広宣流布の「達成」であり「これが最後なのであります」、あとは(国立による)本門戒壇堂(国立の戒壇)の建立を待つばかりになると意義づけして会員を煽り、供養金を350億円集めて建立した。組織内では、供養すれば無限の功徳が得られる二度とないチャンスであると喧伝され、現世利益(功徳)を求める多くの会員は多額の財産を寄附し、借金をしてまで寄付した者も多くいた。しかし、池田大作は、その意義を建立直前になって広宣流布の「第一歩」と変更、そればかりか、集めた「正本堂の350億の半分」をこそっと手に入れていた。
板マンダラ事件とは、この「板マンダラ」の真偽に関する裁判のことで、元会員が寄付金の返還を求めたが、最高裁は、信仰の対象の価値や宗教上の教義に関する判断は、法律上の争訟にあたらないとして、訴えを却下した。
「板マンダラ」が日蓮作ではない・つまり後世の偽作であることは、学術上・科学的にも明らかであることは先述したが、政教分離原則から、宗教団体の教義に関する争いには、司法は介入してはならない。つまり、日蓮正宗や創価学会が、どんなに非科学的なウソをついて寄付を集めていたとしても、それが宗教上の行為である限り、国家は介入を許されない。民法上でウソをついて寄附金等を集めたら詐欺となるが、それが宗教上の行為という一点においては許されるという現実を、板マンダラ事件は示した。
 仏法上では、御供養とは、布施のことで、純粋な「まごころ」でする、見返りを求めない行為である。
 今もなお続いている、欲(現世利益=功徳)に煽られた会員たちと、それを悪用する組織の醜い歴史を、資料を根拠に浮き彫りにした。
 

 Bingの紹介文「この記事では、日蓮正宗と創価学会の間で起こった正本堂に関する論争と、その影響について詳しく解説しています。特に、正本堂の意義が変わった背景や、それが引き起こした一連の出来事について深く掘り下げています。また、創価学会の最初の三代会長についての見解や、師弟不二という概念についての考察も含まれています。この記事は、宗教的な視点から見た社会問題についての深い洞察を提供します。」(Bing との会話 2024/3/5)
​​​​ Bingの紹介文「日蓮正宗と創価学会の対立の歴史と現状を、三つの事件を通して分析します。御供養精神とは何か、戒壇論とは何か、板マンダラとは何か、それぞれの問題点と解決策を考察します。日蓮正宗と創価学会の関係に興味のある方は、ぜひ読んでみてください。」(Bing との会話 2024/3/6)

 「その時には不開門が開く。一義には、天皇という意味もありますが、再往は時の最高権力者であるとされています。すなわち、公明党がどんなに発展しようが、創価学会がどんなに発展しようが、時の法華講の総講頭であり、創価学会の会長がその先頭になることだけは仏法の方程式として言っておきます。(大拍手)
 後々のために、いっておかないと、狂いを生じるからいうのです。私は謙虚な人間です。礼儀正しい人間です。同志を、先輩をたてきっていける人間です。そのため、かえってわからなくなってしまうことを心配するのです。そうなれば、こんどは皆さん方が不幸です。学会も不幸です。本山にも不祥事をしてしまう」(聖教新聞 1965/7/26)
 池田は天皇にかわる現代の最高権力者は池田だという『方程式』を謙虚に表明したのである。

 池田は『王仏冥合』(政教一体)という日蓮正宗の教義を曲げ、次のように述べる。
「王仏冥合は私どもの大理念であり、大指針であります。一往は王といえば創価学会、仏といえば日蓮大聖人の大仏法ですが、再往は、創価学会の五百四十万世帯の結合、団結、これが仏であり、公明党等を先駆とした活動は王であります」(創価学会幹部史料「前進」1966/11)

 エリート学会員を各分野に張り巡らせ、検察権力の中にも根を張る『総体革命』。
『〝いざ鎌倉〟の精神』も、自分に奴隷の如く従わせようという池田の師弟不二の精神とされたが、さらに、
「私が戦ったのは、戸田先生の復しゅうのためだけだ。革命とは復しゅう戦だよ。」
「私の復しゅうは弟子たちがやるんだ。」
 以上の言葉にも、池田大作の仇討ちズムが明確に現れている。
 池田大作は、これ以外にも厳選された未来部の人材や創価学園の子どもたちにも「仇をうってくれ」などといっていたという。

 やがて、この矛先は日蓮正宗の教義や法主の日達に向けられていった。
 

 Bingの紹介文「この記事では、創価学会の「池田本仏」とは何か、そしてそれが仇討ちズムの総体革命とどのように関係しているかについて、詳しく分析します。「池田本仏」とは、創価学会の会員が、池田大作を自分の本仏として崇拝し、その教えに従うことを意味します。しかし、実際には、「池田本仏」は、池田大作が自分を「仏法の唯一の解釈者」として神格化し、創価学会を自分の私物化し、世界的な権力を得ることを目指すために、会員に対して押し付けたものでした。この記事では、「池田本仏」の中で、池田大作がどのように自分の野望を達成しようとしたか、そしてそれが仇討ちズムの総体革命にどのように影響したかを明らかにします。また、池田大作が日蓮の教えからどのように逸脱したかについても説明します。」(Bing との会話 2024/3/5)

 

 池田大作は、増上慢となり、誤った「仏教史観を語る」寺院不要論を語った。

この流れは、政治の世界での天下取に躓いた池田が、今度は宗教界で天下を取ろうとして、大石寺・日蓮正宗を乗っ取ろうとした始まりである。多くの会員は「デタラメ書いているのは週刊誌で、謙虚な池田先生が、総監や猊下にそんなことをするはずがない、と深く考えようともしな」かったが、これは今でも多くの熱心な末端創価学会員の姿の一面でもあろう。

この流れを文献とともに考察した。
 

 Bingの紹介文「この記事では、創価学会の「増上慢な本仏」とは何か、そしてそれが誤った「仏教史観を語る」と寺院不要論とどのように関係しているかについて、詳しく分析します。「増上慢な本仏」とは、創価学会の会員が、池田大作を自分の本仏として崇拝し、その教えに従うことを意味します。しかし、実際には、「増上慢な本仏」は、池田大作が自分を「仏法の唯一の解釈者」として神格化し、創価学会を自分の私物化し、世界的な権力を得ることを目指すために、会員に対して押し付けたものでした。この記事では、「増上慢な本仏」の中で、池田大作がどのように自分の野望を達成しようとしたか、そしてそれが誤った「仏教史観を語る」と寺院不要論にどのように影響したかを明らかにします。また、池田大作が日蓮の教えからどのように逸脱したかについても説明します。」(Bing との会話 2024/3/5)

 この年から、朝晩の勤行に使用する経本を創価学会独自で作ったものにかえた。その御観念文の中で、日道上人・日行上人への文を削除し、「創価学会初代会長牧口常三郎先生、二代会長戸田城聖先生の死身弘法の恩徳に報恩感謝申し上げます」を加えた。
「初代、二代、そして三代会長も猊下なみという画策なのであろう。
 一月二十日、菅野憲通という、当時千葉蓮生寺の住職が、学会本部に呼び出されつるし上げられ、詫状をとられると、翌日二十八日には、四国の松本珠道住職、二月に入って坂井進道、栗原開道、水野顕道、高見求道、中村福道住職、三月西本暁道住職、八月玉沢研済住職と、まるでゲシュタポまがいのつるし上げの狂気が吹き荒れた」

 本稿では、山崎正友の著書の引用には十分な注意をはらった。
 彼の主張は、「虚実とりまぜて」といわれているように、重い真実も多いが、軽いウソも少なからず混じっている。
 彼のこの傾向は、池田大作ゆづりのものともいえる性質が含まれている。彼も、まぎれもない、池田大作の忠実な弟子であって、池田大作をそばで守り支え、自らの手を汚しながら池田大作の野望の実現に大いなる役割を果たしたからである。
 山崎正友の使ったウソは、まさに創価学会の組織の遺伝子を彼の口から発現させたものであると評価できる。
 むろん、その根源にあたるのは、拙論文でも先述したが、戸田時代の折伏経典に記載されているものである。
 その山崎正友の真実の告発も資料として取り上げ、創価学会の歴史を追った。
「昭和五十五年六月十九日号『週刊文春』からはじまった、原島崇氏ら七人のグループによる内部告発第五回(七月十七日号)において、
『特別財務六百億円で全国各地につくられた池田大作専用〝ラブホテル〟』という見出しのもとに、池田大作氏が、会員から集めた特別財務で、ラブホテルまがいの豪華専用施設を全国につくったという告発がなされた。
 これに対し、創価学会は、文芸春秋と告発者を名誉棄損罪で告訴し、また五億円の損害賠償請求訴訟をおこした。
 一方、訴訟と併行して、池田専用施設の改造が急ピッチで行なわれた。風呂場の鏡をこわしたり、備品をとりかたずけてかわりに、ショーケースを入れ、〝恩師記念室〟に作りかえ、地元の幹部を招いて披露し、何人かがそこで勤行している姿を写真にとり、大白蓮華のグラビアにのせたりして、〝ラブホテル〟の否定に大ワラワであった。例によって、性こりもない証拠隠滅工作である。
 この、証拠隠滅工作に、現実にたずさわった人物が、私にすべてを話してくれた…中略」

 浜中和道は池田本仏の様子を山崎正友から聞いていた。
それを側近たちが煽っている。野崎勲(後の副会長)原田稔(現創価学会会長)などの学会の青年部が
『池田先生にどこまでも〝仏〟として信伏随従する』
 と誓いを立てたこと。日達上人の弟子の集まりである〝妙観会〟に対抗して、〝伸一会〟なる青年部のエリート組織を昨年、結成した。このメンバーは池田会長の懐刀として池田会長を〝本仏〟に仕立てあげ、やがて日蓮正宗を乗っ取る腹積もりで、その宣戦布告を五月三日の創価学会の本部総会で野崎男子部長がしたということであった。

 以下は山崎正友の回想である。
「(池田大作は)『私は身も心も、戸田先生(二代会長)に捧げ、仕え切った。その功徳で、三代会長となった。『私が人を殺せと言ったら、お前はその人間を殺すのだ。それが師弟の道だ』と戸田先生に言われた。私はハイと返事し、その覚悟で仕えた。
 私も、多くは言わん。この、創価学会の危急存亡の時に当たって、役に立つのは君だけだ。まさに”時に当たっての人”だ。どうだ。私が人を殺せと言ったら、君は殺せるか‼
 山崎正友は一瞬、心臓が凍りついたような表情をしたが、一息置いて、
『はい、先生の命令ならそうします』
と答えた。
 以来、山崎正友は、池田大作の絶対とも言える信頼のもとに、創価学会にふりかかる難事を身体を張って次々と処理してきた。もちろん、法律とか常識とかは頭から無視し、奇想天外な手法で、ただただ創価学会と池田大作会長のために”勝ち”を拾った。
 創価学会では、世法に反しても仏法にかなえば成仏する、それが人生最大の価値である、と教えられる。
 公明党候補支援のために選挙違反を犯しても、”英雄”とされるし、組織のために、どんな卑劣な手段を取ろうと勝ちさえすれば許された。
 山崎正友はある意味でその創価学会至上主義を実践し池田大作の信を得てきたのである」

 Bingの紹介文「この記事では、創価学会の「マッチポンプ山崎正友」とは何か、そしてそれが御本仏池田大作の回りの微妙な関係とどのように関係しているかについて、詳しく分析します。「マッチポンプ山崎正友」とは、創価学会の元幹部であり、池田大作の側近であった人物です。彼は、池田大作の批判的な本や記事を出版しようとする出版社や記者に対して、…や脅迫を用いて出版を阻止しようとした主犯の一人でした。しかし、実際には、「マッチポンプ山崎正友」は、池田大作が自分の野望である「天下取り」を阻止されたことに対して、激しい恨みと怒りを抱き、池田大作に対して、裏切りや反逆を企てようとした人物でした。この記事では、「マッチポンプ山崎正友」の中で、池田大作との微妙な関係や、その変化の原因や結果について明らかにします。」(Bing との会話 2024/3/5)

 「富士宮問題」は、自民党市議、暴力団、金丸信を巻き込んだ事件であり、正本堂建立事業に端を発している。この事業は金の使い方が杜撰であり、後始末に苦労したと山崎正友はいう。池田大作は富士宮市を「創価市」にしようとし、莫大な金を使って市政を操った。その結果、名誉市民の称号を受けるなどした。
また富士宮の墓園開発は、地元で議論を巻き起こし、暴力団による傷害事件に発展した。この工事は1970年代に始まり、自民党市議の日原博が率いる建設・造園業の「日原造園」が総額200億円以上の工事を請け負った。市長や自民党市議との政争も絡み、賄賂と地元暴力団の協力で何とか完成させた。最終的に妨害した人物は暴力団によって鎮圧された。この場所は国立公園内で規制が複雑であり、協力なしには開発できない場所だったが、法律違反を乗り越えて開発許可を得た。その裏で動いていたのが池田大作の命を受けた山崎正友であり、報酬を巡るトラブルが生じた。

『浜田論文』は池田先生の口述だった。その経緯とともに、池田が『じゃあ、そうしよう。しかし、よく君(野崎氏)から、あくまで自分が書いたと言い切ることだ』と浜田氏への指示が与えらたことを原島崇が暴露している。

 同時に、〝国立戒壇〟をめぐって対外的、対内的に紛糾し、日達上人の反論で宗門と学会の対立が激化していった。
第66世細井日達は『池田先生は仏だ』との極説が大変に間違ったことであると厳しくとがめた。
逆恨みした池田は経済封鎖に出た。
これらの流れを、資料とともに検討した。
 

​​Bingの紹介文「この記事では、創価学会の「浜田論文」と「富士宮問題」とは何か、そしてそれが様々な謀略とどのように関係しているかについて、詳しく分析します。実際には、「浜田論文」と「富士宮問題」は、池田大作が自分の野望である「天下取り」を阻止されたことに対して、激しい恨みと怒りを抱き…様々な謀略を行ったものでした。この記事では、「浜田論文」と「富士宮問題」の中で、池田大作がどのように自分の行為を正当化し、他者を攻撃し、様々な謀略を行ったかを明らかにします。」

​​ 昭和47年6月15日、正本堂の落慶を迎える半年前の第61回社長会にて、池田大作は、
「今、世の中は個人主義、自由主義になっているが、本当は全体主義は一番理想の形態だ。ただ、個がなくなるからいけないだけだ」(「社長会全記録」)
 と、本音をのべている。
 これに註して、この著者は、
「池田の本音。創価学会の組織は、宗教を利用して池田をカリスマ化した全体主義の体質。したがって、池田批判は絶対許さず、反学会の言論には異常な反応を示す。45年の言論出版妨害事件もこうした体質から必然的に発生した。昨今の山崎、原島らの側近幹部の告発や、内藤国夫、溝口敦らジャーナリストの批判に対しても、悪口雑言の限りをつくしている」
 と述べている。
一方、下山正行は
「正本堂建立までの創価学会発展は、ひとえに池田大作と細井日達の二人三脚の教義逸脱によって為し進められていたといえる。
 これを各段階において宗門・創価学会の両方を、日蓮の三大秘法抄による伝統的戒壇論をもって諫暁していたのが妙信講(現顕正会)の浅井甚兵衛・昭衛父子である。」と指摘した。
そして〝蓮華寺事件〟の顛末から、細井日達の教義逸脱の詳細を検討した。

 

 Bingの紹介文「この記事では、創価学会の「池田本仏」とは何か、そしてそれが第66世細井日達の教義歪曲とどのように関係しているかについて、詳しく分析します。「池田本仏」とは、創価学会の会員が、池田大作を自分の本仏として崇拝し、その教えに従うことを意味します。しかし、実際には、「池田本仏」は、池田大作が自分を「仏法の唯一の解釈者」として神格化し、創価学会を自分の私物化し、世界的な権力を得ることを目指すために、会員に対して押し付けたものでした。この記事では、「池田本仏」の背景と構成要素について説明し、第66世細井日達が日蓮の教えをどのように歪曲し、池田大作を本仏として推薦したかを明らかにします。」(Bing との会話 2024/3/5)

 日興『遺誡置文』は
『後世の総本山の代表たる貫主であっても大聖人の仏法に違背して自分勝手な説を立てて固執するならば、その説は勿論、その貫主を用いてはならない』というこのであるが、細井日達は初めはこの解釈だったが法主になってから次のような異様な解釈をした。『時の貫主は何でもできるけれども、己義を構えて間違ったことをした者は用いてはいけない』
これは池田大作との対立も影響している。

 次期法主を狙う阿部信雄教学部長は、支援を得るため創価学会と密かに内通し暗躍していた。『菅野論文』を回収したのも彼の画策である。
 細井日達は山崎正友に頭を下げ、画策・収拾を依頼した。
 以後、山崎正友は、細井日達の使い・創価学会顧問弁護士の双方の立場を利用して暗躍することになる。

 

 Bingの紹介文「この記事では、創価学会の「池田本仏」とは何か、そしてそれが第66世細井日達の教義歪曲とどのように関係しているかについて、詳しく分析します。「池田本仏」とは、創価学会の会員が、池田大作を自分の本仏として崇拝し、その教えに従うことを意味します。しかし、実際には、「池田本仏」は、池田大作が自分を「仏法の唯一の解釈者」として神格化し、創価学会を自分の私物化し、世界的な権力を得ることを目指すために、会員に対して押し付けたものでした。この記事では、「池田本仏」の背景と構成要素について説明した後、第66世細井日達が日蓮の教えをどのように歪曲し…たかを明らかにします。また、暗躍する山崎正友や内通する阿部信雄(後の阿部日顕)という人物が、この教義歪曲にどのように関与したかについても説明します。」(Bing との会話 2024/3/5)

 昭和52年元旦の挨拶からスタートし、誤った「仏教史観を語る」、批判僧侶のつるし上げと共に、特別財務などで会員から直接に金を集めて日蓮正宗寺院に供養・参拝の流れを止め、聖教新聞や大白蓮華などで生死一大事血脈抄講義を連載し、新たな誤った血脈論を会員の間に吹き込んでいった。
 この血脈論は、創価教育学会初代会長牧口常三郎を起点とした師弟を根本とするもので、本来の日蓮仏法とはおよそかけ離れている。末端組織においては、これを根本にして、師弟不二の論理が展開され、池田大作をあたかも主・師・親の三徳を具備した仏として崇拝する風潮となった。つまり、池田大作を現代の日蓮もしくはそれを越える存在としてみなし、その一挙手一投足が神聖視・絶対視され、また創価学会組織そのものも、これを伝える機関紙なども神聖視された。「創価学会仏」、「小説人間革命は現代の御書」、「聖教新聞は広宣流布のミサイル」などという用語は、それを端的にあらわしている。

 創価学会は五ヶ条の『僧俗一致の原則』を細井日達や宗門に突きつけた。これは事実上の学会の独立宣言である。細井日達は若手僧侶とともにこれに対抗した。

 山崎正友は「ある信者からの手紙」を自作して宗門に提出した。これは創価学会の本音と宗門への画策を暴露するもので、宗内は騒然となった。
これらの流れを詳細な資料を紹介して検討した。
 

 Bingの紹介文「この記事では、創価学会の「ある信者からの手紙」とは何か、そしてそれが池田大作創価学会と細井日達と宗門若手僧侶との対立とどのように関係しているかについて、詳しく分析します。「ある信者からの手紙」とは、創価学会の元幹部である山崎正友が、池田大作の教えに反対し、日蓮の教えに従うことを主張した手紙のことです。…この記事では、「ある信者からの手紙」の中で、山崎正友がどのように自分の行為を正当化し、他者を攻撃し、池田大作創価学会と細井日達と宗門若手僧侶との対立を起こしたかを明らかにします。」(Bing との会話 2024/3/5)

P51~P60

各ページの​紹介

各ページの概要・注目点・​​キーポイントなどや、Bingの紹介文を挙げました。

 「昭和48年12月29日、第二回御義口伝受講者大会において、
「実は、本門事の戒壇は正本堂という御本尊がある。猊下と私だけの唯仏与仏だ」
『私の振る舞いが経である』『私は福運の当体(そのままの体)』『私と感応妙があるかないかで信心は決まる』『私が行ってあげなければ福運がつかない』『私と境智冥合するかしないかだ』
これらは、池田が自身を本仏として言った言葉である。
「〝感応〟とか〝境智冥合〟というのも、先生にご満足いただけるようにするのが、先生との〝感応妙〟〝境智冥合〟であり、そうでない場合は〝お前は感応がない。かわいげがない〟と叱咤されることになるわけです。つまり、池田先生の言動を絶対とし、それに合わせて厳正な日蓮大聖人の法義が手段化されていったのです。」(原島崇)

 これらの問題に対して大石寺で開かれた第一回時事懇談会での討論において、当時教学部長であった阿部信雄(後の第67世法主阿部日顕)は、創価学会は『お客様』である旨、答弁していた。
これは創価学会を利用して後に大石寺第67世法主となり、後に創価学会を破門した阿部日顕の、教学部長時代での暗躍ぶりが如実に示されている資料の一つである。
「阿部教学部長らは信濃町の本部前の料亭で池田と秘かに合い、深夜まで情報分析と対応策について検討していた。本来宗門総意を代表して信徒団体の指導・監督にあたるべき宗務院中枢の役僧が内通し、こうした背信行為をするのであるから、もともと宗門の主体性や渉外などあったものではない。急変に驚いた池田大作は自ら打開策にでた。急きょ十二日と十四日に登山して日達上人にお目通りし、多額の御供養金(一説には予定されていた七百遠忌御供養三十億の一部、数億円の現金といわれる。但し、この時の御供養金は日達上人に受取りを拒否された)をさしだし、手をついて詫びるふりをした。そして、誤りは徹底して改めるとか、規則改正して会長を選挙制にする等の約束をしたため、日達上人も『学会を切る』ということは見合わせることにし、再び第二回目の時事懇談会となったものである。
 過去の歴史に『もし』という仮説は通用しないが、それでも『もし』この時、阿部師等の内通がなければ、その後の情勢は大きく変わっていただろうと思わざるを得ない」(「時事懇談会記録――宗門覚醒のいぶき」)

 何度も先述してきたが、宗門にも池田大作や創価学会執行部にも、真実の日蓮仏法においての血脈や師弟不二などは、とうてい存在するとは言えない。
 どちらも建前では高尚な日蓮仏法の血脈を挙げてはいるが、本音は俗世間における低俗な紛争でしかなかった。
これらの流れを資料をもとに検討した。
 

 Bingの紹介文「この記事では、創価学会の「建前と本音の乖離」とは何か、そしてそれが創価学会は『お客様』(阿部信雄)と揺らぐ細井日達とどのように関係しているかについて、詳しく分析します。…この記事では、「建前と本音の乖離」の中で、創価学会は『お客様』(阿部信雄)という人物に対して、どのような態度をとり、揺らぐ細井日達という人物に対して、どのような影響を与えたかを明らかにします。また、阿部信雄(後の阿部日顕)と細井日達が日蓮の教えからどのように逸脱したかについても説明します。」(Bing との会話 2024/3/5)

 

​​ 創価学会独立と五二年路線を、大石寺の時事懇談会資料などから明らかにした。
池田大作は不誠実な対応をもって、『六・三〇 教義訂正』『十一・七お詫び登山』と何度も謝罪と修正のポーズをとる。
 内通する阿部信雄は次第にカヤの外に追いやられ、次期法主昇進コースからはずれかかってしまった。
 教師指導会終了後、阿部師が即刻この会合の結果を学会に連絡したことを聞き、日達上人は激怒、内事部において大勢の僧侶を前にして、
『こちらから通報するなんて阿部はとんでもない、学会にべったりでどうしようもないヤツだ。向こうが聞いてくるまでほおっておけばいいんだ』と声を荒げられた。なんとか学会とのパイプ役としての立場を失いたくないという焦りが、阿部師をこうした破廉恥な行為に駆り立てたのであろう。(時事懇談会資料より)
 

 Bingの紹介文「この記事では、…「時事懇談会資料」とは何か、そしてそれが謝罪演出と約束破棄とどのように関係しているかについて、詳しく分析します。…この記事では、…揺らぐ細井日達という人物が、この資料にどのように関与したかについても説明します。」(Bing との会話 2024/3/5)

 このページでは、小説「人間革命」は現代の御書、「池田教」の宣言、創価学会を批判したら仏罰がある、本尊模刻事件の真相などについて、池田本仏論の様々な指摘をあらためてまとめた。
 そして改めて「依人・不依法」(人によって、法によらざれ)のアニミズムによるの害毒について述べた。
 

 Bingの紹介文「この記事では、創価学会の「池田本仏論」とは何か、そしてそれが醸成されていた〝人〟の無謬化・絶対化とどのように関係しているかについて、詳しく分析します。「池田本仏論」とは、創価学会の会員が、池田大作を自分の本仏として崇拝し、その教えに従うことを意味します。しかし、実際には、「池田本仏論」は、池田大作が自分を「仏法の唯一の解釈者」として神格化し、創価学会を自分の私物化し、世界的な権力を得ることを目指すために、会員に対して押し付けたものでした。この記事では、「池田本仏論」のおさらいをした後、池田大作がどのように自分の野望を達成しようとしたか、そしてそれが〝人〟の無謬化・絶対化という思想にどのように影響したかを明らかにします。また、〝人〟の無謬化・絶対化が日蓮の教えからどのように逸脱したかについても説明します。」(Bing との会話 2024/3/5)

 創価学会52年路線(池田vs日達)その後の続きとジャーナリズムの見解などについて述べた。
また、山崎正友による細井日達や宗門への指南文書や、マスコミへの文書提供と証拠づくりを取りあげ、何とか宗門と創価学会の和合を達成しようとした彼の見事な画策を検討した。
「… ⑨創共協定で後顧の憂いがなくなったこと、マスコミ状況が好転したこと等で、再び強気になった池田会長は、長年の懸案である宗門問題解決に乗り出した。
 特別財務で財力をたくわえ、寺院にかわる施設の建設につとめ、福島源次郎(元法華講出身で寺側の事情にくわしいと考えられてきた)を本部長に据え、寺院対策を練る一方、野崎勲の下に伸一会を結成し、会長本仏論、創価学会教路線を固めた。
 ⑩これは、法主の直弟子が妙観会(注・妙観は法主の俳号)を結成して、反学会の結束を固めたのに対抗する意味もあった。
 会員に法主の写真をはずさせて、牧口・戸田・池田会長の写真をかけさせるようにした。登山会を漸減させて財政的圧力を加えた。会員を、寺院に反発させるような指導をした。僧侶のスキャンダルを集めさせた。学会の独自性を強調してきた。
 たまたま51年末の総選挙で公明が圧勝したことに意を強くし、一気に勝負に出た。
 52年元旦のあいさつ、1・15教学部大会の講演で理論的展開をするとともに、会長指揮のもと、妙観会の若手僧侶のうち、アンチ学会的な者をねらって、脅迫的なつるし上げを行なった。
 これは野崎青年部長(註、故人)、原田副会長(註、現創価学会会長)が中心となって当ったが、大衆の前で僧侶をくちぎたなくののしり、たとえば、僧侶の女性関係を追及するのに、〝ウソをつけ、スッポンスッポンやったんだろう〟などと、とても宗教者とは思えない、ヤクザまがいの言動であった。
 また、寺院の前に幹部が立って、寺院から会員をしめ出すなど、はげしい攻撃を行なった。
 ⑪法主はじめ僧侶は激怒したが、不意をつかれて応戦態勢がととのわず、ついに法主があやまるという形で一応の収束をみた。
 ⑫勢いにのった会長は、寺の権威を否定し、学会の独立を宣言することを強めたが、たまたま5月、民社の塚本三郎が学会の財政問題をとりあげようとしたことから、うろたえはじめた。…」(山崎正友、『六・三〇』マスコミ用解説文より)
 

 Bingの紹介文「この記事では、創価学会の「52年路線」とは何か、そしてそれが池田大作と細井日達との対立の後、山崎正友と阿部信雄という人物にどのような影響を与えたかについて、詳しく分析します。…この記事では、「52年路線」の中で、池田大作と細井日達との対立の経緯や結果について説明した後、山崎正友と阿部信雄という人物が、この方針にどのように関与し、どのような行動をとったかを明らかにします。また、ジャーナリズムの見解として、この方針の問題点や影響についても説明します。」(Bing との会話 2024/3/5)

 

 このページでは、血脈論について、「法主の血脈」と学会の言う「信心の血脈」の相違について述べた。池田大作は血脈の新弟子証を発行したが、その第一号は造反した原島崇である。
 また、御本尊模刻の全貌を再度検討した。この『不用意に謹刻した』①創価学会本部安置本尊が、現在、広宣流布大誓堂に安置されている板マンダラである。

 弟子としての山崎正友について、前言を何度も覆す池田大作についても検討した。これらは池田会長勇退の舞台裏となっている。

 

 Bingの紹介文「池田大作は、昭和54年に創価学会の会長を辞任しましたが、その理由は、日蓮正宗との対立や…によるものでした。この記事では、池田大作が会長辞任の前に行った、御本尊模刻という行為の全貌や、その背景にある日蓮正宗との争いについて、詳しく検証します。また、池田大作の忠実な弟子であった山崎正友の役割や、その後の運命についても分析します。」(Bing との会話 2024/3/4)

 当時、学会副会長だった福島源次郎氏を中心として、『師への帰命』『稀有の師と一体となった『妙法への帰命』』という言葉が全国をかけめぐった。『御義口伝』に『南無とは梵語なり此には帰命と言う』とあるように、南無妙法蓮華経となれば妙法蓮華経に帰命する。すなわち身も心も命を捧げてしまうということであるから『師に対する帰命』とは、師に身も心も捧げるということになる。では、その師とは誰かというと、『池田という本仏』だというのである。このようにして『池田本仏思想』が少しずつ広まっていったのであった…。
 学会側は、『池田本仏論』というものは、池田氏に対する信者の称讃の声の高まりだとかいろいろ弁明したが、創価学会の幹部や池田氏自身が細かく計算してつくりだした当時の路線であったのである。池田氏が八体もの御本尊を自ら模作したるは、断じてのがれ難きその証拠である。

 偽装和解の証拠となる『創価学会言論資料』、教義違背・謗法に目をつむる宗門、教育者としての池田大作の姿について検討した。
 池田大作の教育者としての姿は、子供たちに「後生畏るべし、自分よりも偉くなって頂きたい」と言いながらそれ以前から、それと全く正反対の「自分より上に後輩を行かせたくない、なんとか抑えつけておきたい、そして自分自身の優位を勝ちとっておきたいとする姿」だった。
 会長辞任も偽装ポーズであった。山崎正友はピエロの役を三度まで演じ、日達上人との和解工作を行なった。
その詳細を検討した。
 

 

 Bingの紹介文「池田大作は、日蓮正宗との対立を収めるために、昭和54年11月7日に日蓮正宗の本山…に登り、お詫びをしました。しかし、そのお詫びは、偽装和解であり、池田大作はその後も日蓮正宗を攻撃し続けました。この記事では、池田大作のお詫び登山の真相や、その背景にある教育者としての池田の欺瞞について、詳しく検証します。また、池田大作が会長を辞任したとされる理由や、その後の創価学会組織の変化についても分析します。」(Bing との会話 2024/3/4)

 先述してきたが、創価学会昭和52年路線は、12・4、6・30、11・7と、それぞれお詫びのポーズをとりつつ迷走していたが、福島源次郎副会長の大牟田発言が重なって、ついに昭和54年(1979年)、池田自身が会長就任時に構想した広宣流布達成の第七の鐘が鳴り終わる、まさにその年に、皮肉にも池田は会長引退となる。
 しかし背信行為がすぐに始まった。
純真な創価学園生達に「仇をうってくれ」といい、随筆「新・人間革命」嵐の『4.24』の内容を検討した結果、この時の本音が分かった。
 側近に隷従を強い、造反者を徹底的に批判する池田大作の姿を、資料をもとに検討した。
 創価学会は、池田大作を頂点とした、厳格なヒエラルキーの組織であった。だから、池田大作が会長を勇退しても、むしろその厳格性がより強固になった。これは、池田の会長勇退後にも細井日達や日蓮正宗僧侶たちの失望を生むことになる。
創価学園生への指導とは真逆の行動や、北条浩への酷い仕打ち、犀角独歩の指摘についても述べた。

 

 Bingの紹介文「創価学会では、「師弟不二」という言葉を使って、池田大作とその弟子たちの絆を強調してきました。しかし、その絆は、サドマゾ的な人間関係に基づいており、弟子たちは池田大作の支配や虐待に耐えなければなりませんでした。この記事では、「師弟不二」の精神とは何か、そしてそれがどのように弟子たちの心理や行動に影響を与えたかについて、詳しく分析します。また、昭和54年に池田大作が会長を勇退したとされる舞台裏や、その後の創価学会組織の変化についても検証します。」(Bing との会話 2024/3/4)

 会長辞任後、池田大作は山崎正友に「他の世界では生きられない。俺の立場をつくってくれ」と言った。
 池田のために尽力した山崎正友は、最後には池田大作に切り捨てられ、造反者となった。
 池田はその後、寄付と引きかえに世界中から名誉市民称号を集めた。
 また、池田大作は暴力団を利用して、用がなくなったら切り捨てた。これらの経緯を、野村秋介氏の著作や、当時後藤組トップであった後藤忠政氏(得度名:忠叡)の著作をもとに、事jつの経過なども含めて詳細に検証した。
 これらはかつてから存在した切り捨てズムの再来である。つまり、誤った日寛アニミズム、誤った師弟不二や血脈論が根底となっている。

 

​ Bingの紹介文「池田大作は、創価学会の第三代会長として、自分の権力を強化するために、暴力団や政治家などを利用しました。しかし、その利用は、彼の利益のためだけであり、彼に反対する者や役目を終えた者は、容赦なく切り捨てられました。この記事では、池田大作の独裁化の過程や、造反者の動向や証言について、詳しく検証します。また、池田大作の暴力団の利用や切り捨ての実態や影響についても分析します。」(Bing との会話 2024/3/4)

 

 池田大作は戸田を宣揚し利用しながら、その唯一の弟子であったとした自分自身を褒めまくるスピーチと著作を弟子たちに原稿として書かせた。
事実、2001年11月12日第11回本部幹部会で、池田大作は、次のようにスピーチしている。
「『その『一人』とは誰であったか。だれが戸田先生の教えのごとく、命がけで世界にこの仏法を弘めてきたか。私は〝その一人こそ、自分であった〟と誇りと自負をもっている。(拍手)
 ゆえに、本物の弟子である私に続く人間こそ「本物」なのである。後世のために、あえて明確に言い残しておきたい…」
このスピーチは、小説「新・人間革命」の最終章のモデルとなっている。

 日寛アニミズムの修羅道争いは、やはり再問題化する。
 大石寺法主の細井日達がその年の7月に急死。
 この前後で造反前の山崎正友は、阿部日顕の相承疑惑をマスコミにリークしたり、当時毎日新聞記者で創価学会批判記事を書いていた内藤国夫を抱き込んだりした。
 再び最高指導者として返り咲いた池田は、以前より創価学会の傀儡化状態であって策を弄して法主となった阿部信雄(阿部日顕)と、最初はうまくやっていた。阿部日顕の粛清を受けた正信会は窮地に陥ったが、池田大作は会長辞任後も名目は名誉会長として、事実上の池田本仏であり続けた。平成元年には阿部日顕批判を始め、その後阿部日顕から破門されたが、創価ルネサンスと称して独立し、その後も執拗に日顕を人格攻撃し、多くの裁判沙汰になった。

暴力団と創価学会幹部の『密会ビデオ』が住専国会で新進党切り崩しの材料となった。後藤忠政氏や魚住昭の著作などをもとに、創価学会が暴力団を利用し切り捨てた事実の流れと、得度した後藤忠政氏の指摘を考察した。それらの指摘はまさに、畜生・修羅道を進む、従来から変わらぬ創価学会の切り捨てズムであった。
 

 Bingの紹介文「池田大作は、自分を日蓮の唯一の正統な弟子と称し、自分の教えや指示に従わない者は仏法の敵と見なしました。しかし、その教えや指示は、真の仏法とは関係なく、池田大作の権力や利益に基づいています。この記事では、池田大作が自分の地位を確立するために、暴力団や政治家などを利用し、その後切り捨てた事実について、詳しく検証します。また、池田大作が書いたとされる小説「新・人間革命」の最終章が、どのように歪曲や捏造されているかについても分析します。」(Bing との会話 2024/3/4)

​​ 2018年、小説「新・人間革命」連載が終わった。
 その最終章「新・人間革命30下」の結論部分では、先述した池田のスピーチをモデルとして、池田一人が「本物の弟子」であるとして結ばれていた。これは、池田大作が公から姿と肉声を消しても代作を続け、その8年後の、聖典の完成であった。
しかしその年の沖縄知事選は惨敗、翌年の統一地方選挙において大阪では、常勝関西の神話が崩れて維新の会に惨敗した。
かつての小説「人間革命」の都合よい改竄が再びなされている指摘もある。
「人間は生まれ、やがて老い、病ともなり、死んでいく。自然の摂理である。しかし病気を〝不信の結果〟のように指導した池田は、己の言葉で己を批判する結果となった。もはや世界はおろか、日本の会合にも顔を出せなくなった。池田が『人間革命』の指す〝一人〟であれば、池田自身の人間革命は、とうの昔に潰えている。そして沖縄県知事選の敗北に象徴されるごとく、一国の宿命の転換はおろか、全人類の宿命の転換も不可能となったのである。」(犀角独歩)
〝病気になるのは信心がないからだ。信心が弱いからだ〟というのは末端組織では日常的に指導され続けてきた。しかし、非科学的奇跡的信仰体験は消えた。
創価学会の次期会長として有望視されていた池田大作の次男:池田城久(29歳)が1984年10月3日に急死した。胃潰瘍穿孔で緊急手術を受けたが帰らぬ人となった。当時の医療レベルでは確実に救えたものだろうが、その経過は、先に指摘した創価学会の組織の事情によって隠され、癌研附属病院に担ぎ込まれたときも、偽名であったという。
 池田大作の現在の健康状態がいかばかりであるか、再びお見舞を申し上げておく。

 

 Bingの紹介文「創価学会は、人間革命という言葉を使って、信者に信仰の効果や目標を示してきました。…この記事では、創価学会の人間革命とは何か、そしてそれがどのように崩壊していったかについて、詳しく分析します。また、創価学会が病気をする人間に対して、信心が足りないと責めることの問題点や危険性についても指摘します。」(Bing との会話 2024/3/4)

P61~P70

各ページの​紹介

各ページの概要・注目点・​​キーポイントなどや、Bingの紹介文を挙げました。

​​ 創価学会は、選挙に熱心ながら政策には興味を示さない一般学会員と、反戦平和を掲げる婦人部の対照的な姿勢がある。しかし、実際には幹部は政治的なリテラシーを持たず、組織第一主義が浸透している。また、創価学会は排他的で独善的な態度を持ち、批判的な会員を査問や法的手段で追求している。このような組織が「反戦平和」とは程遠い存在であることは明らかである。
 正法でも釈迦・天台・伝教、そして日蓮の時代において無名にして力のある弟子が出現せず、正法が存続しなかった要因は、権威権力を握った教導的立場の人間に、純粋な信徒が太刀打ちできなかったことである。池田がいかに偉大であっても後世の更新がなければ、法華経で言う末法と同様、形式だけが残り争いが絶えない宗教と化していく。
 もっとも、池田大作は「後生畏るべし」と述べ、後輩が自分より偉くなることを奨励していた。これは創価学会の基盤を強化し、総体革命を達成するための指針であるが、自分への態度としては逆であった。
 もはや、創価学会現執行部が発し続けている〝先生はお元気です〟を本当だと信じているのは、悪い意味で家畜化され自ら隷従する純真な創価学会会員のみであろう。
 

 Bingの紹介文「創価学会は、池田大作の教えや指示に絶対服従することを求める原理主義的な組織です。しかし、その教えや指示は、真の仏法とは関係なく、池田大作の利権や欲望に基づいています。この記事では、創価学会の虚妄のベールを剥がし、原理主義的な学会員と隠れ会員の心理や行動について、詳しく分析します。また、創価学会が行う査問や除名という切り捨てズムの実態や影響についても指摘します。」(Bing との会話 2024/3/4)

 

 池田大作の入信において信憑性の高い小口偉一の文献(池田大作の生発言テープがある)と、聖典である小説「人間革命」での描写を比較検討し、池田大作がどのようにして自己の入信時を神話化したかを詳細に考察した。

 池田の入信は、以下の発言から出発する。小口偉一によれば、
「学校時代の友人にさそわれて創価学会の本部へいきました…
 五時間くらいもそこで締めあげられたのです。
 南無妙法蓮華経は嫌いだったので、ずいぶん反対したのですが、理論で破れて信仰しなければいけないということになってしまったのです。負けたのでシャクにさわってしかたがない…
 それから御本尊をお下げするという話で、私は三〇分間ほどいりませんとがんばったんです。すると幹部の人がなだめて、むりやり私に押しつけました。
 家に帰っても三日間おがまずに ほっておきました。
 三日目にものすごい雷が鳴って、私の上ばかりでゴロゴロ鳴って私ばかり狙っているように思ったので、そのとき思わず南無妙法蓮華経と口をついて出ました。…
 それから一年は普通にやっていました。そのころはバチがこわかったのです。
 三年目の八月に戸田さんの出版に小僧から入りました。
 信用組合にも入っていたんですが、アパートに住んで、給与もなく乞食同然で苦しくて仕方なかったんです…
 十四、五人の研究会からの仲間からもやられました。
 そこで御本尊さまにこの苦しみだけ逃れさして下さい。
という願いをして御題目を六〇万遍唱えることにしました。
 逃れなければやめようと思っていたのです。
 それが不思議にも百日過ぎて急によくなってきたのです。
 その時先生は事業を譲っていましたが、それをこしてから完全になにからなにまでよくなって、身体も、生活も、物質的にも、社会的地位も過分なまでによくなったんです。
 私の体験は三年だけです。
 信仰しなかったならば二三くらいで死んだだろうといわれています。
 信仰していなかったら貧乏で、病気で死んでいたでしょう。
 わたしは今それから六年経っていますがずっと順調で申し分のない幸を得ております」

 これが、池田が会長就任して数年後に代作された聖典池田大作著「人間革命」第二巻では、池田は初めて出席した座談会で、戸田との初対面での対話により感銘を受け、即興詩を披露し、定まった運命の師弟の絆によって入信を決めたという、まさに「正史」にふさわしい、素晴らしく描写された池田大作の師弟の出会いとして、まさに劇的な瞬間として描かれていた。

 以前の発言や会長就任後の公演との自語相違の例も示したが、それは、見事に隠蔽・捏造・神話化された出来ばえであった。
 

 Bingの紹介文「池田大作は、創価学会の第三代会長として、日蓮仏法の普及に尽力しました。しかし、彼の入信の経緯や師弟関係には、多くの疑問や矛盾があります。この記事では、池田大作の入信神話と師弟不二の教えについて、彼の入信当時の生の発言と、後に書かれた小説人間革命との比較検討を行います。また、池田大作の入信神話や師弟不二の教えが、どのように創価学会の教義や組織に影響を与えたかについても分析します。」(Bing との会話 2024/3/4)

​​ 前ページの捏造・神話は、戸田や牧口の年齢に関してもこじつけであったことを、文献とともに検討した。
 そして、あろうことか、池田大作はこの神話を自己の経歴として毎日新聞社に「私はこう思う」、聖教新聞社でも「青春抄」として自著を出版し、更には日本経済新聞社刊行の池田大作著「私の履歴書」にも、捏造した入信神話と師弟の出会いを記した。
 これは、当時の学会員だけでなく、一般マスコミを含めて広く一般社会を欺いたものであるが、今も創価学会の「正史」として受け継がれている。
 

 Bingの紹介文「池田大作は、創価学会の歴史や自分の経歴を、自分に都合の良いように捏造や脚色して、多くの著作を出版しました。しかし、その著作は、事実と異なる点や矛盾する点が多くあります。この記事では、池田大作がどのように「創価学会正史」を作り上げたか、そして自分の履歴も一部都合よく捏造したかについて、資料や証言をもとに詳しく検証します。」(Bing との会話 2024/3/4)

 池田の入信神話において、問題となっている出会いの座談会、池田大作入信神話の完成への過程を考察した。
 そして、高瀬広居、五島勉、室伏高室、前原政之など、この捏造神話に誑かされ、創価学会をもちあげた有名な評論家たちの記述を挙げて詳細に考察した。
 学術級レベルの「日興門流と創価学会」の著者須田晴夫も同様であった。
 ただ、溝口敦は、きちんとした事実に基づいた指摘をしていた。
 こうして、社会的な祭り上げも、昭和の御本仏「池田大作」誕生の片棒を担いでいた。

 更に、神話で出てくる内容の欺瞞として、反戦思想をもっていなかった牧口常三郎と戸田城聖、及び戸田城聖の戦争観(生発言)についても検討した。
 

 Bingの紹介文「この記事では、創価学会の「52年路線」とは何か、そしてそれが池田大作と細井日達との対立の後、山崎正友と阿部信雄という人物にどのような影響を与えたかについて、詳しく分析します。…この記事では、「52年路線」の中で、池田大作と細井日達との対立の経緯や結果について説明した後、山崎正友と阿部信雄という人物が、この方針にどのように関与し、どのような行動をとったかを明らかにします。また、ジャーナリズムの見解として、この方針の問題点や影響についても説明します。」(Bing との会話 2024/3/5)

 

 小説「人間革命」のゴーストライターは篠原善太郎であることが、1977年5月、池田大作自身が著作「随筆人間革命」で、こっそり明かしていた。
池田大作の公演や著作は、創価学会組織内の「代作」グループが作成していた。その責任者が、後に造反した池田大作の一番弟子:原島崇であった。
 また、学会本部職員を解雇され学会を除名されてもなお池田大作を師と仰ぎながら書いた元本部職員による著作「実名告発 創価学会」(野口裕介・滝川清志・小平秀一共著)にも、「『聖教新聞』を使っての〝師匠利用〟の実態」と題して、膨大な池田大作著やメッセージの作製過程を告発している。
 柿田睦夫は、読売新聞社が、この実相を見抜いたことを、記事を根拠に示した。
 後に宗教学者島田裕巳が、この実態をほぼ正確に指摘している。

 池田大作は第20回社長会(1969/1/22)でこう述べている。
「皆んなは公私混同、公私混同というが、私は公私混同で全部公だよ。仏法に私はないよ。」
 また、元創価学会本部広報部副部長の小川頼宜はこう述べている。
「戸田の言動を絶対無謬と仕立て上げ、自らを唯一の後継者として信じ込ませることができれば、絶対無謬の神話は自らのものとなる…打ち込んだ情熱はやましいものだが、学会員に熱と力を与えた。それは強い副作用を伴うものだった。数々の犠牲を出しながら、試みはなんとか成功した。いまや池田大作は二度目の自公政権を実現せしめるに至った」

 また、造反者の告発、創価学会の批判拒否の体質や、池田大作著「科学と宗教」とは乖離した欺瞞について述べた。

 

 Bingの紹介文「池田大作は、自分の名前で数多くの著作を出版しましたが、その多くは代作や盗作であるという疑惑があります。この記事では、池田大作の代作問題について、彼の元部下や元信者の証言や証拠をもとに詳しく調査します。また、池田大作が書いたとされる「科学と宗教」という著作が、彼の実際の言動や教えとどれだけ乖離しているかについても分析します。」(Bing との会話 2024/3/4)

 〝池田先生は、全てが分かってくれている。すべておみとおしである…〟
〝池田先生と呼吸を合わせる…、〟
これらは、熱心な創価学会会員の、多くある決まり文句の一部である。
 池田大作自身も、その気になっている。
「田中さんは臆病で、やる事がうまくいかないとちぢんで病気になる」
「中西は私から逃げよう逃げようとして罰を受ける。今度やったら、頭が又はげて、顔がはれあがるよ」
「皆やろうか。わかっていないと思うが、全部わかっているんだよ」(社長会での総括)
 創価学会組織におけるこの実態は、池田大作と熱烈な会員との、サド・マゾヒズム的共棲関係であり、歪んだ「師弟不二」の実践がこの根本思想となっている。
 小口偉一編によると、宗教団体において、教祖は、信者にとって利用価値があると指摘する。これは共棲関係に必須である。

 フロムはこうした会員の心理について、「個人的自我を絶滅させ、たえがたい孤独感にうちかとうとする試みであり、マゾヒズム的努力の一面にすぎない」
「もう一つの面は、自己の外部の、いっそう大きな、いっそう力強い全体の部分となり、それに没入し、参加しようとする試みである。その力は個人でも、制度でも、神でも、国家でも、良心でも、あるいは肉体的強制でも、なんでもよい。ゆるぎなく強力で、永遠的で、魅惑的であるように感じられる力の部分となることによって、ひとはその力と栄光にあやかろうとする。ひとは自己自身を屈服させ、それのもつすべての力や誇りを投げすて、個人としての統一性を失い、自由をうちすてる。しかしかれは、かれが没入した力に参加することによって、新しい安全と新しい誇りとを獲得する。またかれは疑惑という責苦に抵抗する安全性をも獲得する」と指摘している
 これはまさしく多くの原理主義的学会員の心理と重なっている――つまり、池田大作や学会組織へのマゾヒズムである。
 

 Bingの紹介文「池田大作は、創価学会の第三代会長として、自分を仏法の最高権威と位置づけました。しかし、その地位は、彼の横暴な支配や虚偽の教えによって維持されています。この記事では、池田大作と創価学会組織との間に存在する、サド・マゾヒズム的な共棲関係について、詳しく分析します。また、池田大作と熱烈な会員との間に存在する、師弟不二という教えについても、その問題点や危険性について指摘します。」(Bing との会話 2024/3/4)

 「自由からの逃走」の著者フロムは、既存の教会や国家などの権威によって自己を確立していた個人が、近代産業革命、自由主義・資本主義が発達して行く過程で、それまで寄っていた権威から解放されて自由をあたえられたが、同時にこれはそのために確立していた自我のよりどころを失うことを意味していた。そうした個人は乱立する競争のなかで、日常の生産の場において巨大企業や政治機構を前にして相対的に取るに足らなくなってしまい、結果として個人が孤独と無力に陥ったこと、そして、一握りの勝者を除く多くの個人が、それの克服のために選択したのが、自らの自由と尊厳を放棄して世間の権威や支配者に容易に身を預けるという「自由からの逃走」であったと指摘する。
 この「自由からの逃走」とは、逃避であり、その主要はファシスト国家に起こったような指導者への隷属であり、さらに現代民主主義国家においてはマスコミや地域社会で広がっている常識やしきたり、一見、民主的・資本主義建前のもとで蔓延っている様々な金や資本によるプロパガンダ、権威・名声・権益・流行・イベントなどによる強制的な画一化であると喝破する。

 そして、創価学会会員や現代人の多くはサド・マゾヒズム的共棲に陥っているが、その「サド・マゾ」の根底は同じである。
支配者と被支配者の立場は異なるが、自らすすんでそれぞれの状態に聖なる至福を見出しているのであり、それを正当化する理屈はあとからいくらでもつけられる。
「奴隷にとって、主人がより高いところにいる存在であればあるほど、それを汚す存在として高められる…中略…
 奴隷はセクシャリティとは別のところに存在する」

 まさに、池田大作を頂点とする創価学会幹部と会員との絶対的主従隷属関係「師弟不二」の側面を言い当てている。

 さらに、フロムの指摘するサディズム、ヒットラーのサド・マゾヒズムについて、詳細に検討・考察した。
 

 Bingの紹介文「創価学会員や現代人は、自由という名の不安や孤独に苦しみ、池田大作や創価学会組織に従属することで、安心感や帰属感を得ようとします。しかし、その結果は、自分の人格や自由を失うことになります。この記事では、サド・マゾヒズム的な共棲関係に陥る心理的なメカニズムや、その危険性について、エーリヒ・フロムの「自由からの逃走」という著作を参考にしながら、詳しく解説します。」(Bing との会話 2024/3/4)

 フロムの見解に基づいて、池田大作のサディズムとマゾヒズム、ヒトラーと池田大作の決定的な違い、さらに創価学会員のサディズムとマゾヒズムや側近のマゾヒズムについて、詳細に検討・考察した。

 池田大作のサディズムの例:「皆やろうか。わかっていないと思うが、全部わかっているんだよ」「皆んなは公私混同、公私混同というが、私は公私混同で全部公だよ。仏法に私はないよ。」という言葉の中に、自分こそ主人・師匠であり、宇宙の法則である、絶対的は善であり正義であるとの思い上がりが見てとれる。
 池田大作のマゾヒズムの例:「虚空会の儀式を表した御本尊を拝することによって、私どもは、『いま』永遠なる宇宙生命と一体になり、『ここで』全宇宙を見おろす境涯を開けるのです。その意味で、日々の勤行・唱題は、宇宙飛行士が宇宙空間から地球を望むよりも、もっと壮大な『生命の旅』といえるのではないだろうか。」
「学会の誇りは、誰よりも大御本尊様に尽くし、総本山、宗門に尽くし抜いてきたことであります(「新・人間革命」)
これは、信仰という形式をとっているが、御本尊(板マンダラ)に対するマゾヒズムである。池田大作は、御本尊や仏を、「大宇宙の生命」「大宇宙のリズム」などという仮想物に実体化し、この揺るぎない実体に融合することを至福の成仏とした。

 溝口敦は、
『資本家というのは、働けば働くほど自分の利益になります。労働者は、やはり時間だけ働いて、あとは帰ったほうが得で、…中略…しかし、私どもは、いっさい働いたことが、ぜんぶ自分の功徳になると決心するのです。また、事実そうなるのです。…中略…例として資本家的な気持ちで、すなわち自分が働いたものがぜんぶ自分のためになるのだという信心でなくては損なのです』(池田『池田会長講演集十一)
 をあげ、
「これは、労働の論理ではなく、仕える論理であり……個人の利益に密着しているなりに理解しやすく…創価学会員になることを優しくしていた。
 会員の増加は池田の功績となり、池田体制の安泰を保ち、年とともにその権力をより強固にした。そしてさらに創価学会流の教義解釈が、その池田の地位を絶対性の高みにまで押し上げていた」と、指摘している。
 まさしくこれは、「仕える論理」すなわちマゾヒズムの例、そしてサド・マゾの共棲の例の指摘である。

 Bingの紹介文「池田大作と創価学会組織は、サド・マゾヒズム的な共棲関係にあると言われています。しかし、その関係は、どのような特徴やメカニズムを持っているのでしょうか。この記事では、池田大作と創価学会組織内でのサディズム・マゾヒズムの具体的な事例や、その背景や影響について、詳しく分析します。また、サディズム・マゾヒズムの心理学的な理論や、その対処法についても紹介します。」(Bing との会話 2024/3/4)

 

 「新版 仏教哲学大辞典」1985/11/18 創価学会教学部 聖教新聞社)によれは、
 師弟不二とは個別には師=日蓮と弟子=日興の関係が、一般的には仏=日蓮=南無妙法蓮華経=地球上における宇宙一切根源の法と、弟子檀那=信仰を行ずる衆生という師弟関係が、二であってしかも二ではなく本性が一体であることをいう。
 あくまで、師とは仏(人においては日蓮)=南無妙法蓮華経=地球上における宇宙一切根源の法、つまり信仰し境地冥合すべき「法」なのであって、世俗でいう生身の人間としての師匠では断じてない。
 誤り多き凡夫としての人間を絶対的な不変の「師」(=仏)としてみなすと、それは仏法ではない。
 この落とし穴に多くの人がはまり、間違った解釈におちいってしまっている。

 池田大作は結局のところ『私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である』(高瀬広居)と祀り上げられ、池田や弟子たちがよってたかって創価学会を発展させた。
 池田が公から失踪してから創価学会は、俗世の創価三代会長(牧口・戸田・池田)を永遠の師匠(=仏)として祭り上げた。さらに創価学会仏と称して、創価学会組織自体も仏とみなした。
 この師匠の「永遠性」を確立したい人たちは、池田大作ファンクラブとも言うべき、サドマゾ共棲関係にある側近達や熱心な会員達であった。
 この過程を、文献を根拠にして詳細に検討し、一点・一瞬から無限大∞への科学的法則へ――真に信じるに価する宗教とはなにかについて述べた。
 

 Bingの紹介文「創価学会では、池田大作とその弟子たちの関係を「師弟不二」と呼び、仏法の最高の境地としています。しかし、その関係は、俗世の権力や利益に基づいており、仏法の本来の意味とはかけ離れています。この記事では、創価学会の「師弟不二」と、仏法の本来の「師弟不二」との違いを、仏教の教えや歴史をもとに明らかにします。また、真に信じるに価する宗教とは何かについても考えます。」(Bing との会話 2024/3/4)

 筆者の創価学会体験の一例を通じて、創価学会の活動実体、御書の勉強と教学試験、選挙の票取りと「政教分離」について、財務と称する寄付についての詳細や問題点、及び救済・変革への道筋や解決法について、詳細に検討し考察した。
 そして、師弟不二アップデートの一つの試みとして、池田大作著「指導集ー質問に答えて」(1967/5/3再版)に述べられている師弟不二の説明を、アップデートした。
 さらに諸法実相抄にある広宣流布の方程式を詳細に解説した。
 この日蓮の遺文にも様々な原理が指摘されている通り、一人ひとり・自身が即身成仏・一生成仏による利他の行動を末端組織の中で遂行していく――つまりは成仏の草の根運動を展開していくことに尽きる…
「法華経の行者」「日蓮の一門」とは……特定の組織や団体にとらわれずに、新たな真実が発見されながら進歩していく時代に合わせて真の日蓮仏法を更新しながら広めていく行者のことである。
 そして、南無妙法蓮華経と唱える人はすべて地涌の菩薩なのであり、性別――現代では多様な性自認(LGBTQも含む、性的指向)――はおろか、所属団体や様々な社会的立場・容態などについては一切云々や差別してはならない。
 ただ、この遺文の全体を見ないでこの部分だけを特定の団体に事実上所属することに限定するような解釈をすることはよこしまな妄想であって、それを主張すること自体は、御書や日蓮の真意を理解していない愚かなことである。
 そしてそのような解釈にこだわり言い張っている限りは、決してそのような手前勝手な広宣流布などは実現できないのである。このことは、創価学会の凋落傾向の歴史がいみじくも示唆している。

 Bingの紹介文「私(註、筆者)は、かつて創価学会に所属していましたが、池田大作や創価学会組織の問題点に気づき…私の創価学会体験を振り返り、師弟不二という教えについて、自分なりにアップデートする試みを始めます。また、師弟不二という教えが、創価学会員の心理や行動にどのように影響を与えるかについても考察します。」(Bing との会話 2024/3/4)

P71~P80

各ページの​紹介

各ページの概要・注目点・​​キーポイントなどや、Bingの紹介文を挙げました。

 日蓮の遺文「生死一大事血脈抄」を根本として、血脈アップデートを試みた。永遠の生命に関する一大事である「血脈」とは、「妙法蓮華経」と定義する。これは万物一切の統一法則である。今世の出自・性別・社会的立場などの一切の差別はなく、過去世・来世も貫く法則である。だから修行としてはこれらの分け隔てを一切しないで、(互いに必須であるという)水魚の思いをなして、異体同心で南無妙法蓮華経と唱えたてまつるのを生死一大事の血脈というのである。万人を成仏に導く法則に、その万人を個別に区別・差別するのは禁忌である。もしそれを許してしまったら、客観性が担保できなくなり、真理・法則ではなくなり、手前勝手でよこしまな主張になり下がってしまう。
 創価学会が、この部分を切り文にして機関誌に載せることもしばしばあるが、残念ながら水魚の思い・異体同心などは、組織内の会員の間でのみの意味に限定している。決して、南無妙法蓮華経と唱える他宗(とくに破門された日蓮正宗)を含んでいない。そして、あろうことか、日蓮のこの意図に背き、日蓮仏法を御書の通り広宣流布している団体は「創価学会しか無い」と言い張っているのである。これひとえに御書の組織利用である。

 フロムの「自由からの逃走」に基づき、創価学会の社会的性格の分析を始めた。
罰論・抱き合わせ功徳論、池田大作のサディズム・マゾヒズム、創価学会の現世利益追求、会員の心理的満足について考察した。
「学会っ子は名前もいらない、金もいらない、身体もいらない。‶奴隷のように学会につかえよ。〟それが御本尊様につかえる事だ」(社長会全記録 )
 そして、つまるところ「池田に仕えよ、池田の手駒となれ」という会員の奴隷化を基礎に、池田の天下取り構想を発生・増強させたものであり、折伏によって組織が拡大するとともに奴隷化も拡大していったと考えられる。
 池田の奴隷・手駒となった学会員の心理、つまり熱心な学会員や幹部の心理も同様の共棲である。
 また、フロムの指摘は仏法の「依正不二」を示している。
 そして、幻影の個性に生きる創価学会員や現代人の実態について述べた。
 

 Bingの紹介文「創価学会は、池田大作の教えや指示に絶対服従することを求める原理主義的な組織です。しかし、その教えや指示は、真の仏法とは関係なく、池田大作の利権や欲望に基づいています。この記事では、創価学会の虚妄のベールを剥がし、原理主義的な学会員と隠れ会員の心理や行動について、詳しく分析します。また、創価学会が行う査問や除名という切り捨てズムの実態や影響についても指摘します。」(Bing との会話 2024/3/4)

 

 フロムの指摘をもとに、創価学会の熱心な会員や幹部の心理的分析を詳細に行なった。
その根底に流れる、根本的な問題をぼかす効果――科学的な根拠に基づく思考能力の麻痺――「幻」となった自己や、『独創性』の欠如、そして、他の手段と成り下がった自動人間としての創価学会員や現代人の姿を浮き彫りにした。

 ミヒャエル・エンデの小説の指摘も例として加えた。
 

 Bingの紹介文「創価学会組織は、池田大作の支配下にあり、会員は彼の教えや指示に盲従しています。しかし、その結果は、会員の心理や人格に悪影響を及ぼしています。この記事では、創価学会組織の社会的性格について、心理学的な分析を行います。また、創価学会組織が欠く『独創性』について、ミヒャエル・エンデの小説…の一節を引用しながら、考察します。」(Bing との会話 2024/3/4)

 

​​ フロムや小口偉一の指摘をもとに、新興宗教における教祖について、教祖は信者にとって利用価値があること、信者の理想像としての教祖、自立しえない人々を取り込む教祖、現世利益だけを求める宗教、神秘的な要素、創価学会の勤行・唱題、組織活動による個人的な心理的効果について検討し、宗教学・現世利益宗教の運命を推定した。
 宗学も教学も、アップデートがなく旧態依然としたドグマであり続けるだけでは、時代の進歩に取り残され、廃れていく運命にあるだろう。
 事実、宗教学者の島田裕已は自著「宗教消滅」の中で、宗教は資本主義経済発展と密接に関わって発展してきたこと、そしてその発展には終焉がもたらされることを指摘し、「資本主義が終焉を迎えるということは、それと深く連動してきた宗教にも根本的な変化がもたらされることを意味する。それはどうやら、宗教の消滅という方向にむかいつつあるのである」と述べている。
 資本主義の発展は、現世利益の追求そのものである。
 それによって豊かになった社会では、現世利益追求のための宗教の利用価値が減少しつつあるのは確かである。
 小口偉一の指摘「教祖に従っていて、利益が得られず、損害を受けたと感じた人は、さっさと教祖のもとを去ってゆく。意識するとしないとにかかわらず教祖の利用価値が問題となっているのである」も、心理的道理を言い当てている。
 師弟不二の実践を基本にして「仏法は勝負」「仏法の実証を示そう」と創価学会組織内では激励される。
 この実証とは社会での実証つまり現世利益のことである。
 これは、真の日蓮仏法ではないことは、拙論文で先述した。
 つまりは、創価学会など、こうした現世利益追求に主をおく宗教は、結局のところ、資本主義の終焉と同じ運命をたどることになるであろう。
 ここに、宗教本来の存在意義・目的を科学的に更新続ける必要性があるのである。

 

 Bingの紹介文「創価学会組織は、池田大作の教祖的な支配によって成り立っています。しかし、その支配は、彼自身や信者、利用者たちの心理に深刻な影響を与えています。この記事では、創価学会組織の社会的性格について、教祖と信者、利用者たちの心理学的分析を行います。また、教祖と信者、利用者たちの関係における問題点や危険性についても指摘します。」(Bing との会話 2024/3/4)

 「こんにちほど、言葉が真理をかくすために悪用されることはかつてなかった」(同書P300 )とフロムは指摘している。
 フロムの指摘をもとに、自由と自発性、六道輪廻にとどまる現代文明、真の理想(仏界)と偽りの理想(六道輪廻)、真の犠牲と偽りの犠牲、自己犠牲を伴う「師弟不二」、アナーキーの可能性の解決について詳細に検討し、自由から逃走せず、真の自我の確立(仏界)を目指す指針について述べた。
 フロムの言葉を演繹していえば、現在の創価学会員一人ひとりが直面している課題は、創価学会の一人ひとりの成員として、「その奴隷であることをやめ」、各自が自分自身の思想を日蓮仏法の真の実践によって確立しながら、創価学会全体としての社会的経済的な力の真の主人となって、その力を組織化することである。
 言いかえれば、現在のトップダウンの打ち出しに盲従するのとは真逆なこと、すなわち、一人ひとりのアップデートを成し遂げながら草の根運動を展開し、それを組織全体へ広げ、各人がアップデートしつつある教義も共に持ち合わせ、然るべき機会・場所を通じて集約していくことである。集約の場は、科学や医学の専門領域において定期的に行われる学術集会を手本としても良いだろう。これがまさに、「学会」という名にふさわしい姿であると考える。
 いまでこそ遅くはない。これらの現実問題を直視し、先述したフロムの指摘の如く、組織の政治的エゴではなく純粋な活動の機会が個人に回復され(つまり支持政党の自由、選挙活動参加の自由等)、組織の目的と会員一人一人自身の目的とが、観念的にではなく現実的に一致するように、また会員らが、それが人間の理想からして意味と目的とをもてるように、その組織活動に責任を感じ、積極的に努力と理性とを注ぐことができるように、体質改善に取り組んでいくべきである。
 そして形式的な政治的領域から財務等という経済的領域にいたるまで、会員の、会員による、会員のための組織という原理を発展させなければならない。
 そのためには、固執してきた「師弟不二」や「血脈」などの教義、仏法は勝負などという日蓮仏法の誤った解釈を更新して、時代に合わせて書き直さなければならない。
 会員一人一人は、創価三代の永遠性――池田大作はその意味では現在の生き仏のような存在とされている――という幻想を捨て、隠蔽された都合の悪い過去の歴史を清算し、きちんと真実を書き直しながら、組織の一員として新たな一歩をふみだすべきであろう。
 小説「人間革命」「新・人間革命」は、組織のエゴではなく、人類の歴史に真実を残すため、心ある会員――日蓮仏法の実践によって内的な心理的条件を確立し自分の個性を構築して恒久的な成果を常にアップデートし続ける、成仏と言う境涯を顕現し、つまり常に完成を目指して絶え間なく努力し続ける会員――によって書き直すべきなのだ。
 

 Bingの紹介文「創価学会組織は、池田大作の支配によって、会員の自由や人格を奪っています。しかし、その支配に従うことは、真の理想や幸福にはつながりません。この記事では、創価学会組織の社会的性格について、自由という観点から批判的に分析します。また、真の理想と犠牲との関係や、真の自我確立(仏界)を目指すための指針についても提案します。」(Bing との会話 2024/3/4)

 

​​ 日蓮の成仏観や真の血脈と師弟についてを再度確認した。
 松戸行雄の凡夫即身成仏論は、日蓮仏法固有の「奇跡のメカニズム」?などといって、創価ルネサンスの武装理論となったが、その内容は残念ながらアニミズムであった。
 唱題の功徳・効果についての思考実験で、アニミズムの祈りにおいてもそれなりの信仰体験が得られる。
 日蓮の成仏観と血脈を脳科学の知見をもとに、さらにアップデートした。
 自我偈、および法華経は一念三千の法理の究極のメタファーである。
 この瞑想時の日蓮の心は、どのようにして衆生を無上道に入りさせ速やかに仏の悟りを成就させようかとの、慈悲の思いが湧きたっている状態であり、日蓮の脳内を神経学的にみると、視床下部から幸せホルモンとか慈愛のホルモンとかいわれるオキシトシンが十分に分泌されている。同時に、瞑想の努力により、頭頂葉の後方に位置する方向定位連合野への完全な求心路遮断が成立し、自己と他人~全宇宙空間との境と時空の感覚が消滅して、前頭葉の注意連合野からの感覚も動員されて、永遠の生命・時空の超越・完全なる一元愛・無条件の愛などともいわれる永遠・無限なる時空の一体感覚の動画が再生されているのである。
 現代科学においての、これらの脳神経学的なシステムの詳細は後のページで改めて述べるが、立宗宣言前の日蓮は、そしてその後の日蓮も、法=法華経への信仰を、この自我偈を何度も何度も瞑想してこの生命状態に達し、自分自身を生涯にわたってアップデートしていた。
 そして、先述した「以何令衆生・得入無上道・速成就仏身」の答えとして、法への合一、すなわち南無妙法蓮華経の唱題という方法で、衆生を自身の瞑想で到達した境涯へ導こうとしたのである。

 

 Bingの紹介文「日蓮は、自分の教えが法華経の真髄であり、仏陀の血脈であると主張しました。しかし、その教えは本当に仏陀の教えに基づいているのでしょうか。この記事では、日蓮の成仏観と瞑想について、仏教の歴史や哲学の観点から検証します。また、日蓮の血脈と師弟の関係や、アニミズムと呼ばれる自然崇拝の信仰との関連性についても考察します。」(Bing との会話 2024/3/4)

 マンダラ掛け軸、及び、その下付について、仏性とはなにか、元々一つであり全体であった生命の仏性について、池田大作著「法華経の智慧」などの文献や松戸行雄の論理などを代表モデルとして考察した。また彼が三世の生命や仏性の説明において引用したアニータの臨死体験や境智冥合についても考察した。
 ちなみに臨死体験は、どのように語られようとも、脳科学的には「生」の体験であり、「死」の体験ではない。そもそもこれを根拠に科学的な死後の生命の説明(三世の生命の説明)は不可能である。
 すると、現代科学においてこれらは結局、宇宙生命と一体化を説くアニミズムであった。
 信じる者しか救われない?…信じる者は救われるという幻想を伴っている。
 そこで、これらに科学的なメスを入れるため、神経学者アンドリュー・ニューバーグの先端知見に基づいて脳と心の関係について述べた。

 

Bingの紹介文「仏性とは、すべての生きとし生けるものに備わっている仏の性質です。境智冥合とは、自分の心と外界の境界が消えて、一つになることです。この記事では、仏性や境智冥合の説明も、実は宇宙意識と一体化を説くアニミズムと同じであると指摘します。また、臨死体験や神秘体験という現象も、宇宙意識と一体化する体験として捉えることができると述べます。」(Bing との会話 2024/3/4)

 本稿の投稿寸前に、池田大作が逝去したとの公式発表があったため、衷心より哀悼の意を表し、ご冥福を心よりお祈り申し上げた。


 このページでは、ヒトの脳と心についての解剖学的・生理学的なシステムについて、神経学者アンドリューの著作などを参考に説明した。
 脳と心のしくみ、神秘体験に関する脳の機能の詳細、脳の感覚と意識のしくみ、この例としてアップルパイのリアリティーと神のリアリティーが同等であること、二系統の自律神経系は興奮か抑制かのどちらかであること、情動をつかさどる脳大脳辺縁系についてや、各種認知オペレーターについて解説し、結局我々は理性で把握し、感情で決断・行動する。
 言い換えると我々の決断・行動は感情が主となっており、理性はそれを理論武装して正当化するにすぎない。
 だから、科学の知見も、感情の積み重ねの産物であること、つまり客観性・再現性の限界を示した。

​ Bingの紹介文「神秘体験とは、自分の意識が普段とは異なる状態になり、神や宇宙と一体化したり、超越的な真理に触れたりするような体験です。この記事では、神秘体験に関与する神経学的なメカニズムや、神秘体験がもたらす心理的な効果について紹介します。また、科学の知見も、感情の積み重ねの産物であるという見方についても考察します。」(Bing との会話 2024/3/4)

 神経学者アンドリュー・ニューバーグの実験を紹介。
瞑想によって深い宗教的境地に達する時の脳科学的システムを述べた。
 それは求心路遮断の効果によってそれなりのレベルの「神秘的合一」(ニューバーグが定義した)の経験である。神秘的合一体験のメリットについて述べた。
 瞑想には「絶対的一者」に達する「受動的瞑想」と、それより軽い段階で「神秘的合一」に達する「能動的瞑想」の二つに分類できる。
 受動的瞑想から生まれた教祖たちやアニミズムについて述べた。
そして、日蓮の「受動的瞑想」と「能動的瞑想」についての脳神経学的なメカニズムを詳細に記した。
 日蓮は自らは「絶対的一者」に到達しながらも、万民救済の方途を「神秘的合一」を最終目的とした、南無妙法蓮華経というマントラを不惜身命で一心に唱える修行法を説いたのである。
 永遠の生命観から得た自身の上行菩薩の自覚も、その背景となった虚空会の儀式も、当時の伝来していた最高峰の学問としての仏教、とりわけ法華経により自らの注意連合野が形成していたものであり、「絶対的一者」あるいは「神秘的合一」の状態で得た自覚を材料として形成されたものであった。
 こうして、日蓮の信仰の究極的な内容、すなわち「血脈」と「師弟」は、現世利益をはじめとした利己的な自己を超越し、「完成へと限りなく接近を目指す」具体的な九界における境涯を「成仏」と定義しなおし、容易な唱題行や利他の菩薩道を以信代慧の方便をもって説き誘導した。
 それは自らが常行菩薩として自覚した「絶対的一者」「神秘的合一」から得られた一念三千の法=南無妙法蓮華経への帰命という結論であったし、それらは万人に対して「絶対的一者」は叶わないにしても、信心に応じての様々なレベルでの「神秘的合一」を信者に対しても経験させながら九界の生命境涯で実践させようとしたものである。

 

 Bingの紹介文「日蓮の教えにおける成仏とは、自分の本性に目覚めることです。そのためには、瞑想や修行ではなく、法華経の題目を唱えることが必要です。この記事では、日蓮の成仏観と、アニミズムと呼ばれる自然崇拝の信仰との違いを、仏教の歴史や哲学の観点から解説します。」(Bing との会話 2024/3/4)​

 神経学者アンドリュー・ニューバーグの確立した神経神学について述べた。彼はこう語る。
「行き着くところ、科学と宗教の二つの力は、人間の脳の産物である。」
「たとえ脳の外部に神が存在し、宇宙の存在を可能にしていたとしても、それを信条という形で捉え、意味づけをするのも脳なのだ。私たちが服従し、生活の中に取り入れている聖書や儀式をつくり出したのも脳である。」
「つまり、私たちは永遠に自分たちの脳の働きの中に閉じ込められているということだ。」
「私たちは自分の脳というプリズンに閉じ込められているということだ。神秘体験は度々、自分が実際に脳から抜け出してしまった感覚をもたらす。」
「私たちの世界に関する信条や考え方が正確かどうかはわからない。なぜなら、まさに私たちが検定しようとしている脳によって処理されているので、決して確かであるとは評価できないのである。ともかく、脳から抜け出して外界を純枠に客観的に観察し、その観察結果と自分の主観的な世界体験を比較して、一対ーの対応関係があるかどうかを判断しなけれぱならない」

 科学と宗教との折り合い、方向定位連合野における「求心路遮断」の意味、標識動作や嗅覚の剌激について、神話を演じるのは、脳の仕組みであること、日興門流~創価学会も同様であること、神経学が証明する事実について、多くの宗教は健康に寄与すること、宗教が洗脳で保証する様々な価値――意味や目的や安心感を与える(妄想か真実かは関係ない)について、神仏は本当に客観的存在なのか?、科学的なリアリティー(測定可能)と、神秘的なリアリティー(測定不能)の比較、脳が作る自己と世界、具象化と自己の発達、真の自己の発見と神秘体験、絶対的一者と真の自己、神の歴史と不寛容、超越的な合一と宗教的不寛容などについて述べた。


 そして、それらをもとに、日蓮の悟りと見逃したもの、弘教の問題点について以下のように述べた。
 日蓮は、南無妙法蓮華経と定義した『法』への帰命を絶対的な悟りとした。
 これは、一なるものへの解消という超越状態である。
 しかし、その弘教の方法は、他宗を徹底的に破折・折伏するというものであり、当時の学問レベルに基づいてはいたが、将来の学問・科学の発展に対応できるかは疑問である。
 日蓮は、更新が可能な科学的な「法」を本尊とし、それを「血脈」として残したといえる。
 しかし、残念ながら、その「法」をアップデートすることまでを明確に示さなかった。
「法」なら、アップデートされ続けるものである。
 もっとも、日蓮の遺文や生涯を検討すれば、彼自身は自らの法をアップデートしながらの激動の生涯であったことは明白ではある。
 だが、後世にはそのことを明確に指示した遺文は見当たらない。
 そのため、すべての法が南無妙法蓮華経への「一なるものへの解消」につながり、他宗の中にも深遠な物理化学的真理を含むものを排除するドグマとなってしまった。
 結果、日蓮自身は、自らの信念と行動を貫き通したが、その後世は、先述してきたとおり、日蓮仏法をアニミズムや処施術、果ては誤った概念(師弟不二など)を信念とする創価学会など、日蓮の意向に反した様々な宗教組織を生み、総じて堕落させてしまったといえるのではないか。

 しかし、現在でも、日蓮仏法のすばらしさは、遺文の解釈の更新や個人の信行学の実践によって、所属組織はともあれ、多くの人の信念の中に伝えられている。

 あらゆる法則は、常に更新されてきたし、今後も新たな真実の発見によって、更新されていく。
 日常の常識から先端科学まで、常にアップデートしている。
 日蓮仏法が、人格神と違って、「法」を本尊としていることは、その余地が残されている点で、大いに優れているといえる。
 

​ Bingの紹介文「日蓮は、自分の教えが唯一の真理であると主張しましたが、その教えは本当に完全でしょうか。この記事では、日蓮の見逃した点や矛盾した点を指摘し、一なるものへの合一という宗教的な目標について考察します。また、神経神学の最新の研究成果や、瞑想のレベルによる意識の変化についても紹介します。さらに、神話の形成や儀式の意味についても、日蓮の教えと比較しながら分析します。」(Bing との会話 2024/3/4)

 

 「生命」は、悠遠の過去から「もともと」存在していた(無始、始まりが無い、久遠元初)のであり、永遠の未来にわたって「終わりが無く」「変化しながら」存在し続ける(これを無終という、不滅とはあえていわないでおく)。

 全ての存在(現在の科学で観察可能なのは素粒子から大宇宙までだが、それを超える観察不可能な存在も含めて、その数は無限大)は、個別の「生命」でありながら、万物すべてを互いに重なり合い共有しながら、影響し合い、情報をやりとりしている。
 我々も含めて、あらゆる生命は、万物を共有しており、無始無終であり、変化しつづける。
 すなわち、万物の中に、無限大の数の生命が重なり合って、互いに共有(シェアして)いるのである。

 つまり、生命の物質的な大きさ:規模についていえば、我々の生命は万物と同じ規模のものであるが、その中のほんの点のような一部分が個人として顕在化しているに過ぎない。
 そして、顕在化して独自性・一貫性をもたらしている微小な部分を除いたら、全ての生命が、万物として重なり合っている・つまり万物を共有している・万物の生命と共通であり、つながり合っている。これを「冥伏」という。

 日蓮の真の血脈は、その遺文より、万物一切根源の法と定義した南無妙法蓮華経である。
その基盤となった生命法則が、「一念三千」である。それは、一念=瞬間の生命境涯を、十界・十界互具・十如是・三世間に分類し、それぞれをかけ合わせると三千種類になることをいう。
 個別の「生命」には、主体と環境、肉体と心があるが、これらは対立するものではなく、生命の異なる側面にすぎない。
 すべての生命は、肉体と心が一体であり(色心不二)、その主体は、自身と周囲のものとが一体である(依正不二)。

 この万物一切根源の法について、大まかに述べた。
 この法則は、現代の科学的批判にも充分耐えうるもので、しかも更新可能なものであり、絶対的他者の存在という幻想にとらわれない、最高の生命尊厳の法則である。

 さらに、この法則に則った修行で、なぜ効果がでるのか。それを意味反応の結果を一例として述べた。

​ Bingの紹介文「日蓮は、自分の教えが法華経の真髄であり、仏陀の血脈であると主張しました。しかし、その教えは本当に仏陀の意志に沿っているのでしょうか。この記事では、…法華経における万物一切根源の法とは何か、そしてそれを実現するためにはどうすればよいかについても説明します。」(Bing との会話 2024/3/4)

P81~P90

各ページの​紹介

各ページの概要・注目点・​​キーポイントなどや、Bingの紹介文を挙げました。

 日蓮にとっての神(仏=本尊)は、リアルな法則(=南無妙法蓮華経)であった。
日蓮にとっての仏、成仏とは、万民救済の法則であり、当時の学問の統一理論でもあったのである。
 すなわち、当時の学問での万物の法則、「大自然の法則」であった。これを彼は南無妙法蓮華経と名付けて、法則そのものを血脈にしたのである。
 一方、人類の歴史を開拓してきた多くの科学者にとっての「神」・「高次のリアリティ」も、つまるところ、万物の統一法則であった。彼ら彼女らの信仰の対象は、人格神ではなく、アニミズムでもなかった。
 この例を、アインシュタイン・シュレーディンガー・ボーアなど、著名な功績を残した科学者を例に挙げて述べた。


 すなわち古今東西、多くの先哲から神秘主義者に至るまで、宇宙や大自然、および生命の不可思議に対する探索、統一理論を追究し、叡智を重ね、アップデートしてきている。
 日蓮が「血脈」として残した万物一切根源法すなわち南無妙法蓮華経も、それに基づく生命学的解釈や修行法についても、無批判・独善的に漫然と受け継ぐのではなく、時代の進歩に合わせて更新していくことが、日蓮仏法を受け継ぐ後生として必要なことなのである。そして、そうした姿勢こそが、日蓮が残した血脈――すなわち限りなく完成へと向かう即身成仏の姿のひとつなのであり、信者としてふさわしい姿なのである。

 

 Bingの紹介文「科学者は、自然現象や宇宙の法則を探求することで、神の存在や意志を感じることがあります。しかし、その神は、宗教的な神とは異なるものです。この記事では、科学者にとっての「神」とは何か、そしてそれと日蓮にとっての「仏」とはどう違うかについて、科学的な知見や日蓮の教えをもとに考察します。また、科学と仏法との関係や、科学者と仏教徒との共通点や相違点についても分析します。」(Bing との会話 2024/3/4)

 

 電子や原子と言った素粒子の世界と我々の世界との関係について、山田廣成の著書を参考に、一つの電子も独自の意志を持っていること、その様相について述べた
 つまり、電子は電子としての意志を持っており、人間は人間としての意志を持っているということである。
 日蓮の教えには、
「一切衆生に十界を具足せり…一微塵にいたるまで皆十界を具足せり」
《自然の道理として一切衆生は必ず十界を具足している…ひとかけらの微塵に至るまで、みな十界を具足しているのである》
とある。
 これは、本稿で述べたことを見事に説明している。
 すなわち私たちの肉体も実はスカスカのほとんど全く何もない空間の場であり、その中でほんのわずかな微塵が様々な形のエネルギーを放出し続けていることで、形作られている。その空間の場には、周囲の環境から日常的にX線や電磁波、超音波などの様々な見えないエネルギーによって、その性質が決定されている。そしてこれらは昔、仏法で説かれた「依正不二」(環境と主体が相互に瞬時に影響しあいながら一体であること)なのである。
 800年前の日蓮の教えが、現代の量子力学と一致していることは驚くべきことであり、科学と哲学の両方において重要な意味を持っているといえる。

  Bingの紹介文「**「素粒子から宇宙の外までのすべてが万物の生命」**

 私たちの世界は、見えるものだけではなく、見えないものにも満ちています。この論文では、素粒子の一つ一つにまで意志が宿るという、生命の普遍性に焦点を当てています。宇宙の果てから私たちの身の回りにある電子まで、すべてが繋がり、すべてが生命を持っているという視点から、新しい世界の理解を探求します。

 この記事を通じて、読者は宇宙と自己の関係を再考し、生命の神秘に思いを馳せることでしょう。」(Bing との会話 2024/4/2)

 万物が成仏するしくみを、真の日蓮仏法および科学的視点から考察した。
日蓮は心が在る者と無い物とを区別し、前者の成仏を妙法、後者のそれを蓮華と定義している。
 心が在る者は成仏を目指して修行ができる。しかし、そもそも成仏への行動が無い・できない物が、いかにして科学的に成仏を成し遂げるのか。
 実は、依正不二の原理と、日蓮の成仏の定義から、心が無い物の成仏は、心が在り成仏を目指す修行者への方便だったのである。
 その種明かしも日蓮自身が言っているが、これは次のページで説明する。
 さらに、たとえ建前で成仏を目指しての唱題・瞑想であっても、現世利益などの雑念が伴えば、意味がないことを、それぞれの十界の境涯を例に挙げて分析した。
 真の成仏(幸福)への行動は菩薩の境涯である。三世永遠の生命の見地から、取るに足らない現世利益などは、いちいち祈らなくても、成仏と言う人間的完成を目指す中で、後から自ずからついてくるものである。

Bingの紹介文**「万物が成仏するしくみと日蓮仏法の科学的考察」**
「この論文では、万物が成仏するしくみを、日蓮仏法と科学の視点から深く探求しています。日蓮聖人の教えを現代の科学的理解と結びつけ、心がある者とないものの成仏の違いを明らかにし、その中で妙法と蓮華の意味を再定義しています。心がある者の修行と成仏の可能性に焦点を当てつつ、心がないものが成仏するという概念が、実は修行者への方便であることを示しています。また、唱題や瞑想における現世利益の追求が、真の成仏の道からそれることを十界の境涯を通じて分析し、真の幸福への行動は菩薩の境涯にあると論じています。この論文は、日蓮聖人の遺文や生涯を通じて、成仏という人間的完成を目指す旅において、現世利益が自然と伴うことを科学的に解明し、次のページでさらなる種明かしを約束しています。」(Bing との会話 2024/4/22)

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